大変長らくお待たせいたしました。
「学校では習わない大東亜戦争」シリーズ第12回。
今回のテーマは「日本を二度とアメリカの脅威にしないために」です。
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「日本を二度とアメリカの脅威にしないために①」
--------前回までのおさらい
さて、前回は大東亜戦争後半に日本民族滅亡を狙うアメリカと、国体護持を合言葉に国を護るため鬼神のごとき活躍をされた特攻隊のお話をしました。
そして、そのような尊い若者のお蔭でアメリカも本土上陸を諦め、条件付きの降伏へと譲歩したポツダム宣言を出さざるを得なかったとお話ししました。
さて、今日は先ず元気君に質問があります。
「占領統治はどこの国がしたものでしょうか?」
戦後の日本の改革ですよね。それならばアメリカ主導の下、日本がしたのではないでしょうか。
正解です。
ということはつまり、占領統治により日本を改造したのはどこの国ですか?
そういわれると、アメリカですか。
その通りです。大東亜戦争が停戦した後はアメリカが日本を改造したのです。
ちなみに、昭和20年8月15日を終戦の日、それ以降を戦後と言いますが、正しくは昭和20年8月15日は血気にはやる日本兵たちに昭和天皇から盾と矛を収めよと停戦が言い渡された日であり、真の終戦は昭和26年9月に結ばれたサンフランシスコ講和条約が発効する昭和27年4月27日です。
では、昭和20年から27年までの占領期間は終戦ではないのですか。
はいそうです。講和が結ばれていないということは、この期間も大東亜戦争中です。日本軍だけが一方的に武装解除させられて、米軍は武装したまま日本を占領して改造している期間です。つまり、日本軍が降伏し丸腰になったところをアメリカが改造に来た訳です。
では、占領統治はアメリカがしたとその主体を確認できましたが、もし元気君がアメリカの立場ならどのように日本を変えたいですか。当時のアメリカの立場に立って考えてください。
そうですね。当時のアメリカが考えていたことは「日本民族の滅亡」でしたね。
確かに、それができれば一番よかったのですが、日本軍の予想外の抵抗にあい、その目的は達成できなかったわけですよね。そんな恐ろしい国ならば、やはり少なくとも二度とアメリカの脅威にしたくないですね。
ここに占領期にトルーマン大統領からGHQのマッカーサーに送られた機密文書があります。当時はトップシークレットでしたが2,30年経った頃から公開されていますので、日本の国会図書館からも閲覧することができます。昭和20年9月20日付けの初期対日占領政策の方針として次のようにあります。それは「日本国が再び米国の脅威とならないよう確実にすること」つまり、簡単に言うと日本の弱体化です。
ひょっとすると、アメリカという厳しいけど優しいお父さんが戦後日本を占領して、民主的な良い国へと作り変えてくれたと勘違いしている方もおられるかもしれませんが、大東亜戦争の真実の様子を知ればそんなわけないとわかりますよね。
そして、ここが見えてくれば後が楽ちん。現代史なんて超簡単です。つまりアメリカがどのような意図で日本を改造していったのか、つまり日本の弱体化政策とわかるかどうかが鍵なのです。
では早速具体的に見ていきましょう。アメリカからすると大きな脅威であった日本軍。それは、ポツダム宣言の受諾で「日本軍の無条件降伏」とありましたので、昭和天皇のお言葉により軍隊の武装が解除させられます。
そして、日本を丸腰にしておいて彼らは乗り込んでくるわけですが、9月6日付け文書ではトルーマン大統領からマッカーサーに充ててこうあります。「われわれと日本との関係は、契約的基礎の上に立つているのではなく、無条件降伏を基礎とするものである。」と。つまり、ポツダム宣言では譲歩を示し、日本側が抵抗できない状態になったところで日本国の無条件降伏だと知らんふりしてすり替えます。そして、その後のアメリカはまさに日本が無条件降伏したかの如く好き勝手振る舞います。
そして、日本の政治家もアメリカのそんな意図を汲めるものしか就かせてもらえません。例えば幣原喜重郎や吉田茂です。アメリカに都合の悪い政治家は皆、公職追放されてしまったからです。
さらに、完全にコントロールされた報道や教育により、戦後の日本人は日本が無条件降伏をしたと思い込むようになった訳です。