シアワセについて思い巡らしていたら、今井美樹の「幸せになりたい」が浮 かんできて、
「10時ちょうどの便で彼女は♪」と気持ちよく歌っていたのに、 「シアワセって言えば、やっぱり「さだ」だよ。。。解夏も泣けたし。。。」と訳の解らない台詞で私を遮り、

「シアワセですか、シアワセですか、あなた今~♪」と、熱唱し始めたダンナに、うんざりしている私です^^; 皆さん、お元気でしたか?

今回は、心地よい風景のイメージから、はじめましょう。

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晴れ渡った、4月の初めのある日。 あなたは桜並木のこちら側にいます。
暖かい、春らしい、午後。満開の桜。
まだやわらかい春の日差しの中に、淡い桜色が重なり合って、揺れています。
目を閉じると、かすかに漂う、桜の葉の香り。
風が吹くたびに、はらはらと散る、花びら。
ああ、春が来たなぁと全身で感じられるような、そんな日の、午後。
(目を閉じて、思い浮かべてみてね!)
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いかがでした?
半月前の満開の桜を、思い出すことはできましたか?

それでは、再び、イメージしてみてください。

あなたは全裸で、鏡の前に立っています。 鏡の中のあなたは、どんな姿に映っていますか?
近頃出て来た、お腹まわりが気になる?
もう数センチ上がれ!と、両手でお尻を上げてみちゃったりして?
あごの辺りのお肉も気になる?
後姿は、どんなかな?

「こうでありたいスタイル像」が誰の中にもあるものです。
だから、だから、つい、辛口の評価になっちゃうよね?

今度は、 満開の桜の風景を、自分の裸身を眺めるようなアラサガシ的な厳しい目で、イメージしてみて下さい。

それはどんな光景でしょう?
見上げた桜のその上に、電線が見えたかな?
アスファルトの上を転がるビニール袋が、目に入ったかもしれないね。
踏みつけられて汚れた桜の花びらを、見つけた人もいるかもしれない。
捨てられたタバコの吸殻に腹を立てたりして?

同じ風景なのに、ね。見方ひとつで、こんな風に違って見えるんです。
そして、おそらく、 シアワセも、同じなんだろうなあ。

私の話をするならば、 どちらかといえば頻繁にシアワセを感じている方だと、思ってます。

まずは、五感的シアワセでしょ。 味覚、視覚、聴覚、触覚、嗅覚で感じるシアワセ、ね。
美味しい明太子を食べながら! 晩秋のお寺の庭を覆っている紅葉たち‥‥そんな景色を眺めながら、散歩の道すがら、どこからか聞こえてくる、ピアノの音に耳を傾けながら、 梅の香りを運ぶ風に、肌を撫でられながら、むせかえるようなクチナシの香りの中で、 私は、シアワセだと感じます。

次に、「何かとつながっていると感じられる」シアワセ。 自然とか、宇宙とか、もちろん人間だったり。スキューバダイビングが好きで、海に潜っていると、いつしか海水と自分との境が曖昧になっていくときが、あって。。。 至福の時、なんです、私にとって。夜空もいいね。満天の星空の下で、私は空を見上げていて、 共にあって、ひとりだと、感じる時。

話が逸れますが、「もののけ姫」の中の、 「私はタタラバで、サンは森で...共に生きよう」という台詞で、私はアシタカに惚れてしまいました^^

人との関わりの中で、シアワセを感じる時といえば、 ひとりずつで、でも受け入れ、受け入れられた時、かな。心理学に足を突っ込んでからは、随分とこの機会が増えました。

でも、同じシチュエーションでも、シアワセを感じられない時も!
厳しい視線や、アラ捜し的な視線では「素敵!」と感じられないように、 大好物の明太子を食べながら、でも、プリプリと腹を立てている、そんな「損しちゃった」時も、あります。

こんな風に考えると、 事実はひとつで、それに対してシアワセを選ぶのも、選ばないのも、結局、自分なんだと、改めて、感じます。

ところで、「フシアワセ」な出来事って、その時も不愉快だけど、 その後も、思い出したくもないのに、何故か思い出してしまって、その度に、嫌~な気持ちまで再び味わう羽目になること、あるよね?何というのか・・・「フシアワセ」を味わいつくす、みたいな、そんな気持ちになること、ない?

