リベラルブログ・生活保護者の色々な記事 -23ページ目

リベラルブログ・生活保護者の色々な記事

腎臓病と不安神経症で生活保護者。社会やニュース、その他、様々なこと、思ったこと、感じたこと色々なことをブログ記事にしていきたいと思っています。

出展「南京事件資料集 アメリカ関係資料編」青木書店39D南京の状況1937年11月27日
海軍無線 DJ EB
特殊グレイ文(暗号文)並びに平文電報
発信:南京
受信:1937年11月27日
ワシントン国務長官、漢口・北平米大使館、上海米総領事館宛
第963号 11月27日午後2時

1 警察長官はもし「危急な事態」が起こった場合は、 まず最初に警察が南京を離れ、次いで憲兵そしてそして最後に軍隊が離れることになるだろうと述べた。
 今日の午前中、市長が私に別れの挨拶を(と思われる)をしに訪ねてきたので、警察長官は自分だけが取り残されるのを心配している。

2   略

3 市民の脱出は続いているが、市長の話では30万から40万の市民がまだ南京に残っているとのこと。
4 略
                      アチソン
(アメリカ資料編P90)

42D南京の状況1937年12月3日
特殊グレイ暗号文電報
発信:南京

1  防衛軍副司令官が警察を統率することになったが、それは名目上だった。しかも司令部は、市から少し離れたところにあると思われる。
2 多数の警察官が逃げ去ったが、市の秩序は保たれており、通過していく軍隊や他の兵士間の秩序を維持するために一定の部隊が配置されている。 
すべての城門は土嚢で閉鎖されているが、中山門と長江岸へ通じる邑江門および舞湖に向かう南門(中華門=訳者)の3つは部分的に開いている。
3 略
                      アチソン
(アメリカ資料編P92~93)

43D南京の状況1937年12月4日
特殊グレイ暗号文電報
大使館電報第989号(12月3日午後2時発信)に関して。

1 警察業務に携わる警察官の数は減少しているように見えるが、憲兵や兵士で編成された部隊が市内を巡回している。市の南部では若干の市民が武器を手にいれた。 下関地区では脱走兵が略奪をやったことが報告されている。 
長江岸へ通じる邑江門は混雑している。 おそらく今日行われた南京城内に対する爆撃(大使館電報第994号、12月4日午後一時発信を参照)によって流出者はさらに増えることになろう。蒋介石夫妻および市長はまだ南京にいる。
2 伝えられるところによれば、中国軍は鎮江~丹陽を結ぶ線を離れて、句容からそう遠くない地点まで退却したとのことである。
3 イギリス側の情報によれば、今朝、鎮江において中国軍が略奪をはたらいていたとのことである。おそらく日本軍が付近に進撃中との情報が伝えられた結果と思われる。
4 略
                      アチソン
(アメリカ資料編P93)

44D南京の状況1937年12月7日
特殊グレイ暗号文電報
発信:南京

1 市長はまだ南京にいた。かれはもっぱら、いわゆる安全区に関する仕事のために残っているように思われる。昨日は、安全区に入る難民のゆるやかな人波が終日続いた。難民のほとんどは貧しい階級の婦女子あるいは子供たちである。
2 (前略)下関区とイギリス大使館近くの村で略奪を行った科で(罪)で、6人の兵士が昨日処刑された。その他、城外で中国軍が砲撃しやすいようにと周辺一帯の村を焼き払ったために混乱が発生しているものの、市内は概して平穏である。
3 略
4 イギリスからの情報によれば、鎮江の中国軍は組織的に市を略奪し、放火しているとのこと。  
   
                   アチソン
(アメリカ資料編P93~94)

