ポーランドのワルシャワで開催された、第19回ショパン国際ピアノコンクール(公式サイトはこちら)が、終わった。
これまで、ネット配信を聴いて(こちらのサイト)、感想を書いてきた。
とりわけ印象深かったピアニストについて、改めて備忘録的に記載しておきたい。
ちなみに、第19回ショパン国際ピアノコンクールについてのこれまでの記事はこちら。
01. Piotr ALEXEWICZ (Poland, 2000-04-09)
今大会の第5位受賞の2人の中の1人。
ポーランドの質朴な響き、それもPiotr PAWLAKのような明るい響きではなく、少し翳りのある響きを持つ。
浜コンで初めて彼を知ってから(その記事はこちら)はや7年、ついにショパンコンクール入賞まで来たか、と感慨深い。
06. Kevin CHEN (Canada, 2005-03-07)
今大会の第2位。
史上最高度のテクニックを持つピアニスト。
単に指が回るだけでなく、内声部などあらゆる箇所が細かく的確にコントロールされ、「完璧」という言葉が彼の場合は決して誇張でない。
2次の「12の練習曲」op.10など、2年前のルービンシュタインコンクール(その記事はこちらなど)で既にすごかったのに、そこからさらに磨きをかけて、他の誰も敵わないスピードと完成度を誇り、余裕すら感じさせる。
65年前のマウリツィオ・ポリーニのように、これからの時代のピアノ技術の規範となる存在と言っていい。
音楽面では、常に上品で育ちが良く、ショパンの悲哀や苦悩は聴こえてこないけれども、そういったドロドロしたところがない晴れやかさが長所でもある。
今回、ファイナルではやや慎重になりすぎてしまったきらいがあるが、そのぶん隙は全くなかったし、1~3次予選は言うことなし、彼が優勝でも全くおかしくなかった(少なくとも技術面では彼が一番)。
現在20歳の彼、今後ますます活躍することだろう。
24. David KHRIKULI (Georgia, 2001-04-26)
今大会のファイナリスト(入選)。
東アジア系のピアニストたちがあまりにも隆盛し世界を席巻している昨今、それに負けないテクニックを持ち、なおかつ東欧/西アジアらしい、耽美的になりすぎない大人の音楽を聴かせてくれる彼のようなピアニストは、貴重である。
28. Shiori KUWAHARA (Japan, 1995-10-11)
今大会の第4位受賞の2人の中の1人。
また、私の中での個人的な今大会のMVP。
2019年ブゾーニコンクール(その記事はこちらなど)、2021年ルービンシュタインコンクール(その記事はこちらなど)、2025年エリザベートコンクール(その記事はこちらなど)と、彼女がコンクールに出場するたびにMVPだと言ってきて、今回もまたかと言われてしまいそうだし、今大会は名ピアニストがたくさんいたのも確かだが、総合的にみて誰の演奏が最も気に入ったかというと、やっぱり彼女よりほかはない。
何度も書いたけれど、彼女の演奏には、もはや巨匠というべき風格が備わっている。
ドイツものを得意とする彼女らしく、大曲であればあるほど本領発揮で、1次のバラード第4番、3次のソナタ第3番、そしてファイナルの協奏曲第1番が特に力演。
バッハとモーツァルトを敬愛していたとされるショパンだが、実はベートーヴェンのソナタや交響曲からも多大なる影響を受けたのではないか、そう思わせてくれる雄渾な演奏である。
一方で、1次のノクターン第3番のような、100%ショパンといった曲においても、繊細でロマンティックな、思った以上にショパンど真ん中の美しい演奏を聴かせてくれた(それでいて彼女らしく冷静さも失わないのがまた良い)。
ファイナルの協奏曲第1番では少し瑕もあったが、もしそれがなく完璧だったら優勝していただろうか。
それは分からないが、彼女が最後まで有力な優勝候補の一人だったことはおそらく間違いないだろう。
エリザベートコンクールで惜しくも入賞を逃した彼女が、今回ショパンコンクールで雪辱を果たしたのは大変喜ばしい。
34. Tianyou LI (China, 2004-04-05)
今大会のファイナリスト(入選)。
端正な美音による誠実な音楽作りが特徴。
かっちりしたところがあるため、豪胆な桑原志織とはまた別の意味でソナタに適性があり、ソナタ第1、2番が聴きもの。
3次のラ・チ・ダレム変奏曲も清冽な演奏で、耳が洗われる。
39. Eric LU (USA, 1997-12-15)
今大会の優勝者。
純な音の響きを追求したリリシスト。