この反対を、習慣にできたら、いいよね。

フシアワセではなく、シアワセを味わいつくす。
自分の中にある、シアワセな記憶を、何度も何度も取り出して。 子供の頃、飴玉を長い時間しゃぶり続けたように、シアワセな記憶を、思い出しては、味わいつくすのだ(笑)。

シアワセな記憶を、実生活でどんな風に活用しているかは、 次回書こうと思います。
これを読めば、 あなたもきっと緊張症から逃れられる!。。。と思う。。。多分(笑)。
「少年A」の父母
「少年A」この子を生んで…―悔恨の手記

先週末、出張の夜の一人寝のお共にと「「少年A」この子を生んで・・・」 を購入しました。

出版当時、 大々的な売り込み文句と共に、書店で平積みされていたこの本を横目に、
「へへ~んっ。買わないもんね~」と、拒否反応を示していたのは、この私。
。。ああ、なんて天邪鬼なの^^;

でも、ほこりっぽい小さな書店の戸棚の中で、あれからの年月を 物語るかのように、ひっそりとお行儀良く詰め込まれたこの本には、なんとな~くという感じで手が伸びたのです。

「浅田カウンセラー!   これは一体どういった心の動きなんでしょうか?」

「自分でも言ってるじゃない?天邪鬼だって。ただそれだけです!」

「そんなぁ。。。ちゃんと心理学的に答えて下さいよぉぉぉ!」

「話しが逸れるので、却下です。 ただでさえよーこちゃんは、話がそれっ放しなんだから。。。」

「・・・けち・・・」
・・・そこまで言うなら、もっと話しをそらしちゃうもんね~。 あのね。あのね。出張の際、ビジネスホテルを選ぶ基準は、目的地からの距離と、金額なの。 当然、贅沢な部屋は望めるはずもなく、必要最小限のせま~い、お部屋で、地震がありませんようにと祈りながら一人寂しく眠るの(ぐすんっ)。 だからねっ、少しでも快適にするために、気に入った香りの入浴剤と、 ドリップコーヒーと、心理学以外の小説を、持ち込むんだぁ。つま~り、 出張必需品のひとつとして買ったのが、この本だったのぉ 。

(この口調、疲れるので、モトにもどります)
一冊の書籍からひとつの家族を分析することはできないので、 以下、私の読書後感想文だと思って読んで下さいね!

「少年A」この子を生んで・・・は、神戸連続児童殺傷事件の犯人少年A (酒鬼薔薇聖斗)の両親が綴った手記ですが、小説家でもない全くの一般の人が「手記」を発行するからには、それなりの目的があったと思われます。

本文の中で少年Aの両親は、出版の目的を以下のように書いていました。

「息子Aをあのようにしてしまった不甲斐ない私達の、14年にわたる Aとの暮らしのありのままを綴ることで、「真実を知りたい」という被害者のご家族の方々のお気持ちに多少なりともお答えすることができ、 前向きな何かが生まれればという願いを込め、拙い文ではありますが、本書を書きました。そしてこの本の印税の全ては、被害者の方々への償いの一部にさせて頂く所存です」(「少年A」この子を生んで・・・より抜粋)

少年Aは、両親とふたりの弟の5人家族。

両親からみたA像は、 内面的で気が弱く「良い子ではなかったが根は優しい子」で、母親は、逮捕後にマスコミが報道していたような「児童虐待」と言われるほどの酷い折檻の覚えはなく、「あくまで躾の域をでないもの」だったと 記しています(両親には、精神的な虐待、優しい虐待の知識がない様子)。

勉強よりも最後に行き着くところは人間性だと思って、そんな風に子育てを してきたつもりだった、とも書かれていました。

一方で、少年Aが小学校三年生の時に「ぼくもお母さんがいなかったらな」と作文に書いたエピソードや、また神経内科の医師に 「お母さん。これは構いすぎですよ。なるべく本人を放っといて下さい。外に仕事にでも出られたらどうですか?」 などと、アドバイスを受けたエピソードもありました。

Aを可愛がっていた、おばあちゃんが亡くなったのを境に、蛙やナメクジの解剖など問題行動が始まり、小学校6年生の図工の作品として粘土で「脳に剃刀をいくつも刺した」作品を作り、中学に入る頃から万引き行為が始まり、 その後はもう、ありとあらゆる前兆行為を得て(ただし、両親はそれらを前兆行為とは受け取っていなかった)事件へと突っ走っていきます。

