さて今回のテーマは、より円滑な指導関係を築くために、です。

なんだか難しそうなお題ですね? 教育者やビジネスマン向け?いえいえ、状況こそ違うものの、誰でも「指導す る立場」になったことがあるはず。そして、目の前の人を気持ちの中で「でき ない人」と切り捨ててしまった経験もあるんじゃないでしょうか。

例えば上司が部下に仕事を教える。先生が生徒に教える。親が子供に教える。 先輩が後輩に仕事を教える。先に進む者が後に続く者に教える。様々な状況 が考えられますね。

ところで、ビジネスマン相手のカウンセリングで気付いたのですが、 もしかしたら日本人は「人に教える」ことが、非常に苦手な人種なのではないでしょうか。皆さんが口をそろえて言うことには、
「こちらが口を酸っぱくして言っても 動かない」
「一から十まで言わなければならないのか!と腹が経つ」
「頼んだことの半分も自分ひとりでは出来ない」などなど。

なる程。皆さん、苦労されているようです。

腹の立つ苦労のアレコレをじっくりと聞き、気が済むまで愚痴って頂いた後に、時々私は一つの質問をします。 「ところで、同じように仕事を頼んでも、中にはきちんとやってくれる方もいらっしゃると思うのですが、いかがでしょう?」

「ええ、もちろん、しっかりやってくれる人もいます」
「しっかりやってくれる人と、くれない人は、どこが違うのだと思いますか?」
「それは。。。能力とか、やる気とか、かな」
「能力とかやる気が結果を左右していると思われるのですね・・・ところで、能力があると思われる  人と、そうでない人と、指導の仕方に違いはあるのでしょうか?」

企業の中では、カウンセリングとコーチングの区別はつき難く、特に上司と 呼ばれる立場の
方には、このようにコーチングに比重を置くことが多々 あります。

「指導の違いねぇ。。。分ってはいるんですけどねぇ。現実問題として忙し いのでねぇ。」
「でも、困っていらっしゃるんですよね。(相手が)移動してくれれば解決するのかも しれませんが、  そう簡単には移動にならないですよね?」
「そうですね。移動してくれればいいんですけど。。。難しいでしょうね」
「じゃあ、やってみませんか?あと30分、時間も余ってますし・・」

こうしてようやく、今現在、指導しなくてはならないけれども、上手く指導 できていない相手に対する「必要な指示と励ましの量の割り出し」のお話しに入ります。あ~、長い前書き^^;。

ここからが本題です。
ここから先は、あなたが指導する立場にたった時の名称と置き換えて読んでくださいね。

上司が部下に仕事を与える時、上司は必ず「指示」を出します。 指示には、 誰がやるのか、いつやるのか、いつまでにやるのか、どれだけやるのか、なぜやるのか、などがあります。

指示は明確であればあるほど良いのですが、指示の量は、仕事をしっかりと やってくれる人と、そうでない人とでは、指導する側が操作する必要があります。

仕事ができる人(1言って10を知ってしまうタイプの子供や生徒など)には、多すぎる量の指示は必要ありません。このタイプの人は、多くの口うるさい指示を嫌がり、やる気をなくしてしまうからです。

一方で、こちらの思った通りに仕事をこなしてくれない人には、より明確で、より詳細な指示と、多くの励まし(サポート、見守る、支える)が必要になります。 こうした人に、わずかな指示しか与えないと、その相手は何をしたら良いのか分らず失敗してしまうことが多いからです。

また、一つの仕事をやり終えた時 には、「やり終えた仕事」を評価する(褒める、認める)態度は欠かせません。このように、どのくらいその仕事を出来るのかによって、指示の量は変えた方が良いのです。

この際、一つ注意しなければならないのは、「できる人(子供・生徒など)」への評価を放置してしまうことが多い、ということです。 結果、実際には上司に「できる人」と思われているのに、その人自身は「認めてもらえない」と感じている。。。なんてことが多いようです。

そして、欲を言うのならば、これらのこと(上司の部下に対する評価とこれか ら出す指示の量の提示と、部下の自分に対する評価と、欲しい指示の量)など をオープンに話し合えたら、なお良いのですが。 そこまでは難しいのが現実のようです。
交流分析という一つのパーソナル理論の中に、ストロークという言葉があります。
ストロークとは、なでる、さするなどの意味がありますが、交流分析の中では相手を認める言動の全てをストロークと呼んでいます。

例えば。。。 朝、会社に出社したあなたは、部屋の向こう側から歩いてきた同僚を見つけました。二人がすれ違う時、あなたは微笑みながら「おはよう!今日も暑いね!」と声を掛けました。同僚も微笑んで「本当に!」と答えました。 これが、あなたと同僚が「ストロークを交換した」場面です。

ストロークは、 存在認知の一単位とも言えます。私たちはこうしたやり取りにあまりに慣れているために、それについてわざわざ考えることをしません。

では、ちょっとこのシーンを変化させてみましょう。 同僚が近づいてきた時、あなたは微笑んで「おはよう!」と声を掛けました。しかし同僚は何も答えません。まるであなたがその場所にいないかのように通り過ぎました。さあ、あなたはどのように感じるでしょうか?

