大正10年1月 市村座 二代目中村又五郎初舞台 | 栢莚の徒然なるままに

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今回は大正10年1月シリーズの最後であり、波乱の1年の幕開けとなった市村座の筋書を紹介したいと思います。

 

大正10年1月 市村座

 

演目:

一、初元結元服曽我

ニ、盛綱先陣

三、春興鏡獅子

四、玆江戸小腕達引

 

前年11月の田村成義の死によりとうとう最後の歯止めも失った市村座は吉右衛門の脱退を食い止める手段は無くなりいつ何時彼がいなくなってもおかしくない状態となりました。

そんな中で行われた正月の市村座は前年の3月に亡くなった初代中村又五郎の遺児である中村幸雄が親の名跡を継いで二代目中村又五郎を名乗っての初舞台となりました。

 

まだあどけない当時の中村又五郎

 

現代の我々としては晩年の舞台姿やあるいは剣客商売の秋山小兵衛等の役で知られていますが戦前の彼は十八代目中村勘三郎ばりの天才子役として評判が立っており、成長してから後は女形として活躍していた時期もあり皆様の知らない意外な一面があります。今回の初舞台の演目は玆江戸小腕達引の倅紀の松を演じており、親を亡くしてまだ間もないにも関わらず懸命に舞台を務める姿に劇評も

 

内の場故又五郎の倅が二代目として初舞台を勤めてゐるのは見物の同情を惹いた

 

とかなり甘めに評価しています。

この初舞台から最後の出演となった2005年までの84年間、彼は波乱の役者人生を送りますが数多の歌舞伎役者の子役時代の様に我儘に無邪気に楽しく演じて周囲もチヤホヤしてくれる…というような甘い事はなく、生活能力がなく生計を立てられない母親と幼い弟、生まれたばかりの妹の生活の全てが彼の両肩にかかる形となり本人の証言によると吉右衛門の図らいもあり彼は初舞台から子役扱いではなく一人前の役者扱いされ給金も大人並みに受け取っていたそうです。

結果的に金銭を管理していた生活能力皆無の母親のせいで貯金はおろか借金まで背負う事になりますが、後の彼の性格である無口で我慢強く不平不満を言わないといった特徴は我儘すら言えず家族の為に稼がざるを得ないこの頃の立場から自然と形成されたそうです。

 

今回の主な配役一覧

 

又五郎の事はここまでにして、市村座全体の話をすると今回の公演から初めて田村壽二郎と岡本柿紅が全面的に手掛けておりそれまで田村成義が守ってきた狂言の組み立て即ち

 

一番目:吉右衛門

 

中幕or大切:菊五郎or三津五郎

 

二番目:菊五郎

 

となっていたものを今回は

 

序幕:友右衛門&三津五郎

 

一番目:菊五郎

 

中幕or大切:菊五郎

 

二番目:吉右衛門

 

と崩しており、友右衛門が菊五郎、吉右衛門、三津五郎に次ぐポジションに昇格した事や普段の出し物を逆にする事で菊五郎が新作の時代物に挑むなど初期の二長町市村座が持っていた実験精神に富んだ座組となりました。

Ifの話になりますがもし吉右衛門と三津五郎が脱退せずに市村座に残留していたら吉右衛門と友右衛門の時代物、あるいは世話物、菊五郎の新作時代物、あるいは三津五郎の新作舞踊など戦前には殆ど実現せずに終わってしまった新しい市村座の形が見れたかも知れず、この新体制が整う前に市村座が崩壊して否応なく菊五郎と友右衛門の二枚看板にせざるを得ない形に追い込まれてしまった事は返す返すも惜しい事だと感じます。

 

初元結元服曽我

 
序幕の初元結元服曽我は上の画像にもある様に歌川豊国の見立絵(歴史上の出来事を歌舞伎役者をイメージして描いた浮世絵)を元に二代目竹柴金作が描いた市村座の正月名物である新作の曽我物となります。
内容としては助六の世界観をベースに朝比奈と五郎の活躍を中心に描いています。
今回は曽我五郎を友右衛門、小林の朝比奈を三津五郎、曽我の團三郎を伊三郎、京の小次郎を翫助、曽我十郎を新之助、曽我満江を粂三郎がそれぞれ務めています。
冒頭に書いた通り、田村壽二郎の打ち出した新機軸である友右衛門と三津五郎の出し物として脇を新十郎、粂三郎、新之助といった小芝居で鍛えた腕を持つ芸達者な脇で固めた形となります。
 