これだけの少年AのSOSを前に、どうして気付かなかったのだろう?と 思いましたし、反対に、親の立場から「我が子だけは」と、理想の息子像からはみだした部分を無視してしまう(無視したい)気持ちも 理解できないわけではないし。。。カウンセラー的見方としては、「こうであるべき」というこだわりから、 ありのままの少年Aを受け入れていなかったこと、そして、この「家族の歪み」が彼に向かってしまったということ、それらが問題の出発点だったのでは ないかと思いました。

本文で、両親は何度も何度も関係者たちに謝罪しています。 これは両親の本心でしょう。
わが子が犯してしまった罪への罪悪感はちゃんと伝わってきました。

一方で、未だ原因を見いだせず苦悩し続けている両親の、「何故?」 そして「信じたくない」気持ちもまた、行間に溢れかえっていました。

でも、それだけじゃない違和感を、感じていたんです。 違和感・・・強く言っちゃえば不快感、かな。
それがどこから来るものか分からないまま、手記を読み終え、末頁の後書き (謝罪の言葉が述べられている)を読んでいて気付きました。

「私の何が悪かったの?どうすれば良かったの?誰か教えて!!」 という非言語的なメッセージが、本文全体に強烈に横たわっていたんですね。
それが、あまりに出版の目的と食い違っていたから。 だから違和感を感じたのです。

最初に記したとおり、出版の目的は「謝罪と真実を語ること」。
当然読者側の私は、謝罪の言葉と、両親の目から見た真実を求めて、 読み進めるわけです。

しかし、そこには非言語的なたくさんのメッセージが溢れかえっていた・・・。
わが子が犯した罪を「信じられない」と感じている両親にとって、 それは当たり前の思いなのかも知れません。

知れませんが、この手記が「少年Aの両親の思い」を語るものではなく、 謝罪と被害者の方々に真実を伝えることが目的である以上、この非言語的メッセージは、被害者の方々の怒りを増加させるだけだった のではないでしょうか?

本来の目的から逸れてしまったという意味において、 この出版は失敗だったと、そんな風に思いました。印税は集まったかもしれませんが。

こんな風に、 非言語的なメッセージは、言語を発信している人が、意図しないにも関わらず、もうそれはどうしようもないって感じで滲み出て、伝わってしまうもの なのです。ポイントは、意図しないにも関わらず、という点ですね。

皆さんも、気をつけましょうね!

「分かりました。頑張ります」という言語と一緒に 「お前なんか言うだけで何にもしないじゃないか!給料泥棒だよな!」と伝わっているかも知れませんし、 「あなたのためを思っているの」と一緒に「私が望むように行動して頂戴」が伝わっているかも知れません。

そこまできっちり伝わらなかったにしても、何となく、違和感や居心地の悪さを、相手は感じていることでしょう。

でも、悲しいかな、本人が気付くことは少ないんです。 こんな時どうすれば良いかは。。。いずれ、また。

注意)神戸連続児童殺傷事件の犯人として逮捕された少年Aは、冤罪であると主張される方々もいらっしゃいますが、ここでは裁判の判決を事実として 書き進めています。
余談)ところで、両親とふたりの弟には臨床心理士やカウンセラーが ついているのでしょうか?。。。余計なお世話なんでしょうが、なんだか不安になってしまいました。

【Borderline Scale及びDSM-Ⅳによる境界性人格障害の診断基準】

1~50の項目について、yes or no でお答えください。
採点基準(yesの数):
「0 ~ 15 : 正常」「16 ~ 27 : ボーダーラインの傾向」「28 ~ 50 :ボーダーライン圏《BSI日本版》」