こういう時って、相手が反応しないことで、私たちは不安を感じます。 また人によっては、何か悪いことをしたのだろうか?なんて、自分を責めたりするかもしれません。

他人に対し、何らかの投げかけをした場合、それに対する反応(ストローク)を私たちは求めるもので、もしそれが得られなかった場合(隣人にまるで存在しないかのように扱われた場合=ストロークが貰えない場合)、欠乏感を味わいます。

それでは、もしも「暑いですね!」に対して、「ふん!」とか「あんたの顔を見てるほうが暑苦しいわよ!」なんて言葉が返ってきたとしましょう。 これは否定的なストロークを返された、ということになります。

こんな意地悪な対応をされたら、腹が立ちますよね!なんて常識はずれな人 なのだろう?挨拶もまともに出来ないなんて!と思うかもしれません。

しかし人は、どんなストロークであっても「何も無い=無視される」よりはマシと思うのです。自分があたかも存在しないかのように扱われるよりは、否定的な投げかけの方がマシだと思うのです。

私たちは他人の存在を認めるためにストロークを投げかけ、 自分の存在を認めてもらうために、ストロークを欲するのですね。

例えば、幼児です。 お母さんに甘えたい。抱っこされたい。しかし弟が生まれたために、今までのように構われなくなってしまった。こんな時、子供は「わざと怒られるようなこと」をします。
これこそが、 「無視されるよりは怒られるという否定的なストロークをもらう方がマシ」という状態なのです。

「どのような形で他人からストロークを受け取るか」を、私たちは幼児期に 両親や養育者との関係の中から学んでいきます。そして、時に、以下のような「歪んだストロークの受け取り方」を学んでしまうこともあるのです。

1、与えるべきストロークがあっても、それを与えるな。
2、欲しいストロークを他人に要求してはいけない。
3、欲しいストロークが来ても受け取ってはいけない。
4、欲しくないストロークを拒否するな。
5、自分自身にストロークを与えるな。

1は、(親に対して)伝えたいことがあっても言うな、というものです。
2は「抱きしめて欲しくても、抱きしめて欲しいと言うな、親は忙しいのだから」というものです。
 母親が夕食の支度で忙しい時に、甘えてきて子供に対し て「忙しいからあっちで遊んでいて!」と いうのがこれに当たります。
3は、褒められてもそれをまともに受けて図に乗るな!というもの。
4は、親の言うことはどんなことであっても聞きなさい!
5は、自慢するな!謙虚であれ!

平たく言うと、こんな感じでしょうか。

人間には、多かれ少なかれ他者をコントロールしたいという欲求があります。それは親であっても同じで、親は子供たちをコントロールする方法として、肯定的なストロークを無制限には与えないということを、無意識にします。

それに対し子供側は、ストロークは自分を認証してもらうために欠かせないものですから、両親が要求するように振舞うことにより、ストロークを獲得することを学ぶのです。

こうした「歪んだストロークの欲し方」を学習した子供たちは、それをたずさえ大人になり、そして、成人した今では「それが当たり前」だと思い込んでいるのです。

それは、ありがとう、感謝している、愛していると、軽々しく言わない姿勢であり、寂しい時に寂しいと言わない姿勢であり、評価されたとしても手放しで喜ばない態度であり、評価されるために他人の顔色を見ることであり、自分を自分で褒めて上げないこと、であるのです。

しかし、これらの歪みは、長年の癖となっていますから、そう簡単には変化 してはくれません。
まず歪みに気付くこと、そして長年の癖を作り変えていく 作業が必要になります。

その一歩が、 「他人から投げかけられた「肯定的なストローク」は、とりあえず素直に受け取ってみる」ということなのです。
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少し前のテレビ番組で面白い企画がありました。

ある幼稚園の前の道が、駅に通じる道であることから、 毎朝、通勤通学の方たちが沢山通るのですが、その中にタバコを吸いながら通る人が沢山おり、中には吸殻をポイ捨てしていく人もいて、園では頭を痛めていたそうです。

歩きタバコのタバコの位置は、ちょうど園児たちの顔の辺りになりますから、危ないこと極まりないわけで、そこで、園の前の道路では「禁煙をお願いしよう」ということになったのです。

園の関係者が、灰皿用の缶を手に持ち、直接お願いしてみたところ、すぐに捨ててくれる人もいたのですが、怒られたり、嫌味を言わた上に、成果がぜんぜん上がらず、諦めムードが漂い始めました。

