今回は雀右衛門襲名に賑わう歌舞伎座に続いて帝国劇場の筋書を紹介したいと思います。
大正7年1月 帝国劇場
演目:
一、楼門五三桐
二、お江戸日本ばし
三、土蜘
四、扇屋
五、乗合船恵方万歳
前回紹介した11月の九代目市川團十郎十五年祭追善公演を成功させた帝国劇場は12月を松竹との相互出演協定に基づいて左團次、仁左衛門、源之助による引越公演を開き無事大入りを記録しました。そして年を開けて再び専属役者による本公演となりました。
雀右衛門襲名という初春に相応しいネタがあった歌舞伎座や正月と言えばいつもの曽我物に加えて時代物に世話物と相場が決まっていた市村座に比べて帝国劇場はこれといってめぼしいネタが無い状態でした。
既に昨年1月には勧進帳、4月には助六を出した為に歌舞伎十八番物にも安易に頼れなかった結果、劇評に言わせると
「初春狂言は屠蘇機嫌の客を喜ばせればいいのだから、何でも派手な立てかたさへすればいい」
という考えなのか、兎に角派手な楼門や扇屋熊谷や正月を意識してか舞踊は土蜘、乗合船恵方万歳とよく言えば舞台栄えする、悪く言えば派手重視で考えも脈略のない単なる寄せ集めとも言える内容になりました。
序幕の楼門五三桐は以前にも紹介した様に金門五山桐の二段目を独立させて上演される時代物の演目です。
歌右衛門(当時は芝翫)と菊五郎の組み合わせで上演した時の歌舞伎座の筋書
市川團蔵と尾上梅幸の組み合わせで上演した時の帝国劇場の筋書
歌右衛門と鴈治郎の組み合わせで上演された時の歌舞伎座の筋書
今回は石川五右衛門を幸四郎、真柴久吉を宗十郎がそれぞれ務めています。
冒頭にも書いた様に楼門の壮大さもあって序幕に必要なインパクト性は十分にある演目だけに劇評でも
「この狂言は近来の様にこの一幕で見せる以上、殊更壮麗な道具で見せる事を第一の条件として居る様です。殊に帝劇の様に舞台のプロセニアム(額縁舞台)が高く、又夫に副ふべき立派な道具を作るのにか吝かならぬ劇場としては、所謂丹彩碧色の金色燦然たる道具は、実にこの上なく立派に出来ます。」
と帝国劇場の広い舞台上では楼門の様な豪華絢爛な舞台道具が栄える為に序幕に持ってくるのには都合が良いと評価されています。
そして演じた役者についても
「幸四郎の五右衛門は顔立ちも立派なら調子も立派ですから先づ当今でのその人でせうし、宗十郎の久吉も瀟洒たる趣がありました。」
と個々のニンに関しては申し分ないとしながらも演技については
「夫れで居て、この狂言唯一の覗ひどこたる錦絵美といふ点になると、どうも不満足な感じがするのはどういふものでせう。思ふにこの二人の所謂持味が、近来愈々写実風当世風に微細に入らうとして、大まかな古風な趣が乏しいせいではあるまいかと思はれます。」
と彼らの芸風が近代的に寄りすぎて古風な演技が好まれるこの演目には何処か合わないと批判されています。
幸四郎の石川五右衛門
宗十郎の真柴久吉
これまで帝国劇場で幾つもの新作を書き下ろしている右田だけに新作物にありがちな一人相撲の様な演出も設定の詰め込み過ぎといった事もなく傍観者から見た忠臣蔵といった体で話が進む事から劇評にも
「物馴れたこの作者の事ですから、大概の組立てとか事件の運びとか乃至随所に部分的に見せてゆくヤマは抜目なく出来ています」
と評価されていますが続けて
「形式が整ひ過ぎて居るだけに、内容に情熱が薄いといふ感じが深くします。」
とこなれているが故の欠点を指摘しています。
その上で個々の役者についてまず主役の梅幸は
