大正9年3月 南座 市川中車、中村傅九郎襲名披露公演@京都 | 栢莚の徒然なるままに

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今回は久しぶりに南座の筋書を紹介したいと思います。

 

大正9年3月 南座

 

演目:

一、伽羅先代萩

二、勾当内侍

三、土蜘

四、雪暮夜入谷畦道

 

前回紹介した大正6年の顔見世の筋書

  

今回は前年に襲名した中村傅九郎及び2年前に襲名した市川中車の京都での襲名披露を兼ねた公演となりました。

 

中車の襲名披露公演となった歌舞伎座の筋書 

 

 

傅九郎の襲名披露公演となった歌舞伎座の筋書 

 

上記の通り2人の京都での襲名披露公演の場である事や来たる4月公演に備えて歌舞伎座を新派公演にした事もあり歌右衛門、羽左衛門、中車というに歌舞伎座の主だった幹部役者を揃えられた上に前月に横浜座で復帰したばかりの梅幸も出演した事で顔見世でも中々お目にかかれない錚々たる顔ぶれでの座組となりました。

 

主な配役一覧

 

因みに前に演芸画報で紹介した通り歌右衛門と傅九郎は大正6年2月に出演して以来3年ぶり、羽左衛門は大正7年3月、梅幸は大正7年12月に出演して以来2年ぶりと比較的短いスパンでの来京となりましたが、その中で中車だけは突出して長く大正3年12月の顔見世公演以来6年ぶりの出演となりました。

 

伽羅先代萩

 
一番目の伽羅先代萩はお馴染み時代物の名作演目です。
 
大正3年に歌舞伎座で上演された時の筋書 

 

いきなりネタバレで恐縮ですがこの伽羅先代萩は実は翌月の歌舞伎座でも上演されており、今回の上演はいわば本番前の予行練習を兼ねた物でもありました。
政岡を歌右衛門、仁木弾正を中車、八汐を梅幸、細川勝元を羽左衛門、松嶋を福助、足利頼兼を芝鶴、沖の井を亀蔵、千松を泰次郎、絹川谷蔵と鳶嘉藤太を幸蔵、荒獅子男之助を市蔵、山名宗全を鶴蔵、栄御前と渡邊外記を傳九郎がそれぞれ務めています。
さて、そんなリハーサルを兼ねた今回ですがまず出し物の責任者でもある仁木弾正を演じた中車については
 
中車の仁木は本役なり床下の場でお定まりのスッポンからせり上っての大見得も凄く、睨みが利いたり、殊に対決となっては何処迄も落付払ひ如何にも底のある知恵者らしく例の堂々たる名調子で以て申開きする所は立派、思ひ入れも十分で同く名調子なる羽左衛門の勝元との呼吸が合ひ舞台を引締めて行く所は遉に老手狂言中一等充実した場面だった、刃傷の場も懸命なのは嬉しい
 
と京都では初披露だった仁木弾正を期待通りの大きな芝居で演じたのを絶賛されました。
 
中車の仁木弾正と傳九郎の外記

 
次に中車と同じくこの演目を出し物にして政岡を得意としていた歌右衛門とかつて自分に政岡ではなく八汐を宛がわれてしまう境遇から脱する為に帝国劇場に移籍したという逸話がある因縁の役である八汐を演じた梅幸がについてですがこちらはそれぞれ
 
歌右衛門の政岡、言ふ迄もなく御殿がこの役の見せ場なり、そして当代の政岡役者と自他共に許すこれが悪かったら歌の価値も零になる訳なり、(中略)独特の品位、優しい中にも凛たる態度、唯持味だけの仕事をしてるだけでいてこの役を生かせているから妙なり、さして動きもせず(或いは動けないのかも知れないが)理解力で消化して行く處は技芸委員長の貫目ありやといはまし、二時間に渡る長丁場にタルミを見せないは天晴れと敬服したり例のチョボにノッテ死んだ千松に対する愁嘆の情は大車輪まっ母らしい情愛溢れる極り極りに好い形を見せた、手足のブルブルはこの優として致し方なし
 