新之助についてはこちらをご覧下さい 
 
これまで中々陽の目を見なかった友右衛門と三津五郎という珍しい組み合わせとなったこの演目ですが、残念な事に劇評ではこの2人の活躍に就いては全く触れておらず
 
洒落気の多い花やかな、さうして大まかな物で新之助の十郎、粂三郎の満江、翫助の小次郎などが役處であった。
 
と専ら芸達者な脇の役者のみ評価されています。
 
何故か無視されてる三津五郎の朝比奈と友右衛門の曽我五郎
 
少々穿った見方をすればこの劇評の評価は市村座の陰の立役者であった脇の役者の厚みを物語っているとも取れます。
市村座には
 
新十郎:九代目の直弟子
 
翫助:四代目中村芝翫の直弟子
 
菊三郎:五代目菊五郎の直弟子
 
尾上音蔵:五代目菊五郎の直弟子
 
といった團菊や大芝翫を肌で知るご意見番がゴロゴロいて、彼ら以外にも十七代目中村勘三郎が自伝で「鬼より怖い市村座の三階」と評した腕に覚えがある経験豊富なベテランが2、30代の若手を支えるという今の浅草歌舞伎の元祖と言える体制が市村座の強みでした。
この当時團菊の直弟子の大ベテランは帝国劇場には尾上松助、尾上幸蔵、尾上菊四郎と音羽屋一門はいましたが、成田屋系統はおらず、歌舞伎座では僅かに市川團八がいた程度でした。そんな彼らの存在は時に行き過ぎた團菊崇拝という弊害を生む原因にもなりましたが、一方で彼らのお陰で菊五郎や吉右衛門はかなりの経験値を積む事が出来ただけに若手の成長という面で果たした功績は疑いようもなく大きな財産でした。
折角舞踊以外での出し物となった三津五郎と襲名以来となる自分の出し物となった友右衛門には気の毒な結果に終わりましたが、これと言って足を引っ張っているとも書かれていないので下手だった訳ではなくむしろ経験豊富なベテランの前では流石に歯が立たなかったと見ても良いと思います。
 

盛綱先陣

 
続いて一番目の盛綱先陣は市村座のお抱えとなっていた岡村柿紅が書き下ろした時代物系統の新歌舞伎の演目です。
内容としては佐々木盛綱を主人公にしている点では古典演目の盛綱陣屋と同じですが話の展開としては能の藤戸を下敷きにしており、手柄を立てる為に親切な漁夫を殺す盛綱の非情さとその悔恨を主に描いています。

 

参考までに関白秀次を演じた時の市村座の筋書 

 

こちらも普段世話物を担当するのが専らである菊五郎が時代物で久しぶりに主演を張るという点でこれまでの市村座のセオリーを崩した斬新な企画で佐々木盛綱を菊五郎、漁夫藤太夫を友右衛門、源範頼を吉右衛門、姉川光興を三津五郎、待宵を時蔵、和田義盛と局染の井を菊三郎、秩父重忠を新十郎、北条義時を七三郎、かるもを粂三郎がそれぞれ務めています。

能の藤戸を下敷きにしたという事で言わば松羽目物の新歌舞伎という一風変わった演目ですが劇評では原作の藤戸についても言及した上で

 

佐々木が藤戸の浦の浅瀬を漁夫に聞きながらそれを殺した事は自分一人の功名を主として味方も人民もかまはぬ非人道であるが、当時の武士には何ともかまはぬ些事としたかも知れぬ。

 

と倫理も武士道もへったくれもない当時の武士の考え方については肯定的ですが

 

跡を弔ふので漁夫の霊も成仏する事にしてゐるそれ位で済むなら、人道上ばかりか芸術上にも安価過ぎる

 

と能の藤戸の結末に関しては雑過ぎると否定的な見解を示したうえで今回岡村が償いに金銭の支払いと殺された藤太夫の妻と自身の家来の小次郎を娶わせる事に変えている事に関しては

