大正10年1月 帝国劇場 宗十郎の柳橋夜話 | 栢莚の徒然なるままに

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今回から激動の年となった大正10年に入ります。
先ずは帝国劇場の筋書です。
 
大正10年1月 帝国劇場

 
演目:
二、素襖落
 
開業10周年を無事終え11年目に入った帝国劇場は変わらず新作重視の姿勢を崩さず古典演目が並ぶ他の二座とは異なり新作だらけの演目となりました。
 
雪女五枚羽子板

 
一番目の雪女五枚羽子板は近松門左衛門が宝永五年に書き下ろした時代物の演目に岡本綺堂が手を入れた物で丁度昨年の3月に歌舞伎座で上演された事で記憶に新しい花の御所始末と同じく足利義教が赤松満祐に討たれた嘉吉の乱を舞台に逆臣赤松満佑を藤内五兄弟が討つという仇討物と侍女の中川が赤松の策略により宝物を奪う下手人に仕立て上げられた上に口封じで殺され雪女になり復讐を誓う怪談物が合わさった内容になっています。
今回は藤内家治を幸四郎、藤内武治と足利義教を宗十郎、一色久常後に藤内盛治を宗之助、藤内光治を勘彌、藤内忠治を長十郎、赤松則久を高助、山名勝千代を田之助、赤松満祐を松助、侍女中川後に雪女を梅幸がそれぞれ務めています。
さて、数ある近松もの表記の中でもあまり知られていない演目ですが劇評では手入れをした岡本綺堂の腕前についてまず触れ
 
大分手心を用ひて春の芝居らしく頗る賑かに作られてある、座附の重なる俳優を万遍なく活かして、中に委員長の梅幸を働かした☓(判読不能)が脚色者の腕前
 
と正月1発目とあって梅幸の雪女を中心に据えて配役に腐心した事は評価されています。しかし、続けて
 
見た目が華やかなだけで、劇の内容に深い味はひのないのは是非もないことである。
 
と原作の底の浅さについても指摘し、多少の脚色では原作の欠点を補うまでには至らなかった事や後半の仇討も「勇ましかった」とはしてるものの、内容としては突出する程では無かった事を指摘しています。
ただ、役者に関しては梅幸の雪女が傑出していたらしく
 
梅幸の侍女中川が赤松の奸計に陥って雪女になる奥庭はこの劇の一番主要な見せ場で、妖艶な姿とあの調子が如何にも他の優には求められない味だが、この優の当り芸にする事は出来ない併し雪に凍えて笛を吹く最後は余情があった
 
梅幸の中川はその細い凄艷な姿が似合はしかった。奥庭で期したほどの大苦悩で無かったが、松の下に立って笛を吹く所はあはれに見えた。
 
と哀れにも雪の中で息絶える姿や雪女になってからの怖さには彼の貫禄が滲み出ていたと評価しています。
 
梅幸の中川と松助の赤松満祐

 
 
素襖落

 
続いて中幕の素襖落は今まで何度か紹介してきた通り新歌舞伎十八番の1つである活歴の舞踊演目になります。
 
菊五郎が演じた歌舞伎座の筋書 

  

段四郎が演じた浪花座の筋書 

 

今回は太郎冠者を幸四郎、次郎冠者を高助、主人某を勘彌、姫御寮を榮三郎、鈍太郎を長十郎がそれぞれ務めています。
この演目は菊五郎が優秀な成績を収めていましたが今回演じた團十郎の直弟子である幸四郎はどうだったかと言うと
 
段々酔ひが出てくる處と、幕切までの三人絡んだ處に非常に面白い味がある、唯この優の所作には台詞にも動作にも恐ろしく写実味が加はって、所作を離れる處があるが、この劇の役としては矢張り傑作である。
 
幸四郎の太郎冠者はその型通りよく勤めて、真面目で、酔うても本性を失はず、それ丈をかしい趣を表はした。かういふ者はどれ丈狂言式狂言調でやるべきかは考へ所であるが、まあ出来る丈離れて歌舞伎化するが好いと思はれる。
 
と欠点である写実癖が活歴舞踊のこの演目では然程目立ちにくいというプラス面もありかなり高評価されました。
また、菊五郎の時は次郎冠者を務めて今回は主人に廻った勘彌、その体格故に時代物、世話物問わずあまり評価されない高助、更にはこの頃つとに成長を遂げていた榮三郎等他の役者達も
 
勘彌の大名はかういふ役には過敏の傾があったが、弄して面白がる様は十二分であった。
 
榮三郎の姫は愈々綺麗に見えた。
 
高助蘆鴈の冠者も先づ結構であった
 
とそれぞれきちんと役割を全うしていると評価されました。
素襖落は最近では七代目の孫に当たる故中村吉右衛門が歌舞伎座で演じたのが最後ですが、糞真面目な役者が演じれば演じる程面白味が出る演目だけに彦三郎辺りが演じると面白く観れるやも知れません。
それはさておき、演目としては今一つだった一番目と比べても群を抜いた出来であったらしくこちらは当たり演目だったそうです。
 
