「少年A」の父母
「少年A」この子を生んで…―悔恨の手記

先週末、出張の夜の一人寝のお共にと「「少年A」この子を生んで・・・」 を購入しました。

出版当時、 大々的な売り込み文句と共に、書店で平積みされていたこの本を横目に、
「へへ~んっ。買わないもんね~」と、拒否反応を示していたのは、この私。
。。ああ、なんて天邪鬼なの^^;

でも、ほこりっぽい小さな書店の戸棚の中で、あれからの年月を 物語るかのように、ひっそりとお行儀良く詰め込まれたこの本には、なんとな~くという感じで手が伸びたのです。

「浅田カウンセラー!   これは一体どういった心の動きなんでしょうか?」

「自分でも言ってるじゃない?天邪鬼だって。ただそれだけです!」

「そんなぁ。。。ちゃんと心理学的に答えて下さいよぉぉぉ!」

「話しが逸れるので、却下です。 ただでさえよーこちゃんは、話がそれっ放しなんだから。。。」

「・・・けち・・・」
・・・そこまで言うなら、もっと話しをそらしちゃうもんね~。 あのね。あのね。出張の際、ビジネスホテルを選ぶ基準は、目的地からの距離と、金額なの。 当然、贅沢な部屋は望めるはずもなく、必要最小限のせま~い、お部屋で、地震がありませんようにと祈りながら一人寂しく眠るの(ぐすんっ)。 だからねっ、少しでも快適にするために、気に入った香りの入浴剤と、 ドリップコーヒーと、心理学以外の小説を、持ち込むんだぁ。つま~り、 出張必需品のひとつとして買ったのが、この本だったのぉ 。

(この口調、疲れるので、モトにもどります)
一冊の書籍からひとつの家族を分析することはできないので、 以下、私の読書後感想文だと思って読んで下さいね!

「少年A」この子を生んで・・・は、神戸連続児童殺傷事件の犯人少年A (酒鬼薔薇聖斗)の両親が綴った手記ですが、小説家でもない全くの一般の人が「手記」を発行するからには、それなりの目的があったと思われます。

本文の中で少年Aの両親は、出版の目的を以下のように書いていました。

「息子Aをあのようにしてしまった不甲斐ない私達の、14年にわたる Aとの暮らしのありのままを綴ることで、「真実を知りたい」という被害者のご家族の方々のお気持ちに多少なりともお答えすることができ、 前向きな何かが生まれればという願いを込め、拙い文ではありますが、本書を書きました。そしてこの本の印税の全ては、被害者の方々への償いの一部にさせて頂く所存です」(「少年A」この子を生んで・・・より抜粋)

少年Aは、両親とふたりの弟の5人家族。

両親からみたA像は、 内面的で気が弱く「良い子ではなかったが根は優しい子」で、母親は、逮捕後にマスコミが報道していたような「児童虐待」と言われるほどの酷い折檻の覚えはなく、「あくまで躾の域をでないもの」だったと 記しています(両親には、精神的な虐待、優しい虐待の知識がない様子)。

勉強よりも最後に行き着くところは人間性だと思って、そんな風に子育てを してきたつもりだった、とも書かれていました。

一方で、少年Aが小学校三年生の時に「ぼくもお母さんがいなかったらな」と作文に書いたエピソードや、また神経内科の医師に 「お母さん。これは構いすぎですよ。なるべく本人を放っといて下さい。外に仕事にでも出られたらどうですか?」 などと、アドバイスを受けたエピソードもありました。

Aを可愛がっていた、おばあちゃんが亡くなったのを境に、蛙やナメクジの解剖など問題行動が始まり、小学校6年生の図工の作品として粘土で「脳に剃刀をいくつも刺した」作品を作り、中学に入る頃から万引き行為が始まり、 その後はもう、ありとあらゆる前兆行為を得て(ただし、両親はそれらを前兆行為とは受け取っていなかった)事件へと突っ走っていきます。

これだけの少年AのSOSを前に、どうして気付かなかったのだろう?と 思いましたし、反対に、親の立場から「我が子だけは」と、理想の息子像からはみだした部分を無視してしまう(無視したい)気持ちも 理解できないわけではないし。。。カウンセラー的見方としては、「こうであるべき」というこだわりから、 ありのままの少年Aを受け入れていなかったこと、そして、この「家族の歪み」が彼に向かってしまったということ、それらが問題の出発点だったのでは ないかと思いました。

本文で、両親は何度も何度も関係者たちに謝罪しています。 これは両親の本心でしょう。
わが子が犯してしまった罪への罪悪感はちゃんと伝わってきました。

一方で、未だ原因を見いだせず苦悩し続けている両親の、「何故?」 そして「信じたくない」気持ちもまた、行間に溢れかえっていました。

でも、それだけじゃない違和感を、感じていたんです。 違和感・・・強く言っちゃえば不快感、かな。
それがどこから来るものか分からないまま、手記を読み終え、末頁の後書き (謝罪の言葉が述べられている)を読んでいて気付きました。

「私の何が悪かったの?どうすれば良かったの?誰か教えて!!」 という非言語的なメッセージが、本文全体に強烈に横たわっていたんですね。
それが、あまりに出版の目的と食い違っていたから。 だから違和感を感じたのです。

最初に記したとおり、出版の目的は「謝罪と真実を語ること」。
当然読者側の私は、謝罪の言葉と、両親の目から見た真実を求めて、 読み進めるわけです。

しかし、そこには非言語的なたくさんのメッセージが溢れかえっていた・・・。
わが子が犯した罪を「信じられない」と感じている両親にとって、 それは当たり前の思いなのかも知れません。

知れませんが、この手記が「少年Aの両親の思い」を語るものではなく、 謝罪と被害者の方々に真実を伝えることが目的である以上、この非言語的メッセージは、被害者の方々の怒りを増加させるだけだった のではないでしょうか?

本来の目的から逸れてしまったという意味において、 この出版は失敗だったと、そんな風に思いました。印税は集まったかもしれませんが。

こんな風に、 非言語的なメッセージは、言語を発信している人が、意図しないにも関わらず、もうそれはどうしようもないって感じで滲み出て、伝わってしまうもの なのです。ポイントは、意図しないにも関わらず、という点ですね。

皆さんも、気をつけましょうね!

「分かりました。頑張ります」という言語と一緒に 「お前なんか言うだけで何にもしないじゃないか!給料泥棒だよな!」と伝わっているかも知れませんし、 「あなたのためを思っているの」と一緒に「私が望むように行動して頂戴」が伝わっているかも知れません。

そこまできっちり伝わらなかったにしても、何となく、違和感や居心地の悪さを、相手は感じていることでしょう。

でも、悲しいかな、本人が気付くことは少ないんです。 こんな時どうすれば良いかは。。。いずれ、また。

注意)神戸連続児童殺傷事件の犯人として逮捕された少年Aは、冤罪であると主張される方々もいらっしゃいますが、ここでは裁判の判決を事実として 書き進めています。
余談)ところで、両親とふたりの弟には臨床心理士やカウンセラーが ついているのでしょうか?。。。余計なお世話なんでしょうが、なんだか不安になってしまいました。