 

総てを因果に帰してあった。矢張り平淡に過ぎたが、その演出法に於ていつもの彼等の時代物より一歩進んだ所が見えた。

 

と能よりは酷くなく、ありきたりだとしつつも竹本などを用いなかったり能には絶対出来ない演出である舞台上に源氏方の武将役大勢を集めての序幕の演出などについては評価しています。

その上で菊五郎の盛綱については

 

菊五郎の盛綱、極自然のこなし、塩焼を切って片袖を取り黙ってうつむく幕切は渋かった。

 

菊五郎の盛綱は天晴武者振勇ましく海中馬を泳がす辺り大喝采

 

と久しぶりの時代物の主役をかつて手柄の為に人を殺めた事を苦悶する悩める等身大の人間として盛綱を演じた事が高評価に繋がりました。

 
菊五郎の佐々木盛綱

 
また、哀れにも浅瀬を教えたばかりに殺されてしまう藤太夫を演じた友右衛門も
 
友右衛門の藤太夫も何れ死ぬ工合好く出来た。
 
といつもの定ポジションの老け役ではない新鮮な役所も上手く演じて評価されました。
そして、いつもなら主役になる吉右衛門は源範頼という熊谷陣屋で言う所の義経ポジションの役を演じましたが
 
吉右衛門の範頼も沈着ありて大将に適りたり
 
吉右衛門の範頼は立派な大将振、しかも義経とは違って見えた。
 
ときちんと義経と同じにならない様に差をつけて源氏の大将格を演じた事は評価されています。
ただ、上述の様に殺した詫びにかるもと結婚する事となる小次郎を演じた三津五郎については
 
作の上からはもう少し、有効に生かしたらグッと面白くなったかも知れないのに惜しい事である
 
と役をもっと深堀りしていない事が今一つ感情移入しにくいと三津五郎に罪はないものの指摘されています。
この様に作品上の欠点は幾つかありましたが、久しぶりの時代物系新作を思いの外好演した菊五郎を筆頭に他の役者も概ね好評で客受けとしてはかなり上々だったそうです。
 

春興鏡獅子

 
中幕の春興鏡獅子は言わずと知れた新歌舞伎十八番の舞踊演目で菊五郎の十八番演目です。
 
初演した大正3年の筋書 

 

帝国劇場で再演した時の筋書 

 

今回は大正8年1月公演以来、市村座では2年ぶりの再演となりました。
今回は小姓弥生実は獅子の精を菊五郎、胡蝶の精を米吉と泰次郎がそれぞれ務めています。
これ以外の演目は全て従来のやり方、配役を変えているのに対してこれだけはかつて歌舞伎座相手に大勝を収めた時の演目故かあるいは菊五郎以外に演じさせるのは不可能と見たか定かではありませんが菊五郎が従来通り務めた事もあり
 
團十郎が五七で始めて六十を過ぎても勤めた逸品、年を覚えさせなかった衣鉢を菊五郎が受継いで、十分手に入れまだ若い姿に豊艷な姿で踊るのであるから、真盛りの牡丹が日影に光っては、また風にささめく風情であった。
 
菊五郎の小姓弥生が、あの処女である間の一挙手一投足も忽に出来ぬ皮肉な踊にこの優の如何にも洗練された技量が見える
 
とまだ36歳の若さ十分の菊五郎がエネルギッシュに動く様は牡丹の様だと褒めた上で更に菊五郎が新たに施した工夫についても触れ
 
殊に少し手を変へて、今までの引込を中途から立ってよろめきながら入ったのは一層の乱れを表はした。
 
と今尚引き継がれる花道の引込がこの時完成した事を指摘しています。
但し菊五郎は良くても胡蝶に抜擢された泰次郎、米吉の両名については
 
米吉と泰次郎の胡蝶が、年以上に大出来だが、先年のおもちゃ達のやうな味の出なかったのを遺憾とする。
 
と帝国劇場で演じた時のおもちゃ(福之丞)や八十助には及ばないとミソが付き画竜点睛を欠く形にはなりました。因みに米吉はご存知の通り後年に鏡獅子を菊五郎から受け継ぐ事になりますが初めての鏡獅子はこの通りほろ苦い結果となりました。
 

