世界遺産アルベロベッロ 3
アルベロについては、あまり書くことがないのですが、
ついつい長くなってしまいました。長々しくてすみません。
本当は写真ももっと載せたかったのですが、
今回でアルベロは終わりにします
アイア・ピッコラ地区へ向かう前に、サンタントニオ教会を訪れました。

トゥルッリの教会はとても可愛らしかったです。
正面左には、子どもを抱いている聖アントニオ。
見上げると天井はこんな感じです。
外はジメジメして暑かったので、とても快適でした。
アイア・ピッコラ地区に到着すると、見付けてしまったのです
写メなので、かなり近づいて激写
トゥルッリにマッチしていて、本当に可愛いかったです
帰りに再度通ったときは、寝てました。
この姿にキュンキュンしてしまいました・・・
あと、こちらも違う意味でキュンキュンものです。
さて、この人々の生活が垣間見れるアイア・ピッコラ地区、
観光地化されたモンティ地区雰囲気が違います。
トゥルッリも、様々なトゥルッリがありました。
こんなちびっ子トゥルッリや、
石灰が塗られていないもの、
変ったトゥルッリを見つけるのが楽しかったです。
“キアンカレッレ”という平たい石もこんな荒いものもありました。

前回、蓋(小尖塔)を取るとこのトゥルッリは崩壊すると書きましたが、
建てられた時代によってそうでないものがあるような気がしました。
こんな感じに上が削り取られているのに、崩壊していないものが沢山ありました。
多分、封建制度が終わりを告げ、領主支配から解放され王直属の町に
なったことで、大土地所有者から徴税されなくなり、
それ以降に建てられたものは崩壊しない造りなのではないかと
私は思うのです。
現代風のトゥルッリなどの写真も沢山撮ったのですが、省きます。
歩いていると、呼び止められ、
「ああ、チップが欲しいんだ」と分りましたが、入りました。
机の上の皿がチップ入れで、50ユーロ札が入ってました(サクラ?)
お礼を言って、2ユーロ入れて跡にしました。
上記写真に写る煙突の上端は、風向きにあわせて自然に回転します。
兵士の横顔、鶏、、、様々な種類が見受けられます。
これは、拡大写真です。
そして、雨が降らなかったことに感謝しつつ名残惜しくもバーリへ向かいます。
白い外壁で目がチカチカして悲鳴をあげてました・・・。
行きと同様に車窓から移り行く風景を眺めました。
行きはトゥルッリを見つけるため、
帰りはトゥルッリが見えなくなるのを見届けるため。
世界遺産アルベロベッロ 2
青空の中にポツポツと浮かんでいた積雲は、勢力を伸ばし、
あっという間に青空が、灰色に塗り潰されてしまいました
まるでオセロで圧勝かと思っていたところ、急に形勢逆転されたかのように・・・。
積乱雲も出現し、雨が降らないか心配しつつ、トゥルッリが見たくて足を速めました。
三日間に一度は多かれ少なかれ、雨が降っていたのです
※カプリ島でビデオカメラを水没させたので、以下の写真は写メです。
道はイタリアでは珍しく、細い路地まで綺麗に舗装され、
街路樹も植えられていてゴミ一つ落ちていないくらいでした
サンティメディチ教会が直ぐに見えました
教会内は特筆すべきものはありませんでした。
トゥルッリがポツンポツンと見えてきて、
この後、直ぐにモデルルームのようなトゥルッリの中へ入りました。
とても涼しく、空気も澄んでいて、当時の人々の知恵を感じました。
貴重な水を得るために、屋根を伝って地下に作られた井戸に
雨水が貯められるようになっています。
家と家とがひとつの外壁で繋がっていて、
壁は1m以上もあり、日差しの強い夏や極寒の冬にも耐えられる造り。
とはいえ、冬は寒そう・・・
観光客ターゲットのトゥルッリホテルに泊まってみたいものです。
私達が目指したのは、観光地化されたモンティ地区と、
日常生活が伺えるアイア・ピッコラ地区。
まずは、モンティ地区へ向かいます。
午前中は、出稼ぎの人たちのワゴンが所狭しと並んでいました。
歩いていると「チーナチーナ」「ニーハオニーハオ」と声を掛けてくる集団が居ました。
※チーナ=中国人
あまりにも騒がしくしつこくからかってくるので、
思わず、「ジャッポネーゼ!!」と大きな声を張り上げてしまい、
“シーン・・・”
空気が凍りつきました・・・
そして到着。
15世紀から17世紀にかけてこの土地に移住してきた貧しい農民達が作ったこの町。
1000軒以上のトゥルッリが建ち並びます。
一歩その中に足を踏み入れれば、メルヘンな世界が広がっていて、
私達ははしゃぎました
シエスタということもあって、人が殆どいません。
観光客と出くわすことも殆どありませんでした。
こんな空いている道を歩いていると、土産屋の客引きのスタッフが
ひょっこり顔を出し、待ちかまえています。
日本語がペラペラの人も少なくなく、店にも日本語が貼られていることも
多かったです。
このミッシェル通りはポストカードにもなっていて、
「自分のお店がポストカードになるって嬉しいだろうね」と話してました。
トゥルッリの屋根に書かれたものは、キリストや魔法のシンボル
魔除けの意味もあるそうですが、世界遺産に登録されてから書かれたものです。
右のハートは、マリアの心臓、真ん中は十字架、左は三日月。
そして、市民の住むアイア・ピッコラ地区へ向かうのでした
世界遺産アルベロベッロ 1
今日は、フト見た雑誌に感化され・・・アルベロベッロについて
インスピレーションが湧いたということで、制作と関係があるということにします。
去年のイタリア旅行27日目に訪れた都市です。
“アルベロベッロ”なんて、おかしな響きですが、イタリア語で“美しい木”という意味です。
時代背景は分りませんが、ここには
確かに、ヤシの木や南国を感じさせる木、何故か松もありました。
※追記。 昔、“戦いの木の森”と呼ばれていたことに由来するそうです。
アルベロベッロには、トゥルッリと呼ばれる家々が建ち並んでいます。