1 私は周囲の人や物事から何時も見放されている気がする yes no
2 私は気が狂うのではないかと恐れている yes no
3 私は自分を傷つけたくなるときがある yes no
4 私は他人との親しい個人的関係を持つことを恐れている yes no
5 最初に会った時はその人はとても立派に見えてもやがてがっかりすることが多い yes no
6 他人は私に失望している yes no
7 私は人生に立ち向かう力がないと感じている yes no
8 このところずっと幸福だと思うことは無い yes no
9 私の内面は空虚だと思う yes no
10 自分の人生を自分でコントロールできないと思う yes no
11 大抵私は孤独だと思う yes no
12 私は自分がなろうとした人間と違った人間になってしまった yes no
13 私は何でも新しいことが恐ろしい yes no
14 私は記憶力に問題がある yes no
15 何かを決心することは私には難しい yes no
16 私の周りには何か壁があるように思う yes no
17 一体私は誰なのかと困ってしまう yes no
18 将来に不安がある yes no
19 時に私はバラバラになるように感じる yes no
20 私は人前で気を失うのではないかと心配している yes no
21 私はできるだけ努力しても決して上手くいかない yes no
22 私は自分が何か演じているかのように自分を見ている yes no
23 私がいない方がむしろ家族は上手くやっていくだろう yes no
24 私は至るところで失敗している人間だと思い始めている yes no
25 この先何をしたいのか私にはわからない yes no
26 人間関係の中に入ると私は自由でなくなってしまうように感じる yes no
27 誰も私を好きにならない yes no
28 実際におこったことと想像したことの区別がよくわからない yes no
29 他人は私を「物」のように扱う yes no
30 何か変な考えが頭に浮かぶと私はそれを取り除くことができない yes no
31 人生に希望は無いと思う yes no
32 私は自分自身を尊敬することができない yes no
33 私はまるで霧の中に生きているようにはっきりしない yes no
34 私は人生の失敗者だ yes no
35 誰か他人の責任を負うことは恐いことだ yes no
36 自分が他人に必要とされている人間とは感じない yes no
37 私は真の友人を持っていない yes no
38 私は自分の人生を生きることができないと思っている yes no
39 買い物や映画を見に行く時のような人ごみの中にいると不安になる yes no
40 私は友人を作ることが下手である yes no
41 私はもはや人に認められる立派な人になろうとするには遅すぎる yes no
42 周りの人は勝手に自分の心を読んでいるのではないかと思う yes no
43 私の周りで何かが起こりそうだと感じる yes no
44 私は残酷な考えが浮かんで苦しむことがある yes no
45 私は自分が男性(女性)であることに自信をもっていない yes no
46 私は長く友人づきあいができない yes no
47 私は自分を憎んでいる yes no
48 私は広い場所や市街にでることを恐れている yes no
49 私は時に「自分は生きている」のだと自分に言い聞かせる yes no
50 時に私は自分自身でないと思う yes no


アメリカの精神医学界が制定している
「Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorder,4th version」は
精神障害を症状を中心として分類し、診断するシステムです。

第三版あたりから、日本でも診断基準として、広く取り入られるようになりました。
医学的な基準としてここに挙げます。

DSM-Ⅳによる境界性人格障害の診断基準

対人関係、自己像、感情の不安定および著しい衝動性の広範な様式で、

成人期早期に始まり、種々の状況で明らかになる。
以下のうち、5つ(またはそれ以上)で示される。

1 現実に、または想像の中で見捨てられることを避けようとする気違いじみた努力(注意:基準5で取り上げる自殺行為または自傷行為は含めないこと)。
2 理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる不安定で激しい対人関係様式。
3 同一性障害(著明で持続的な不安定な自己像または自己感)。
4 自己を傷つける可能性のある衝動性で、少なくとも2つの領域にわたるもの
(例:浪費、性行為、物質乱用、無謀な運転、無茶食い)
(注意:基準5で取り上げられる自殺行為または自傷行為は含めないこと。)
5 自殺の行動、そぶり、脅し、または自傷行為の繰り返し。
6 顕著な気分反応性による感情不安定性。
(例:通常は2,3時間持続し、2,3日以上持続することはまれな、エピソード的に起こる強い不快気分、イライラ、または不安)
7 慢性的な空虚感。
8 不適切で激しい怒り、または怒りの制御の困難。
(しばしばかんしゃくを起こす、いつも怒っている、取組み合いのけんかを繰り返す)
9 一過性のストレス関連性の妄想様観念または重篤な解離性症状。

(American Psychiatric Association (編)
『DSM-Ⅳ精神疾患の分類と診断の手引』 医学書院、1995年より)



【Borderline からの回復】


精神医学や心理療法に関わる人たちにとって、境界例はかなり厄介なものであるようです。
書店の心理学コーナーに必ず置いてある、境界例の書籍を無差別に一冊広げただけで、その文頭に、「厄介」「困難」などの単語を見つけることが出来るでしょう。