そこで登場したのが、社会心理学の専門の方です。 「ふむ、ふむ」と状況を見て、指示を出します。

もっと大きな運動会の入場門と退場門のような物で禁煙してもらいたい区間を区切り、そこに大きく禁煙のお願いの文字と、お礼を書く事。入り口と出口のところに、大きな缶の灰皿に水を入れ、設置すること。

この指示に従ったら、あら不思議、次の朝から園の関係者が何もしなかったにも関わらず、一人もこの区間をタバコを吸いながら、歩く人はいませんでした。

タバコを吸っている人たちに、この場所では吸わないほうがいいと、自ら思わせるような、環境にしてしまったこの方法は、人の心理を考え、環境を変えることで、困った状況や、嫌なことを変える方法です。
(みっちゃんのメルマガ文章より抜粋)
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人の心理を考え、環境を変えることで、 他人の困った行動や困った状況を変えることもできる、
というのが上記のお話しです。

他者に対して行動を変えてもらいたい時、私たちは、切実に訴えるとか、思うように行動してくれない相手に怒りをぶつけたりすることが多いですよね。

もちろん、心理学的には、こちらの要望をきちんと冷静に「私は~して欲しい」と相手に伝え、相手が行動を変えてくれるかどうかは相手に任せる、というのがセオリーなのでしょうが、時には、こんな風に、手っ取り早く「環境」を変えてしまう手もあるんですね。

さて、今回は、もっと身近な活用例をご紹介しましょう。

「片付けても片付けてもオモチャが散乱するリビングルーム」に、Yちゃんは発狂寸前でした。
「片付けなさーい」と何度言っても(時には怒鳴っても)、綺麗になるのはその日だけ。次の日になると、またリビングは子供たちの持ち物で雑然とするのでした。

同じ台詞を繰り返すことに飽き飽きとしたYちゃんは、リビングに子供の数だけの籐の籠をおいて、そこにそれぞれの持ち物を入れるように子供たちにお願いし、夜、子供たちが眠った後に、籐の籠にしまわれていない持ち物をかたっぱしから籠の前に置いたところ、1週間で、子供たちは自主的に籠の中にしまうようになったそうです。

Mちゃんの例も紹介しましょう。 Mちゃんのイライラの元は、「新聞」でした。

毎日、リビングのテーブルに、時には床にそのまま置きっぱなしになる新聞。 何度「片付けてよ!」と言っても、声を荒げても、Mちゃんの家では、 Mちゃん以外に新聞を所定の位置に片付ける人はいなかったそうです。

その上、新聞は毎日3cm程度の厚さで増えていきます。 その新聞を紐で縛り、定められた古紙回収の日に、所定の場所まで持っていくのもMちゃんのお仕事でした。 毎日これを繰り返すわけですから、Mちゃんが次第に、新聞を見るだけでイライラするようになっていたったも、理解できるのではないでしょうか。

そこで、どうしたら良いか考えたMちゃんは、 子供が習字の時に使うための新聞を少々残し、残りは全て古紙回収に回した後、きっぱりと新聞を取るのを止めてしまいました。

こうして、ふたり主婦のイライラは、確実に消え去ったのでした。 ね?誰でも考え付きそうなことでしょう?でも、実際は、 「考え付く全てのことをしましたし、口をすっぱくして言ってます。でも誰も行動をあらためてくれないんです」ということが多いのではないでしょうか。

こんな時、心理学的には、「でも行動をあらためない」のではなく、 「だからこそ、行動をあらためない」のだと考えます。 口を酸っぱくして怒っても、状況は決して変わらないどころか、 反感を抱かせてしまうことの方が、遥かに多いのです。

Yちゃんの例は、不適切な子供たちの行動に対して、実現可能な適切な代替案を提示したものであり、Mちゃんの例は、同じ片付けないという不適切な家族の行動に対して、 新聞を取らない選択をし、環境を変えてしまった例でした。

皆さんの中にも、 環境を変えたり、代替案を出す方法で、イライラがなくなりました~! って例があったら、是非教えてね! 心理学講座の中で、一例として、使わせて欲しいから!(ずうずうしい?)それでは。またね!

他人の評価ばかりを気にして、他人の顔色を伺って生活しているうちに、本当の自分がどんな風だったか、分からなくなってしまった、という声を、近頃、頻繁に、耳にします。 「良い子」に育てるために一生懸命なこの国ですから、成長した私たち大人も、全てにおいて「良い人」であることを望む傾向にあるのかもしれません。

評価・・他人の目・・・誰でも多かれ少なかれ気になるものですよね。 できることなら、友達にも、周囲の人にも、職場でも、家族にも、良い**だと思われたいと、ほとんどの方が無意識的に思っているのではないでしょうか。

人間は、「良い人」だと思って欲しい人の前では、出来るだけNOと言わないことを選択しようとする傾向があります。

幼い頃は、両親に良い子だと思って欲しくて、もう少し成長するとその対象は先生やクラスメートに代わり、そして今では・・・ 上司の前では、例えどんなに理不尽だと思ってもNOと言うことはできません。

