小芝居の思い出 | 栢莚の徒然なるままに

栢莚の徒然なるままに

戦前の歌舞伎の筋書収集家。
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今回の本紹介はちょっと珍しい本の紹介です。

 
小芝居の想い出
 
歌舞伎座の専務を務めた三宅豹三の三男で劇評家の三宅三郎が書いた本になります。
因みに兄は大日本東京野球倶楽部(後の読売ジャイアンツ)の初代監督を務めた三宅大輔と親も兄弟もその界隈における実力者でした。
 
そんな彼は父親と同じく劇界の道を選び時事新報に務める傍らで劇評家として活動し同年代に活躍した三宅周太郎と共に「両三宅」と呼ばれていました。
 
著者の三宅三郎
 
ただ、多数の著書を出した上に一時期新富座の座付き作家にもなり、戦後には紫綬褒章などの栄典を受けた周太郎に対して三郎の方は病気もあり、著書は4冊に止まり、戦後は闘病生活も長く目立った活動もなくひっそり亡くなるなど明暗を分けました。
この本は戦後に三郎が雑誌に寄稿した文章と生前にある編集者に託した未発表原稿の2つからなる彼の死後出された5冊目にして最後の著書になります。
 
彼は大河内時代に専務だった父の影響もあって幼少期から観劇をしていた事もあり、彼が6歳の時の七代目團蔵が12年ぶりに出演した歌舞伎座の公演の記憶がある等、劇評家としてはかなり恵まれた環境で育ちました。
しかし、本にもあるように彼の最大の特徴は中学から大学時代にかけて全盛期の大正時代の小芝居をつぶさに観劇した事でした。
 
三郎が見ていた小芝居は以前触れましたがそれまで明治時代に活躍していた小芝居の第一世代の多くが大芝居に行ったりするなどして出演しなくなり、新たな若手の世代が台頭してきた時期でした。
しかし、大正時代も含めて小芝居は大歌舞伎と違って残された資料も多くはなく、戦前の歌舞伎関係の著書にもあまり言及されない等謎が多く残ってます。
 
参考までにこちらもご覧下さい
この本ではそんな演芸画報や新演芸といった大歌舞伎中心の雑誌などでは中々取り上げられない小芝居について記憶を振り返りながら体系的に記した一級資料となります。
 
本の内容は三郎が生まれる前の明治時代の小芝居の勃興から始まり、「二銭團洲」と呼ばれた坂東又三郎の話や若き日の羽左衛門や幸四郎、宗十郎たちが小芝居の舞台への出演で経験を積んでいった事により名優への道を歩んだ事などに触れて小芝居の意義について語っています。
 
劇場や役者の写真もこのように豊富に掲載されています。
写真は浅草橋5丁目にあった柳盛座(後の中央劇場)
 
そして三郎がどっぷり浸かっていた大正時代の項目になると内容も出演していた役者の紹介に加えて
 
・劇場の名称、住所、収容数
・劇場毎の座席の種類を始めとする本家茶屋などの中の様子
・劇場毎に異なる入場料や特典
・販売していた料理や弁当、お菓子の詳細
・来ていた見物達の様子
・出演していた役者のこぼれ話や公演形態
 
といった形で実際に見物して経験してきただけに多岐にわたり生の様子が書かれています。
特に販売していた飲食、来ていた見物たちの様子などは筋書や劇評には掲載される事はない類の物だけに三郎の供述だけに頼るしかほかなく、
 
『小芝居』ファンは他の土地の芝居にはあまり見に行かないのがつねだ。また、歌舞伎座などの大劇場の芝居にもとくに見に行きたがらない。大劇場の三階に窮屈な思いをして行くよりかは、『小芝居』の一等席に、のんびりと座っている方を好むのである
 
 
という供述を見ると大劇場でやれ「ビタ」といじめられ窮屈な思いをするより小芝居で伸び伸びと羽を伸ばせる方が良いという理由で大芝居から小芝居に移る役者の気持ちと見物達の動向が不思議と共通しているのが興味深くあります。
また当時の劇評家などが口を揃えて小芝居を軽蔑する時に使う「臭い芝居をする」という批判については以下の様に述べています。
 
演技を一口に言えば型は師匠や先輩大家を模倣したりしているのもあるが、また、自分の工ふうのようなものもあり種々雑多だ。(中略)演技に『臭い』というものも多いが、意識的に正しくまっとうにやっていては、持ち切れないのがあるので、自然と『臭く』なるようなものもある。(中略)それにしても『小芝居』の役者はどれもセリフ廻しが拙い。(中略)セリフ廻しが、もう少し良かったらどうにかなるであろうと思われるものがほとんどと言ってもよいくらいで、私はしぐさの技巧の稚拙などよりも、それを第一に感じたのである。
 
と三郎から見ると演技の臭さよりも台詞廻しの酷さの方が目についたようです。
台詞廻しの酷さについては以前紹介した東京座の公演でも指摘されていた事なので本当の様です。
因みにどんな酷さなのかについてはあまり言及がなく、唯一「台詞が間延びする」と文中でよく批判されている役者がいる事から大袈裟に台詞を間延びさせて言っていたのではないかと思われますがこればかりは音源もないので断定できません。
一度でいいから聞いてみたいです(笑)
 
