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geezenstacの森

音楽に映画たまに美術、そして読書三昧のブログです

レコード芸術

1970年7月号 1

 

 

 この号の表紙はオランダ管楽合奏団と江戸・で・わーるとの組み合わせによるモーツァルトディヴェルティメント集が飾っています。屋外での野外ライブの練習風景をつかった写真ですが、暑いのか3人は上半身裸で演奏しています。ちよつと斬新なジャケット写真で当時はびっくりしたものです。でも、このコードが取り上げられたのには訳があります。彼らはツアーで来日したのではなく、何と万博のオランダデーに参加するために来日したのです。ですからオランダ館で演奏を披露していました。

 

 今年は65年ぶりに大阪万博が開催されていますが、1970年ほどの熱気がありません。そもそもコンセプトがしっかりしていないのが原因ではないでしょうか。建物としての会場が盛り上がるのは当然でしょうが、1970年は文化・芸術面でも充実していました。1970年は日本万国博覧会とベートーヴェン生誕200年の年であり、日本のクラシック音楽界は最高の盛り上がりを見せていました。そもそも「万博」には世界のオーケストラが集まるものですが、1970年の大阪万博では3月から9月まで「EXPO ’70 CLASSICS」としてパリ管弦楽団、ベルリン・フィル、クリーヴランド管弦楽団、レニングラード・フィル、ニュー・フィルハーモニア、ニューヨーク・フィルなどが、フェスティバルホールで入れ替わり立ち代わり公演を行うという豪華なものとなっていまた。旧『レコード芸術』は各オーケストラに密着取材を行い、7月号でパリ、ベルリン、クリーヴランドを実に70ページを使って大特集。9月号はレニングラードを13ページ、10月号はニュー・フィルハーモニアを5ページ、11月号はニューヨークを30ページにわたって紹介していますし、この号では早々に来日したカラヤン/ベルリンフィル、セルクリーヴランド、ブレートル/パリ管を取り上げています。ただ、パリ管はブレートルとボドの2人体制だったのが焦点が絞りきれていないというあらが出てあまり話題に上りませんでした。同じ2人体制ながらセルとブーレーズのクリーヴランドは二人の違いとプログラムの多彩さからめちゃくちゃ注目されていました。

 

 

 で、こちらがこの号の目次です。冒頭に3つの来日オーケストラを聴いてと言う特集記事が掲載されていますが、これはほとんどお題目だけで、その後のカラーページの紹介ではカラヤンとベルリン・フィルシェルとブーレーズのクリーヴランド管弦楽団はグラビアできっちりと取り上げられていますが、パリカンはかやの外と言う状況です。まぁ当時の状況を考えると、これが妥当であったかなぁと思わざるを得ません。

 

 1970年9月13日に万博が終了すると、解体作業が開始されました。数日のうちに、北欧パビリオンが撤去され、続いてUFO(日立グループパビリオン)、光の木(スイスパビリオン)、七重の塔(古河パビリオン)、恐竜(オーストラリアパビリオン)など多くの象徴的な構造物が解体された。今回は第回廊の一部を残す案が急浮上していますが、海辺に建設された巨大な木造建築を残すとなるとどれだけ後の維持費がかかるか考えているのでしょうかねぇ。ましてや、突貫で作ったいわば耐久性のないハリボテと一緒です。建築基準上も問題があるのではないでしょうかねぇ。まあ、残さない方が無難ではないでしょうか。基本的に万博の建築物は解体するのが前提で作られています。

 

 1970年当時は例外的に万博開催前から保存が決まっていた構造物もありました。日本館、万博ホール、万博美術館(現国立国際美術館)、日本庭園、日本民芸館、そして日本鉄鋼連盟が建設した鉄鋼館などです。残す前提で建設されましたから、これが70年万博の遺産として今も残っていることになります。ただ、万博美術館は老朽化で新たに国立国際美術館として大阪・中之島西部地区に移転しています。それにしても当時の遺産が残されているわけです。美術作品はいいですなぁ。音楽は心の中にしか残っていませんからねぇ。

 

 そんなことで当時のレコ芸でおんがくかいをふりかえります。いつものように各社の広告から見ていきましょう。

 

 

 RCAは 売れる目玉がないので給付ながらリヒテルのアメリカ録音盤を引っ張り出してきてトップに持ってきました。ただ、写真はリヒテルとミュンシュのものですがこんなレコードは残っていません。

 