つきあい始めたばかりの恋人の前では、できるかぎり笑顔を保ちます。 相手に妻子がいる場合だったらなおさら「嫌」とはいえません。幼稚園のお母さんたちの付き合いの中では、参加したくない「ランチ」の会にも参加しないわけにいきません。

他人に「NO」と言って、孤立するくらいなら、我慢した方がマシです。
こうして、気がつくといつの間にか「本当の自分は何を感じているのか」が 分からなくなっているというわけなのです。

今回は、 そんなあなたに試して欲しいプランがあります(前置き、長すぎ!?^^;)。

あなたの人生が、1週間後に終わると仮定します。
あなたに残された時間は、168時間しかありません。
あなたは、これまで生きてきた人生を振りかえり、遺書をしたためようとしています。

愛されたこと、愛されなかったこと。 手にしたもの、得られなかったもの。
経験したこと、経験できなかったこと 。
様々な思いが、心に浮かびます。

あなたは精一杯、生きてきました。
私たちが人生の中で経験したこと、感じたことに、良いも悪いもありません。

大きく深呼吸をし、あなたは遺書を書き始めました。
あなたは、誰に、どんな言葉を残しますか?

生の終わりが見えた時、人は遺書の中に「本当の気持ち」を残すのでは ないでしょうか。
私が生きてきた証、私の想いを、精一杯綴るのではないでしょうか。

残された時間を意識して書く遺書は、自分の気持ちの整理になるようです。

一番伝えたかったことは、どんなことなのか。 本当は、どんな風に思っていたのか。普段は見えない自分の気持ちが、見えてくるかもしれません。

そして、
残された最後の1週間を、あなたは誰と、どんな風に、過ごしたいですか?

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路上で演奏する異国のバンドの人々に対して、自分なりのイメージ(外国から来て音楽に情熱を燃やす物静な方たちというイメージ)を当てはめて、(勝手に)好ましく思っていたみっちゃんは、イメージとは違う現実を目の当たりにした時、そのメージが音を立てて崩れていったそうです。

このように、私たちは、自分の中で作り上げた勝手なイメージで、相手を見て、好きになったり、嫌いだと感じたりします。心理学でこれを「投影」と言います。

私の中にあるものを相手に映し出す・・・・。恋愛も言ってみれば投影です。
え~~恋愛も?と、がっくりしてしまうかもしれませんが、このような心の働きがあるから、人生は面白く、味があると私は思うのです。
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そう、その通り! 肯定的な投影の代表者といえば、それは「恋愛」!

汗を流してグラウンドを走り回る先輩にキュンとしちゃったのも、 ロレックスの時計と、フェラーリを持っている男に、ふらふら~としちゃったのも、文学やら経済やらを語る男にノックアウトされたのも、み~んな「投影」のなせる業、だったのですねぇ。

男性の場合は、 さらさらのストレートヘアだったり、料理上手な女性だったり、優しそうで暖かそうなイメージの女性だったり、かな。

今日のお話はね。 恋愛が投影だというのなら、一体私の中の何が他人に映し出されるのだろう?ということなの。心理学用語が少~し出てくるけど、我慢して聞いてね!

さて、男性・女性という分け方が、この世界にはありますが、
全ての男性の中に、男性ホルモンと女性ホルモンの両方が存在し、
全ての女性の中にも、男性ホルモンと女性ホルモンの両方が存在することは ご存知ですよね?

心も、同じ感覚で捉えることが出来ます。

女性の中には、女性心と男性心があり、 男性の中にも、女性心と男性心が、存在します。私で説明すると、ヨーコというのは、社会的には「女性」だけれども、 私の中には男性な心もあって、でもいつもは無意識に追いやられることが多い、ということなのです。

男性の心の中にある女性像(女性心)をアニマ、 女性の中にある男性像(男性心)をアニムスと、ユングは呼びました。ちなみに、アニマとはラテン語で「たましい」という意味で、 アニムスはその男性形です。

詳しい説明はココでは省きますが、 男性も女性も、社会的にはいわゆる「男らしい」とか「女らしい」という仮面をつけていますが、無意識の中には、社会的な仮面とは逆の「アニマ&アニムス」の働きがあり、これによって心のバランスを保っているのです。

そして、この内なるアニマや、アニムスと、私たちが出会う機会こそが「恋愛」だと言えるでしょう。

男性の心に在るアニマは、変化発達していきますが、健全なアニマを発達 させる為には、男性の中にある母親像からの自立が第一歩となります。この母親像から自立できない男性は、いつまでも母親の愛に抱かれていたいと望んでいて(無意識に、です)、現実の女性に対しても「母親のような愛」を探し求めてしまいます。