47D南京の状況1937年12月8日
特殊グレイ暗号文電報
発信:南京

1 市長はすでに去ったと確信される。数日前から我々のところに地方当局との折衝を援助するといってやってきた二人の下級外交部職員も、今はどこかへ消えてしまったようだ。邑江門を通って江岸に出て行くのは今も容易であるが、中国人はそこから城内に入ることは許されていない。昨夜警官が、城壁の外側 下関地区の家々を一軒一軒回って、長江を渡って浦口へ行くように警告して歩いた。
2 郊外の家々を焼き払う煙が南京の上空ならびにあたり一面に漂い、空気が霞んでいる。昨日の午後、私とロバーツが湯山道路の孝陵衛を通ったところ、みすぼらしい家々がすべて焼かれていた。全村が火の海で、かろうじて本道だけを車で通過することができた。南京に近い陵園区の藁葺の家は焼かれていたが、孔祥熙や孫科などの邸宅は明らかに焼却対象から外れていた。 昨夕、中華門外の舞湖道路を数マイルドライブして見たところでは、この道路沿いの清野作戦(家々を焼却して戦闘の準備をする)はまだ上記のような段階には達してない。
3 ~中略~
4 国務省へ送信。漢口、北京、上海へ転送。
                      アチソン
(アメリカ資料編P95~96)

50D 南京のアメリカ人の保護
海軍無線 EB 平文電報
発信:南京


1、略
2、略
3、中国軍当局が、江岸へ通ずる邑江門をいつでも閉鎖できるようにしたいと強く要求しているため、我々は残留するアメリカ人に同行する機会と時間を与えた後、午後3時にパナイ号に戻った。
我々が邑江門を通過した時、門を土嚢で封鎖する作業が進められておりまた城外の下関の広い範囲と城壁の近くが焼き払われていた。
我々がパナイ号に着いた直後に、浦口で水辺にしこたま爆弾が落とされ、小さな駅の一つに爆弾が命中して建物が燃え出した。我々の向かい側の水中にも爆弾が3つ落ちた。
4、国務省へ送信、漢口、北京へ転送。上海から日本当局へパナイ号の位置を知らせてください。北京から東京へ転送されたし。
                     アチソン
(アメリカ資料編P98~99) 解説
下関が焼き払われ、邑江門が封鎖されつつある様子がわかる。


53D 南京の状況-12月11日
グレイ暗号電文
発信:南京、海軍無線局経由

1 今日の午後、市の南部および光華門の内側に、砲弾が激しく撃ち込まれていたが、午後になるとさらに街中に向かって撃ち込まれるようになった。砲弾は一発は福昌ホテルの前の中山路に落ち、約50人が殺された。一発はホテルの後ろに落ちた。そして一発は五台山地区のアメリカ聖書教師養成学校(American Bible Teachers Training School)に落ち、施設に少し損傷があった。
 大使館付近と同構内にある高射砲を狙って爆撃と砲撃が行われているが、同構内は中国人で一杯だという。
ある外国人の目撃者は、日本の部隊はおそらく今日の夕方までに、光華門を強行突破するだろうと予告している。
2、今日の午後、下関地区に新しい火災が発生し、北に向かって延焼している。昨夜の火事は川下に向かったため、浦口のフェリー客船用の桟橋は今日のところまでそのまま残っている。
3、今日の午後、市外との陸上電話の回線が破壊された。電気と水道の業務は機能するのを止めていると報告されている。
今日の午後、パナイ号が移動する前に我々は、警察官が川岸で渡江して避難する準備をしているのを見た。その後、数百人の警察官が同じ目的で下関区へなだれ込むのを目撃したから、もはや市内に警察官はいないのではないかと思われる。


56D 包囲された中国軍
JR グレイ暗号文電報
受信:1937年12月13日午前10時35分

 日本軍は蕪湖を占領し、そして浦口を占領したことによって、長江を除いて南京からの脱出路を絶ったと主張している。日本側の報告によれば、日本軍は南京の城壁の南と中華門の西を占領し、城壁を突破すべく戦っているところだという。
 日本軍はまた、昨夜照明に助けられて、空から集中的に南京を爆撃したこと、ならびに中国軍部隊は小さな動力船とジャンクに乗って長江上を退却中であるとの主張をしている。
漢口・北平に転電。
                      ガウス
(アメリカ資料編P103)


