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geezenstacの森

音楽に映画たまに美術、そして読書三昧のブログです

アシュケナージ

4大ピアノ協奏曲

 

曲目/

 

キング LONDON  

SOL-9003−4

 

 

 1978年に発売されたキングレコードの新シリーズのSOLという番号の2枚組です。

 

 テクニック的には申し分のないアシュケナージ、同国人のリヒテル/カラヤン盤が世間に登場しベストセラーになっていた時期の録音だけにそういうものに対する挑戦みたいな意気込みを感じます。マゼールのチャイコフスキーはややクセのある音作りがこの頃から顔を見せています。

 

初出時に寄せられたデッカ会長のメッセージ

 

 第1楽章の冒頭のホルンが高らかに鳴る序奏は意外にあっさりと処理しますが、続くピアノの登場する部分からやけに一拍目を強調するリズムで明確に陰影を刻んでいきます。これは好き嫌いの分かれるところでしょうけれどもカラヤン盤のロマンティックな表現に対抗するにはこういうアプローチしか無かったのかもしれません。しかし、チャイコフスキーの重く、暗く、どろどろネバネバとした雰囲気もそれなりにちゃんと表現されているし、全体的にピアノ、オーケストラともに重厚でふくよかな音色が特徴で、両者がよく解け合っています。気に入るまで何度もテイクを重ねたというアシュケナージの心意気が感じられます。

 

 第2楽章の詩情豊かなニュアンスにとんだ表現も若くしてきらりと光る才能を感じさせますし、この頃のロンドン響は素晴らしいプレーヤーが在籍していたことを再認識させるソロを聴かせてくれます。たっぷりと歌うアンダンティーノで、ここは主役をピアノに譲ったマゼールのサポートも光ります。

 

 これに対して第3楽章は、第2楽章との対比がドラマティックでマゼールが冒頭から飛ばします。速いテンポで一気呵成にサクサクと進んでいくので圧倒されます。この速いテンポにも臆せず、抜群のテクニックでマゼールと堂々と渡り合っているので圧倒されてしまいます。サクサク進む割に、低音が豊かでドッシリとしているので安定感があり、軽いという感じはありません。

 

 ところでこの録音、さすがデッカ。音質的にもステレオ初期の古い録音ですがウォルサムストウ・タウンホールの素晴らしい音響に支えられていい音で収録されています。そこら辺りのところが繰り返し再発される所以なんでしょう。

 

 

 ラフマニノフが残した4つのピアノ協奏曲の中でも最高傑作といわれる第2番。ラフマニノフ特有のロマンチシズムを,同じロシアに生まれたピアニスト,ヴラディーミル・アシュケナージは余すところ無く表現してくれます。アシュケナージのラフマニノフは既に第3番を取り上げていますが、この第2番はバックはロンドン響ではなくコンドラシン指揮のモスクワ・フィルハーモニー管弦楽団との録音です。このコンビでは過去にモノラルで録音していますから、そういう意味では安心感があったのでしょう。ところでこの録音、最近までは1963年9月ロンドンの録音とされてきました。ところがこの5月に再発されるデータでは上記に記載されている1965年9月モスクワに修正されています。デッカの録音に関しては詳細なデータが無いことが多く、またアシュケナージのディスコグラフィも無いので確認は出来ません。どちらが正しいのでしょうか。聴いた限りでは、音はこちらの方がやや新しく感じますし、ステレオプレゼンスも含めて音のバランスもラフマニノフの方が上です。

 

 アシュケナージのラフマニノフは定評があるところで、この後にもプレヴィン、ハイティンクなどと再録を重ねています。とはいえ、ここで聴かれるラフマニノフは好みからいえば小生にとっては最良の演奏ということが出来ます。別にこだわるわけではないのですが、どこか本場物の安定感というかロシアという風土をバックに感じさせる演奏に仕上がっています。

 