この段階の男性(母親のような愛を求める男性)と付き合う女性は、何時の日か、「私はあなたのお母さんじゃないのよっ!」と、叫ぶ羽目に陥ります。

その後は、セックスアピールを持つ女性に惹かれ、 次に一人の人格を持った女性に惹かれるようになり・・・と男性の中のアニマは発達していきます。

また、女性の中の男性性アニムスも変化発達していきます。

最初は「力」の段階で、肉体的な強さに何よりも惹かれ、スポーツ選手や、 男っぽい男性や、不良っぽい男性などに惹かれます。次は「行為」の段階で、強い意志を持ち実行力のある男性に惹かれます。現実的には、実業家や社会的地位のある人、などがあげられるでしょう。

そして次は「言葉」に惹かれる段階で、知性とか教養のある人に心惹かれます。アニムスがこの段階にいる女性は、論理的に考える力を持ち、またそれを表現できる人です。女性が自立し、自分の個性を大切にしながら社会に出て活躍 しようとするなら、この段階にまでアニムスを発展させる必要があるといわれています。

こんな風に、人間の中のアニマ&アニムスは変化発達し、その時々自分の中に住むアニマやアニムスを異性に投影して、好きになっちゃうわけなのです。 つま~り、好きな相手の好みの異性をリサーチし、それを取り入れる努力をする、 というのは、心理学的にも理にかなったことだったのですね。

「料理上手で優しい女性」に拘っている男性ならば、もしかしたらお母さん的な愛を求めている可能性が大きいですから、料理の腕を磨くのは勿論のこと、男性を包み込むような暖かさを表現することができたら、彼をゲットできる確立は高くなるわけです。

知的な男性が好きらしいと知ったら、あなたに可能な範囲で知的さをアピールするのも良いでしょう。

ただし、です。 ただし、万が一両思いになれたとしても、そこから先は知りません(笑)。だって、ココから先が本題なのですもの^^。
自らの無意識にある異性像が、実際の異性に投影され、恋愛する・・ココまではわかりましたね?

それでは、恋愛が自らの内にある異性像を投影したものだとしたら、そして、投影が覚めたら、一体どうなってしまうのでしょう? また、「異性像を投影された側」は、どんな気持ちがするのでしょうか?

私たちは、色々な面を持っている人間ですから、頼もしく、優しそうに見えたとしても、常にそのように在り続けるのは難しいものです。時には、怒鳴る時もあるだろうし、泣く時も、甘えたくなるときも、攻撃的な気持ちになる時もあるでしょう。

しかし、投影の最中は、自分の中のイメージで相手を見ているわけですから、そうでない一面を知った時に、私たちは「こんなはずじゃなかった!」と失望することになるのです。

「あんな人だと思わなかった!」
「優しそうに見えたのに・・・」
こんな風に、自分のイメージが裏切られた失望が、相手への怒りへと変化してしまうんですね。


また、「理想の異性像を投影された側」は、始めのうちは賛美の言葉に酔い、「こんなに愛されるなんて・・・なんて幸せなんだろ」と感じるかもしれませんが、次第に、理想像を押し付けられている息苦しさを感じ始めます。

「あの人は、私に理想像を押し付けるだけ。本当の私なんて見ていないんだから!」
「私はあの人のお母さんじゃないのよ!なのに、自分の都合ばかり押し付けて。。。」
こんな風に感じるのですね。

しかし、投影という魔法がとけてしまったそこからが、相手との本当の関係の始まりです。
一方的なイメージで見るのではなく、お互いのありのままのの姿を 知って、その上で、どのような関係を望むのか、なのですね。

みなさんのパートナーとの関係は、いかがですか?

あなたも、 人生の中で何度かは、欠点や問題を持たないパーフェクトな人間になりたいと願った経験があるんじゃないかな? 「私の中の欠点さえ取り除けば、もっと幸せになれるのに!」なんて、自分を責めてしまったことも、あるんじゃない?

一方では、 心理学も、自分探しのHOW TO本も、自己啓発系セミナーも、口をそろえて、「否定的な感情や状態をありのままに受け入れなさい」と、教えているね。 でも、それはとても難しいことだよね。

「自分が嫌いなのに、どうしたら受け入れられるっていうのよ?」 そんな疑問が沸いてくるから。
もしかしたら、ありのままの他人を受け入れるよりも、 ありのままの自分を受け入れる方が、難しいのかもしれない。

「頭ではわかっているわよ。自分を受け入れなさいって事くらい!でも、実際問題、一体どうやって受け入れていけばいいのよ??」

本当に、どのようにしたらいいのだろうね?どうやって、怒りを、不安を、むなしさを、そして、親にさえ受け入れてもらえなかった自分を、受け入れたらいいの?