 オーマンディはRCAに移籍したのはいいのですがめぼしい録音はCBSにしてしまっているので最新のショスタコの交響曲第13番などでお茶を濁しています。これではちょつとセールスは期待できませんわな。

 

 

 RCAの看板であったヴァン・クライバーンと新進気鋭の小澤征爾の話題盤を給付ながらアピールしています。小沢は1969年までラヴィニア音楽祭の音楽監督をしていてシカゴ響とは旧知の仲です。このれコートは世界的レーベルのRCAから一流のオーケストラを振った画期的な録音でもありました。

 

 

 レニングラードフィルは万博で来日していますがムラヴィンスキーはきませんでした。ただ、お怪我来日するということでこんなレコードが発売されました。ただし、全てモノラル録音です。しょうせいのしょくしゅはうごきませんでした。ただ、これらの録音はこの後1500円盤でまとめて発売されました。

 

 

 当時は新世界レーベルを通じてメロディア原盤が数多く発売されていました。コンドラシンの最新録音のショスタコはチェックしていました。のちに英EMIから前週が出た時は飛びついて輸入してものです。

 

 

 万博の鉄鋼館では現代の音楽が盛んに演奏されましたがまさにこれらのレコードは当時の熱い思いが詰まったものです。万博がなかったら生まれなかった曲であり企画だったでしょう。

 

 

 フィリップスのトップはハイティンクの「のヴェンバーステップス」です。すっかり忘れていましたがこんな録音もあったんですなぁ。

 

 

 ヨッフム/コンセルトヘボウのベートーヴェンは1960年代半ばの録音です。本来は右下の「ノートルダム寺院のオルガンとファンファーレ」を打ち出したかったのでしょうが、抱き合わせのよっふむのベートーヴェンをメインに持ってきての素キュゥになっていました。個人的にはこのよっふむのベートーヴェンはのちにCDで揃えることになりました。

 

 

 ボーナスシーズンということもあり、フィリップスの売れ筋12枚をまとめて訴求しています。取り上げていませんが、別のページではへブラーのモーツァルトのソナタは新譜で1800円で売り出していますが、カップリングを変えたこの中のレコードは格上げの2000円で販売しています。せこい!!!

 

 

 こんなシリーズが発売されていたとは知りませんでした。まあ、録音は古いものの寄せ集めですが切り口は面白いですなぁ。

 

 

 あまり目立ちませんでしたが、万博ではイギリス室内管弦楽団も来日していました。しかし、こんな新譜が発売されていたとは全く知りませんでした。でも、やはりイ・ムジチの陰に隠れてパッとしなかったのではないでしょうか。

 

続きます。


 

チェクナボリアン

「ガイーヌ」抜粋

 

曲目/ハチャトゥリアン

1.序奏とロシア人の踊り [04:40]
2.クルドの若者たちの踊り [03:51]
3.ガイ-ヌのアダ-ジョ [04:26]
4.ヌネ-のヴァリアシオン [01:34]

5.子守歌 [05:52]
6.アイシェの目覚めと踊り [06:49]
7.レズギンカ [02:36]
8.叙情的な二重奏 [05:07]
9.アルメンのヴァリアシオン [02:01]
10.ガイ-ヌのヴァリアシオンと終曲の踊り [04:53]
11.ばらの少女たちの踊り [02:09]
12.つるぎの舞 [02:22]
13.序奏と長老の踊り [05:40]
14.ゴバック [03:04]
15終幕の情景 [01:47]

 

指揮/ロリス・チェクナヴォリアン

演奏/ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団

録音/1976/10/26.27 

P:チャールズ・ゲルハルト

E:ロバート・アウガー

 

RCA/ARIORA   GL71074

 

 

 ロリス・チェクナボリアンは1970年代から注目していた指揮者でした。最初に注目したのはいきなりボロディンの交響曲全集を発売した時でした。ただ、録音年月日からするとこの録音の方が早かったのでしょうか。調べてみるとRCAへの最初の録音は1976年にシベリウスの交響曲第4.5番をロイヤルフィルと次にチャイコフスキーの「悲愴」をロンドン交響楽団と、そしてこのハチャトゥリアンの「ガイーヌ」をナショナルフィルと録音しています。その後に、ショスタコやボロディンが続きます。1980年代までは怒涛の録音をRCAに残していますが、ほとんど日本では発売されませんでした。この抜粋盤は1986年にデジタル・リマスター盤として発売されました。

 

