「みんな」って誰? 「同じ」って何? | アラフィフ親父の戯言

アラフィフ親父の戯言

文系学部出身ですが仕事は理系寄りです。アラフィフで中高年転職しました。妻と中高一貫校に在学中の娘の3人家族です。

「みんな」と「同じ」じゃないと、不安になることがあるかもしれません。

「みんな」と「同じ」じゃないと、罪悪とみなされることがあるかもしれません。

 

自分の人生を振り返ってみると、ずっとそんなのと闘う人生だったのかな、なんて思うことがあります。

特に若い頃は。

 

それに関して人生の最初の記憶として残っているのは、小学校に入学する前のことです。

何組かの親子と一緒に喫茶店に入ってドリンクをオーダーしようとした時に、他の子どもがオレンジジュースを欲しがっているのに、私だけがパイナップルジュースを欲しがったことに対し、「一人だけみんなと違うものを頼むのはやめなさい」と母から怒られたことがあります。

 

母に悪気があったわけでないのでしょうけど、それは強烈な記憶として残っていて、その後何十年に亘り、事ある毎に何百回もフラッシュバックされることになりました。

私が「みんな」と異なっていることに対して劣等感を抱いていたのが原因だと思います。

 

地方に住んでいた当時の小学生男子にとって、運動神経が鈍いこと、特に球技ができないことは、人格形成の上でもハードルになっていたかもしれません。

 

今でもですが、私は ボール を投げることができません。

ソフトボールを精一杯投げても10メートルくらいしか飛ばすことができないし、投げたボールがどこに飛んでいくかなんて投げた本人にも分かりません。

 

そんな状態で一緒に遊んでくれる友達なんていません。

授業中は物思いに耽ることが多く、家では本を読んだり絵を描いたり楽器を弾いたりして過ごすことが多い子どもでした。

学校の勉強はあまりしていませんでしたが、小学校の成績は体育以外は常に学年トップだったため、周囲からはガリ勉と言われました。

 

自分はなんで人とは違うんだろう?

勉強なんてできなくていいから、「みんな」と「同じ」ように、ボールが人並みに投げられるようになりたい。

小学生の頃は本気でそう思っていました。

 

体育の成績は5段階評価で常に2か1。

親からも教師からも「どれだけ勉強ができても、運動が人並みにできないといい高校には行けない」と言われました。

地元公立中に進学すると実際そうなってしまうので、中学受験なんてほとんど誰もしない環境の中、私は「仕方なく」私立の中高一貫校に進学することになりました。

 

 

進学先がとても厳しい 管理教育校 だったのは、以前からお話している通りです。

数学偏重の学校なのに、私の得意科目は文系科目。

 

小学生の頃に比べると運動が苦手なのを非難されることは少なくなりましたが、それは単に、高校受験と異なり体育の成績が大学受験に直結しないから。「文武両道」が美化される地域性から逃れることはできず、特に男子は運動部に入部することが強く推奨されました。

 

学校でもてはやされるのは、理系科目が得意で運動部に入っている生徒。

理系科目も運動も苦手な私は、ここでも劣等感に苛まされることになりました。

 

高1の進路相談で担任から勧められたのは、地元旧帝大よりも偏差値が低い、自宅から通える別の地元国公立大の経済学部でした。

「数学がここまでできないと、他の科目がどれだけできても、旧帝大は文系学部でも無理」と言われました。

男子は人文系学部に進学しても良い就職はできないので法学部か経済学部に進学すべきだが、その大学に法学部はないので経済学部に進学するように、とのことでした。

数学が苦手とはいえ勉強以外に取り柄がないと思い込んでいた私にとって、それは死刑宣告にも等しいものでした。

というか、なんでそこまで学校に決められなければならないのかが理解できませんでした。

 

地元旧帝大よりもはるかにレベルが高い大学の人文系学部を、学校の勉強をガン無視して目指すようになったのは、私のあまのじゃくが原因なのかもしれません。


あと、これも何度も言っていることですが、あの大学の文系学部の数学の配点は非常に低いんです。意外かもしれませんけど、国英社が得意で数学が苦手な生徒が合格できる確率が最も高い国立大学なんです。それをいくら周りに説明しても、頭がおかしくなったとしか思われませんでしたけどね。

 

「みんな」と「同じ」じゃなかったからこそ、今の私があると思っています。



でも、そもそも

「みんな」って誰?

「同じ」って何?

今でも分かるようで分かりません。


 

私の例は極端かもしれませんけど、この国に住んでいる以上、多くの人が同じようなことを考えた経験はあるのではないでしょうか。

 

悩まなくてもいいことを悩み続けたからこそ今の私があるのかもしれないけど、自分の子どもが同じ経験をする必要なないな、とも思います。