それは境界例の人たちが、”治療者という名の人間”との人間関係に、必要以上にしがみついてしまうからなのかもしれません。

治療者を得たという安心感は、治療者を著しく理想化し、ほとんど、地獄で仏を見つけた気持ちを抱かせることが多いようです。長年の暗闇の世界から、抜け出すことができるのではないかという希望を抱き、「良い患者」になろうとさえします。


しかし、些細なことで(それは本当に些細な一言であったりしますが)、すばらしい治療者像は、最悪の治療写像へと転落してしまいます。

ひどく退行し、内的な恐慌状態に陥り、それでも、殆んどの人たちは、かつての親密な治療者との関係を取り戻そうと、治療者を試し、絶望的な努力をすることになります。


ある心理臨床家はこのように言っています。


「境界例の人との心理療法では、適切な治療技術であるとか、方法は殆んど効力がない。無力であるといっていい。治療の過程もクライエントの持つ特質と治療者のそれによって、きわめて個性的な展開を示す。我々に出来ることは、これらの人たちの心を真に受止め、治療という関係の中で人間努力を通して、彼らが少しでも癒され、解放され、成長することだけであろう。この種の関係では、明確な終結というものが殆んどありえないのではないだろうかと思われる」


カウンセリングは長期間に渡ります(カウンセリングだけでなく医療機関との連係プレーが望まれます)。カウンセリングを開始し、しばらくすると、退行など様々な治療への抵抗が生じます。怒りや迎うつだけでなく、面接をすっぽかしたり、止めると言い出すことも少なくないようです。

しかし、これらは治療への抵抗であることが多いため、問題への直面化(その抵抗の現われを指摘し、自身でその原因や理由を考えるように水を向けること)を求めます。問題に直面化し、治療者の解釈を受け入れた時に、一つの信頼関係が生まれます。

しかし、その信頼関係に対しても、新たな抵抗をします。そして、再びその問題に直面化し、クリアしていく・・・それは、まるで巨大な螺旋が、徐々に小さくなり、いずれは点になるかのように・・・その道のりは気が遠りそうなものですが。

この一連のサイクルは、一見同じところをグルグルと回っているように感じられがちですが、実際には、
直面化する問題は徐々に深まり、抵抗は和らいでいき、そして、内面にある葛藤は次第に明確になっていきます。

表面的な問題から、深く根を持つ問題へと・・・それら一つ一つをクリアしていくことは、ある意味、過去を生きなおすものなのかもしれません。

どのつまり・・・
幼い頃、人間関係においてどうしようもなく痛手を負ったクライエントの方々は、結局、そうした、他者との人間関係の中で、癒され回復していくしかないのかもしれません。

人間関係において傷つき、しかし、そこでしか癒されることはない・・・何とも皮肉なものだと感じる反面、そこにこそ救いがあると、私はそのように思います。

□個人カウンセリング

一般的に心の問題と定義されているものの多くは、幼児期から現在までの環境の中で、なんとか生き残るためにクライエント自身が身につけた適応力だと言えるでしょう。

様々な心の問題・・・しかしそこには、そうでなければとても生きてはこれなかったといった側面もあるのです。

ある人は良い子であることで、
またある人は摂食障害などの嗜癖症状を表現することで、
また抑鬱に囚われること、
怒りに支配されることで、
辛い人生を生き抜いて来ました。

私たち心理カウンセラーは、そこにあなたの「力」を発見します。

カウンセリングでは、そうして苦しみながら適応してきたクライエントが、今まで気づかなかったた自分の内面に目を向け、本来の生命力や心の成長を、取り戻していく為の援助を致します。

*秘密は絶対厳守致します。
*東京、静岡で対応致します。地図はコチラ。


初回:10,000円(80分)
2回目以降:10,000円(50分)

こちらよりお申し込みください。

□夢分析カウンセリング

夢分析は、はかない夢に意味を見つけ、外へ外へと散りたがる心を、自分の内部に集中させ、味わうものです。それは、意識と無意識の対話であり、これを続けることで、心の全体性に一歩近づくことが出来ます。

人間は、意識の上では変わりたいと思っていても、無意識では、変わりたくない、気付きたくない、と変化を望まない傾向にありますが、夢が教えてくれたメッセージは他の療法に比べ、受け入れやすいという利点があります。