「梅幸の三日月お勝はこの優の演りよい伝法肌といふところが、柄に合ったといふだけでせう。その代わり、刺子姿の女の形が実によくうつりました。性格から言へば甚だ徹底して居ない役ですから、どうしても上面だけになるのも仕方ありますまい。それで兎に角舞台にあれだけの味を出したのは、寧ろ役者の手柄でせう。」
とかなり辛口気味ながらもニンを上手く役に合わせた技量は評価されています。
対して堀部安兵衛を演じた幸四郎については序幕の高田馬場の決闘では
「幸四郎の堀部安兵衛韋駄天のごとく駆け付け数十人の敵を討ち取る働き目覚ましくて大いによし」
とかの訥子ばりの大立ち回りは評価されていますが、それ以外の部分では
「幸四郎の安兵衛は、酒を勧められて段々前後不覚に酔って行く運びにこの優らしい写実風の工夫が大分細かく考えられて居ました。そしてこの優の見せ場も又ここでした。併し、大概から言へばどうも生硬といふ感じが離れません。」
と楼門五三桐では批判の原因となった写実の演技を活かし訥子によって作られた安兵衛のイメージとはまた違った安兵衛を演じた様ですが梅幸とは異なり世話物が苦手なのもあってか今一つな評価に終わっています。
梅幸の三日月お勝と長十郎の三保松
梅幸のお勝と幸四郎、宗十郎、長十郎、幸蔵の赤穂浪士たち
どの役者も手探りの演技で今一つ覇気に欠ける中、親譲りの熱血ぶりを示したのが訥子の息子である宗之助、長十郎兄弟で劇評には
「二幕目の返しで、安兵衛が鉄砲洲の邸で酒に酔い臥している處へ、浅野侯が一人で出て来て羽織をかけてやる幕切れは、よくある形式ですが引き締まった出来でした。これは宗之助の浅野侯が中々熱心にして居たのにも因りませう。」
「長十郎の三保松が馬鹿力があるといふことを面白く見せて全編を活かしたり」
とこの作品自体や他の役者に欠ける熱血感を出していたらしく評価されています。
この様に取り立てて悪くは無かった様ですが、かと言って盛り上がったかというとそうでもない様な普通の出来だったそうです。
今回は僧智籌実は土蜘を梅幸、平井保昌を幸四郎、源頼光を宗十郎、胡蝶を宗之助、渡辺綱を幸蔵、坂田金時を長十郎、碓井貞光を菊四郎、卜部季光を團之助がそれぞれ務めています。
お家芸に加えて養父菊五郎から厳しく仕込まれた梅幸だけに市村座で上演した時も好評でしたが今回も
「この優(梅幸)の家の芸として自分も尊重しても居るでせうし又自信もあるに違ひありませんが、流石に堂々たる立派な芸術で、一番目の不徹底なお勝などに比べるとまるで別人かと思ふほど、役者が立派に見えました。時に僧業での物語りの所作から、花道に掛って片袖を被いでの形など達意のうまさですし、後ジテになって作り物から出て来る處も一寸の處ですが大層いいと思ひました。」
と前幕とは違い最初から最後まで激賞される程でした。
梅幸の智籌
この様に梅幸は非の打ち所の無い出来栄えでしたが、他の役者はどうかというと源頼光を演じた宗十郎こそ
「宗十郎の頼光はもう少し気品が欲しいものです。」
とイマイチでしたが、平井保昌を演じた幸四郎は
「幸四郎の保昌は立派です」
とこちらは恵まれた身体もあってか好評でした。
因みに残りの役者と下座は納得いく出来では無かった様ですが梅幸の好演を損なう程では無かった事もあり、序幕の楼門五三桐に匹敵すると評価されていて中幕としては上々の出来だったそうです。
二番目の扇屋もこれまた以前に帝国劇場や歌舞伎座の筋書で紹介した扇屋熊谷となります。
七代目澤村訥子が大暴れした時の帝国劇場の筋書
今回は熊谷を幸四郎、小萩実は平敦盛を宗十郎、木鼠忠太を松助、桂子を丑之助がそれぞれ務めています。
こちらは以前に訥子が演じた時に岡鬼太郎が「訥子の熊谷、正に團十郎以上である」と評価していましたが、幸四郎はどうかと言うと