 ちょっとチェクナボリアンのおさらいです。

「アルメニア人大虐殺(1915)」の際にイランに逃れてきたアルメニア人の両親のもと、イラン西部のブルージェルドで1937年に誕生。8歳からヴァイオリン、ピアノ、作曲を学び、16歳の時にはテヘランで合唱団を結成、アマチュアのオーケストラを指揮、1954年からはウィーン音楽アカデミーでヴァイオリンと作曲を学び、ハンス・スワロフスキーに指揮を師事しました。

その後、アメリカでも学んで博士号を取得したチェクナヴォリアンは、1972年にイランに帰り、テヘラン・オペラの首席指揮者に就任。1974年にはハレ管弦楽団に招かれ、自作のピアノ協奏曲などで成功を収めます。その後、ロンドン・デビューでも大成功を収め、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団やロンドン交響楽団、ロイヤル・フィル、ロンドン・フィルなどに客演する一方、ロンドン・パーカッション・ヴィルトゥオージの音楽監督を務め、さらにRCAとは専属契約を取り交わします。

1978年にはチェクナヴォリアンを中心にロンドンでアルメニア音楽祭を開催するものの、期間中にイランで動乱が勃発、以後、ロンドンを拠点に世界的な活動をおこないますが、1989年からはアルメニア・フィルの首席指揮者に就任したため、アルメニアの首都イェレバンに居を移しています。

チェクナヴォリアンのレコーディングは、RCA, Philips, EMI, ASVなどに約100点ほどあり、ギュルケ版『運命』の初録音や、ショスタコーヴィチの10番、シベリウスの1・2・4・5番、チャイコフスキーの4・5・6番、ストラヴィンスキーの『春の祭典』、サン=サーンス交響曲第3番『オルガン付き』、R=コルサコフ『シェエラザード』などという興味深いものもありました。

作曲活動のほうも熱心で、交響曲や協奏曲、オペラ、バレエなど、すでに75作品ほどを書き上げていて、以前にも紹介しています。

 

 

 

 

 

 さて、このレコードはイタリアで発売されたものです。全曲盤からの抜粋ですがこの内容で発売されたのはイタリア盤だけです。組曲ではなく抜粋盤として発売されたものです。ディスコグラフィ的にはナショナルフィルとは初めての録音ですが、臨時編成ですが、メンバーはヴァイオリンのシドニー・サックスの元ロンドンの各オーケストラのベテランが参集していますからまんざら知らないわけではないでしょう。ちなみに次のようなメンバーがクレジットされています。

 

ホルン:ジェームズ・ブラウン

オーボエ:デヴイッド・セオドーレ

コルネット:ジョン・ウィルブラハム

クラリネット:トミー・ケリー

パーカッション:トリスタン・フライ

 

 コンサート・マスターのシドニー・サックスがプロデューサーのチャールズ・ゲルハルトとともに結成した臨時編成のオーケストラで、ほとんどは在ロンドンのオケの演奏者でした。そのため、チェクナボリアンにとっては初のナショナルフィルとの録音でしたが、メンバーは既知の人たちです。

 

 

  このレコードは全集からの抜粋です。日本では発売されていませんからほとんど知られていません。1986年にデジタリー・トランスファーされて「レッドシール」ならぬミッドプライスの「ゴールド・シール」で発売されました。レーベルはクリーム・イエローでしたが個人的にはこのデザインの方が好きでした。

 

 「ガイーヌ」はバレエ音楽です。という事で、当時のソビエトのスタッフでの録音されたものはどれも金管バリバリでド派手な演奏がほとんどでしたが、この一枚はバレエを中心に据えてそれを盛り立てる演奏に徹しています。このバレエは第1幕から第3幕で構成されていますが、ここではそれらの音楽を筋に沿って並べています。こうしてみると有名な曲は後半に集中しているのがわかります。組曲版は多々発売されていますが、筋を負った抜粋盤は中々ないのでこれは貴重な録音です。その中から、主なものを下記にピックアップして貼り付けました。

 

序奏とロシア人の踊り

 

クルドの若者たちの踊り

 

ガイ-ヌのアダ-ジョ

 

レズギンカ

 

バラの娘たちの踊り

 

剣の舞

 

ゴバック

 

終幕の情景

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コンサート2日目

 

 レコードの陳列場所が狭いという事もあり、キャプションが見えにくいとの要望があり、2日目はレコードの右上に移動させて表示しました。

 

 

 これだずいぶん見やすくなったでしょう。

 

 

 

 

 