また、自分の抱えている問題を、カウンセラーに直接的に話す必要がないという点も利点といえるでしょう。

自分自身をみつめるために、また、自分自身の人生を豊かにするために、もちろん、夢分析ってどんな感じなのかな?という興味からでもOKです。

初回:10,000円(50分)
2回目以降:10,000円(50分)

こちらよりお申し込みください。




□夢分析講座

夢のメッセージを日常に生かしたい、心理カウンセリングの中で夢分析を使いたい。そんなあなたのための講座です。


期  間 : 2ヶ月(全6回)

講座形態 : マンツーマン(ご友人とお2人での受講もOK)

開催場所 : 東京(三軒茶屋)、静岡(静岡市葵区)

開催日時 : 相談に応じます。

料  金 : 60,000円(税込み)

*お申し込みがお2人以上の場合、おひとり様¥50,200となります)


【その内的世界】


境界性人格障害はその症状が多彩なため、ここで大きくふたつに分類してみましょう。
衝動性が内向するタイプと、外に向かうタイプです。そして衝動性が内向するタイプを境界型、
外向するタイプを衝動型と呼んでいます。


【境界型】
「境界型」は、衝動性を克服しようとする意思や知性を持っていますが、それが内面に向うため
鬱な気分や虚無感が際立っています。

そして強い見捨てられ感が激しい分離不安を産み、依存心が極めて強く、自分がない、自分がなんだかわからないといった自己同一性の障害、または漠然とした不安をいつも抱えています。

衝動型に比べ、症状が内向しているため、他人には、普通の人に見えることも多いのですが、実際、
心理療法の場面で示す彼等の内的世界は、全く混沌とし、虚無感と攻撃性と愛情欲求に満ちて、
あまりに感情にあふれ、それに対応が出来ず、自ら呆然としてしまうといった現れ方をします。

孤独感や寂しさも、境界例のこのタイプに、よくみられるものですが、その孤独や寂しさは、少々の
ことでは埋まらない程の、根の深さを持っていることが多いものです。

「境界性の人たちは社会の枠組みの境界におり、社会の中にも入り込めず、また社会の外にいるのにも耐えられず、まさに社会の境界線上に立ちすくんでいる。あるいは時に、その境界線上から社会を冷ややかに、またニヒルに眺めているといってもいいだろう。」

医学博士の町沢静夫先生が表現するこの言葉は、まさに境界例のこのタイプを表しているといってよいでしょう。しかしこのタイプにおいても、いずれどこかでその衝動性が表面化することが多いものです。


【衝動型】
衝動性が前面に出てくる衝動型の人たちについてみてみましょう。

こちらのタイプは、見捨てられ感や不安から生じる怒りや憤りを、自分自身でもコントロールできないほど激しく有しており、自傷行為や暴力、挑発的な態度に表れたり、性的な快楽や暴走など、衝動のおもむくままに行動してしまいます。

しかし、自己同一性の障害など自分の症状を自覚していない場合が多く、いったい何に対して憤慨しているのか、その本質を理解していないケースが多いようです。

見捨てられる恐怖から、見捨ててしまおうとする人へ怒りが向かってしまうのは、幼児期の母子関係が再現されていると言ってよいでしょう。


ふたつのタイプに共通して言えることは、衝動性や幼児期の愛情飢餓などの影響により、
自分自身を確立出来ないまま成長してしまい、それが起因する様々な言動から、人間関係を失ったり、社会的信用を失うなどの被害を引き起こし、それらが見捨てられ感を呼び起こし、自ら強化してしまう、
出口の無いメビウスの輪のような状態と分析できるでしょう。



【より複雑な境界性人格障害】
境界性人格障害の人の中には、一見しただけではそうであると判断できないケースも多いようです。
これらは正常そのものでなく、正常である「かのように」見えるところがミソなのです。

境界性人格障害と一口にいっても様々なパターンがあり、鬱状態が強かったり、やつれ果てていたりして、ひと目で問題を抱えているのが解かるタイプもありますが、まるで何も問題がないかのように見えるケースも多いのです。

このような状態をas-if 群といいます(アメリカの精神科医のドイチュがas ifパーソナリティという概念を提唱したことに由来しています)。

些細なきっかけで不安定になり、突然攻撃的になったり、悪態をついたり、かと思えば、急に泣き出し
たり、手首を切ったり、あるいは突然自殺未遂をしたり。しかしこういった状態がずっと続くのではなく、感情の嵐が過ぎ去れば、再び元の正常な人たちと同じような状態にもどります。