 アシュケナージの優しくて柔らかな音色は,ロマンティックなこのラフマニノフの2番協奏曲と非常に良くマッチします。アシュケナージは別にプレヴィンとの全集も所有していますが,ラフマニノフの作品はどれを取っても素晴らしい演奏を聴かせてくれます。チャイコフスキーの後のラフマニノフの第1楽章は、ゆっくりしたテンポがより強調される効果があります。その冒頭の地の奥底から聴こえてくるようなピアノの和音から、ピアノの分散和音とオケの絡みあい。もう瞬時に虜にさせるロマンティックで魅力的な音楽です。キリル・コンドラシンが指揮を務めるバックのモスクワ・フィルが,ロシア音楽の大きな魅力の一つである“クサさ”というものをこれでもかというほどに見せ付けてくれます。時々咆哮する金管がまた何ともいえません。アシュケナージ,コンドラシン共に後にロシアから亡命してしまいますが,やはり母国の音楽に対する思い入れというものは並々ならぬものがあるのでしょう。10分強の音楽があっという間です。

 

 第2楽章はこの曲では、ちょっと地味な印象もあるかもしれませんが美しいアダージョで、静かで美しいアルペジオが奏でられます。ピアノに寄り添うようなオーケストラのやさしいささやき、アシュケナージとコンドラシンは絶妙なバランスでせめぎあっています。当時のソ連のオーケストラとしてはモスクワ・フィルは決して一流の部類ではなかったはずですがソロも美しい音色でサポートしています。コンドラシンは合わせものも得意だったことをきっちり証明しています。

 

 昔の国内盤LPの解説文に、アシュケナージ自身のノートとして紹介されていた興味深い記載がありました。「このピアノ協奏曲の音楽的なウエイトの中心は、はじめのふたつの楽章に置かれている。そこには、すべての楽句を通して、いかにもラフマニノフ的なヒロイックなムード(第1楽章)と内省的な情感(第2楽章)がみなぎっている。」と、まさに実感させる演奏です。

 

 第3楽章はちょっと、コミカルな出だしですが、次の瞬間ヴォルテージをあげて真剣勝負に入っていくピアノ、そして、どことなくオリエンタルで官能的といっても良いメロディが聴こえてきます。アシュケナージは振幅の大きい演奏で思いっきりロマンティックに歌い上げます。しかし、決してムードに流されるものではなく、ピアノとオーケストラとの丁々発止のやりとりもぴったりと決まっています。ここら辺りのアシュケナージとコンドラシンの呼吸はバッチリです。ピアノのスケール感のある響きとオーケストラの奥行きのある響きが相まってたぐいまれな名演が最後まで繰り広げられます。これもやはり長く語り継がれる堂々たる名演です。

 

演奏者    第1楽章   第2楽章  第3楽章 
アシュケナージ/プレヴィン/ロンドンso.(Decca<70>) 11:09  11:52  11:29 
アシュケナージ/コンドラシン/モスクワpo.(Decca<65>) 10:52  11:46  11:28 
ワイセンベルク/カラヤン/ベルリンpo.(EMI<72>  11:53  14:26  11:46 
キーシン/ゲルギエフ/ロンドンso.(RCA<88>) 11:23  11:45  11:19 
ラフマニノフ/ストコフスキ/フィルハーモニアo(RCA<29>   9:44  10:46  10:55 
ツィメルマン/小澤征爾/ボストンso.(DG<2000>) 11:46  12:15  11:34 

 


 実際、60から70年代のアシュケナージは輝いていました。アシュケナージは1968年にイッセルシュテット共にモーツァルトを録音しています。この曲だけは父親のエリック・スミスがプロデュースしているのも面白いところです。

 

 第1楽章の冒頭は低音楽器の不気味な地獄から湧き上がってくるようなアウフタクトの上昇音と、ヴァイオリンの持続する八分音符と四分音符のD音が印象的です。こういう流れの中でイッセルシュテットはややトランペットを強調させた響きで目立たせています。この効果は絶妙で混沌の中から一条の光を見いだす効果があり、ピアノの登場をより効果的にしている感じがします。アシュケナージといえば、まだまだ指揮者に色気を出す前でピアニストの本分をわきまえた充実した演奏です。しっとりとした立つ値のピアノでころころと転がる軽いタッチの音ではなくそれがまたオーケストラの響きとマッチしています。第1楽章のカデンツァはベートーヴェンの作曲したものを使い古典的なバランスのよう音楽を作り上げています。

 