そして役者の紹介になると豊富な観劇経験を活かして合計33Pにも及び詳細に渡って書かれています。その中でも彼が一番好きだったという四代目澤村源之助七代目澤村訥子については他の役者が多く書かれても約1Pの中でそれぞれ源之助は4P、訥子は3Pが割かれている事からも如何に好きであったが伺えます。
 
文中に掲載されている四代目澤村源之助
 
同じく馬切りの三七郎信孝の七代目澤村訥子
 
無論この2人以外にも多くの小芝居で活躍した役者について述べられていて、扱いの大小構わず列挙すると
 
・初代市川九女八
・初代中村芝鶴
・初代中村翫右衛門
・二代目河原崎権十郎
・五代目市川新之助
・八代目市川團蔵
・四代目尾上紋三郎
・尾上菊右衛門
・六代目坂東彦三郎
・八代目澤村訥子
・七代目澤村長十郎
・六代目関三十郎
・中村竹三郎
・中村芝右衛門
・二代目市川九團次
・松本高麗三郎
・松本高麗之助
・松本小次郎
・四代目浅尾工左衛門
・初代中村又五郎
・吾妻市之丞
・中村歌門
・四代目澤村鐵之助
・市川吉三郎
・松本武五郎
・五代目岩井粂三郎
・中村歌扇、歌江姉妹
・二代目市川眼玉
・四代目市川市十郎
・中村福圓
・四代目片岡愛之助
・實川正朝
・五代目中村嘉七
・五代目中村七三郎
・澤村源之丞
 
と実に合計36名に登ります。
これらの役者の多くは他の資料でも全く触れられていない役者もいて、この紹介を読むだけでも買う価値があると言えます。
 
しかし、ここまで入れ込んでいた小芝居通いも関東大震災による浅草を中心とする劇場の焼失や昭和2年に起こった金融恐慌及び昭和5年に起こった昭和恐慌により小芝居に通う層の見物の客足が遠のいた事により大正時代あれだけ隆盛を極めた小芝居も衰退に向かい同時に就職困難の中で時事新報に就職した三郎も大国座、神田劇場、宮戸座の芝居を観劇したものの次第に足が遠のく様になったと書かれています。
 
未発表の原稿にはこれらの小芝居以外に戦後湘南の地を訪れていた旅一座の顛末や筆者の友人との交友録なども掲載され、非常に見応えのある内容となっています。
 
最後にこの本だけ読むと昭和に入り小芝居はどうなったのか断片的にしか書かれていませので少し補足したいと思います。
まずその前に関東大震災前に存在した主な小芝居の劇場は以下の通りとなります。
 
・宮戸座
・常盤座
・寿座
・公園劇場
・観音劇場
・大国座
・御国座
・開盛座
・神田劇場
・中央劇場
・辰巳劇場
・麻布南座
・麻布末広座
 
と常時歌舞伎を打っていた劇場は13ありました。
しかし、関東大震災によりこれらの劇場の内、直前に火事で既に焼失していた大国座と当時映画館となっていた麻布南座と麻布末広座を除いて全て焼失してしまいました。残った2座は急ごしらえの改造の上に末広座は麻布明治座と仮の明治座にまでなり娯楽に飢えていた東京市民の為に大歌舞伎での歌舞伎上演が行われるなどしましたが、復興が進むにつれその使命を果たし大正13年には麻布南座が再び映画館となり、麻布明治座となっていた末広座も元に戻りました。
また御国座は再建に当たり、浅草松竹座と名前を改め大歌舞伎用の劇場として生まれ変わりましたが昭和3年を最後に昭和19年、20年に一時的に使われたのを除いて歌舞伎の上演は無くなり、専ら榎本健一や松竹少女歌劇(後のSKD)の専用の劇場として使われていく事になりました。
そして中央劇場と辰巳劇場が震災を機に廃座となりましたがそれ以外の座は概ね大正14年までには再建されましたが、その2年後の昭和2年に起きた金融恐慌及び震災不況により資本体力の弱い小芝居の劇場はモロにダメージを受けてしまい上記の劇場の内、神田劇場が映画館に転向し、昭和4年に末広座が廃座となりました。
その結果、昭和5年の時点で残っていた小芝居の劇場は
 
・宮戸座
・常盤座
・寿座
・公園劇場
・観音劇場
・開盛座
 
6座と僅か5年間で半減してしまいました。
そして、残った劇場も観音劇場は流行していたレビュー専用の劇場に転向し、昭和4年を最後に常盤座は歌舞伎の上演を辞めて清水金一などの軽演劇向けに転向、昭和7年に開盛座が映画館に転向、昭和11年に公園劇場も大衆演劇向けの劇場に転向、昭和12年にはとうとう歴史ある宮戸座が廃座になった事で小芝居を上演する劇場は寿座改め寿劇場のみとなってしまい衰退が決定的になりました。
 
その寿劇場も戦災で焼失し、戦後はかばたみ座という小芝居が存在しましたが既に衰退の歴史に歯止めはかからず戦後間もない頃を以て小芝居と言うジャンルは日本から消滅しました。
三郎もそういう事を踏まえて何処かノスタルジックに浸る様に書かれている所が何とも言えません。
戦後以降の歌舞伎が好きな人にははっきり言って興味を持てないかと思いますがもし興味ありましたら、この本と合わせて「東京の小芝居」や大正後期まで小芝居に出演していた三代目尾上多賀之丞について書かれた多賀之丞日記などと合わせて見て頂くとより小芝居への理解が深まるかと思います。