「幸四郎の熊谷は見た目が立派でした。併しこの役は見た目が立派でさえあればいいのです。唯姉輪の平次が笠に手をかけた時、笠を取ってぐッと睨んだその時に立派に見えればそれだけでいい事と思ひます。この意味に於いて幸四郎は成功者です。」
とここでも序幕の五右衛門と同じく立派な身体が上手く働いたらしく、ちょっと皮肉気味ながらも評価されています。
そして訥子の時は皆が共演拒否する中で幸四郎が付き合った姉輪平次を演じた宗之助は
「宗之助の姉輪は少しこくがありませんが、中々歯切れのいい出来でした。あれでギバも奇麗にゆき全体にもっと悠然とした味があれば申し分ないのですけれど。」
と恵まれた身体を持つ幸四郎と並ぶと貧弱に見えるのか、はたまた本役が女形であるが故に加役で立役を演じると弱く見えるのか上手く演じながらも後一歩足りない感じがしたそうです。
そして本来なら宗之助が演じても不思議ではない小萩を演じた宗十郎は
「宗十郎の小萩は、例の『孫なら旦那さん』の気の変りが好かったと思ひます。併しこの役も唯それだけですから割合詰まりません。」
と悪くは無かったのですが役柄故に為所が少なくあまりパッとしなかった様です。
この演目は戦後に僅か8回しか上演されておらず、ここ30年では僅か2回しかありません。
その理由は言い方は悪いですが演技力が低い訥子が得意役とした事からも分かる様に話の構成がシンプル過ぎる上に心理描写もへったくれもないこちらに比べてよく作品構成が練られている上に悲劇性も高い熊谷陣屋の人気と上演回数が高い事、そしてシンプルに役者のニンと柄だけで演じれる簡単な演目としてもこちらより遥かに使い勝手の良い上位互換の太功記十段目がある事、更には今回の劇評にある様に幸四郎の様な理屈抜きに威厳に満ちた熊谷を演じられるだけの立派な風格のある役者が今は不足している事も挙げられると思います。
そういう点では緻密な演技力で気炎を吐いた梅幸に対して真逆に存在感だけで演目を成立させる幸四郎をキャスティングしたのは正しい選択だったと言えると思います。
今回は白酒売お梅を梅幸、俳諧師壽仙を宗十郎、萬歳鶴太夫を幸四郎、才造亀助を宗之助がそれぞれ務めています。幹部役者で踊れるのが段四郎親子と羽左衛門位しかおらずいつも段四郎親子ばかりの演目になる歌舞伎座に対して土蜘でも触れたましたが菊五郎に厳しく踊りを仕込まれた梅幸、九代目市川團十郎に活歴の舞踊を、養父藤間勘翁に古典舞踊を仕込まれ自身も三代目藤間勘右衛門の名跡を持つ程の幸四郎、意外にも娘道成寺を踊れるなど何気に舞踊もきちんと出来る宗十郎と帝国劇場の幹部役者がどれも確かな舞踊の腕を持つ人ばかりなのが幸いしたのか劇評には
「大切『乗合船』は如何にも初春の浄瑠璃に相応しく誠に華やかで快い、謂わば東風習々といふ感のある浄瑠璃です。」
と演目のチョイスの良さは今回の演目の中では一番良いとした上で梅幸、幸四郎、宗十郎、宗之助について
「今度の上演の役々では、先づ梅幸の白酒売が出色でした。白酒の言い立て振など如何にも洗練た技芸の奥床しさがありました。わ」
「幸四郎の萬歳も良かったに違ひありませんが、まだもっと面白く見せられる余地はあるやうに思はれます。」
「宗之助の才蔵もこれだけ取放して見れば中々佳い出来わで居ながら、幸四郎と並ぶと調子(トーン)が違ふやうでうまく諧調(ハーモニー)を成さぬ点もありました。」
「宗十郎の宗匠はこれ(幸四郎)に次いでの巧いものでした。殊に手先を多く使ふこの人の踊りかたが、よくこの役に嵌っていたのが得といふもので、春風やの三下がりの当振りなど中々味がありました。」