平たい石を積んで、石灰を塗った円錐型の屋根のトゥルッリは、
面白い構造をしています。
税金を徴収されないために、家の天辺にある蓋を外すと、
簡単に家を壊せるんだそうです
ただ、それはどこまで本当かわかりません。
蓋が取り去られているのに、壊れていないものがありました。
さて、説明だけでは、つまらないと思うので・・・・
その日は、朝から変わった人に出くわしました。
毎日沢山の人達に声を掛けられますが、
南に似付かわないピシッとしたブランドもののスーツを身にまとった人が
「アナナタチハ 日本人デスカ?」と急に喋り掛けてきたので、
一瞬驚きました。
さよならやこんにちは、ありがとうを言える人は沢山いても、
主語がついた疑問文で喋りかけられることは稀でした。
言いたがりの人が多く、通じるや否や満足して立ち去る人が
殆どですが、彼は、駅まで案内してきました。
私達は、地図を持っているし、頭にも入ってましたが、
好意に応じて案内されました。
バーリからアルベロまでボロボロの私鉄sud-est線で1時間50分くらいです
電車の中は空いていて、途中、品のない男女の若者6人組が去った後は、
車内は私と友達二人きりでした。
どうも南にいくにつれて、品がなくなっていき、犯罪にでくわす機会が増え、
危ない目に多々遭いました
友達と車窓からの景色を楽しんでいると、一人の男の人が入ってきて、
私達は嫌な予感(好意的に話しかけてくるという予感)がし、顔を見合わせました
予感が的中し、ガラガラの車両なのに、何故か私達の目の前に座ってきました
気まずい雰囲気でした。
話し掛けてくるなと思っていたら案の定・・・。
友達がこの異様な光景を撮りました
・・・。
英語は全くできない人で、ペラペラとイタリア語で喋り掛けてきました。
日本に10日間来たことがあるそうで、いかに日本が素晴らしいかという話、
ドイツやギリシャ旅行の話もしてきました。
感じの良い人でしたが落ち着けなかったです…
友達は、こういうときは会話に参加せず私に任せるので、
早くアルベロベッロに着かないか私はそわそわしてました。
レストランで働いているらしく、来ないか誘われましたが、勿論断りました。
お金を使わせようとしているのか結局意図は分りませんでした。
そうこうしているうちに彼は下車し、私達は再び車窓からの景色を楽しみました。
畑の中にあるトゥルッリは、アルベロベッロの集落では見ることのない古いものです。
そして、到着
運転手が、
「Buongiorno(こんにちは)!Buon Viaggio(良い旅を) ! 」
と声を掛けてきました。
挨拶を交わし、
私達はワクワクしながら、集落へ向かいました
日本近代絵画
来週は春分の日があるので、仕事が休みで嬉しいです
最近、水曜日と木曜日は仕事が忙しくて、魂が抜けてます・・・。
帰宅してから、制作を少ししますが、気がつくと寝てます。
しかしながら、それは苦ではないので引き続き無理ない程度に頑張ります。
芳賀先生に送る試作のバラができました。
あとは、発送するのみ
先生の作品、Art in a boxの一連の作品、特にフランスの
街角を捉えた作品は、荻須高徳、佐伯祐三を連想させます。
先生は、多分この二方が好きなのではないかと思うのです。
メールで聞いてみます
私は断然、誰がなんといっても佐伯祐三が好きです
彼の絵には魂が籠められていると思うのです。
彼の作品についての私のくだらない感想を
拙劣な文章でだらだら書くのは、どうかと思うので、
先生が好きそうな作品を載せます。
まずは、荻須高徳。
ここから、佐伯祐三。
椅子の足に注目してください。
晩年の死の扉を思わせる扉・・・。
そして、
『郵便配達夫』
載せませんでしたが、
自画像や教会、ロシア人の少女などの絵が有名です。
佐伯祐三は、肺結核に加えて、精神病を患い、
30歳という若さでこの世を去りました。
弟も肺結核により20歳で他界しており、弟のものが移ったとされています。
身内の死に遭遇することが重なり、自身も死について意識し、
死に物狂いで制作しています。
モダンな中にある深みが見る者を魅了します。
作品の数は少ないです。
そして、一枚一枚とても高額です。
ゴッホが佐伯祐三の作品を見たら、どんな反応をしたことでしょう・・・。長くなりすぎたので、ここら辺で切り上げます
粘土のミニチュアローズ
今日は、時間を割けないので、ちょっと手抜きです・・・
バラは、前回の赤いバラを入れて全部で9種作りました
花びらも全部違います。
これらを作った後に、粘土を変えたら、
若干これらより細かく作ることができました。
それも花びらの感じを変えたので、10種になりました。
そのバラはまた別途更新します
茎やガク、葉・・・
改善すべき点が多いのですが、これを作ったことにより、
成長したので、良しとします
本当は、葉も多くすればよかったのですが、
手間がかかってしまうので、今回は少なめにしました。
制作にあたり、画家の佐伯祐三の話を明日少しだけしようかと思います