「東大出てるのに五大商社に入れなかったバカ」と言われて | アラフィフ親父の戯言

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妻と高校生の娘の3人家族。20代と中高年で複数回転職。国立大学文系学部卒。仕事の人間関係と子どもの成績に頭を悩ませる、どこにでもいるアラフィフ親父です

新卒で入った商社は結局3年で退職したわけですけど、笑ってしまうくらい私には合っていない職場でした。
やたらと多い「球技」の行事。
私は生まれつき球技ができません。
ボーリングもテニスもゴルフもやりたくないと言っているにもかかわらず、拒否することは許されませんでした。
人生においてボーリングのスコアが50を超えたことがない私は、会社のボーリング大会でもガーターを連発。数回のガーターならご愛嬌で許されるのでしょうが、さすがに十数回ガーターが続くと雰囲気は悪くなります。 上司から「真面目にやれ」と怒鳴られた後に過呼吸になってしまいました。

テニスは、そもそもラケットにボールが当たらないのでラリーが続きません。ダブルスでペアを組んだ同僚から、試合中にラケットを投げつけられました。

ゴルフもやりたくないと再三言ったのに、部内全員が参加するゴルフコンペに若手社員が参加しないなんて有り得ないと周囲から言われる始末。上司が先輩社員に対し、私にゴルフを教えるように指示。先輩社員は私と同じ会社の寮に住んでいたので、私も逃げ場がありません。週末に強引に私をゴルフの打ちっぱなしに連れて行きました。
アイアンにボールが当たらないのは想定内でしたが、何回かアイアンを振り回していたら、なぜかボールが真横に飛んでしまい、隣にいた先輩を直撃。このままゴルフを続けると殺人犯になると思い、ゴルフコンペは欠席させてほしいと泣いてお願いしました。
先輩からは、ゴルフコンペの前日夜に葬式が入ったことにして週末は寮から離れるように言われたため、友人宅に「避難」することになりました。

こんなことを何回か繰り返すうちに、私は社内で完全にバカにされる存在になりました。酒席では常にイジられ役でしたし、アシスタントの女性(年齢は私と同じだが、短大卒のため私よりも先輩)は私の仕事をやらなくなりました。彼女は、私のことが「生理的に無理」だったらしく、実際そう言われましたし、
「本当にオチンチンついてるの?」
「あんたみたいな気持ち悪い男が結婚できるはずがない」とさえ言われました。
私の触った書類には素手で触らず、ゴム手袋をはめたりハサミで切り取ったり。周囲はそれを面白がって見ていました。

今となっては私は子どもの成績で頭を悩ます父親、彼女はアラフィフ独身ですけどね


入社1年もしないうちにリクルート(当時はリクルート社以外の転職エージェントはまだマイナーな存在でした)に転職相談したのですが、職歴がほとんどない私に紹介できる仕事はないと言われました。あと数年今の職場で我慢するか、それができないなら大学院を受け直した方がいいと言われました。

暇さえあれば求人広告を見るようになりましたが、リクルートが言った通り、当時は就職氷河期だったこともあり、第二新卒の求人なんてほぼ皆無でした。

「東大出ているくせに五大商社に入れなかったバカ」前回の記事に書いた通り、元々マスコミ志望だったので五大商社は受けてないのですが)と社内で蔑まれ続けることに耐えられなくなっていました。今の会社よりも知名度の高い会社に移ることで一旦リセットしたいという思いが強くありました。

数か月に1回 くらいの頻度で、「大企業」が若手社員を募集する広告を見かける度に履歴書を送るようになりました。この期に及んで、業種はもう何でもありでした。面接に辿り着ける確率は大体5割。ただし、「今の会社がイヤです」以外の志望理由がなかったため、面接が通ることはありませんでした。

4カ国語ができるのを強みに商社に入ったにもかかわらず、そんな能力を生かす機会なんてありませんでした。

誰も担当したくない顧客を押し付けられた挙句、まともな仕事が全く与えられない状態になりました。
そんなある時、パキスタンに出張することになりました。政情不安定でテロが起きている地域で、会社からは必要な時以外はホテルの部屋から一切出ないように言われていました。会社としては大して重要な出張でもなく、1ヶ月間ずっとホテルの部屋に缶詰で酒も女もなし。そんな出張には誰も行きたくなかったので、形式上私が派遣されることになったのです。

ところが実際には、生涯に残る心温まる楽しい出張でした。1ヶ月もの間、会社の人間と会わずにすんだ、というか日本語で話をすることもほぼなかったわけですが、当時の私にはその環境こそがストレスフリーだったからです。
取引先の現地人社長からも気に入られ、連日のように古代遺跡の観光や食事に招待されました。ホテルから出るなという会社の指示なんて無視していました。無視したところで誰もこんなところに来ないだろうし。会社から私に連絡が来ることもほぼなかったですし。
観光の最中に銃声が聞こえてくることもありましたが、社長がニコニコ笑いながら Don't worry と言っていたので、それを素直に信じ、現地での生活を満喫しました。

日本に帰国してしばらくして会社が経営不安に陥り、新聞でも取沙汰されるようになりました。

かたやIT業界ではITバブルが起き、文系採用を数年間控えていた某大手企業が、海外事業拡大のために第二新卒の大規模な求人を出していました。履歴書を出したところ、面接に来てほしいという話になりました。

その時初めて分かったのは、「今の会社がイヤなんです」は志望理由にならないけど、「今の会社が潰れそうなんです」は志望理由になるということ。

勤務先の経営不安の話とパキスタンの出張の話をしたところ、あっさり内定をもらうことができました。

そしてその会社で20年間働くことになりました。