藤田真央 モーツァルト ピアノ・ソナタ全曲演奏会
第3回(全5回) 華麗なる輝きを放ち
【日時】
2022年3月27日(日) 開演 14:00 (開場 13:30)
【会場】
府民ホールアルティ (京都)
【演奏】
ピアノ:藤田真央
【プログラム】
モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第2番 ヘ長調 K.280
モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第6番 ニ長調 K.284「デュルニツ」
モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第11番 イ長調 K.331 トルコ行進曲付き
モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第12番 ヘ長調 K.332
※アンコール
モーツァルト:ロンド ニ長調 K.485
ショパン:ポロネーズ 第1番 嬰ハ短調 op.26-1
モシュコフスキ:15の練習曲 op.72 より 第11曲 変イ長調
下記リブログ元の記事に書いていた、藤田真央のピアノリサイタルを聴きに行った。
彼の実演を聴くのはこれで8回目。
今回は、モーツァルトのピアノ・ソナタ全曲演奏会シリーズの第3回である。
今回はホールの残響が少ないためか、あるいはピアノの癖か、普段の彼よりもからっと乾いた風味の演奏、という印象を受けた。
それが、特に前半の初期ソナタによく合っていた。
第2番、長調のからっと歌いすぎない第1楽章から、短調のしっとりよく歌う第2楽章に入るときの対比が効果的。
そして第6番、これはもう、これまで3回にわたって演奏されたモーツァルトの数々のソナタの中でも、頂点と言いたい見事さだった。
第1楽章、からりとした推進力と、しっとりした典雅さとの、この上ないバランス感覚。
相当な高速テンポでありながら少しも無理がなく、どこまでも柔軟で滑らか、常に弾むようなリズム感があり、心が浮き立って仕方ない。
この演奏に私は、アバド指揮ベルリン・フィルによる「ハフナー・セレナード」の名演(CD)と全く同じ、ザルツブルク時代の若きモーツァルトの“ニ長調のアレグロ”の理想的な実現を聴いた。
終楽章も、あらゆるレガートにノンレガート、あらゆる音階にアルペッジョが、最高級の繊細さと明晰さをもって自由自在・縦横無尽に奏され、あまりの華やかさに眩暈を覚えるほど。
モーツァルトを聴くことの、最大の醍醐味がここにはある。
ソナタ第11番「トルコ行進曲付き」は、同じく“緩徐楽章→メヌエット→ロンド”という構成を持つ第4番とともに(その記事はこちら)、冒頭楽章をノクターン風にしっとり弾くのが私の好みである。
5年前にびわ湖ホールの音楽祭で聴いたアンヌ・ケフェレックの第11番もそうだった(その記事はこちら)。
今回の藤田真央はもっとさらりとした演奏だったが、これはこれで良かったし、タッチコントロールは変わらず天下一品だった。
ソナタ第12番、この曲は彼のヴァーチャル・ヴェルビエ・フェスティバルでの演奏動画が、並ぶ者のない名演として君臨している(その記事はこちら)(動画はこちら、2:45~)。
今回、それを実演で聴くという念願が叶ったわけである。
冒頭に述べた通り、今回はからっとした感触の演奏で、ヴァーチャル・ヴェルビエ・フェスティバルでの、あの隅から隅まで歌に満ち満ちた感覚はなかったけれど、それは贅沢すぎる次元での話。
終楽章の走句など、何人も及ばぬ流麗さだった。
アンコールも素晴らしく、モーツァルトのロンドの目覚ましさといったらなかったし、ショパンのポロネーズの明るい解釈もユニーク。
最後のモシュコフスキop.72-11は、先日の大阪公演でも弾いてくれた曲(その記事はこちら)。
妖精の羽のように細やかで幻想的だった前回に対し、今回は一つ一つの音がくっきり聴こえ、会場による(もしくはピアノによる?)演奏の違いがよく分かった。
これだけくっきり細部まで聴こえても、綻びがまるでないのがすごい。
なお、終演後のトークはなし。
(画像はこちらのページよりお借りしました)
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