自分軸の欠落と就活の失敗 | アラフィフ親父の戯言

アラフィフ親父の戯言

文系学部出身ですが仕事は理系寄りです。アラフィフで中高年転職しました。妻と中高一貫校に在学中の娘の3人家族です。

私の話です。


自分自身に対する反省点として、

・10代の多感な時期に、「自分軸」を育てるのではなく、他人からの評価ばかりを気にする生き方をしてしまったため、実際にそういう人格になってしまった

・その結果、自分でも自分が社会に出て何がしたいのかが分からなくなってしまい、そのまま惰性で就職してしまった

ことが挙げられると思っています。


大学時代、平日は大学の講義を受け、一日おきにサークルとアルバイトに交互に行き、空いている時間のほとんどを大学の食堂か図書館で過ごすという穏やかな生活に、私は満足していました。

管理教育の中高時代に比べれば、まさに天国のような日々でした。


困ったのは就職活動。

その生活に満足しきっていたため、具体的にやりたい仕事が全く思い浮かばないのです。


大学院に行くつもりも何か資格を取るつもりもなかったので、卒業したらどこかに就職するんだろうな、くらいの感覚でした。


かといって普通のサラリーマンにもなりたくないと思い、私はマスコミを目指すことにしました。


今から思えば、これは大きな間違いでした。

自分のキャラとは真逆すぎて、「最も向いていない職種」だったからです。(後に知り合った妻にこのことを話したところ、笑いながらそう言われました😓)


が、当時の私はそれに気づくことができませんでした。


大学1~2年の成績は上位10%程度には入っていたので、3~4年は人気の高い専門課程に進学することができました。専門課程も、ほとんどの科目で成績は「優」でした。


なので、就職も試験勉強と同様、対策さえきちんとやれば何とでもなる、と思っていたのです。


「マスコミ」を目指した動機も、今から思えば不純そのものでした。

今の言葉で表現すれば、私は「オタク」とまでは言わないまでも、どちらかといえば「陰キャ」のカテゴリーに属する人種でした。

そういう「陰キャ」はもうやめて、もっとスポットライトが当たる人生を歩きたい、とにかく今までの人生をリセットしたいと思ったのです。


自分が何をしたいか、ではなく、他人からどう思われたいか、しか考えていませんでした。


大手新聞社、大手テレビ局、大手広告代理店のOB訪問を片っ端から行いました。 新聞は多少読んでましたけど、テレビなんてほとんど見ないし、広告代理店が何やってる会社かなんて知らなかったにもかかわらず。


OBたちから異口同音に言われたのは、

「で、君は一体何がしたいの?」


別にしたいことなんて何もないっつーの。

そんなことどうでもいいから、さっさと内定くれないなかあ。


OBたちにしてみれば、学生が会社に入ってからどう活躍してくれそうかを話をしながらシミュレーションしているのに、私とはどれだけ話をしてもそれが全く引き出せないために、何だコイツ、ってなってしまったのでしょうね。当時の私にそのカラクリは分かりませんでしたけど。



志望動機なんて特になかったのですが、就職対策本を購入し、とってつけたような「志望動機」をでっち上げました。


書類選考は全ての会社で通りました。

筆記試験も上位通過。

でも、面接は全く通りません。


あるテレビ局での面接のこと。

珍しく面接官と会話が弾んだので、今回の面接は通ったかな、と期待しながら、面接会場の席を立ちました。


その時に目線を下にした際、面接官が書いた面接シートが視界に入ったのですが、「不採用」にマルがつけてあるのが見えました。

コメント欄には、ただ、「線が細い。使えなさそう。」とのみ書いてあり、あとは白紙。


当時の私は今より15キロほど痩せていて、色白だったこともあり、「線が細い」と言われても仕方がない外見だったことは否定しません。



・天気のいい日はなるべく外に出るようにして日焼けする

・メガネをコンタクトレンズに変える


おおよそ勘違いな「対策」をして他社の面接に臨みましたが、結局マスコミは全落ち。どこかには通るだろうと高をくくっていたので、大手マスコミ以外は全く受けていませんでした。


相変わらず「華やか」な世界に憧れていた私が次に目指したのは商社でしたが、いわゆる財閥系商社の面接エントリー時期は既に終わっていました。


それ以外の商社はまだ面接を受けられたので慌てて面接エントリーし、何とか内定をもらうことが出来ましたが、大学で留年スレスレの成績だったり、他大学に在籍していた知人が大手マスコミや超大手商社から内定をもらえているのに、自分はそうではなかったことが屈辱的でした。


自己肯定感が低く、他人軸で生きてきたことによる虚勢と自信のなさのアンバランス、危なっかしい雰囲気、そして何よりも「やりたいこと」が何もなく、いくら話をしても話が深まらず、距離感が縮まらない状態が、面接官には容易に見透かされていたに相違ありません。


今の自分が面接官でも、当時の自分が面接に来たら不合格にしていたと思います。


しかも商社に行くこと自体がキャラ違いだったため、結局3年で退職。就職なんてのは試験勉強とは違い、努力したからってどうにもならないことだって多々あるのですが、私にはそれが分からなかったのです。


人のこと言えた立場ではないんですけど、こういう人たちも、おそらくは自己肯定感が低く、他人軸で生きてしまっているような気がします。

 


 





そして「分相応」の某大手メーカーに転職し、そこで働くこと20年。このままそこで定年を迎えるのだろうと思っていたのですが、「会社の業績悪化」と「子どもの中学受験」が重なり、事態は思わぬ方向に進むことになりました。