親になんて話せない。話したって聴いてはくれないから。 友達にも話せない。そんなつまらない話、誰も聴いてくれないから。今回は、そんなあなたに、語り掛けたいと思います。
また、そんなことはないあなたは、そんな人々も沢山居るのだということを知ってもらえたらなぁ、
って思ってます。

あなたは、今、 どんな悩みに苦しんでいるのでしょう?
もしかしたら「自分は駄目な人間だ」「自分には価値がない」と思い、 ありのままの自分を受け入れてくれる人間は、一人も居ないと感じているのかもしれませんね。

けれども、それは自分の性格の問題で、「だからやっぱり私が悪い」と、 自分にケチをつけてしまう癖がついているのかもしれません。こんな時に、一体どうやって自分を受け入れたら良いのでしょうか?

本当はね。それはひどく簡単なことなんです。
私たちは幼い頃、それを知っていたはずなのに、いつの間にか忘れてしまっただけなのです。

砂利道で転んで、ひざをすりむいて、「いたいっ~!!!」と大泣きした あの時のように、「**ちゃんがボクのこと、たたいたぁ!」と幼稚園の先生に駆け寄ったあの時のように、その悩みについてどうのこうのと考えたり、 良い悪いと判断したりすることなく、「私は、このことがとても気になっているんだ」とか、 「私は、死んでしまいたいくらい苦しんでいるんだ」とか、そんな感じで、悩みの元とか、その結果や評価を考えず、 「今、こんな気持ちになっているんだね」と、自分に語りかけてあげて欲しいのです。

悩みは、悩みとして、でも、悩んでいる自分を認めてあげる、苦しんでいる 自分を認めてあげる、
「そんな自分」にケチをつけずに。 それが、自分を受け入れる第1歩です。

今、イライラしているよね。 この場から逃げ出したいよね。 腹が立っているんだよね。また失敗しちゃって、だから落ち込んでいるんだよね。 嫌われちゃったかなと、不安なんだよね。そんなところから、はじめてみてください。

自分を受け入れる、とは、そこを辿って、その先に、きっとあるはずですから。それでは。また。
また児童による事件が起きた。

適切なコミュニケーションの仕方を教わることなく、私たちは、大人になる。怒鳴る、という形でしか怒りを表せない人。 不機嫌そうに黙り込むことで、怒りを表す人。その時は我慢するけど、イライラがつのって、爆発してしまう人。

そして、それぞれが自分のコミュニケーションの癖を、性格だから仕方がない、と思っている。その性格を作ってきたのは、自分自身だ。 それを承認してきたのは、その親たち。子供は、親の対応を見て、コミュニケーションの形を覚えるのだから。

怒りを表すたびに「全くこの子は癇癪ばかり起こして・・」と、叱られていたら、「両親に愛される為には、怒りを表現してはいけない」のだと思い込むだろう。 しかし、我慢しても怒りは消えない。そればかりか、恨みに発展していく。そして、いつか爆発する。

泣いてばかりいる子供が「泣くんじゃないの。。。」と言われ続けたら、 その上、その両親が怒りを形で表す人だったとしたら(怒鳴る、叩く、など)、その子供は、「怒りはハッキリと形にして表さなくてはいけない」と、 思い込むだろう。

恐ろしいのは、これらが平然と「我が家の躾」と評されてしまうこと。 押さえ込んだ感情の処理の仕方を、誰も教えてくれないこと。そう、コミュニケーションの仕方と同時に、感情の処理の仕方についても、 学ぶことなく、私たちは大人になる。

こんな風に、 「両親がどんなコミュニケーションの形を奨励したか(無意識にです)」、そして「子供がそれをどう受け取ったか」で、その子供のコミュニケーションの形は、決まってしまう。 両親も、先生も、友達も、塾の先生も、 適切な感情表現、適切なコミュニケーションを学んではいないから、彼らの間違いを、正すことはできない。

そして、事件の度に、世間様は、いつも騒ぐ。 「普通の家庭の子なのに・・・何故?」と。

他人を非難するのは、簡単だ。しかし、それでは何も解決はしない。 出来ることなら、私たちが親たちから譲り受けた、誤ったコミュニケーションの形を、私達の子供たちには、伝えない努力をしていきたい。

たとえそれが無理だとしても、せめて「適切なコミュニケーションの仕方」 「適切な感情の仕方」を、我が子に、そして心理学を学びたいと感じているお父さん、お母さんに、アナウンスし続けて行きたい。

親が子供を愛するとはどういうことなのか、親自身のための愛ではなく、 本当の意味での親の愛を考えていきたい。それが、今の私に出来る、小さな一歩だと思うから。
前回、「全ての感情は自分自身の責任である」と書きましたが、 「説明されれば、それはそうだなって思うけど、現実は。。。。 この気持ちが自分のせいだなんて。。。ぜえったい認めたくないっ!」 というメールを幾つか頂きました。

そりゃ、そうだよね~^^;

○待っているのを知っているのに彼は電話もくれない。私が悲しんでいるのは彼のせいだわっ!
○浮気をしたのは彼よ。彼が悪いに決まっているじゃない。彼のせいで、私は苦しんで、おまけに
  円形脱毛症にまでなったんだから。怒りが収まるわけないじゃない!
○職場と云う共同の場で、上司が怒鳴り散らすから、私は腹が立つの。
○仕事はきっちりやるのが当たり前なのに、同僚はいい加減な仕事の仕方しかしないの。
  お給料を貰っているんだから、しっかりやって欲しいわよっ!
○仕事を口実にPTAの仕事を逃げて。。。専業主婦だって結構忙しいのよ。
 専業主婦を甘く見るんじゃないわよっ。まったくムカつくんだからっ
○ストレスから胃潰瘍だなんて、あいつは甘えているんだよ。仕事を何だと 思っているんだか。。。  そういう甘ちゃんが多いから、上司の僕の仕事が増えるんです。
○何度注意しても、うちの子は同じ失敗をするの!見ててイライラするわっ!