145D 南京アメリカ大使館通信---エスピー報告  1938年Vol.14
1938年1月25日 南京


南京の状況
在漢口アメリカ大使ネルソン・T・ジョンソン宛
1937年12月13日、日本軍の南京占領以来の状況についてのエスピー副領事の報告を、ここに慎んで提出いたします。報告内容は大使館スタッフの調査、および南京陥落以来当地に残留しているアメリカ人の記述に基づくものであります。報告に含まれているのは、勝利に輝く日本軍の南京入城の時から市に発生した事件、市の現状に関する観察、及び、日本占領の影響を改善する為のアメリカ住民ならびに「南京国際委員会」の仕事の概要、さらに、市内における人命及び財産を保護する彼らの尽力に関するものです。
                               敬具
                  ジョン・M・アリソン三等書記官

外国人目撃者の話によると、南京を冒涜する野蛮な盗賊同様に、日本兵は欲しいがままに振舞った。市内では数え切れないほど大勢の男性、女性、子供が殺害された。理由もなく市民が銃殺、刺殺されたと聞かされている。





 
南京大学歴史学部の張憲文教授
私個人としては、30万というこの数字は推定数だと思っています。武器を手放した中国兵、南京市民、よその土地から南京に逃れてきた難民などです。当時、戸籍制度はまったく完備されていませんでしたから、よその土地から多くの貧民が南京に来て、郊外の貧民区に住んでいたとしても、戸籍に編入されることはまったくなく、そのたため、こうした人たちが虐殺されたことについては、それを正確に統計できるいかなる文字資料も残っていないのです。十分な証拠を探し出す前に、こうした前人の推定数を安易に否定することはできない、と私は考えています。この数字が、当時の大虐殺を知るすべての人の共通の認識だからなのです。

2003年12月13日の北京日報の記事より

師範大学の南京大虐殺研究センターの張連紅教授は《北京日報》の記事
張連紅の論文は指摘する、1927年国民政府が南京に都を定めた後に、かつて南京市の地域の範囲は大きな変化が発生した。最初は、南京の地域の範囲はほぼ南京城区(明時代の城壁を界とした)を主とするだけであった。1935年3月、南京市の管轄地区はとても拡大され、もとは江寧県に属していた孝陵衛、燕子磯、上新河の3つの郷区の併せて21の郷鎮を南京市の管轄に入れた。南京を都に定めた後に、都市の人口の増長速度はとても速く、1937年6月には、南京市はすでに101.5万人を上回った。
  “八•一三事変”勃発後、南京は直接戦争の脅威にさらされた。安全を求めて、南京市民の一部は西へ、一部は長江以北へ船で渡り、自主的に地方に移り一部の城区市民も郊外の郷区へ避難した。5つの城区、2つの郷区の統計結果によれば、1937年8月から11月までの、城区の人口が流出する確立は48.9%で、郷区は17.6%である。1937年8月の人口統計をとるため流動人口の統計を含めた、これは1936年の統計を基数とした。1936年7月、南京の7つの城区の居住人口は741,667人と算出し、4つの郷区の居住人口は203,877人と算出することが出来る、1937年11月初め、南京城区と郷区の居住人口中で少なくともまだ54.7余万人は移っていない。この事実は日本の特務機関の報告で実証されており、その情報は10月下旬に南京にはまだ53万余人がいると言っている。
  上海陥落後、南京は第二次流出が始まった。第二次流出人員は主要な公務員が主である。全市の交通機関は国民政府が統制した、600台の自動車と220余隻の木造船を含んで、軍事と国民政府は西へ移った。輸送船が少ないために、乗船切符の価格は高騰し、実際に乗船切符を買って南京を離れることが出来る市民・農民の数は少なかった。11月中旬、かつて軍事委員会の後方勤務部は各関係機関を招集して会議を行い送還する難民問題について討論した、そして南京市政府の“送還するルートと人数と地区の手紙を後方勤務部へ即日提出する”ことになり、これに協力した。11月23日、南京市政府は手紙に書いている:“当市の調べでは人口は約50余万である。”この説明は11月初旬から11月下旬まで、決して南京市の居住人口は大きく変化しない。
   11月27日、米国大使館は国内の報告に南京市長の話では、まだ南京には30万~40万の市民が残っていると返信に書いており、南京市長は南京城区の人口だと決して明示した報告をしていない、しかし11月23日に南京市政府の公文書には南京の人口は50余万と書いており、4日間だけで突然南京の人口が10万~20万人流出し、その時の南京の運送能力(圧倒的多数の船舶がすでに政府の西に移っている)で遂行するなど不可能である。そのため南京市長が南京には、まだ30万~40万人が居ると語ったのは、南京城区の人口数だと見なすことができる。
12月初旬に南京防衛軍司令官の唐生智は下関から浦口までの連絡船の取消し命令を下して、同時に南京の各城門も閉鎖した。その為あまり大きな人口数字の変化はありえない。