このようなas-if 状態がさらに高度に発達しますと、高機能型境界性人格障害と呼ばれるようなタイプになるといいます。

彼らは高度な適応能力を持ち、全く正常な人として社会に溶け込み、役割を担い、生きています。しかしその一方で境界性人格障害としての一面も持っていて、強いストレスにさらされたり、ある種の特定の状況に置かれると、突然、境界性人格障害的な混乱状態が発生し、破滅的な行動へ向ってしまいます。

境界性人格障害の境界型のこうした人々は、自分が確立されていないため、その時々の状況に合わせて仮の自分を演じていますが、これはあくまでも仮の自分であるので、どうしても不安定なものになってしまうのでしょう。

そして仮の自分が維持できなくなると、突然感情の嵐が吹き荒れたりするのだと思われます。

□心理学講座
性診断コース:自他を知るために自分を見つめるコースです


期  間 : 1ヶ月(1時間~1時間半のセッションを4回)
講座形態 : マンツーマン(通学)、通信
開催場所 : 東京(三軒茶屋)、静岡(静岡市葵区)
開催日時 : 相談に応じます。
内  容 : カウンセリング体験とカウンセリングの講義
       (心理テスト+心理学のエッセンス)

以下のような方に最適です。
ゆっくり自分を見つめたい。
カウンセラーにじっくり話を聴いて欲しい。
心理学のエッセンスを直接カウンセラーから聞きたい。

*なお、当コースは
実践心理教育センターのカウンセラー養成講座の適性診断コースと同等です。従って、カウンセラーを目指したい方で、当コース終了後に適性があると判断された方は、引き続き基礎コース、上級コースと受講して頂くことができます。


詳細は→コチラです。
資料請求は→コチラからお願いします。
お申し込みは→コチラよりお願いします。

□企業内カウンセリング 及び セミナー



当カウンセリング事務所では、以下の二つ(メンタルヘルスケアとしてのカウンセリング、成長、自立を促すカウンセリング)の視点から、企業内での各種カウンセリング、セミナーワークなどを提案致します。



①企業内のメンタルヘルスケアとしてのカウンセリング

非常にストレスが多い社会の中で、今、心の問題が大きくクローズアップされています。今までにない犯罪の低年齢化、激しい企業のリストラ、学級崩壊、家庭の崩壊、神経症、心身症、幼児虐待と数え上げればきりがありません。

世の中の流れが今ほど速く、価値観が多様化し、情報が氾濫し、人々が翻弄されたことはなかったでしょう。また、自殺者も増加の傾向にあります。

警察庁のまとめによると、平成14度中の自殺者は13年より1,101人多い32,143人。性別割合では男性71.8%、女性28.2%、年齢別では60歳以上が全体の34.6%、50代が26.3%(8462人)、40代が15%(4813人)と続いています。

まさに働き盛りの男性に自殺が多いという、なんとも痛ましい限りの結果が提示されています。こうした点を踏まえ、職場をそうして悩む人たちを保護しサポートする場所に変えていく必要性を痛感します。

精神科医のお世話になる前に、職場に“癒しの働き”があるかどうかは極めて重要なことです。これは単に従業員個々の問題ではありません。このように健康の保持増進のための活動は、それに付随して様々なメリットが企業サイドにも浮かび上がってくるからです。

つまり、心の健康づくりを進めることは労働者のやる気向上にも結びついてきますし、職場内の交流が進められることにより組織の活性化に繋がる可能性もあります。さらに、長期的視点に立つと、企業活動におけるリスク回避にも役立つことになります。

何故なら、それは労働者の欠勤を減少させるとともに、作業効率の向上にも寄与し、また作業自己を防止することにも繋がることなどが考えられるからです。




②社員の自立、成長を促すためのカウンセリング

・人間関係を円滑に行うための教育セミナー
 (ストレス対処法、アサーショントレーニング、交流分析)
・社員の自立、自己実現に向けての教育
 (個人カウンセリング、グループワーク)
・管理者に対するカウンセリングマインドの教育

ご興味ご関心を持たれた企業担当者様は、ご遠慮なく当カウンセリング事務所までご連絡下さいますようお願い申し上げます。
また、メンタルヘルス、コミュニケーションに関する講演や研修の依頼にも応じます。

ご連絡はこちらまで → yamamoto@jissen.com