小澤征爾 覇者の法則 | geezenstacの森

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小澤征爾 覇者の法則

 

著者 中野 雄
出版  文藝春秋, 文春新書 2014

 

 

 たった一人でヨーロッパに乗り込んだ青年は、いかにして「世界のオザワ」となったのか?完全主義者の師・齋藤秀雄、巨匠・カラヤン、バーンスタインらとの運命的な出会いから、指揮者の頂点「ウィーン国立歌劇場音楽監督」就任への軌跡を辿り、マエストロ誕生の秘密に迫る!---データベース---

 

 この中野雄氏の作品はこれまでにもこのブログで度々取り上げています。

 

 

 

 これらの本を読んだ上でこの書を読むと小澤征爾という人間像がよりくっきりと浮かび上がって来ます。この本タイトルは「小澤征爾 覇者の法則」と厳しいのですが、プロローグでも書かれているように、作者なりの「小澤征爾という指揮者の物語」とでもいうものになっています。以下の章立てになっています。

 

目次

 

プロローグ

第1章 小澤家の遺伝子と育った環境(父・小澤開作から受けついだ資質;アコーディオンからの音楽こと始め ほか)
第2章 生涯の師 齋藤秀雄(教育者・齋藤秀雄の人物像;名教師たちの活躍した“時代” ほか)
第3章 指揮者の卵(たった一人の男子学生;人生を変えた「シンフォニー・オブ・ジ・エア」 ほか)
第4章 栄光の舞台への軌跡(トロントからサンフランシスコへ;名門ボストン交響楽団音楽監督に ほか)
最終章 小澤征爾とサイトウ・キネン・オーケストラ(齋藤秀雄メモリアルコンサート;新次元のオーケストラ誕生 ほか)

エピローグ

 

 

 なぜ彼だけが「世界のオザワ」となり得たのかという点を深掘りしています。著者の構想十数年を経て、有る若手指揮者の問いに答える形で、小澤征爾の持つカリスマ性の秘密を紐解いています。 ラグビーに夢中だった子供時代、無鉄砲な海外武者修行に飛び出した青年時代。カラヤン、バーンスタインといった巨匠からの絶賛。N響との対立という試練。数多の浮沈を経て、音楽界の最高峰・ウィーン国立歌劇場音楽監督に登りつめた世界のマエストロ・小澤征爾という人物を浮き彫りにしています。ここでは色々な資料にあたり、その知られざるエピソードを辿りながら、「説得力という不可解なオーラ」「文法的に正しい正確で論理的な思考法」「動物的な意志」など、指揮者としての成功を生んだ秘密に迫っています。それは、周りの人を巻き込んだ小澤流「逆境を味方にする力」の方法論とでもいえましょうか。偶然と必然が重なり、チャンスを次々と自分のものにしていくバイタリティがその原点にあるような気がします。

 

 

 著者は第一章で、「世界の一流の人達から、「お前のためなら」という無私の好意を引き出してしまう特異な才能を、小澤征爾という人は体内に持ってこの世に生まれてきたのではないか」、「私は彼の才能とその背後にある〝何か〟について、更に語っていきたい。その中に、こと音楽家に限らず、人生における〝勝者の法則〟とも言えるものが見出せるのではないか」と語っており、この〝何か〟と〝勝者の法則〟を解き明かしていくのが本書のテーマであり、経歴を追うことでその人間模様が見えてくるのでしょう。

 

 この本を手に取る人なら、小澤征爾の辿った足跡は既にご存知でしょう。その中で同朋時代に斎藤秀雄の助手としてオーケストラ周りのこまごまとした雑用を一手に引き受け、こなしたことが

のちのちの彼の活動でプラスに作用したことが書かれています。ヨーロッパの指揮者はコレペティトゥーアとしてオペラ歌手のピアノ伴奏を努めることで、曲を理解し現場から叩き上げて成長していくのが王道ですが、オペラを知らない小沢が、それとは違う方法でオーケストラの常任になっていく様は異質です。

 

 しかし、この方法で彼は

トロント交響楽団 1964-1968

サンフランシスコ交響楽団 1970-1976

ボストン交響楽団 1973-2002

と次々に北米のオーケストラの常任のポストについていきます。

こうすることで、常にシーズンのスケジュールを組み立て、一流のソリストと出会い、人脈を拡大していきます。その間には、ウィーンフィルの定期やベルリンフィルの定期にも登場しています。まあ、日本人としては破格の出世と言えるでしょう。

 

 

 この本では著者は、「文句なしに第一級」という人材が現れなくなった原因を、国が豊かになり、「沸騰するようなエネルギー」がなくなったことに帰していますが、こうした若手指揮者の現状を見る限り、そうした分析も、もっともなところがあると思わざるを得ません。佐渡裕が2011年にベルリンフィルを指揮した日本では話題になりましたが、たかが1回だけです。小澤征爾はカラヤンの故地があったとしても、1960年代に既にベルリンフィルを振って、さらにレコーディングも残しているのですから「文句なしに第一級」という評価は妥当ですし、「空前にして絶後の存在になるかもしれない」ともいっているのもうなづけます。一体、一体小澤征爾の後継者はいつ現れるのでしょうか?今そのステージに一番近いのは山田和樹か大野和士ぐらいでしょうかねぇ。それとも、少なくとも小生の生きている時代にその姿話拝みたいものです。

 

 

 

 「サイトウキネンフェスティバル」は2015年に「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」に名前を変えました。オーケストラのメンバーも30年以上経つと齋藤秀雄とは無縁のメンバーが大半を占めています。著者はサイトウ・キネン財団の評議委員も務めていますから、そういう名称変更の周辺の出来事についても語られていて、興味深く読みました。

 

 本書では、中盤以降有名なN響の指揮者ボイコット事件の詳細や、ウィーン国立歌劇場管弦楽団音楽監督招聘の裏話的な経緯を始めとして、全編にわたって、クラシック好きにはページをめくる手が止まらなくなるような面白い話題に溢れています。それらは前述の本と併せて読むとさらに面白いのではないでしょうか。この本ではあまり触れられていませんが、ボストン在任中のトランペットの首席のチャーリー・シュレイターの確執やコンサートマスターがジョゼフ・シルヴァースタインからマイケル・ロウに変わっていることにも触れられています。まあ、100%の掌握は難しいもので、7割掌握できれば自分の理想の演奏ができるとも小沢本人が語っています。

 

 

 最後に著者はこんなことも述べています。『プロのオーケストラを振る機会が与えられず、アマチュア・オーケストラの「指導者」だけで生計を立てている指揮者には、まず明日は無いと言ってよろしい。なぜなら、相手が素人集団ばかりだったら、彼は常時「お山の大将」で、切磋琢磨ー現場で鍛えられ、教えられ、学び、自らを高めていく機会がないからだ。』と断言しています。

 

 こう言い切る著者の着眼点の確かさ・鋭さにも、「確かにそのとおりだ」と素直に納得させられてしまいます。想像以上の読み応えのある一冊です。

 

著者の中野 雄氏