“八•一三事変”以降より、“まちまちであるが毎日、千数百人ほどの各地の難民が次々と南京にやって来た”これらの避難して来た南京の難民は、南京駅で乗り換えて内陸部へ向かう者もいた。南京の運送能力の制限を受けるため、日本軍が南京を占領前の夜まで、殆どの難民は南京に滞在するしかなかった。外地から南京に滞在していた難民の人数は現在まだ正確な統計はないが、しかしもし最低の数字の毎日1,000人で計算するならば(事実上上海陥落後は、蘇州から南京の京滬線【北京-上海線】に沿って避難する人の流れは上海陥落前をはるかにを上回っている)、上海陥落から日本軍が南京を占領する間に、少なくとも3万人以上の外地からの難民が南京城区に滞留していた。

イメージ 1

イメージ 2

晴れていたらこういう日食が見れたのに・・・
日本列島で46年ぶりに観測された皆既日食=鹿児島県喜界島で2009年7月22日午前10時58分、野田武撮影(毎日新聞)


イメージ 3
1999年8月11日の皆既日食で見られたコロナ





46年前といえば僕が生まれた年。しかも生まれた同じ月の7月に日本で皆既日食があったなんて生まれて間もなかった僕には知る良しもなかった。





それから46年後、2009年7月22日、九州・鹿児島県の奄美大島やトカラ列島で起きたが、残念ながら雨や曇りで皆既日食は見えないところが多かった。見えたところも曇り空で薄雲の中から見えた感じで、全体的に残念だった。




しかし、民放の生中継を見ていたけど、皆既日食の時はみるみる急に暗くなって、日食の時には、完全に真っ暗になったのにはTV中継ながらとても驚いた☆




本来、晴れているときに起こる皆既日食は完全に真っ暗にはならない。コロナ(コロナとは、太陽の周りに見える自由電子の散乱光のこと。)の光があるためだと思うが、皆既日食最中もその場全体は何とか見えるぐらいの暗さだ。





しかし、今回の日本で起きた皆既日食は、雨雲や曇り空だったのでコロナの淡い光は完全に厚い雲で隠されたのだろう、皆既日食が起きたときは突然、ほんとに突然、何も見えない真っ暗になった。あまりの真っ暗で中継している記者やタレントが全然見えない状態で彼らの驚きの声だけが中継されていた。





こういう真っ暗な状態は、皆既日食が全く見えない時のみ起きることで、そういう意味で、皆既日食は、見える時は美しく、不思議な黒い太陽を見せるし、全く見えない時も、周囲を突然真っ暗にする、という不思議な状態にしてしまう、と言うことだ。




即ち、皆既日食と言うのは、見える時が一番良いけど、全く見えなくても、真っ暗な闇を現出させるので、見えても、見えなくても、我々に異界の時を経験させてくれる不思議なひと時なのである☆



なお、部分日食は、晴れたら日本各地で見れたのだけど、日本を縦断する梅雨前線の雨雲で僕の所も全く見えなかったのは残念だった。




ただ、丁度部分日食が起きている11時12分の曇り空より、それから5分ぐらい後の空が明らかに明るくなったのは、ただ曇が流れて太陽がさえぎらなくなったからなのか、それとも部分日食のせいなのかは、分からない。
イメージ 1
ウイグル族の家族。どう見ても漢民族とは別民族。独立すべきである。
http://gotenyama2.web.infoseek.co.jp/Hito/hito_cn_uigl.html