 第2楽章は、どうしてもこの楽章はミロス・フォアマン監督製作のモーツァルトを主人公にした映画『アマデウス』のエンディングに使われたのでそのイメージで聴いてしまいます。メロディメーカーとしてのモーツァルトを再確認する美しい旋律です。ここでも、アシュケナージはしっとりという表現がぴったりの演奏を展開しています。みずみずしい感性に溢れたタッチでオーケストラと絶妙なバランスで美しいメロディを心のひだに染み込ませてくれます。

 

 第3楽章は2楽章の美しさとは対照的に一転変わって激しい曲想でピアノの分散和音のソロから始まります。それでも、第1楽章とはいささか雰囲気の違う内容で、どことなくピアニストが活躍する協奏曲本来の社交音楽的性格が色濃く出ています。こちらの楽章はアシュケナージは自身のカデンツァを披露しています。ロンドの主題を使ったもので華やかなカデンツァです。

 

 

 

 

 最後はアシュケナージがダヴィッド・ジンマンと組んだショパンです。1955年のショパンコンクールではのちのポゴレリッチ事件と東洋に審査の結果で事件が発生し、誰もがアシュケナージの優勝を疑わなかったのに結果はアダム・ハラシェヴッチが優勝ということになり審査員だったミケランジェロが起こって審査員をやめています。その因縁のショパンはなんと、ジンマンがサポートしているのです。いやあ、知りませんでした。1965年の録音ですがデッカのイギリスでのホーム・グラウンドとでもいうべきキングスウェイ・ホールで収録されています。これもプロデューサーはエリック・スミス、そしてケネス・ウィルキンソン、ジェームズ・ロックというという鉄板のすたつ筆録音されていてじっくりとアシュケナージのショパンの世界に浸ることができます。

 

 

 

 

 

 

スィングル・シンガーズ

ゴールデン・アンソロジー

 

曲目/

フィリップス FDX−9229−30

 

 

 1976年に発売されたレコードです。スポットライト・オンシリーズとして発売されたもので以前にはこのシリーズのポール・モーリアカスケーティング・ストリングスのレコードも所有していました。スィングル・シンガーズについては以前CDも取り上げています。

 

 

 この2枚組のレコード、アンソロジーということでいろいろな作曲家の作品が取り上げられています。グループの出発点となったバッハから始まり、モーツァルト、メンデルスゾーン、ショパン、ヴィヴァルディ、ヘンデル、パッヘルヴェル、マルチェルロ、ベートーヴェン、ロドリーゴ、アルベニスからガーシュインまで幅が広かっていました。多分こういうレパートリーを持っていたアーティストは他にはいなかったのではないでしょうか。人の声なんですが「スキャット」という唱法で歌詞はありませんでした。まあ、クラシックの名曲をアレンジするのですからそのほとんどは器楽曲でそれもオーケストラ作品が中心でしたから歌は必要なかったのでしょう。この1970年台までは唯一無二の存在ではなかったでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 小生はジャズも聞きますがその入り口がMJQというグループであったこともこのスィングル・シンガーズに親しみを覚えたものです。で、出発がバッハというルーツを持っていたことで、このMJQとのコラボ作品も発表していました。それが、このアルバムにも収録されているMJQの「ヴァンドーム広場」と題されたアルバムで結実しました。ここではそのアルバムから3曲が収録されています。もちろんMJQファンとしてはこのアルバムも所有していますが、視点を変えて数イングル・シンガーズとして聴くとまた新鮮です。

 

 

 

 

 

 

 名古屋は今日は41度越えが予想されています。この日曜日は家でまったりとスィングル・シンガーズでも聴いて過ごすことにします。

 

 

 

 

バーンスタイン/追悼の一枚

亡き妻とカラヤンに捧ぐ

曲目/ベートーヴェン

 弦楽四重奏曲 No.14 嬰ハ短調 Op.131 (1826) 

1. Adagio, ma non troppo e molto espressivo    8:45

2. Allegretto    3:15

3. Allegro moderato    0:54

4. Andante, ma non troppo e molto cantabile    17:15

5. Presto    6:03

6. Adagio quasi un poco andante    2:45

7. Allegro    7:06

ベートーヴェン 弦楽四重奏曲 No.16 ヘ長調 Op.135 (1826) *

1. Allegretto    7:17

2. Vivace    3:28

3. Lento assai e cantante e tranquillo    10:01

4. "ようやくついた決心". Grave - Allegro - Grave ma non torippo tratto - Allegro    10:39


指揮/レナード・バーンスタイン
演奏/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1977/09/08-10  コンツェルトハウス