どう考えてみても、相手が悪いとしか思えない! それが常識だよ! 私の気持ちは、当たり前の感情だよ!。。。そうですよね。 相手のせいで、自分がこんな風に感じているんだって思いますよね。
そのお気持ちは、よぉぉぉ~く分かります。

私たちカウンセラーだって、初めから「自分の感情は自分のものだ」と納得できていた訳じゃ、ありません。納得できないっ!と叫んだこともありましたし、頭では理解できても、ココロは・・・ということもありました。

だから、ね。 今すぐに、自分の抱えている悩み、自分の抱えているマイナスの感情、自分が嫌だな~と思っていることの責任が、全て自分の中にあると納得できなくてもいいんです。 あいつのせいで、私はこんなに苦しんでいる。。。と思ってもいいんです。

また、例え「自分の感情は自分の責任である」と頭では分かっていても、 でも受け入れたくない、または受け入れられない、のであれば、それもOK。

ただね。頭の片隅で構わないから、 「私だけの絶対」だったり、「私だけの常識」であることが多い、ということを覚えておいて欲しいなぁと、そんな風に思います。

そしてね。 「自分の感情は自分の責任である」と知ることは、決して「全てを自分のせいにする」ってことじゃ、ないんです。 ここは、間違っちゃいけません! 同じ物事に対して、怒るか、笑うか、悲しむか、ばかばかしいと感じるか、それらの選択権は、あなたにあるんです。

そう。。。今までは、ダンナが(子供が、上司が、部下が、…)、目の前の ドアをバタンっと閉めたら、問答無用で腹を立てていたし、それが当然の感情だと思っていたけれども、「感情を自分の責任」だと理解することで、 相手の態度に対し、様々な反応の中から自らが選択し、悲しいと思うことも、子供っぽいなと思うことも、怒ることも、何も感じないことも、できるのです。

自分の責任だと捉えることは、ただ単に選択肢が増えることなんですね。

だからね。 「絶対あいつが悪い」「あいつのせいで。。。」「あいつが変わってくれさえしたら・・・」と心の中で呟き始めたら、 「そのように感じているのは、もしかしたら私だけなんじゃないか?」と、是非、自問自答してみて下さい。

そして、その答えが見つかって、尚かつ「それでもあいつのせいにしたい!」という時は、どうかそのまま「今はあいつのせいにしたい自分」を受け入れてあげてください。

「確かにね。そう感じているのは私なんだけどね。でもあいつが悪いと、 今は、思いたいのよっ!」ってね^^
今回は、
「似たような感情を抱いた記憶たちは、グループごと保存されていて、 今ここでの体験の中で、保存されている感情に近いものを感じると、自動的に記憶の中の感情まで出現してしまう」
というお話です。

ああ、私も、身に覚えが・・・^^;
以前の私の一例です。

彼が不機嫌そうな顔をしている

何か機嫌を損ねることをしたんじゃないかと気になる。

「ね?何か怒ってる?」と聞くが、「何も怒ってないよと言われる」

でも納得できない、絶対怒っているはずだ!

「でも。。。やっぱり怒ってるよ!何怒ってるの?」としつこく聞く。

こうして、 最初はおそらくそれ程でもなかった彼の不機嫌さを、私が加速させてしまう、そんなことが度々ありました^^;

彼の不機嫌さは、彼の感情で、心理学的には私の責任ではありません。
しかし、彼の不機嫌さを加速させてしまった原因は、私にあります。
彼の不機嫌さを察知すると、私は、居心地の悪さを感じます。

すると、無意識が私の記憶の中を検索し、似たような出来事・・・例えば、 気に入らない振る舞いをすると、不機嫌な顔で怒鳴り散らした父の記憶と、その際感じた「何でそんなに怒るの?そんなに怒られるほど悪いことした?」という気持ちや、怒りに対する不安や怯え・・・を探り当て、 目の前の彼と記憶の中の父親を(無意識に)オーバーラップさせ、彼に対して「私、そんなに不機嫌にさせた?=私が悪いっていうの!?」と いう気持ちをぶつけてしまうのです。