イメージ 2
ウイグル族の子供たち。漢民族とはやはり違う。独立すべきである。
http://shinowazuri.cocolog-nifty.com/memo/cat2525394/index.html


イメージ 3
ウイグル族の女子大生。左から3番目の黒髪の女性は日本人女性。やはり漢民族とは別民族。独立すべきである。
http://www.nhk.or.jp/tabi-blog/250/


イメージ 4
ウイグル族の女性。やはり漢民族とは別民族。独立すべだ。
http://urma.nirai.jp/?cat=17


漢族住民がデモ、暴力ざたも=ウルムチに夜間外出禁止令-中国
7月7日  時事通信

 【ウルムチ(中国新疆ウイグル自治区)7日時事】中国新疆ウイグル自治区で発生した暴動を受け、区都ウルムチで7日午後、ウイグル族に抗議する漢族住民のデモが行われ、警官隊が催涙ガスを発射するなど混乱が続いた。漢族とウイグル族の対立が深まっており、同自治区の王楽泉共産党委員会書記は、ウルムチで同日午後9時(日本時間同10時)から8日午前8時(同9時)まで外出禁止令を出すことを明らかにした。

 目撃者らによると、デモ隊は少なくとも1万人に上り、こん棒や刃物などを持ってウルムチ市内を行進。デモ隊の一部は「ウイグル族を襲え」と叫び、ウイグル族の商店を破壊、ウイグル族住民との間で投石も起きた。警官隊はデモ隊を解散させるため催涙ガスを繰り返し発射したが、デモ隊は警察の非常線を一時突破した。
 


チベット同様、ウイグル自治区は明らかに中国とは別の民族・言語・文化を持つ独立地域。中国はウイグルを独立させなければいけない。今の中国がチベット、ウイグルでやっている自治区政策は、かっての日本人が中国で満州国家を樹立して侵略占領したのと同じこと。自分がやられたことを他民族・他国にしてはならない。



それと今回のウイグル自治区での独立抗議活動を、日本のマスコミ・TV(NHK・フジ他)のニュースで『暴動』と言っているが、ウイグル人の人たちがいかにも悪いことをしているかのようなイメージを持たせる、【暴動と言う言葉を用いるのは完全な間違いである】これはウイグル民族が中国の占領から独立しようと立ち上がった【独立行動】なのである。だから『暴動』と言う言葉を用いてはならない。

イメージ 1

2009年・1月20日。とうとうアメリカで黒人初の大統領が誕生した☆歴史に残るその名前は、第44代・バラク・オバマ大統領☆



100年に一度の世界的経済危機を救う為の使命を受けた人は、アメリカ合衆国建国230年で初の黒人大統領であるオバマ大統領だ☆



アメリカは歴史的経済危機に選んだ人は、アメリカ人が好きなマッチョ的大統領ではなく、最も頭の良い人を選んだ☆

それは白人・黒人・ヒスパニック・アジア系、男性・女性、人種・性別は全く関係なかった☆ただひたすら【誰が1番頭が良いか】ということをアメリカ国民は、そのことだけを心に定めて大統領を選んだ☆



その結果、47歳の黒人・バラク・オバマを大統領に選んだ☆



そして、オバマ大統領誕生は、アメリカのサブプライム問題が震源で世界に広がり、100年に一度の経済危機の最中である為に、又そしてそれは、彼が黒人である為に、おそらく今までアメリカ大統領誕生に殆ど興味を示さなかったであろうアフリカ諸国も巻き込んだ。それは全世界の人類が注目するという、おそらく、人類史上、最も注目されたリーダーの誕生となった☆