柳橋夜話

 
二番目の柳橋夜話は劇作家の大村嘉代子が澤村宗十郎の義父に当たり、私が同人誌を出した三代目澤村田之助を主人公に彼に惚れた柳橋芸者の女小静との恋愛と成らぬ恋の結果別れを決意し江戸芸者の意地を貫き通して田之助との面会も拒絶した小静が最後は発狂してしまうという悲劇的な結末を描いた書いた世話物系の新作です。
 
田之助の同人誌に関してはこちら 

 

三代目澤村田之助
 
田之助と言えば優れた芸と引き替えに性格は極めて傲慢、破天荒で多くの敵を作った事は有名ですが女性関係も奔放そのもので鉄火場に女を引き連れて朝までドンチャン騒ぎをしていたとかはたまた寛永寺の住職と寝たなんていう話は公然と噂される程でした。
ただし、今回はまだ実の娘であるちか子夫人も存命だった事もあり、そんな破滅的だった素の性格は全く描かれず女に惚れられるも妻のお貞に見放されて足の切断手術前に小静に会いに行くも面会を拒まれすごすご引き返すなど名前が同じだけの架空の優男キャラになっています。
 
今回は澤村田之助を宗十郎、吉野家小静を梅幸、送り岩吉を勘彌、山城屋辰吉を幸蔵、珊瑚珠おさわと幇間孝八をを宗之助、お貞を長十郎、相模屋政五郎を幸四郎がそれぞれ務めています。
 
宗十郎の田之助、幸四郎の相模屋政五郎、長十郎のお貞

 
さて、気になる評価ですがまず作品そのものへの評価は
 
大体にさらさらとよく纏まって居る狂言である
 
と後述するある部分を除けば概ね矛盾や破綻がないと評価されています。
ただ、その矛盾している部分である義父が目にしたらさぞかし怒るであろうキャラ変を施した田之助を演じた宗十郎はまだ動く田之助を目にした人もいた当時の評価はどうだったかというと
 
彼独特の魅力や、我儘や、癇癪は無く、寧ろおとなしい女形で、舞台を第一義とする殊勝な所丈表はれてゐた。
 
「(後半お静に逢いに行って拒絶された場面について)田之助もあれですごすご行って仕舞ふはその気性に似合わしくない、癇癪を起して好い所で、その方が役も引立てば悲惨な感を起こさせたであらう。
 
とやはり本物の田之助を知る人にとってはあまりにもキャラが現実とかけ離れ過ぎてした事を指摘されています。
ただ、その一方で
 
田之助の宗十郎は旧劇でも本人とは余程違ふ優自身の性格が見えたが、それが却ってこの作には合ってゐた。
 
と田之助である事さえ無視すれば、作品における役としては寧ろ適役に近かったと評価していてなまじネームバリューをあげようとせんばかりにキャラを田之助にさえしなければもっと評価されていたのかも知れません。
 
一方劇評が口を揃えて高評価したのが小静を演じた梅幸で
 
江戸の女の意地の強い所を十二分に現はしてある。
 
梅幸の小静が田之助に対する一本気の恋と負けぬ気の江戸芸者の俤は、この優の身体に自然と嵌ってる
 
と梅幸のニンと役がピッタリ合致して違和感の無い仕上がりになっていると評価しています。
ただ、梅幸のどうする事も出来ない原作の詰めが甘い部分で難があったらしく
 
家の場で自らいふ一本気の説明が些か冗過ぎたのと、幕切の発狂は余り唐突であった。
 
相手が難病になり怒の種のおさわも出たのに、まだ意地を立てるのは心理の当然であるまい。
 
とともすれば本来田之助がやるべき癇癪持ちの様な描写とも取れる小静の描写が折角の梅幸の名演技に水を差す形になりました。
この様に原作の設定の甘さが所々欠点として指摘されましたが、裏を帰すと役者の演技に関してはどの劇評も好評であり、またあの田之助を義理の息子の宗十郎が演じるという話題性の面において見物の興味を引き付ける点では十分効果があったらしく、総評としては一番目よりも評価が高く中幕の素襖落に並んでこの月の見物とまで評されるなどまずまずの出来だった様です。
 
蝶千鳥廓春駒
どんつく

 
大切の蝶千鳥廓春駒とどんつくは共に前後編となっている舞踊演目です。
下の配役を見てお分かりいただけるかと思いますが勘彌を上置きにした若手中心の出し物となっていて
今回は前半の蝶千鳥廓春駒の曽我十郎を源平、曽我五郎を泰次郎、大磯の虎を玉三郎が務め、後半のどんつくの丸一の親方を勘彌、どんつくを宗之助、紀太郎を長十郎、紀伊国屋芳三郎を田之助がそれぞれ務めています。
さて、これまで子役扱いという事もあり中々大きな役が付かなった源平や泰次郎が初めて曽我兄弟という役が付いた点でも注目なこの演目ですがこの頃の劇評は相変らず舞踊には冷たく
 
時間が大分遅いので見残した
 
とお決まりの観劇拒否の為、どの様な出来だったかは分かりません。
 
この様に新作2つと正月から変わらない攻めの姿勢を貫き、一番目の雪女五枚羽子板は不評だったものの、中幕と二番目は中身や話題性では十二分に役割を果たした事もあり、詳しい人数は出ていないものの満員御礼の広告も出る日もあり悪くはない入りだった模様です。
引き続き2月は恒例の女優劇公演となりますがそちらの筋書も持っていますのでまた紹介する予定です。