その特徴は10年前、彼が17歳のときのショパンコンクールでも十分に感じられたが、それから年月を経てさらに磨きがかかり、他の人たちとは次元の違う“音の濁りのなさ”となっている。
ロマン派ならこれくらいは仕方ない、という常識的なペダルによる音の濁りの「必要悪」を、彼は一新してしまった。
バッハにおいてアンドラーシュ・シフがやったことを、彼はショパンにおいてやった、と言ってもいいかもしれない。
それに加え、ドラマティックな表情付けも濃厚になり、この10年間の成熟が窺える。
特に2次、次いで3次の演奏が凄く、それに比べるとファイナルは響きの純度に気を取られて音楽表現がやや疎かになってしまったきらいがあるが、それでも全ての予選を加味する今大会の採点方式においては納得の優勝だったと思う。
41. Tianyao LYU (China, 2008-10-21)
今大会の第4位受賞の2人の中の1人。
弱冠16歳のヴィルトゥオーゾ。
直感的な情熱のひらめきと勢いの良さで、聴衆を魅了する。
2次のロンドop.16やラ・チ・ダレム変奏曲といった華やかな技巧曲の数々、また3次のソナタ第2番の燃えるような演奏が印象的。
細部の表現をこだわるタイプではなく、無頓着なところがあるのは、若さゆえの伸びしろかもしれないが、そこが彼女らしいとも言えるかも。
47. Yulia NAKASHIMA (Japan/Korea, 2009-12-18)
1次予選で選出されなかった人から一人選ぶなら彼女か。
弱冠15歳のヴィルトゥオーゾ。
1歳上のTianyao LYUに負けない才能の持ち主だと思ったのだけれど、残念ながら1次で落ちてしまった。
2人とも情熱的な音楽性を持つが、開放的なTianyao LYUに対し、彼女はより求心的。
バラード第4番など、最高クラスの演奏の一つだと思う。
2次以降の演奏をぜひとも聴いてみたかった。
50. Vincent ONG (Malaysia, 2001-04-12)
今大会の第5位受賞の2人の中の1人。
素朴な自然派のようでいて、その実きわめてダイナミックな表現力や技巧を持つ。
Kevin CHENがリヒテルやポリーニといった正統派ピアニストの系譜だとすると、彼はホロヴィッツやアルゲリッチといったスターピアニストの系譜だと言えようか。
メロディの歌わせ方一つ取っても、真面目で品の良いKevin CHENと違って、起伏が大きく感情表現が豊か。
特に2次の「24の前奏曲」op.28が圧巻で、音楽が大きくうねり、この曲における最上の演奏の一つとなっている。
「12の練習曲」op.10を得意とするKevin CHENと、音楽性において好対照をなす(緻密に書かれた「12の練習曲」をポリーニが得意とし、即興的に書かれた「24の前奏曲」をアルゲリッチが得意としたのとよく似ている)。
3次では、マズルカop.41やソナタ第3番がKevin CHENと同じ選曲で、その音楽性の違いがいっそう浮き彫りになった。
どちらが上とも言いがたい、いずれ劣らぬ名演である。
58. Miyu SHINDO (Japan, 2002-04-26)
今大会のファイナリスト(入選)。
自己主張の強いピアニストが多い中、彼女はただひたすらショパンとの対話を心がけていた。
派手な演奏ではないが、その音楽性は審査員に着実に評価されていき、ファイナル進出。
そして、きら星のごときコンテスタントたちが意外と協奏曲で手こずる中、彼女は協奏曲において“静かな感動”を表現することに成功した。
もしも私が審査員だったなら、協奏曲最優秀演奏賞は彼女に進呈したく思う。
60. Gabriele STRATA (Italy, 1999-06-09)
2次予選で選出されなかった人から一人選ぶなら彼か。
スタインウェイのピアノを弾いた彼だが、ファツィオリを弾いた他の誰よりもイタリアの音がする。
この明るい美音には抗しがたい。
技術的には弱い面もあるが、音楽に大きさがある。
なお、2次予選で選出されなかった人としては他に、Hao RAO (China, 2004-02-04)、Zhexiang LI (China, 2005-12-28)、Yanyan BAO (China, 2006-11-28)といった人たちが印象的で、この世代の中国人ピアニストの層の厚さに驚かされる。
64. Tomoharu USHIDA (Japan, 1999-10-16)
3次予選で選出されなかった人から一人選ぶなら彼か。
前回大会(その記事はこちらなど)では2次予選で敗退した彼の再挑戦。
今回は、彼ならではの丸みを帯びた美音をより明るくくっきりと鳴らし、また表現としても落ち着きを見せた、円熟の演奏となった。