昨年2008年11月4日、20万人を前に行なった大統領選挙勝利演説の主旨
米大統領選で当選した民主党候補、オバマ氏の演説要旨。オバマ氏演説「私たちはできる」

アメリカでは、すべてが可能であることを疑い、民主主義の力に疑問を呈する人がまだいるなら、今夜がその答えだ。今度の選挙は違うと信じて、投票所に並んだ人々の列が答えだ。老いも若きも、共和党支持者も民主党支持者も、黒人も白人も、同性愛者もそうでない人も、健常者も障害者も、すべてが出した答えだ。我々はアメリカ合衆国(の一員)なのだ。

この勝利は皆さんのものだ。私は最初から大統領に最も当選しそうな候補者だったわけではない。金もなかったが、労働者たちが5ドル、10ドル、20ドルと献金してくれた。極寒の日もうだるような暑さの日も見知らぬ人の家のドアをたたいて回った人々のおかげで選挙運動は力を得た。人民の、人民による、人民のための政治が滅んでいなかったと。

道は長く険しい。坂は急だ。だが、私は今夜ほど希望に満ちたことはない。私は約束する。我々は一つの国民として目標に到達するのだ。

11月5日毎日新聞

僕はこの演説を聞いていて、黒人の人たちが受けた差別の歴史を思い、又オバマ氏の演説が集まった国民の1人1人の心の届いて結び付いているのを見て目頭が熱くなった☆

とても頭が良くて優秀な人だから、きっと100年に一度の世界的経済危機を乗り越えられると信じている。それは、オバマ氏が、国民1人1人と心と心が繋がっているからだ☆


写真ロイター

イメージ 1

マンU打ち合いでG大阪下す/クラブW杯

<クラブW杯:マンチェスターU(イングランド)5-3G大阪>◇18日◇横浜◇準決勝

 これが世界の破壊力だ! 欧州王者マンチェスターUが今大会準決勝から登場し、アジア王者のG大阪を5-3で下し、LDUキト(エクアドル)との決勝に駒を進めた。本年度の世界最優秀選手(バロンドール)に輝いたMFクリスティアーノ・ロナウドは、前半ロスタイムにMFギグスのCKを頭で合わせ、チームの2点目を奪った。

G大阪の西野朗監督(53)は「3点取れたし、攻撃的なところも少し出たと思う。がっぷり四つにやった中での結果」と、打ち合いの末の敗戦に手応えを口にした。

 2点を追う後半29分には、FW山崎が1点差に迫るゴールを決めたが、直後の5分間でFWルーニーに2点をたたき込まれるなど3連続失点。それでも同40分にMF遠藤がPKを決めると、ロスタイムにもMF橋本が決め3-5。同監督は「まったく違うスタイル、グレードの違う相手とやった財産は大きい」と話した。

ファーガソン監督がG大阪を絶賛…トヨタ・クラブW杯

名門・マンUを率いて23年目の名将、ファーガソン監督(66)がG大阪を絶賛した。まず、相手のキーマンとしてマークしていたMF遠藤に幻惑された。「遠藤はトップ下としてプレーするものだと思って準備していたので、ビックリした」と、予想外のボランチでの起用に、プランを崩されたことを明かした。

 「時々、ナーバスになったよ。遠藤からのボールは(GK)ファンデルサールが足でセーブしたが、一番ビックリしたのはガンバのチーム全体の走りの多さ。きょうはファンデルサールにかなり助けられた」と苦戦を振り返った。それでも大会最多の5得点で勝利を手にし「ファンがお金を払った分だけの価値ある試合だった。ガンバにはとても感動した」と満足げだった。