梅幸の八汐は手堅く突込んで演ってゐるが適任ではない
 
と歌右衛門は手足の痙攣を除けば適役と評価されましたが梅幸に関してはやはり役不足状態で持て余し気味であることが指摘されていて大顔合わせが必ずしもプラスに働く訳では無い事を再確認させられます。
 
歌右衛門の政岡と梅幸の八汐
 
因みにその他前役者についても言及されていて先ず適役と言える細川勝元を演じた羽左衛門は
 
羽左衛門の勝元は品もありその人になってゐる
 
とかの團蔵が仁木弾正を務めた時に付き合いその上手さを称賛しただけの事はある貫禄を魅せました。
 
羽左衛門の細川勝元
 
 彼以外についても大役である荒獅子男之助に抜擢された市蔵、持ち役である栄御前と渡邉外記を演じた傅九郎、絹川谷蔵と鳶嘉藤太を演じた幸蔵についても触れ
 
市蔵の男之助は役が好いので大努力、カッカッカッの大見得も案外大きく出来たは手柄
 
傅九郎の外記は嵌役、二役栄御前は先づあんなものか
 
幸蔵の絹川と鳶嘉藤太は役が軽すぎた
 
と幸蔵が梅幸同様に役不足気味だったのを除けば概ね適材適所の配役で粗も無かった様です。
この様に中車、歌右衛門の二枚看板の上手さと脇の安定感溢れる演技もありシニカルな京都の見物も大喜びでかぶりついて観劇したらしく二番目の雪暮夜入谷畦道と並ぶ目玉演目となったそうです。
 

勾当内侍

 
中幕の勾当内侍は上記リンク先にもある歌舞伎座の筋書でも紹介した通り歌右衛門の為に書き下ろされた新歌舞伎の演目です。
今回は勾当内侍を歌右衛門、侍女桔梗を福助、船頭与右衛門を傳九郎、侍女小菊を亀蔵、船頭梶六を市蔵、瓜生兵庫之助を羽左衛門がそれぞれ務めています。

前回紹介した歌舞伎座の初演では歌右衛門の気品ありきの演技に厳しい評価を下されていましたが京都の人々はどう見たかと言うと

 

別にこれといふ演所もヤマもないが上品が身上の歌右衛門でなければ出来ない芝居であった

 

と矢張り東京同様に面白くなかったと評価した上で歌右衛門については

 

内侍が侍女の桔梗に「最前龍神に捧げたこの笛、そなたに記念にやりませう妾が湖水の底に沈んで行く時一曲吹き渡して送ってたもれ」と最後の言葉を残して亡き人を思ひつつ月の照り添う琵琶の浦に沈むべく船を乗り出すこうした情景は歌を待って初めてその気分が出るものであった唯それだけの芝居である

 

と矢張り歌右衛門の気品溢れる演技以外に見所がないとバッサリ切り捨てられました。

 

歌右衛門の勾当内侍と福助の侍女桔梗

 
そんな歌右衛門ありきの演目だけにその他の役者については特に劇評も書く事が無かったのか僅かに瓜生兵庫之助を演じた羽左衛門について
 
この優を煩わす迄もない役だが神妙に気を入れて付き合っている
 
とお付き合いご苦労さま程度の言及以外は書いてすらいませんでした。
書き方から何となくお分かり頂けるかと思いますが京都の人らしく直接的表現は一切ないものの、古典歌舞伎の醍醐味溢れる一番目の後に真逆の精進料理みたいな演目を見せられて相当つまらなかった模様です。

 

土蜘

 
同じく中幕の土蜘は梅幸の出し物である新古演劇十種の1つである松羽目物の演目です。
 
市村座で上演した時の筋書 

 

帝国劇場で上演した時の筋書 

 

今回は僧智籌実は土蜘を梅幸、平井保昌を中車、源頼光を歌右衛門、胡蝶を福助、榊子を竹松、渡辺綱を幸蔵、太刀持小源太を芝鶴、碓井貞光を村右衛門、卜部季光を七百蔵がそれぞれ務めています。
さて、南座では明治38年8月公演以来実に14年ぶりに出した土蜘ですが、評価の方はと言うと
 
