2022年 逝ける人々
小生の趣味に合わせて、そろそろ時期でもありますので今年逝ける人々ピックアップします。音楽家はもちろんですが、ポップスの世界で活躍した人や作家も含まれるのがちょっと他人と違うところでしょうか。
2月17日 大町陽一郎
3月3日 西村京太郎
4月17日 ラドゥー・ルプー
4月21日 ジャック・ペラン
5月9日 野島稔
5月17日 ヴァンゲリス
5月28日 潮田益子
6月17日 ジャン・ルイ・トランティニアン
7月19日 佐藤陽子
9月5日 ラルス・フォークト
8月8日 オリビア・ニュートンジョン
7月11日 モンティ・ノーマン
10月7日 一柳慧
10月23日 リヴォル・ペシェク
12月18日現在ではこんなところでしょうか。
さてこの人々の中で今年1度取り上げているのは大町陽一郎氏と西村京太郎氏です。
詳しくは下の記事に記載してありますので、ここでは繰り返しません。
ただ今年3月、91歳で逝去された西村京太郎氏は、絶筆となる「SLやまぐち号殺人事件」が今年8月25日に発売されました。「SLやまぐち号殺人事件」は、西村さんが病床でも書き続けた「オール讀物」の原稿と、未掲載の原稿をまとめたものです。
ラドゥー・ルプーの死去はちょっと残念でした。何しろ1993年に録音活動から手を引いてしまったのでほとんど新譜らしい新譜はありません。そんなことでちょっと忘れ去られていたのかもしれません。ただDECCAからのデビューは鮮烈で、小生の記憶の中では、アシュケナージよりも記憶に残っています。
昨年「ラドゥ・ルプーは語らない」という、タイトル通り本人は一切語っていない本が出版されましたが、そこでルプーに言葉を寄せる、彼を慕う多くの錚々たる音楽仲間・・・演奏家、マネジャー、調律師、レコード会社の元プロデューサー等など、一流の人ばかりが語るルプー像から、改めてそのことを強く確信させられます。
ルプーはてっきりデッカの専属だと思っていましたがなんとEMIにも録音が残っていました。なを、ルプーは1966年第2回ヴァン・クライバーン国際コンクール優勝者でもあります。
1969年のアカデミー外国映画賞輝いたのは、コスタ・ガブラス監督のフランス、ナイジェリア合作の「Z」でした。この映画で共演したジャン・ルイ・トランティニャンとジャック・ペランが今年相次いで亡くなったのは誠に驚きでした。
ジャン・ルイ・トランティニアン
「スエーデンの城」、「男と女」などが知られています。我々の青春時代には、クロード・ルルーシュ監督の「流れ者」、ルネ・クレマン監督の「狼は天使の匂い」が忘れられません。
ジャック・ペランはジャック・ドゥミ監督の『ロシュフォールの恋人たち』(1967年)や、「ロバと王女」(1970年)にも出演、さらには「ニュー・シネマ・パラダイス」にも出演していました。「Z}」では製作者としても参加していました。二人が共演したのはこの作品だけですが、検事とジャーナリストとして際立つ演技を披露していました。
野島稔
神奈川県横須賀市出身の国際的ピアニストで、東京音楽大学学長を務めた野島稔さんが、5月9日、肺がんのために亡くなりました。76歳でした。1969年の第3回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで第2位に入賞し、高い賞賛を得ました。アメリカの高音質レーベル、REFERENCE RECORDINGよりリリースした2枚のアルバム、1986年録音の『ノジマ・プレイズ・リスト』、1989年録音の『ノジマ・プレイズ・ラヴェル』は、いずれも彼の超絶技巧と圧倒的な表現力が大評判となり、海外での評価を決定づけたものとなりました。ちょうど今週の「NHK-FM「名演奏家の時間」でこの録音が放送さり、改めてその音楽性と音質の良さにびっくりしたのではないでしょうか。下はメフィスト・ワルツ第1番です。
ヴァンゲリス
5月にヴァンゲリスがなくなった時は、1つの時代が終わったなぁと感じたものです。シンセサイザーミュージックの黎明期を支えた1人がまた亡くなったのです。彼の音楽は喜多郎や冨田勲ともまた違う映画音楽に根ざしたBGM的な響きを伴った音楽でした。炎のランナー然りブレードランナー然りです。ただ個人的に1番好きだったのは、2002年のワールドカップ日本大会のアンセムという曲でした。
潮田益子
サイトウキネンで、活躍したと言うイメージが一番最後に残っていますが、個人的には基礎音楽祭で金上げられ奏でられた室内楽における潮田益子のバイオリンの響きが忘れられません。下は小沢/日本フィルと録音した小沢唯一のシベリウス作品のヴァイオリン協奏曲の第一楽章です。
佐藤陽子
佐藤陽子は池田満寿夫の奥さんと言うイメージが強いのですが、二人は籍を入れていませんでした。個人的にはバイオリニストとしての佐藤洋子の方がしっくりと来ます。ただ途中から引退のような形で夫を支えていたのは妻の役目としては当然かもしれません。下は若かりし頃の佐藤さんの弾くハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲です。指揮はもちろん鉢屋トゥりあんでオケはモスクワ音楽院管弦楽団です。
ラルス・フォークト
ラルス・フォークトは以前逝去した時に記事として取り上げています。個人的にはベートーベン匹弾きと言うイメージが強いのですがもっと幅広い活躍をしていた人です。これからが期待されていたのに残念な人材と言って良いでしょう。
オリビア・ニュートンジョン
オリビアは1970年代から80年代にかけて最も活躍していました。個人的には彼女がブレイクする前クリフ・リチャードの前座として来日していたことを記憶していますが、その後はヒット曲を連発していきなりメジャーアーティストになり、映画にも出演して大ブレイクしました。自然保護運動にも積極的で近年はそちらの活躍ばかりが話題になっていました。これまで4度グラミー賞を受賞し、アルバムの総売上枚数は1億を越える、全世界そして全世代の永遠のスーパー・アイドルとして活躍した彼女の日本独自の追悼盤が発売されてます。これは、1977年にリリースされた『Greatest Hits Vol. 1』と、1982年リリースされた『Greatest Hits Vol. 2』の2枚がセットになった作品集で全34曲が収録されています。その中でも一番記憶に残っているのは彼女の歌った「カントリー・ロード」でしょうか。
モンティ・ノーマン
この名前は、0007シリーズとは切っても切れない関係にあります。個人的にはこの曲だけで作曲家と言うイメージがありますがやはりこの1なくては007は存在しなかったと言っても良いでしょう。
一柳慧
現代音楽の第一人者としての作曲家のイメージがある一柳さんですが、個人的に彼の名前を知るきっかけになったのは1970年の大阪万博でした。下は1970年の大阪万博の太陽の塔のために作曲された'Music For Living Space' 1969です。
リボル・ペシェク
日本ではあまり話題になりませんでしたが、チェコの指揮者リボル・ペシェックが10月になくなっていました。彼の名前は以前から知っていて、どちらかと言うとマイナーレーベルの指揮者と言うイメージが強かったのですが、彼がバージンレコードに録音したドヴォルザークの交響曲全集は、自分の中ではかなり大きなウェイトを占めています。ロイヤル・リバプール・フィルの指揮者として長年勤め上げていましたが、そのオーケストラとチェコフィルをフィルは振り分けての交響曲全集はなかなか聞き応えがありました。このブログでもたくさん彼の演奏を取り上げています。