玆江戸小腕達引

 
二番目の玆江戸小腕達引は以前にも紹介した河竹黙阿弥の書いた世話物の演目です。
冒頭で触れた通り、この演目が二代目中村又五郎の初舞台の演目で紀の松を演じた他、入山喜三郎を吉右衛門、おいそを粂三郎、幻長蔵を菊五郎、曙源太を三津五郎、おてるを時蔵、二見十三郎を男女蔵、神崎甚之助を八十助、神崎甚内と紅絹裏甚三を友右衛門がそれぞれ務めています。
こちらも長らく絶えていた吉右衛門の世話物という新鮮な出し物でしたが劇評は演目そのものには至って冷淡で
 
察するに(初演した四代目市川小團次の)右の手を使はずに芝居をさせ様と皮肉が出たものであらう
 
作その物が噛み締める面白味のない物とて、唯さらさらと春の二番目らしい處に、大向を喜ばした
 
と技芸がピークに達していた小團次にハンデを付けて演じさせようという黙阿弥の悪戯心があった故の演目だと推察し、片腕だという以外は特に見所が無く取り立てて悪くも無いとしています。
ただ、役者については話が別だったらしく上記リンク先にある様に明治44年に一度手掛けている吉右衛門は
 
吉右衛門の喜三郎は風采、殊に調子が今度は著しく九代目式で、しかも模擬にあらず。気持好く聞こえた。(中略)こんな役は矢張九代目式清淡の方が團蔵式枯渇よりもふさはしい。
 
吉右衛門の喜三郎がすっきりした親分らしい柄と、あの胸を透くやうな調子とが、尠からず大向を喜ばした。
 
と久しぶりの世話物の主役にも関わらず九代目式(九代目は喜三郎を演じた事が無いので九代目の世話物風にという意味)の巧みな台詞廻しで難なく演じたらしく評価されました。
そして菊次郎亡き後一時的に市村座の立女形を務めていた米升がこの頃から体調を崩していた事もあって今回は一役になり代わりに前年から市村座に復帰した粂三郎が女房おいそを務めましたが
 
粂三郎の女房は柄に於てか細いのが、幾割も損してゐるが、門前や内の場では喜三郎の女房として、さしたる見劣りがしなかった
 
粂三郎のおいそは一通り
 
と小芝居で場数を踏んだだけあってか病弱で細い体格については突っ込まれていますが演技そのものは無難で一定の評価をされています。
 
吉右衛門の喜三郎と粂三郎のおいそ、又五郎の紀の松

 
少し先の話の悲しいネタバレにはなりますが、菊次郎亡き後の市村座の立女形として古巣に戻り米升と共に斜陽期の市村座を支えてきた彼ですが米升が病に倒れ吉右衛門が脱退した事で市村座は急激な座組の建て直しを余儀なくされ、小芝居から市川鬼丸が正式な立女形として招聘されました。すると菊五郎は彼を世話物演目での立女形に据えた為、途端に彼の立場は弱くなり友右衛門の出し物である時代物の女形を演じるのが専らになり、震災後は再び市村座を離れて小芝居に戻る事となります。
さて、粂三郎の話はここまでにして話を戻すと神崎甚内を務めた友右衛門や、曙源太を務めた三津五郎、珍しく脇の幻長蔵を務めた菊五郎についても
 
友右衛門の甚内は愈々老役に熟した所が見えた。
 
三津五郎の源太は好く適してゐた
 
菊五郎の幻長蔵の四人若衆の駆附けも勇ましく
 
この様に今までの市村座のセオリーを無視した狂言立てや二代目中村又五郎の初舞台という話題性もあり、日によっては満員御礼の広告も出るなど田村成義のいないという不安を払拭して無事大入りを達成したそうです。
しかし、その裏では脱退後に贔屓筋に配る半襟や袱紗、幟の発注を密かに行うなど吉右衛門の脱退計画は着々と進んでいて後は市村座に脱退を告げるタイミングを決めるだけであったらしく面従腹背の状態で2月公演を迎える事となります。
幸い2月公演の筋書も所有しているので次に紹介する帝国劇場の女優劇公演の後に紹介したいと思います。