大正10年2月 名古屋末広座 幸四郎と宗十郎の神戸、名古屋巡業 | 栢莚の徒然なるままに

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今回は久しぶりとなる名古屋末廣座の筋書を紹介したいと思います。

大正10年2月 名古屋末広座


演目:
一、車引
二、大杯觴酒戦強者
三、大森彦七
四、みだれ金春
五、素襖落

以前紹介した名古屋末広座の筋書


帝国劇場が恒例の女優劇公演の為に体が空いた幸四郎と宗十郎はこの月2人は2月1日から12日までの月の前半を神戸聚楽館で公演を行い、その後2月16日から23日の7日間をこの名古屋末広座で公演を行うという少し変則的なスケジュールで公演を行いました。
この2人は片や超が付く程の生真面目、片や煩い事は何も言わず開演10分前に楽屋入りする事すらあったマイペースと水と油に近い性格でありその為2人の関係性は決して良好な物ではありませんでしたが、こと役者として見る分には時代物と舞踊に秀でた幸四郎と同じく舞踊を得意とし世話物に長じていた宗十郎は組む分には互いの欠点を打ち消せる理想的なコンビでもあり、ここに梅幸を入れての巡業を帝劇一座と称して大正時代前半は各地を巡業し梅幸が羽左衛門と巡業を組む様になってきた大正5年頃からは梅幸に代わって宗之助が立女形枠で入っての巡業が主流となっていました。
そしてこの名古屋は宗十郎にとっては養父の四代目助高屋高助、祖父の五代目澤村宗十郎が巡業中に没した地でもあり、養父の亡くなった2月は回忌の度に訪れて公演を行う等特別思い入れのある土地であり帝国劇場と提携している神戸聚楽館と月を半分に分けて行える点で各地をせわしなく回る巡業よりもスケジュールにゆとりを持てる事から彼の定番の巡業コースでもありました。

因みに神戸聚楽館では

菅原伝授手習鑑
扇谷熊谷
素襖落
みだれ金春
乗合船恵方万歳

二の替り

根元草摺引
大杯觴酒戦強者
大森彦七
侠客春雨傘
橋弁慶

という内容で公演を行っており、名古屋末廣座の狂言立ては神戸公演の内容から前半から3演目、後半から2演目をミックスして作られているのが分かります。

名古屋では上演されなかった侠客春雨傘での幸四郎の釣鐘庄兵衛と宗十郎の大口屋暁雨

主な配役一覧

 

今回はこの2人に宗之助ではなく彼の弟の長十郎が加わっていますがその為も一座に立女形が不在で申し訳程度に梅幸一門の梅三郎がいるだけというかなり変わった顔触れになっています。
名前が出たついでに触れて置くとこの梅三郎は昭和に入って四代目尾上梅朝を襲名し師匠の梅幸が急逝した後は梅幸一門の生き字引として六代目一門の中で女形のお師匠番として長く活躍し七代目梅幸や当代菊五郎に数々の先代梅幸の芸を伝授した人でもあります。

車引

 

序幕の車引は言わずと知れた菅原伝授手習鑑の三段目の見取演目となります。

新富座での筋書はこちら


その為、今回は松王丸を幸四郎、桜丸を宗十郎、梅王丸を長十郎、杉王丸を源平、時平公を錦蔵がそれぞれ務めています。
車曳単体での上演は少々変な感じがしますが実はこれだんまりと同じく顔見世演目としての役割を兼ねた演目になっています。
よくよく考えて見るとこの車曳は女形役者は出れないという欠点こそありますが梅王丸、松王丸、桜丸、時平、杉王丸と立役の役者は実悪から二枚目迄万遍なく出せれるという点ではだんまり代わりの物としては中々優れていて今回みたいな女形不在の一座の演目としては理に適ってるのが分かります。
が、逆を言うと菅原伝授手習鑑の一幕としての価値は全くない為、劇評も見る迄もないと判断したらしく見なかったと書かれておりどんな出来だったかは不明です。

大杯觴酒戦強者

 

続いて一番目の大杯觴酒戦強者は以前にも紹介した事がある黙阿弥物の演目になります。

明治座の観劇の記事


延若が演じた浪花座の筋書

 

今回は長十郎の出し物であり足軽才助実は馬場三郎兵衛を長十郎、井伊掃部頭を幸四郎、木村采女を源平、内藤紀伊守を錦蔵、おでんを梅三郎がそれぞれ務めています。
以前に帝国劇場の筋書で詳しく紹介しましたが訥子系紀伊国屋三兄弟の中で唯一父親の芸風を受け継いだ彼は荒々しい立廻りのある演目を好んで演じていてこの演目も巡業の際にはよく出していた演目の1つでした。
しかし、劇評の評価は