   1989/09/13-18  ムジークフェラインザール*

EP:ギュンター・ブリースト、アリソン・エームス*

P:ハンス・ウェッバー

E:クラウス・シャイベ、ハンス・ペーター・シュヴァイクマン*

 

DG 435779-2

 

 

 

 この一枚は最初からCDとして発売されたものです。そんなことでジャケットらはレコード番号の末尾に最初から-2の表記がついています。2曲で77分越えの演奏時間ですからレコードでの発売はしなかったのでしょう。そして、この一枚は、弦楽四重奏曲 No.14 嬰ハ短調は既発売で、弦楽四重奏曲 No.16 ヘ長調だけが新規に発売という事になっています。そして、この二つの演奏はバーンスタインにとっても非常にメモリアルなディスクという事になっています。

 

 ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第114番 嬰ハ短調 Op.131(弦楽合奏版)は、1977年9月の録音です。ですから当然アナログ録音での収録となります。そして、この演奏は、バーンスタインの妻・フェリシア(1922-78)に捧げられています。といっても単純な夫婦愛ではありません。バーンスタインはフェリシア夫人との間に3人の子をもうけましたが、じつはバイセクシャルであり、1976年から77年にかけて妻と別居し、男性の愛人と暮らしました。この辺りの彼の性癖は「マエストロ: その音楽と愛と」でも描かれていますが、この別居中にフェリシアが手遅れの肺ガンに侵されていることが判明し、、彼女は1978年に亡くなります。当然、バーンスタインは強い自責の念にかられたそうで、この録音は妻の闘病中に行われました。愛する人の平癒を祈るかのような、真摯で哀切に満ちた第1楽章にはとくに心を打たれます。

 

 この時の演奏会の録音は最初は「プロメテウスの創造物」や序曲集と一緒に発売されました。ただ、上記に記した実際のコンサートでは交響曲第5番が一緒に演奏されています。何か意味深なプログラムという事が出来ます。ただ、ここが不思議なところですが、ベートーヴェンの交響曲第5番はムジーク・フェラインで録音と表記されているのですが、こちらはコンツェルトハウスでの収録という表記です。しかもジャケットには1977とだけ表記されていて、詳しい録音日時は記載されていません。ネットにアップされているバーンスタインのディスコグラフィには別の1978年6月12日の表記も見られます。この録音だけ浮いているのですね。不思議です。ただ、バーンスタインの妻、フェリシア・モンテアレグレが亡くなったのは1978年6月16日です。余談ですが、バーンスタインがベートーヴェンの交響曲全集を録音していたのはこの1978年前後だというのは興味深い事実です。

 

 全体は7つの楽章から成り、どこまでも沈潜し、濃厚な情念がこめられた第1楽章アダージョの変奏曲から、決然とした力強さがベートーヴェン特有の戦闘的な音楽と諧謔の交錯を完璧に表現した第7楽章アレグロまで、驚くべき集中力が聴きものとなっています。収録会場がソリッドな響きのコンツェルトハウスであったのもこの場合はプラスに作用しており、細部まで完璧に音楽を自分のものにしているウィーン・フィルの表現力がダイレクトに伝わってきます。

 


 


  バーンスタインはバイセクシャルでもあったのでしょう。バーンスタインの伝記(ジョーン・バイザー著 鈴木主税・訳「レナード・バーンスタイン」)には、最後の年に彼女の元に帰ってきた夫に向かい、ほかの人たちがいる前で、
 

"自分が病気になったのは、あまりにあなたに苦労させられたのでその仕返しをするためだったかもしれないと言った。
 少なくとも、家族と親しい一人は、フェリシアがたびたびこう言ってバーンスタインを罵っていたと語っている。
 「せいぜい長生きしなさいね、一人きりで」"

 