比叡山僧智籌の初の出で頼光に詰寄る件から見破られて退散する無念の振事など寸分の隙のあらう筈がないが殊に花道で跡を振返りざま法衣の片袖を翳して大きく極る形は無類だった、後の出の退治場は愈懸命で呼吸もつけぬ面白さ、遉にお家芸の価値は十分と敬服したり
 
と何かと女形芸のみに目が行きがちな梅幸ですが五代目菊五郎に鍛えられた舞踊の腕は決して伊達ではなく、松羽目物ならではの古怪さ、後半の立廻りを病後とは思えない軽快さで務め上げた事を絶賛されています。
 
14年ぶりに京都で披露した梅幸の土蜘蛛の精と中車の平井保昌(左上は竹松の榊子)
 
しかし、贅沢な悩みと言うべきかなまじ梅幸の完成度が高いあまり、他の役者との差が明確に現れてしまったらしくまだ風格・貫禄で対抗できる歌右衛門と中車は
 
歌が頼光に中車が保昌に附合うは贅沢な御馳走ぶり
 
とそこまで見劣りしなかった様ですがそれ以外はというと
 
福助の侍女胡蝶にメッキリ身体だけ大きくなった竹松は結構だが四天王が幸蔵の綱を除いた外貧弱なのは可なり気になったり
 
と若手にはかなり厳しい評価をしています。
これに関して補足すれば一見すると地方公演とは思えない贅沢に見える今回の一座ですがその実、舞踊が出来るのは梅幸と福助のみという状態で舞踊に関して言えば演目選定含めてそこまで自由が利く状態では無いのが現状でした。
せめてここに幸四郎や段四郎が1枚加わっていれば他に茨木なり戻橋なども選べた可能性はありますが如何せん踊りの苦手な中車相手ではどうしようもなかった面は否めません。
 
雪暮夜入谷畦道
 
二番目の雪暮夜入谷畦道は以前に2度ほど紹介した事がある河竹黙阿弥が書いた世話物の演目となります。
 
源之助の三千歳で演じた歌舞伎座の筋書

 

六代目菊五郎が菊次郎の三千歳で演じた市村座の筋書

 

前年の12月に新富座で出したのを紹介した新演芸の記事 

 

この演目が南座で掛かるのは六代目尾上菊五郎率いる市村座連が公演を行った大正5年6月公演以来4年ぶりの事で、羽左衛門と梅幸で演じるのは実はこれが初めてでしたが、南座の縛りを無くすと帝国劇場の杮落とし公演から間もない明治44年6月に京都座(旧京都明治座)で宗十郎の直次郎、梅幸の三千歳、幸四郎の金子市之丞の組み合わせで上演した事があり、梅幸としては9年ぶりの再演となりました。
今回直次郎を羽左衛門、暗闇の丑松を市蔵、丈賀を鶴蔵、寮番喜兵衛を幸蔵、金子市之丞を中車、三千歳を梅幸がそれぞれ務めています。
絶品とされている2人の直侍だけに見物の前評判も非常に高かったこの演目ですが今回は京都の人向けのサービスなのか大詰に普段は必ずと言っていい程カットされる裏田甫捕物の場が付け加えられています。
こちらは入谷大口屋寮の場で間一髪捕り物から逃れた直次郎が迫りくる追っ手との立廻りの末に遂には捕縛される場で殆ど演技らしい演技もない立廻りが主となる場面になります。
こちらの場については
 
捕物の場はこの優(市蔵の事)のため出したもの、ここを先途と働くは可いが全体から見て蛇足だった
 
と新富座で演じた時も本来なら金子市之丞がニンであるのに配役故にどうしても暗闇の丑松になってしまう市蔵を少しでも活躍させるが故の場ではあるものの、入谷大口屋寮の場で幕になるのに慣れている人々にとっては矢張り蛇足に感じる部分があったようです。
しかし、本編に関しては丈賀こそ松助が帝国劇場に残留した為に鶴蔵が代わったものの、羽左衛門と梅幸の鉄壁の夫婦役者ぶりに関しては
 