サッカーファンだがサッカーの記事を書くのは始めてだな。

俺に記事を書かせるほど素晴しい試合だった☆

やはり攻撃をしあうサッカーは面白いな。

これはどのスポーツにも当てはまるんじゃないかな。

世界最高のビッグクラブに5対1になっても守備をせずにガンバの攻撃スタイルを貫いて残り時間で2点

を入れて5-3まで持っていった戦いは見事であった☆

Jリーグのレベルが高くて世界は驚いたかな☆

こういう、攻撃しあうサッカーが世界のサッカーから無くなっている。

この試合は世界中に中継された。日本ではたったの15%しか視聴率がなかったけど、この打ち合いの

サッカーを見て、今の守備的なサッカーがいかに『フットボール』をつまらなくしているか、見た人は

はっきりと分かったんじゃないかな。

この試合がきっかけで、世界のサッカースタイルが、今の守備的サッカーから、攻撃しあうサッカースタ

イルへと変わっていくきっかけに、種子になってほしいな☆
田母神前空幕長が記者会見、スーツ姿で謝罪・反省の弁なし
11月3日 読売新聞

 政府見解と異なる論文を投稿して更迭された田母神(たもがみ)俊雄・前航空幕僚長(60)の処遇は3日夜、定年退職という異例の形で決着した。

 同日、東京都内で開いた緊急の記者会見。田母神氏は37年間にわたり愛用してきた制服ではなく、スーツ姿で登場。冒頭、「退職にあたっての所感」を読み上げたが、防衛省・自衛隊を混乱させたことに対する謝罪や反省の弁はなかった。

 「日本が悪い国だという認識は修正されるべき」「日本は侵略国家ではない」などの持論を繰り返した田母神氏。「戦後教育による『侵略国家』という呪縛 (じゅばく)が国民の自信を喪失させ、自衛隊の士気を低下させている」とし、現役自衛官に対しても、「自分のことより国家、国民のことを常に優先した言動を取ってほしい」と神妙な面持ちで語った。

 論文が政府見解と異なる点に質問が移ると、田母神氏は「政府見解に一言も反論できないとなると北朝鮮と同じだ」と答えた。論文の懸賞金300万円については受け取るという。会見は20分余りで終了した。

 一方の防衛省。前空幕長の処遇を巡っては、本人が辞意を示さないため、懲戒免職も検討されたが、懲戒手続きには明確な規律違反や本人の同意が必要なため、長期化することを懸念。「組織として最もダメージの少ない方法」(同省幹部)として、異例の「定年退職」となった。

 定年退職ならば、一連の混乱の責任を取らないばかりか、数千万円の退職金も支給されることになる。同省幹部は「辞表を出して辞めるべき。組織のトップまで務めた人物の身の処し方ではない」と批判した。

もはや田母神のような末端の小物を切ってもこの問題は解決しない。全ては天皇ヒロヒトが戦争責任を取

らなかった事に起因する。天皇は万世一系の血筋で遺伝子が他の人間より濃く繋がっているから、ヒロヒ

ト戦争責任は代々の天皇に引き継がれることが可能だと僕は考えている。従ってヒロヒトに対する戦争責

任を現天皇、明仁天皇に要求する。



1、天皇は太平洋戦争の責任を取って退位せよ!

2、天皇は日本国民に戦争の謝罪をせよ!

3、天皇は日本国民に感謝せよ!(天皇家を守る為に死んで行ったのだから。)

4、天皇は京都へ帰ること。(2度と天皇の力を権力者に利用されない為。古来から天皇は京都にいる時は、時の権力者に対して強かった。)

5、太平洋戦争が日本の侵略戦争であったと正式に宣言する事。もし侵略戦争でなかったと現天皇自身が考えるなら、その理由を日本国民、アジア各国、アメリカ、世界にその理由を説明する事。

以上の言動を天皇が行動できるように政治家は法律を改正する事。

以上、これ等を私、masao は現天皇、明仁天皇に要求する。

今の俺に何の権限も力も立場も何もないが。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

あづい~、岐阜で39度だと!僕の東京市部で33度ぐらいでばてているのに39度ってどんなん。。。いやいや^^;味わいたくない>_<

夏は水分を取って無理しないで過ごしましょうね☆

今ふと気付いたんだけど、今年はもうすぐ8月になるというのにセミの声が例年ほど鳴いてないな。鳴き声も例年より力ない。今年はそういう周期なのかな。今年は戦後最大の金融危機と言われるアメリカのサブプライムローン問題が発端で世界的に不景気が広がっているし、なにかそういう周期的な特別な年にあたっているのかな