決定版 交響曲の名曲・名演奏 | geezenstacの森

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決定版 交響曲の名曲・名演奏

 

著者:許光俊

出版:講談社現代新書

 

 

   ベートーヴェンの交響曲の名演奏はやはりフルトヴェングラー? それともヴァント? ではではカラヤンは・・・・・・? 交響曲の歴史をたどりながら、代表的な名曲の古今の演奏を聴き比べ。定番から知られざる名演奏まで、初心者には恰好のガイド、マニアにも読み応え十分の、入門書にして決定版!--データベース---

 

 

目次

はじめに

第一章 ハイドン・モーツァルト――古典派の交響曲
1 交響曲の始まり
2 ハイドン
3 モーツァルト
第二章 ベートーヴェン
第三章 ロマン派の交響曲
1 シューベルト
2 メンデルスゾーン
3 シューマン
4 ベルリオーズ
第四章 ブラームスから国民楽派へ
1 ブラームス
2 ロシアの交響曲
3 ドヴォルザーク
4 スメタナ・リスト
第5章  ブルックナーとマーラー
1 ブルックナー
2 マーラー
第六章 ショスタコーヴィチとプロコフィエフ
1 ショスタコーヴィチ
2 プロコフィエフ
第六章 そして交響曲はいなくなった、のか?

あとがき

 

 まあ、普通の本は前書きから読み始めるのが一般的でしょうが、著者のようにょっと捻くれている人は「あとがき」から読むことをお勧めします。そこにはこの本の注意点が書いてあるからです。この本は「交響曲」について書かれていますが、こと交響曲に限ってはその音楽としてのピークは19世紀のロマン派の時代にピークを迎えていて、21世紀の今日には傑出した交響曲には出会えていません。以前、ドイツグラモフォンが「100 GREATSYMPHONIES」というボックスセットを発売しましたが45枚目のショスタコーヴィチが境目ぐらいで、あとは多分1回聴いたら終わりぐらいの作曲家の作品群でした。その交響曲について書いてある本なのでかすったプロコフィエフ以降は内容的にも尻窄みの本です。

 

 また、著者は単行本として出版しているわけではなく、あくまで新書本の一冊としての位置づけですから、その書き手の主義主張に大きく委ねられています。「許光俊」という著者に興味があるなら読むもよし、興味がないならやめた方がいい部類の本ということになります。著者は後書きではっきりと書いています。曰く、

 “小澤征爾を聴いて涙を流すほど感動した人は本書を読んで不快に感じるでしょうがそれはもう別世界を生きているのだと思っていただくしかありません。”

“本書には私がよくないと思う演奏(家)についてははっきりとそう書いてあります。む何かを高く評価するということは、何かを高く評価しないことと表裏一体の関係です。褒めてばかりの人は誠実ではありません。”

 

 とまぁ、こういうスタンスで時代時代の交響曲を捉え、演奏者についてを批評しています。そして、何よりもクラシックの歴史の中で一時代の1950年代から2000年前後までの演奏しか取り上げていません。2025年に出版された本ながら最近の演奏は取り上げていません。つまりは小生たちの世代の人間をターゲットにした本です。しかし、格好だけはパソコンらフォステクスの小型スピーカーに繋いで、はたまたはスマホにイヤホンで聞いているネット配信中心の聴き方をしている読者をターゲットにしているという矛盾した内容になっています。


 一例を挙げれば、著者が「人生で一番音楽に感動した」と語るミュンヘンでの演奏会において、「身体を動かしてリズムを取ろうとしていた」近くの日本女性に対して「激しい軽蔑と憎悪、それどころか殺意まで覚えた(中略)。音楽には人に殺意まで抱かせる力がある」と告白している部分でしょう。なんだ、これ。「殺意」なんて物騒な単語をこんなに安易に使っていいものなの? 本気で殺したいと思ったの? もし嘘偽りなく本心だと言うなら、社会的に見て相当にヤバいでしょ。沸き上がった怒りを誇張気味に表したただけと釈明するなら、その言葉の選び方は不適切極まりないでしょう。ドレスコードを守ってコンサートを聞いているのはなにか自分を特権階級の人間だと思っているかのような書き方です。著者の本職は大学教員ということですが、いずれにしても、完全にアウトでしょう。校正者の品位が疑われます。

 著者はくだんの日本女性を「鈍感で愚かな人間は本当にどうしようもない」と異常なまでに蔑んでいるが、果たしてそのような人がクラシックの会場にいてはいけないのだろうか。誰だって最初は初心者なんだし、そりゃ場違いであったとしても、物見遊山くらいの感覚で訪れる無知無学の人が時にいたっておかしくないでしょう。それが自分が心を揺さぶられた演奏会で、たまたま自分のそばにそういう人(現地の人ではなく日本人だったから一層気に食わなかったのではないかと推察はしますが・・・)が座っていたからといって、「殺意」まで覚えて、それを恥も外聞もなく活字にするのは理解できません。
 

 それにつけても音楽評論家なら、金子建志氏のようにベートーヴェンについてならベーレンライター版楽譜の使用によるテンポの変化、ベートーベンのメトロノーム指示の問題等、近年のピリオド楽器による演奏傾向や解釈の違いを上げて欲しいし、シューマンでも交響曲第4番には現行版と初稿版の二種類の演奏があることにも触れる必要があるでしょう。また、ベルリオーズの幻想交響曲ならコルネットの使用の有無なども触れる必要があるでしょう。本当に意義のある交響曲の名曲名演なら、いせん「レコード芸術」がムックで発売した「究極のオーケストラ長名曲徹底解剖66」と題された本の中で取り上げられていた曲ぐらいの内容であって欲しいものです。

 

 この内容では本のタイトルに完全に負けています。どこが決定版なんでしょう。誇大タイトルと言っても過言ではありません。

カラヤンや小澤、ショルティ、セルなどの指揮が好きな人は、買わない・読まない方がいいと思います。私も後悔した一人でした・・・

(良い点)往年の大指揮者やチェリビダッケあたりの指揮が好きな方は読んでも害はないでしょう。