羽左の直次郎、お約束のつめ微塵の着附に唐桟の袢纏宜数(よろし)く揚幕から出て来た時からもう其人になり切って居るのは人柄でありとや申さん、丈賀に手紙をことづけて「思ひ掛けなく丈賀に出逢い、渡してやった今の手紙、もう遇はれぬと思ってゐた三千歳に又会はれるといふものだ」と独特の調子で述懐する處も丑松との出逢ひとなりての割台詞「見へぬ吹雪が…天の祐だ」から「丑ヤイ、達者でいろ」と無造作に言ってのける捨台詞のあたりイナセな姿と共に羽左一流の妙味が溢れ矢張り江戸ッ子だ、黙阿弥役者だナと訳なく気に入った
 
梅幸の三千歳がまた好い、「知らせ嬉しく…」の意気な清元でニッコリ襖を明けなまめかしく走り出る表情が頗る肉感的で先づ柔かな女性が閃めく、直侍の「雪を見かけて今夜の中に直にけへらにゃならない」から「僅か分かれていてさへも」と三千歳の台詞になりそれを受け清元の「一日会はねば千日も…」の辺り朱羅宇の煙管のやりとりの色模様は両優の呼吸がシックリ合って出来は兎や角う言ふだけ野暮。唯もう劇的情趣が高潮に達した、当興行の圧巻は矢張りこれなりと先づ敬意を表するとしよう。
 
と劇評もベタ褒め状態の素晴らしい出来栄えで中車、歌右衛門コンビの伽羅先代萩をも凌ぐ今回の目玉演目だと評価しました。
 
説明不要の羽左衛門の直次郎と梅幸の三千歳
 
そして新富座で演じた際には
 
如何してあんなに沈めて演ってゐるのでせう。
 
と陰気な演技にミソが付いていた中車の金子市之丞と上述の通り本来なら金子市之丞を演じてもおかしくない評された暗闇の丑松を演じた市蔵は
 
中車の市之丞はキットした態度、腹のある台詞回しも又その人らしく旨い味のある役者だと今更に感じさせる
 
市蔵の丑松はちと重苦しいが努力は見えた
 
と東京の時とは正反対の評価を受けました。
東京の劇評には沈めて演っていると見られた中車の抑えた演技も京都の人には腹のある台詞廻しと捉えられるのは上演回数の差を差し引いても地域毎の好みの違いが見えて興味深い一面でもあります。
そして松助に代わり丈賀の大役を演じた鶴蔵も
 
鶴蔵の丈賀が松助を彷彿さすは器用なり
 
と持ち前の芸幅の広さで難なくカバーしたらしく、こちらも好評でした。
この様に一部役者に注文は付いていますが総じて好評なのに加え羽左衛門と梅幸の安定した演技力もありこちらも当たり演目となりました。
余談ですが、戦前の公演の初日は以前話した様に舞台装置の点検や役者の準備不足を補う公開リハーサル的な一面を持ち、前に紹介した歌舞伎座の公演の様に予期せぬアクシデントで後の演目が預かりになる事は珍しくなく、それ故に初日に観劇した劇評ももしかしたら見れないかもと心配したそうですが、劇評曰く「珍しく」初日から全演目滞りなく出揃ったらしく無事見れて嬉しかった事がこの高評価の一因になっているのかも知れません。
 
さて、ご覧のように京都では初めてとなる羽左衛門と梅幸の直侍を筆頭に鉄板演目を並べた今回は内容としては大成功となり、入りの方も2人の襲名披露公演という内容に相応しい看板役者を惜しみなく投入した甲斐もあり大入りとなり、梅幸は2ヶ月に渡る羽左衛門との共演を大成功させました。そうなると放っておかないのが劇界の常でドル箱である羽左衛門との共演は恒例の6月の羽左衛門の帝国劇場出演に加え、12月の歌舞伎座でも共演するなど不入り月の独参湯と言わんばかりに1年で4回も実現する事になりました。偶然にも残り2回の共演の時の筋書は持っていますのでまた改めて紹介したいと思います。