という言葉を投げつけています。
 

 さて、このCDの2曲目はカラヤンが亡くなった2か月後の演奏会での収録です。一応追悼演奏会で演奏されたものという事になっています。このCDはそのときのライヴ録音であり、終生のライバルに捧げた鎮魂歌です。映像も残っているのですが、ユニテルが録画したものでは無いようで、この曲とウェーバーの「オイリアンテ」序曲というへんてこな組み合わせでドリームライフから発売されました。


 こちらもベートーヴェン最後の弦楽四重奏曲が、晩年のバーンスタイン特有のゆったりテンポで、いとおしむように奏でられます。ウィーン・フィルの弦楽セクションはさすがに流麗の極み、優雅で柔和で木目細やかです。特に16番の演奏の頃はレニー本人の体調も徐々に悪化しつつあり、緩徐楽章での濃厚な表現に死の翳りを聴き取った人も少なからずいるのではないでしょうか。この2曲はバーンスタインが恩師ディミトリ・ミトロプーロスによって弦楽合奏用に編曲された版を用いて指揮しています。弦楽合奏だけで演奏されていますが、最初は主席の4人だけでの演奏から初めてリハーサルを繰り返し、録音に臨んだという話も聞きます。最終的に60人で弾いているとは思えないほどの、水も漏らさぬ完璧なアンサンブルです。これは濃厚です。

 

 晩年、「もし自分のレコーディングのうち一曲だけ後世に残すとしたら、この作品131を選ぶだろう」と語ったレナード・バーンスタイン(H.バートン 『バーンスタインの生涯. 下』 p.305)です。考えてみれば、この録音当時、レナード・バーンスタインはすでに癌に侵されており、翌1990年10月に亡くなっています。それにしても、バーンスタインにとって特別な存在のふたりに捧げた録音が、ともにベートーヴェンの後期カルテットの合奏版、というのは興味深いです。

 

 

 

 

 

バーンスタイン/ロスフィル

コープランド、W.シューマン、バーバー、バーンスタイン

 

曲目/

1.コープランド:アパラチアの春 26:34
2.ウィリアム・シューマン:アメリカ祝典序曲 9:23
3.バーバー:弦楽のためのアダージョ 10:02
4.バーンスタイン:「キャンディード」序曲 4:18

 

指揮/レナード・バーンスタイン

演奏/ロス・アンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団

 

録音/1982/07/24 デイヴィス・シンフォニーホール、サンフランシスコ

EP:ハンノ・リンケ

P:ハンス・ウェッバー

バランスE:カール・アウグスト・ネーグラー

E:Jobst Eberhardt R: Joachim Niss

 

DG 2532 083

 

 

 時代はまだLPが主流の時代の産物です。そんなことで収録時間は50分京都当時の標準的なものとなっています。まあ、此がオリジナルのレコード仕様のCDですからこうなるのでしょう。先に取り上げたガーシュインのアルバムもそうですが、、この時代のロスフィルのシェフはカルロ・マリア・ジュリーニでした。そして、本来ならドロシー・チャンドラー・ホールが本拠地であるにもかかわらず、ここではサンフランシスコのディヴィス・シンフォニー・ホールで収録されています。このホールは本来はサンフランシスコ交響楽団の本拠地であり、サンフランシスコ響と録音するのが本筋なのでしょうが、ロスフィルと録音しているところが奇妙と言えば奇妙です。ツァーなら本来的にはジュリーニが帯同して然るべきなのにバーンスタインが指揮をしているのも不可解なものです。まあ、それはともかく1982年7月22-24日の3日間コンサートは開催されたようですが、どのような経緯で開催されたかは掌握していません。

 

 DGのスタッフもこのホールでのレコーディングは初めてでしょう。小澤征爾がサンフランシスコのポストにあったときにはスタッフも、会場も別でした。そもそも、ディヴィス・シンフォニー・ホールは1980年に建てられたばかりですからねぇ。ここまで、きっちり音録りができているということは、リハがきっちりと行われているということでしょう。今回調べていたら結構大掛かりな録音スタッフが配置されていたことがわかりました。

 

 個人的には「アパラチアの春」は、今は処分してしまいましたが、セラフィムから発売されていたロバート・アービング指揮するコンサート・アーツ管弦楽団のレコードで聴いていました。ミープランドの三代バレエ曲と言われる「ロデオ」とのカップリングでした。