 2日目は2時間のプログラムでレコードと間に昨日も使用した蓄音機を使ってのコンサートでした。開始までの時間は昨日同様、「愛・地球博公式記録映像~自然の叡智~」を上映しました。なをこのビデオは愛知県図書館に架蔵されていますのでどなたでも借りる事が出来ます。

 

2日目もたくさんの方の参加がいただけました。

 

 

 公式ビデオの後は2日目も演奏されるアーティストの情報もスライドを使って説明しながらの上演となりました。

 

 

 

 

 会場ではこのコンサートをライブ録音している方も見えました。いずれ、CD-Rとなって残るかもしれません。

 

今回はマランツの暗譜で鳴らしました。スーパーツィーターも使用しています。

 

ジャズのステファン・グラッペリと往年のユーディ・メニューヒン

 

 このコンサートは曲間の出入り自由とさせていただきましたので、ちょっと覗いてみるという方も結構見えました。出入りがありましたが初日は48名、2日目は46名とほぼ予定通りの集客でした。アンケートをざっと目を通しましたが、続けて欲しいという要望が見受けららたのは嬉しかったです。県図書館ではコロナ前にはCDコンサートも開催していたので、文化という意味では講演会だけでなく音楽のイベントもぜひ残して欲しいものです。

 

 

 

 図書館での「愛・地球博20祭」6月11日までの展示となりますが、長久手の会場では9月23日までイベントが目白押しです。

 

20世紀レコード・ジャケット傑作集

 

監修・選:池田満寿夫、佐藤愛子

出版: ‎毎日新聞出版

 

 

 20世紀の青春の思い出が詰め込まれた800枚のレコード・ジャケットを収載。池田満寿夫が選んだ53点に、氏の没後佐藤陽子がコメントをつけたジャケット評のほか、佐藤陽子と高橋敏郎の座談会なども収める。---データベース---

 

 小生たちが手がけたコンサートで、レコードジャケットを展示したことにあわせてこの本を見ました我々のコンサートは「自然とクラシック」というテーマでしたから、それに関連するデザインのジャケットをチョイスしたわけで、切り口によっていろいろな取り上げ方があります。 

 

 この書籍の出版は1998年の3月です。そして池田正雄氏が亡くなったのは、1997年の3月でした。まぁ不慮の事故と言っても良いのでしょうか?あっけない幕切りであったのは確かなようです。それもありこの本は池田正雄氏と実質上の妻であった佐藤愛子氏の共同での監修、選曲と言うことになっています。

 

 自体には800枚ほど取り上げられていますが、実際本人たちが選挙したのは冒頭にある53局だけだったのでしょう。つまり、この本の出版の志半ばで、池田氏が倒れたということでの中途半端な満数になっているのだと思われます。ただ、この本の良いところは今まで出版されたもので言うと、クラシックとかジャズとかカテゴリーを区切った本はいろいろ出版されていますが、そういう垣根を超えて、ここではクラシック、ジャズ、ロックと言う幅広い分野で選曲がなされています。また、一部歌謡曲も含まれていると言うことでは、彼らの音楽性、人間性がそのまま現れているものだと考えられます。

 

 この本の章立てです。

 

目次

僕とレコード
池田満寿夫と佐藤陽子のレコード・ジャケット53点
池田満寿夫の推奨レコード・ジャケット
座談会「あのレコード・ジャケットに入っていたレコードじゃなきゃやだ」(佐藤陽子;高橋敏郎;荒井魏)
20世紀名盤ジャケット集

 

 

 表紙には12枚のアルバムが取り上げられています。まぁこれが1番押しのアルバムだったということなんでしょう。ただ53点選んだ割には、本の裏表紙はちょっと手抜きで、この12枚のアルバムをコラージュ風につなげたもので代わり映えがしません。もうちょっと考えられなかったものなんでしょうか。

 

 

 2人が選んだアルバムについては、関東にそれらのアルバムについての印象が興味深く語られています。ただ2人の視線はどちらかと言うと、既存の芸術家がアルバムタイトルをデザインしたものに傾注しているような印象も免れません。もっと幅広い視点でアルバムデザインを考察して欲しかったなぁと個人的には思います。

 

 

 それでも多様なアルバムデザインをチョイスしている点はさすが芸術家目線だなぁと言うことを感じさせます。個人的には他の取り上げれていない「黄金の腕」などのアルバムデザインもチョイスされているのが嬉しい限りです。もう今ではすっかり忘れ去られている映画のサントラのジャケットですがシンプルならながら、惹きつけられるものがあります

 

 