長十郎の三郎兵衛は一寸見劣りがした、足軽部屋での世話振りにもそれらしくないのが物足らず、酒宴の場では骨に力が無いと思った

と足軽部屋の場と書院酒宴の場のどちらとも三郎兵衛らしさがないと全否定されてしまいました。
とても得意役にしていたとは思えない酷評ぶりですが何故こうなったかについて考察するとまず考えられるのが下記の画像にもある幸四郎との差です。
これは芸歴云々という話ではなく単純な体格差の問題で長十郎も決して貧弱小柄なタイプではありませんが武田の猛将である馬場三郎兵衛という役柄を踏まえるとそこまで柄で優れているタイプでは無いのに対して幸四郎は見ての通り弁慶を当たり役にする程の豊かな体格に恵まれており、どうしても両者を見比べると見劣りしてしまう点が合ったのではないかと思われます。
因みに長十郎の父親の訥子もこの役を得意役としていましたが彼も体つきはそれ程ではないものの長身という利点があるのと当時の劇評を見るとこの大盃では「いつもと違ってあまり暴れない」演技をしていたとあり立廻りよりも貫禄と柄で魅せるこの芝居の肝を意外と理解して演じていたのではないかと見られその点でも息子の長十郎には少々荷が重かったのでは無いかと思われます。

 

父親の訥子が演じたが劇評が無視した東京座の筋書がこちら

 


一方、帝国劇場と契約直前まで在籍した明治座で二代目左團次の三郎兵衛相手に井伊掃部守を演じて以降、地方巡業でも演じる等この役を持ち役にしていた幸四郎は

幸四郎の掃部頭は姿も言ふ事も立派であった

と二代目左團次相手でも対等に渡り合えた長所である体格と経験を活かした堂々たる演技を評価されました。

幸四郎の井伊掃部頭と長十郎の馬場三郎兵衛(写真は神戸聚楽館の時の物)

正直な話、もし井伊掃部頭が幸四郎ではなく長十郎と同じ背丈ぐらいの役者が演じれば彼の欠点も然程悪目立ちしなかった可能性もあり、なまじ幸四郎と共演してしまったがばかりに体格差や演技面で見劣りしてしまい上手く行かなかったという少々残念な結果となりました。

大森彦七

 


続いて中幕の大森彦七は勧進帳と並ぶ幸四郎の鉄板演目である新歌舞伎十八番の舞踊演目となります。
今回は大森彦七を幸四郎、千早姫を宗十郎、道後近信を錦蔵、菊間五郎太を友十郎、藤橘を淀五郎、兵馬を君太郎がそれぞれ務めています。
幸四郎に関してよく言われる勧進帳の1600回というデタラメな数字は有名ですが明治末年の時点で既に数百回演じていると言われるなど実は勧進帳より上演回数が多いのでは?と思われる彼の大森彦七ですが
劇評も彼について

遉主役の幸四郎が彦七はうまい一流の所作はいかめかしい髭の中に巧者な柔らかみをうまいとこ出して居た

と経験を重ねた熟達ぶりを高く評価しています。
対して千早姫を演じた宗十郎は幸四郎が九代目の死後に初めて巡業に出た明治41年3月の神戸相生座で付き合って以来長らく巡業で出す度に千早姫を演じてきた程役を熟知している仲でしたがこちはさ

宗十郎の千早姫は無難といふより外に言ひやうもない

と何とも煮え切らない玉虫色の評価を受けました。
これに関して言えば仮に宗十郎以外の誰が演じたとしても彼以上の結果を出すのは期待薄なだけに一概に宗十郎を非難できなかった劇評の言葉を選んだ評価が的を得ていると思います。
しかし、劇評は演者とは別に舞台装置に関しては

只一つ気に入らなかったは竹本と常盤津の床が非美術的で舞台の調子がぶちこはされて居た

と義太夫の坐る床(山台)の装置が杜撰な出来であった事を素直に怒りをぶつけています。
巡業あるあると云っては失礼かもしれませんが、この手の舞台装置のいい加減さはどこにでも転がっている話なのでそこまで目くじら立てなくても良い気がしますが今回の場合、通常の巡業と異なり1週間の長期滞在、しかも演目も変わる事無く固定である事から他に比べて大道具制作にも余裕があるのでもう少し何とかならなかったのかという思いがひしひし伝わって来る物が感じられます。
結果としては前幕同様に幸四郎の演技のみが高評価となる形になり決していい出来とは言い難い結果に終わりました。

