大正の歌舞伎界を大きく揺り動かさした大正5年2、3月シリーズの締めくくりとして今回はこの筋書を紹介したいと思います。
大正5年3月 帝国劇場
演目:
梅幸、松助を借りて市村座で行われた2月の五代目尾上菊五郎十三回忌追善公演を成功させた返礼もあって前年の8月に引き続き2回目となる帝国劇場への市村座の引越公演となりました。
そして前回に引き続き帝国劇場から松助が参加しています。
8月の引越公演はこちら
増補桃山譚
一番目の増補桃山譚は新歌舞伎十八番の1つで河竹黙阿弥が書いた所謂活歴物の演目であり明治6年10月に村山座で初演されました。
増補とあるように明治2年9月に市村座で初演した桃山譚に更に加筆を加えており、通称「地震加藤」と呼ばれています。
何かとつまらない、つまらないと連呼される活歴物の中でも一番早く書かれた演目である為かまだ後年の作品群に比べても方向性が定まっていなかった事もあり、歌舞伎色が強い新作物と趣になっています。
内容としては慶長伏見大地震により指月伏見城が崩壊したと聴き石田三成の讒言を受けて閉門(謹慎)中だった加藤清正が切腹を覚悟で伏見城跡に駆けつけその忠義ぶりを称賛されて閉門を解かれるという至ってシンプルな筋立てです。
それだけに清正演じる役者の力量が試される演目なだけに團十郎も演じやすかったのか数多の活歴物の中で珍しく明治29年2月の歌舞伎座で再演するなど気に入っていたようです。
今回清正を務める吉右衛門は、明治39年11月の市村座で初役で務めて以降、増補桃山譚を大阪、横浜、名古屋でそれぞれ1回づつの計4回も務め元の桃山譚も大正元年9月の新富座で清正役を務めている他、八陣守護城でも佐藤正清役を務めるなど若くして清正役には定評がありました。
吉右衛門の加藤清正
それだけ演じているとあって手慣れた物だったらしく、
「吉右衛門の清正、風采は團十郎の型のままで、よく似合っていた」
と劇評でもその姿は評価されています。
一方で、満点とは言いがたかったらしく、
「声がこの前の直実より若く聞こえたのは、まだ若い為か。」
「引込の足取にまた軽い所が見えたのは、これも年の為とせねばなるまい」
と若いが故の目立つ部分を指摘されています。
しかしながら、総体としては及第点は越えていたと見えて
「これからはその型を離れた物、自分の特色、年に相当した物で発展する様心がけるのが肝要である。」
とアドバイスを受けています。
そして中幕の春興鏡獅子も以前紹介した市村座以来の上演で菊五郎が弥生と獅子の精を務めています。
参考までに初演時の筋書
初演までは中々その実力が評価されなかった菊五郎がこの役で一躍脚光を浴びただけに今回も気合いが入っていたらしく
「菊五郎の小姓弥生は流石に先代の遺伝と、九代目の教育が現はれて円転活脱自在であった。」
と小姓弥生の部分は絶賛されています。
一方獅子の精は
「頭の毛を振るのに、もっと胡蝶を絡ませて、もつれる位にしたら、尚面白からう。」
と毛振りをもう少し派手にした方が良いと注文が付いています。
菊五郎の獅子の精
とはいえ、こちらも九代目と比べての評価なので演目としては及第点には達していたようです。
そして二番目の雪暮夜入谷畦道も以前市村座で紹介しましたので内容は省略させて頂きます。
参考までに初演の市村座の筋書
今回は帝国劇場での上演とあって五代目菊五郎が演じた時も丈賀を務めた松助が共演しています。
劇評では
菊五郎「御家人の果てといふより、純職人上りに見えた(中略)三千歳への文を書くのに、筆が悪いとまでいはれながら、首が抜ける件を省いたのはどうしたもの、書くより先にまづ金を包んだのは、この役よりこの優の性分を表した。外へ出て丈賀に渡す時、もう少し色気の無い気色が欲しかった。」
松助「松助の丈賀は梅五郎時代からこの人の物、今では朝飯前も古いが、楽過ぎる。しかもこの位の人がせぬと、この場が引き立つまい。」
と明治14年の初演時から丈賀を持ち役とする松助はその技芸に惜しみない称賛が送られているのに対して菊五郎の方は先代に比べると物足りなかったのかあまり評価が高くありませんでした。しかし、これはあくまで絶品だった五代目と比べてという話で要所要所はきちんと出来ていたらしく、
「この役は清心程変化が無くここといふ仕所は無いが、全体に江戸の頽廃の気分を出すのが主眼で、優は遺伝もあり、すっかり手に入っているが更に年につれて脂が乗ったら、一層潤いが付くであろう。」
と菊五郎にも吉右衛門同様にアドバイスが送られています。
菊五郎の直次郎と松助の丈賀
また菊五郎と同じく2度目の三千歳を務めた菊次郎も
「去年とは仕掛けを変へて、好くなった。(中略)十分風情があって芳年の絵の様に、顔に足りない色気を形で現はした。」
と初演での反省点を活かしたのか好評でした。
菊次郎の三千歳
どんつく
大切はお決まりの舞踊物のどんつくで菊吉を除く守田兄弟と彦三郎、菊次郎、国太郎らが出演しています。
この様に話題性こそ同月に横浜座で行われた梅幸と羽左衛門の共演に持っていかれましたが、固定層である市村座贔屓連の熱心な観劇もあり今回も無事大入りとなり初めての3月の引越公演も成功を収めました。
この後、市村座の役者達はすぐさま本拠地に戻り五代目中村福助襲名披露公演を行う歌舞伎座に対抗して吉右衛門の実弟米吉の三代目中村時蔵襲名披露公演を帝国劇場から再び松助を借りて行う事になります。