前回大会の鬼気迫るような暗く激しいショパンが私は好きだったのだが(例えば幻想曲の演奏はこちら)、今回の演奏も素晴らしいし、3次まで行ったということは高く評価されたのだろう。
もしファイナルに行っていたらどのような演奏だったか、それは分からないが、少なくとも彼がわずか12歳のときに弾いた協奏曲第2番の演奏は(その演奏はこちら)、今大会の誰の同曲演奏よりも私は好きである。
なお、3次予選で選出されなかった人としては他に、Hyuk LEE (Korea, 2000-01-04)、Hyo LEE (Korea, 2007-01-05)の兄弟が印象的で、ショパンよりはリストに向いているかもしれない韓国ピアニズム(その記事はこちら)のためか、同郷の参加者が予備予選でほとんど落選してしまった中、兄弟2人で3次まで残り、韓国のショパン演奏を引っ張っていく様が頼もしい。
66. Zitong WANG (China, 1999-02-03)
今大会の第3位。
前回大会(その記事はこちらなど)では1次予選で敗退した彼女の再挑戦。
今回は、彼女ならではの詩的な表現に、さらに押し出しのよさを加えドラマティックに仕立てた、円熟の演奏となった。
前回大会の消え入るような内省的・瞑想的なショパンが私は好きだったのだが(例えば幻想曲の演奏はこちら)、今回の演奏も素晴らしいし、第3位ということは高く評価されたのだろう。
普段あまり取り上げられないマイナー曲を数多く選択し、光を当てたのも良かった。
2次のノクターン第4番、3つのエコセーズ、前奏曲第26番、絶筆のマズルカ、3次の「華麗なる変奏曲」、ワルツ第15番などは、それぞれの曲を代表する名演。
76. William YANG (USA, 2001-05-13)
今大会の第6位。
メカニックな機能美を追い求めた演奏をする。
ショパン演奏としては一風変わっているが、これはこれで面白いし、しっかり作り込まれている。
特に、ファイナルの協奏曲第2番は、今大会の同曲演奏の中でも最も安定感のある、洗練された演奏だった。
以上のようなピアニストが、印象に残った。
今大会で感じたのは、何といってもピアニストの百花繚乱ぶり。
これだけレベルの高いピアニストたちが一堂に会するのは、ショパンコンクールだけだろう。
お気に入りのピアニストやショパン演奏がたくさん見つかり、1次からファイナルまでずっと楽しませていただいた。
正直なところ、ファイナルは期待したほどの演奏が少なかったけれど、それだけショパンの協奏曲が難しいということだろう(特に第1番)。
協奏曲第1番の終楽章は従来の楽譜でなく、ショパンのオリジナルとおぼしきオーケストレーションに変更されており、ショパンが木管を大切にしていたことを知れたのも良かった。
審査については、色々と異論も出ているようだが、「それまでの予選の演奏を全て加味して審査される」という今大会の審査法を知った上で考えると、概ね納得のいく結果だったと思う。
例えばファイナルでは、ファイナル35%、3次35%、2次20%、1次10%と、ファイナルそのものの配分が非常に小さく、最終結果においては予選の出来がだいぶ重視される。
ファイナルでの出来が良かった人が必ずしも上位となっているわけでないのはそのためだろうし、それはそれで一つのコンセプトだろう。
Yes/Noの二段階評価でなくなったのも議論を呼んでいるが、1~25点の点数をつける際に審査員が参照するという「付録」に、もし詳細な採点基準が規定されていて、以前に少し書いた“多項目細分評価”(その記事はこちら)に近づいているのであれば、むしろ二段階評価よりも望ましい(その採点基準規定をわかりやすく公表してくれるとベターだが)。
私としては、1次でこれはと思った人たちばかりがファイナルに進んでくれて、いまいちと思った人がファイナリストに一人もおらず、大いに溜飲を下げた。
入賞者も、今大会のハイライトを形作る名演を披露してきた人たちばかり。
先日のエリザベートコンクール(その記事はこちらなど)など、過去の様々なコンクールに比べても、納得度の高い結果だったと思う。
後日審査結果も公表されるだろうし、審査の透明性も含めさすがはショパンコンクールである。
ショパンコンクールには、ぜひ今後もコンクール界の頂点かつ最先端の地位を保持し、社会的影響力をよりいっそう高めていって、ピアノ界の衰退の阻止に一役買ってほしいものである。
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