みだれ金春
 

そして二番目のみだれ金春は劇作家の大村嘉代子が初めて書いた処女作でもある新歌舞伎の演目です。

こちらは宗十郎を主役に当てて書かれており初演は大正9年5月の帝国劇場の女優劇公演で大丸屋彦右衛門を宗之助、繁野を村田嘉久子がそれぞれ演じていました。

 

写真が掲載された演芸画報はこちら

 

内容としては能楽の金春流を題材にして江戸後期の金春家当主である金春氏清と関係が冷え切ったお房夫婦と氏清の浮気相手であり氏清の息子である清之助の実の母でもある芸者繁野と彼女に横恋慕する大丸屋彦右衛門が絡み火事により氏清が心血注いだ能舞台が焼失してしまい半ば廃人状態になってしまうも彦右衛門の所から逃げ出した繁野が能衣装を着せると思い出したかのように舞い踊り、清之助に芸の継承をする最中、繁野に逃げられた余り発狂してしまった彦右衛門が乱入しお房と繁野を切りつけるも繁野は踊り終わるまで鼓を放さず、踊りの伝授が終わった所で力尽き清之助に看取られながら息絶える…という話になっています。

今回は金春氏清を宗十郎、太一郎を高助、番頭丈右衛門を連舎、芝山七郎右衛門を錦蔵、金春清之助を錦一、小梅を梅三郎、お房を淀五郎、繁野を長十郎、大丸屋彦右衛門を幸四郎がそれぞれ務めています。
こちらは元々女優劇10周年を記念して書かれた演目だけに女優勢に花を持たせようと繁野をメインに作られている為、よりによって女形役者が涸渇しているこの一座で演る事自体に無理があった訳ですが劇評はそれも含めて

 

「みだれ金春」は綺麗で、甘くて、長十郎の繁野がやさしく、高助の太一郎がふくよかに、錦一の清之助が愛らしく、宗十郎の氏清が色男で、幸四郎の大丸屋が骨太くて浅黄縮緬の襦袢の袖に村正の宝剣を振り廻していたのが全狂言の綾をつくって居た

 

と役者は褒めてはいるものの、皆一言で片付けていて取り立てて書く事が無いので役者の印象だけ思った事を取り敢えず書いた様な無味乾燥した評価をしたのみでした。

これに関しては上述の通り女形役者が涸渇している一座で演ること自体に問題がありましたが仮に神戸のみ出していた侠客春雨傘に変えた所でこちらも葛城や薄雲、丁山と女形役者が必要な演目であり矢張り梅幸や宗之助なりの幹部クラスの女形役者が加わっていないこの面子では土台無理な代物なので演目選定にミスがあったと言わざるを得ません。

素襖落

 

大切の素襖落はまたも幸四郎の出し物で大森彦七と同じく新歌舞伎十八番である舞踊演目です。

こちらは前月の帝国劇場での本公演でも演じられていた物で有り体に言えば10演目もあるこの月の演目の中で負担軽減の為か稽古をしなくても演じられるが故に出された「使い廻し」の演目となります。

 

前月の帝国劇場の筋書

 

その為、今回は帝国劇場の公演と同じく太郎冠者を幸四郎、次郎冠者を高助が務め、鈍太郎を務めていた長十郎が主人某を演じた他、榮三郎が務めていた姫御寮を蘆鴈、鈍太郎を田之助がそれぞれ務めています。

 

さて、本公演の時は台詞廻しに難が見られた点を指摘された幸四郎ですがここでは

 

太郎冠者の幸四郎が又ここでも無暗に酔ぱらって踊りぬいたは気持が好い

 

と序幕からここまで全幕出演と言う大車輪ながらも見事に踊り抜いた事を評価し、欠点については特に言及はありませんでした。

残念ながら他の役者については十把一絡げに「器用な人間味を離れて居た」としか書かれておらず詳細不目ですが大森彦七同様に幸四郎の出来の良さで何とか恰好が付く形になったのは間違いないようです。

 

この様に女形役者がいない故の欠点が大きく露呈する演目となりその結果、出ずっぱりの幸四郎が頭一つ抜けて高く評価されるという少々歪な結果となりましたが入りの方はと言うと帝劇の二大看板の来名に加えて幸四郎の藤間流の後援、更にはみだれ金春絡みでの団体層の動員もあってか本来は21日までの予定だったのが2日日延べして23日までとなる程の大入りとなりました。

そして本来は千秋楽になる筈だった21日には栄町のいとう呉服店で幸四郎と宗十郎を招いて素踊りまで披露するサービス振りで大盛況の内に名古屋公演を終える事になりました。

 

名古屋末廣座の筋書は今の所この筋書が最後となりますがもしこの先見つかればまた紹介したいと思いますし、名古屋の劇場だけ見れば御園座と名古屋歌舞伎座の筋書は所有していますのでまた紹介したいと思います。