 

 あまり印象に残らない指揮でコープランドの曲はその当時はあまり理解できていませんでした。今回バーンスタインの指揮で聴くとなかなか、楽しい作品であることが分かった次第です。 

 

 

 

 2曲目はウィリアム・シューマンの「アメリカ祝典序曲」です。この曲は「アパラチアの春」よりも以前の1935年に作曲されています。セルゲイ・クーセヴィツキーヴィツキーの依嘱作品ということです。当然のことながら、クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団で初演されています。まぁバーンスタインの恩師ですね。バーンスタインはこの曲に関してはこの録音しか残していません。子供の遊ぶ状況を描いた作品ということで、フルオーケストラが楽しげな旋律を奏でます。濃厚な音楽ですが、あまり演奏されないのが残念です。下の写真は、そのウィリアム・シューマンとアーロン・コープランドが一緒に写っている写真です。そこにはバーンスタインのほかモートングールドも写っていて、アメリカ音楽会を代表する人たちが集合した1枚ということでは貴重なのではないでしょうか。

 

左からモートン・グールド、ウィリアム・シューマン、コープランド、バーンスタイン

 

 

 バーバーの「弦楽のためのアダージョ」は、1980年代に映画「プラトーン」「によって広く知らしめられた曲です。ベトナム戦争の悲惨な現実を描いた映画として、その中でこの音楽が戦争の悲惨さを訴える重要なポイントとして使われていました。バーンスタインはこの曲をニューヨークフィルトも録音していますが、こちらの方が上環の方、守り方が素晴らしく、この曲の悲劇的な悲しさをより一層えぐり出しているような気がします。

 

 

  最後は、自身の作品である「キャンディード序曲」です。この曲は何度も録音されていますが、多分一番有名なのは、ロンドン交響楽団との映像付きの演奏でしょう。小生もその演奏で慣れ親しんできました。ただこのロスフィルとの録音があったという事は、このCDを聴くまでは全く知らなかったものです。ライブと言いながらほぼセッション録音のこのキャンディードは、その演奏の楽しさからして、多分最上の録音なのではないでしょうか。ミュージカルとしては晩年にも改定を重ねたこの作品ですが、序曲としての楽しさは変わっていません。バーンスタインはウエストサイド物語だけではない面白さが伝わってきます。

 

 

 

決定版 交響曲の名曲・名演奏

 

著者:許光俊

出版:講談社現代新書

 

 

   ベートーヴェンの交響曲の名演奏はやはりフルトヴェングラー? それともヴァント? ではではカラヤンは・・・・・・? 交響曲の歴史をたどりながら、代表的な名曲の古今の演奏を聴き比べ。定番から知られざる名演奏まで、初心者には恰好のガイド、マニアにも読み応え十分の、入門書にして決定版!--データベース---

 

 

目次

はじめに

第一章 ハイドン・モーツァルト――古典派の交響曲
1 交響曲の始まり
2 ハイドン
3 モーツァルト
第二章 ベートーヴェン
第三章 ロマン派の交響曲
1 シューベルト
2 メンデルスゾーン
3 シューマン
4 ベルリオーズ
第四章 ブラームスから国民楽派へ
1 ブラームス
2 ロシアの交響曲
3 ドヴォルザーク
4 スメタナ・リスト
第5章  ブルックナーとマーラー
1 ブルックナー
2 マーラー
第六章 ショスタコーヴィチとプロコフィエフ
1 ショスタコーヴィチ
2 プロコフィエフ
第六章 そして交響曲はいなくなった、のか?

