
オーケストラにとって指揮者は不可欠のカリスマか、それとも単なる裸の王様か? どんな能力と資質が必要とされるのか? ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、コンセルトヘボウ管弦楽団を舞台に、フルトヴェングラーからカラヤン・小澤をへてゲルギエフまで――巨匠たちの仕事と人間性の秘密に迫る。---データベース---
指揮者はオーケストラのなかでただ一人、音を出しません。考えようによっては、じつに不思議な音楽家です。では一体、何をしているのか? どんな資質や能力の持ち主なのか?著者によると、マエストロと呼ばれる名指揮者には、「強烈な集団統率力」「継続的な学習能力」「巧みな経営能力」「天職と人生に対する執念」の4つの素養が不可欠だとかいています。丁度、サイトウキネン・オーケストラの演奏を聴いたタイミングで読んでいたので実に興味深く読むことが出来ました。本書は、2011年の発行ですからつい最近までの指揮者の同行を追っています。その中にはこの小澤、サイトウキネンの記述も再三にわたって登場します。今年のサイトウキネン、前半のスパーノの指揮と後半の小澤の指揮を比べると明らかにオーケストラの音質が違います。コンサートマスターは前半が読売日響の小森谷巧、後半が都響の矢部達哉でしたが、七夕オーケストラと揶揄されるこのオーケストラの実力を持ってしても、指揮者の資質の違いによる音色の差は顕著なものでした。そういう点では、小沢征爾は明らかにマエストロでしょう。しかし、客演で来る指揮者は残念ながらまだその域に達している人物はいないようで、もう一つのオーケストラコンサートを指揮したファビオ・ルイージのチケットは売れ残っていたのか、当日券が発売されていました。このフェスティバル前途は多難な予感がします。
それはさておき、この本の特徴はレコード全盛時代その指揮者とオーケストラを関連づけて評していることでしょう。この本では日本標準のランキングに従ってウィーン・フィル、ベルリンフィル、そしてロイヤルコンセルトヘボウが取り上げられていますが、これがヨーロッパ基準なら、ロイヤルコンセルトヘボウ、ベルリンフィル、ウィーン・フィルという順位なので真逆の評価といってもいいでしょう。売れる為の本作りといってもいいのかもしれません。そのウィーンフィル、実は首席常任指揮者はいません。もちもち、国立歌劇場の選抜メンバーで構成されているオーケストラですから自主性があり、指揮者は飾り物と考えているオーケストラです。ここでは、レオポルド・ハーガーが指揮したコンサートは、指揮者が何もしなかったら上手くいったとか、ベームが振ったブラームスの交響曲第4番では途中で停電してしまったのにオーケストラは平然と最後まで演奏したエピソードなどがそれを裏付けます。
ベルリンフィルでは、フルトヴェングラーとカラヤンの確執にかなりのページが割かれていますが、録音というメディアを通してベルリンフィルの待遇改善をもたらしたカラヤンの功績にもちゃんとスポットを当てています。レコード時代、カラヤンほどクラシックレコードを売った指揮者はいないでしょう。まさにメディアの申し子でした。しかし、この帝王ははだかの王様でした。晩年は手兵のベルリンフィルにそっぽを向かれ、手にしていた終身指揮者の称号を返上する事態になります。そのベルリンフィル全盛期にはコンサートマスターにミシェル・シュワルベが座っていました。彼はカラヤンがスイス・ロマンドから連れて来たコンマスで、破格の条件は金銭面だけでなく、カラヤンの指揮する時だけコンマス席にいれば良いという条件も付いていました。これはこの本で初めて知ったことです。
だだ、記憶違いか不確定な記述も散見され、ベルリンフィルの最初のベートーヴェン交響曲全集はクリュイタンスがステレオで残していますが、それはモノラルだったとの表記(160ベージ)がなされています。こういう記述があると、この本の信憑性が疑われます。
ただ、著者の体験としてコンセルトヘボウとの出会いがページを割いて取り上げられています。小生的にはこのコンセルトヘボウの記述箇所が一番興味深く読めました。何となればベイヌムが急折したとき、コンセルトヘボウは若いハイティンクとドイツ人指揮者のヨッフムを共同常任指揮者に指名しています。そのヨッフムはコンセルトヘボウの為に当時、ハーグ・レジデンティ管弦楽団のコンマスをしていたヘルマン・クレバースを口説いたのです。それも、退路を断つ為にコンセルトヘボウの財務担当社も同席で説得したというのです。こうして、コンセルトヘボウにクレバースというコンマスが着任します。1950年代後半から1970年代にかけてのこの3つのオーケストラに共通するのは指揮者もさることながら、抜きん出たコンサートマスターが存在したことでしょう。それがウィーンフィルにはウィリー・ボスコフスキー、ベルリンフィルにはミシェル・シュワルベ、そしてコンセルトヘボウにはヘルマン・クレバースです。この本では紹介されていませんが、シュワルベはカラヤンがコンサートの曲目を間違えて指揮しようとしているのをそのカラヤンの挙動だけで察知し、事前にカラヤンに間違いを指摘したというエピソードがあります。
コンサートマスターの仕事は指揮者の考えをオーケストラに伝えることとオーケストラの考えを指揮者に伝えることがあり、その橋渡し役がコンマスの大きな役目です。しかし、そのオーケストラの音を作るのもコンマスの役目で、コンマスのあげ弓、下げ弓ひとつがオーケストラの音色を決めているといってもいいのでしょう。
私事ながら、クレバースの出会いはアムステルダム室内管弦楽団で演奏したヴィヴァルディの「四季」でした。ボスコフスキーも室内楽で活躍した演奏者ですが、クレバースはこのアムステルダム室内管弦楽団を率いて室内楽も良くしていましたし、ソリストとして多くの協奏曲を録音しています。このクレバース、事故でヴァイオリンが弾けなくなってコンマスを降りたちというエピソードはこの本で初めて知りました。
コンセルトヘボウは好きなオーケストラです。レコード時代は一番持っていたオーケストラではないでしょうか。何しろ売れないハイティンクの指揮でしたからレコードも廉価盤で安売りのオンパレードでした。そんなこともあり、棚にはコンセルトヘボウとハイティンクのレコードが随分と幅を利かせていました。でも、今になってみるとこの時代のフィリップスの録音凄くいいんです。ホールも良いなら、オーケストラも良いので当たり前なのでしょうが、渋い響きながらバランスが取れています。ベルリンフィルのようにギラギラしていないし、さりとて、ウィーンフィルのように弦が揃っていないということもありません。ショルティとはこの一点で馬が合わなかったのですから・・・・
この本を読んでいて、ウィーンフィルとベルリンフィルのボックスセットのCDが発売されているのにコンセルトヘボウが無いことに気がつきました。デッカはフィリップスコレクションでお茶を濁していますが、コンセルトヘボウコレクションも出して欲しいものです。