本当は「彼=父親」ではないわけですし、彼は彼の事情で、不機嫌になって いただけで・・・それなのに「あなたが不機嫌そうな顔をしていると、私が自分の責任だと思ってしまって不愉快だから(この不愉快さは実は記憶の中の不愉快さです)、あなたはその感情を表すべきじゃない」=「あなたが悪い」というメッセージをぶつけてしまっているのです。

そりゃ、彼の怒りも増すってもんです^^;
皆さんの中にも、覚えがある方が多いのではないでしょうか? (心理学では、これを転移っていいます)。

こんな不毛な人間関係から抜け出すために必要なのは、 「自分の感情に気付くこと」。
そして、ここが大切なのですが、 自分の感情の責任は自分にあり、彼の感情の責任は彼にある、という事実を知ることです。

自分と他人の境をきちんと見極める、といってもいいかな。
自分の感情に気付くためのポイントは、 「今、私は何を感じてるかな?」と自分の心に聞いてみること。

おそらく、はじめは上手くいかないでしょう。
自分の気持ちなんて、強烈な感情以外は感じたことがない、という人が殆ど だと思うから。

でも本当は、私達の心は繊細で、様々なものを感じまくっているものなんです。

今、私は、キーボードを打ちながら、 なんだか落ち着かない、地に足が着いていない感じを、感じているようです。心の半分はまだ海に向かっていて、残りの半分が「仕事しなくっちゃ」と感じていて、両者が葛藤しているみたい。 その葛藤が、心をざわつかせているようです。

・・・あなたは、今、何を感じていますか?
みなさん。こんばんは!
「ラブラドール」 を、 「ラブドール」と読み違えたヨーコでございます。

かつてフロイトは云いました。
「人間の言い間違いには無意識の願望があらわれている」と!
よっきゅうふまんのカウンセラー?。。。嫌ですね^^;

さて、前々回のおさらいです。
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自分に対する評価は、ことのほか、厳しくなりがち。
フシアワセな出来事は、その時も不快なものなのに、その後も度々思い出して味わってしまうものだ、ということ。
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そんなお話をしましたね!

そう、私たちは、いや~な記憶を味わいつくすことにかけては、かなりの腕前、プロフェッショナルといっても過言ではないでしょう。

職場の大嫌いな上司に言われた「嫌味な一言」が、 振り払っても振り払っても、頭の中にコダマしてたり、昨夜のダンナの暴言を思い出しては、一日中ムカムカしていたり、 自己中な友達の自己中な態度に、「あの時もああだった。あの時だって・・」と、芋づる式にこれまでの記憶を引っ張り出して、ますます怒りがつのったり。

そんなことって、ありますよね!

本当は、思い出したくもない、記憶。 その記憶のせいで、今を、楽しむことが出来ない。
その時ばかりでなく、現在までも侵略されているようで、余計に腹が立つものです。

さて、突然ですが、以下の出来事を思い出してみてください。
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大好きだった人との、キス。
そう、あなたが忘れることの出来ない、キスです。
その時の光景。 太陽の光が降り注いでいましたか?
それとも上弦の月が出ていましたか?
彼(彼女)の手は、あなたのどこに触れていましたか?
その感触を・・・そっと力を込めた指先・・・・ふたりの距離が近づいて・・・そう、私は目を閉じる。。。そして、そっと、触れた、くちびる。
彼(彼女)の香りを運ぶ、風・・・
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どう?めくるめく記憶を思い出せたかな?
あまりいい思い出のキスがないって人は、好きな人と手をつないだ時、とか、セックスのあとの腕枕とか、何でもOK。

でも、できれば、<ちょっとだけ>セクシャルな記憶の方がいいと思う。
何故なら、人前で、あまりにでれ~っとなっても困ってしまうから^^

この記憶をね、 飴玉を舌に乗せて、長い時間味わうように、 嫌な気分の時や、落ち着かない時、記憶の棚から取り出してきて、味わって欲しいの。

もちろん、きちんとした理論もあります。 快楽神経系が興奮すると、ヒトは快感を感じ、身体の動きが活発になり、多幸感を得たり、行動的になったりするんです。

大嫌いな上司の顔を思い浮かべるより、ちょっと官能的なシーンの方が、 気持ちがいいと思いませんか?解ってくれようとしないダンナの顔より、初恋の相手の顔の方が、精神衛生上絶対に良い筈ですし。

イライラや怒りが去り、冷静に戻った後、現実対処方を考えても、 遅いということはないでしょう。
何より、今、嫌な出来事を思い出したところで、現実は何も変わらないことの方が多いのです。

嫌なシーンが頭をよぎったら、すかさずシアワセなシーンで塗り替える。
それを繰り返すことは、「自分の気分は自分が決めている」という、とても シンプルなことを思い出させてくれます。

どうせ思い出すなら、官能的なシーンを、ね!

ちなみに、私は、緊張症なので、 心臓がドキドキ、バクバクしている時に「セクシャルなイメージ」を使ってます(*^^*)