あとがき

 

 まあ、普通の本は前書きから読み始めるのが一般的でしょうが、著者のようにょっと捻くれている人は「あとがき」から読むことをお勧めします。そこにはこの本の注意点が書いてあるからです。この本は「交響曲」について書かれていますが、こと交響曲に限ってはその音楽としてのピークは19世紀のロマン派の時代にピークを迎えていて、21世紀の今日には傑出した交響曲には出会えていません。以前、ドイツグラモフォンが「100 GREATSYMPHONIES」というボックスセットを発売しましたが45枚目のショスタコーヴィチが境目ぐらいで、あとは多分1回聴いたら終わりぐらいの作曲家の作品群でした。その交響曲について書いてある本なのでかすったプロコフィエフ以降は内容的にも尻窄みの本です。

 

 また、著者は単行本として出版しているわけではなく、あくまで新書本の一冊としての位置づけですから、その書き手の主義主張に大きく委ねられています。「許光俊」という著者に興味があるなら読むもよし、興味がないならやめた方がいい部類の本ということになります。著者は後書きではっきりと書いています。曰く、

 “小澤征爾を聴いて涙を流すほど感動した人は本書を読んで不快に感じるでしょうがそれはもう別世界を生きているのだと思っていただくしかありません。”

“本書には私がよくないと思う演奏(家)についてははっきりとそう書いてあります。む何かを高く評価するということは、何かを高く評価しないことと表裏一体の関係です。褒めてばかりの人は誠実ではありません。”

 

 とまぁ、こういうスタンスで時代時代の交響曲を捉え、演奏者についてを批評しています。そして、何よりもクラシックの歴史の中で一時代の1950年代から2000年前後までの演奏しか取り上げていません。2025年に出版された本ながら最近の演奏は取り上げていません。つまりは小生たちの世代の人間をターゲットにした本です。しかし、格好だけはパソコンらフォステクスの小型スピーカーに繋いで、はたまたはスマホにイヤホンで聞いているネット配信中心の聴き方をしている読者をターゲットにしているという矛盾した内容になっています。


 一例を挙げれば、著者が「人生で一番音楽に感動した」と語るミュンヘンでの演奏会において、「身体を動かしてリズムを取ろうとしていた」近くの日本女性に対して「激しい軽蔑と憎悪、それどころか殺意まで覚えた(中略)。音楽には人に殺意まで抱かせる力がある」と告白している部分でしょう。なんだ、これ。「殺意」なんて物騒な単語をこんなに安易に使っていいものなの? 本気で殺したいと思ったの? もし嘘偽りなく本心だと言うなら、社会的に見て相当にヤバいでしょ。沸き上がった怒りを誇張気味に表したただけと釈明するなら、その言葉の選び方は不適切極まりないでしょう。ドレスコードを守ってコンサートを聞いているのはなにか自分を特権階級の人間だと思っているかのような書き方です。著者の本職は大学教員ということですが、いずれにしても、完全にアウトでしょう。校正者の品位が疑われます。

 著者はくだんの日本女性を「鈍感で愚かな人間は本当にどうしようもない」と異常なまでに蔑んでいるが、果たしてそのような人がクラシックの会場にいてはいけないのだろうか。誰だって最初は初心者なんだし、そりゃ場違いであったとしても、物見遊山くらいの感覚で訪れる無知無学の人が時にいたっておかしくないでしょう。それが自分が心を揺さぶられた演奏会で、たまたま自分のそばにそういう人(現地の人ではなく日本人だったから一層気に食わなかったのではないかと推察はしますが・・・)が座っていたからといって、「殺意」まで覚えて、それを恥も外聞もなく活字にするのは理解できません。
 

 それにつけても音楽評論家なら、金子建志氏のようにベートーヴェンについてならベーレンライター版楽譜の使用によるテンポの変化、ベートーベンのメトロノーム指示の問題等、近年のピリオド楽器による演奏傾向や解釈の違いを上げて欲しいし、シューマンでも交響曲第4番には現行版と初稿版の二種類の演奏があることにも触れる必要があるでしょう。また、ベルリオーズの幻想交響曲ならコルネットの使用の有無なども触れる必要があるでしょう。本当に意義のある交響曲の名曲名演なら、いせん「レコード芸術」がムックで発売した「究極のオーケストラ長名曲徹底解剖66」と題された本の中で取り上げられていた曲ぐらいの内容であって欲しいものです。

 

 この内容では本のタイトルに完全に負けています。どこが決定版なんでしょう。誇大タイトルと言っても過言ではありません。

カラヤンや小澤、ショルティ、セルなどの指揮が好きな人は、買わない・読まない方がいいと思います。私も後悔した一人でした・・・

(良い点)往年の大指揮者やチェリビダッケあたりの指揮が好きな方は読んでも害はないでしょう。