 カラーでは金がかかるのか、この53点以外は全てモノクロで収録されています。先ほども書いたように歌謡曲の中では山口百恵のアルバムが採用されています。小生も所有するものですが、なぜこのアルバムが選ばれたのかはあまり理解できません。歌謡曲のアルバムはそのアーティストの写真をジャケットに使うことが多く、ここでの山口 百恵もそういうデザインになっています。まぁ名曲ぞろいなのでしょうが、ジャケットデザインとしてはどうなんだろうと疑問に思います。

 

 最後のほうに高橋敏郎氏のレコードジャケットの話と言う1文が収録されています。LPレコードの楽しみ方、レコードジャケットとは、ジャケットの構造とその発展、ジャケットデザインとはと言うテーマでエッセイが書かれています。これはなかなか面白い1分でなるほど、国によって結構な違いがあるものだと感心したものです。多分この本はもう図書館ぐらいでしかお目にかかれないような気がしますが、もし目に止めたら、一度パラパラとめくってみるのをお勧めします。

 

 

 

 

コンサート初日


 前の2回のコンサートは、図書館の入り口エントランスの左側の最初のコーナーにレコード陳列させていただきました。しかし今回は図書館のスケジュールが決まってから急遽決まったイベントなので、割り込むスペースはありませんでした。そんなことで考えたのが今回の会場となるAVホールの入り口部分を使ってレコードジャケットを展示すると言う案でした。ただ1番奥まったコーナーですから、またコンサート当日の二日間しか陳列することができませんから、非常に不安はありました。コンサートの告知の方法も、このスペースだけでの勝負でしたから、いつもと認知度が低いのではないかと言う不安もありました。

 


 そんなこともあり、今回はこのブログでも積極的にコンサートを告知し、またスメディアにも開催の案内を送って準備だけはしたつもりでした。そして開催の前日になって、地元の中日新聞が催し物の案内ということで、このコンサートを取り上げてくれることになった時は非常に嬉しかったです。

 

 そして昨日のようなハプニングもあり、ますます不安になっていましたが、当日も時間になり、いや準備の段階でお客様がちらちらとホールにお越しになっているのを見て、これはひょっとしていけるんじゃないかなと言う気持ちにもなりました。そして開演の時間になると、続々とお客様が集まってくれて、ホールの中は予想以上のお客さんで溢れていました。何よりも嬉しかったのが、図書館の館長が休みの予定を書いて、でもこのコンサートを聞きに来てくれたことです。コンサートが終わってからもお声掛けをいただき、非常に珍しいコンサートを楽しませていただきましたと声をかけてくれました。

 

開演前には公式記録としての愛地球博2005年のビデオもスクリーンに上演しました。当時の雰囲気に浸って欲しかったからです。これも今回AVホールでプロジェクターがきっちりと使えるようになったからです。またコンサート中は講師の高山さんが持参して編集してくれたその日に使うレコードの演奏者たちの写真をプロジェクターで映し出してくれたことです。ただ、このAVホールはかなり古いシステムで構成されていますので、最新のパソコンには機器が対応していませんでした。そんなことで我々が所有するウィンドウズ7の古いパソコンを引っ張り出してきて、それに接続して映すと言うハプニングもありました。

 

 

 名城市の講師のお話とともに次々とかけられる。音楽は参加してくれた人の心に響いたのでしょう。今回使った蓄音器はイギリスコロンビアのほとんど初期のモデルです。面白いのは蓄音機の正面に扉があり、これを開閉して音量の調整ができるモデルだったことです。

 

当日使用したSPレコード

 

 まぁ、ハプニングと言えば、コンサートの途中で、小生は蓄音機のネジを巻いたりレコードの針の交換を担当していたのですが、1曲ごとに取り替える針をちょっと焦ってしまい、上下逆さまに針を取り付けてレコードをかけてしまったことです。びっくりしたのはそれでも音はちゃんと聞こえるのですが、何かおかしいなと言う音の揺れがあったので、初めて針を逆に取り付けたことに気がついた次第です。まぁ、もちろんもう一度かけ直しです。しかし蓄音機と言うのはこういうハプニングでもちゃんと音を出してくれるのにはびっくりしました。

 

ちょっと時間をオーバーしてしまいましたが、何とか初日のコンサートは無事に終了しました。

 


 

 今日は本来のレコードプレーヤーを使ってのコンサートになりますが、曲をかけ間違いないのように最新の注意を払って対応するつもりです。どうぞよろしくお願いします。