コンサートは始まる―小澤征爾とボストン交響楽団 | geezenstacの森

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コンサートは始まる―小澤征爾とボストン交響楽団

著者/カール A.ヴィーゲランド
訳者/木村 博江
発行 音楽之友社

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 1986年から87年にかけてのボストン交響楽団のシーズンはマーラーの一連の演奏と録音、さらに「ヴォツェック」の上演をかかえる重要な年であった。そのなかで起こったひとりの管楽器奏者と指揮者との確執問題を通して、リハーサルから本番までの日常の活動と過程を追いながら、オーケストラと指揮者の関係をジャーナリストの目で鋭く、ヴィヴィッドに描いたドキュメンタリー。 ===データベース===

 タイトルは「コンサートは始まる:小澤征爾とボストン交響楽団」となっていますが。元々の原タイトルは「In Concert Onstage and Offstage with the Boston Symphony Orchestra」です。つまりはコンサートの表と裏を描いているという訳です。つまり、小沢征爾のことを描いた本ではないということですな。オーケストラの内幕を描いたら、音楽監督の小沢征爾についても触れなきゃならないので必然的に登場するというスタイルです。それを日本版のタイトルでは、無理矢理小沢征爾という言葉を表面に持って来たという訳です。ですから、この本舗小沢征爾の本だと思って読むと失望します。この本は1999年に出版され、そこそこ売れたようで手元の本は1年後の第7刷になっています。ただ、今では廃刊になって文庫本化はされていませんし、この内容では復刊はしないでしょう。この本、もともとは新聞連載された記事がもとになって出版されたものです。

 当時「ボストン」誌で音楽のコラムを担当していたカール・ヴィーゲランドというジャーナリストの手によるもので、その内容は、1986年から87年に掛けてボストン響内部で起きていた、クラシック界の大スターでもあった音楽監督と、その音楽監督自らが大いに期待を寄せて獲得した首席トランペット奏者の摩擦,軋轢を中心に描かれています。小澤がボストンの音楽監督になっのは1973年ですから、そろそろ自分のオーケストラとして手中に収めた頃だろうと推測するのですが、現実にはそういう状態では無かったということが描かれています。コンサートマスターは、ジョゼフ・シルヴァースタインからマイケル・ロウに変わっていますし、ここでは、1981年に採用したトランペットのチャーリー・シュレイターとの衝突の場面から描き始められています。ええっ!という内容ですが、この内幕物すこぶる面白く、小澤の人となりをアメリカ人や楽団員がどう思っていたかが良くわかります。訴訟にまでなっていくチャーリー・シュレーター(Charles Schlueter)という第1トランペット奏者との確執は、小説を読んでいるくらい面白いドキュメンタリーです。この本を読む限り、アメリカでの特にボストンでの小澤の評価はあまり高くなかったようです。特に批判されるベートーベンなどのドイツ物。しかし、一方ヨーロッパでは絶大な人気を誇っていたのも事実で、こういうねじれた現象が起きていたようです。ここでは1987年のシーズンの演目であるマーラーの交響曲第2番がメインに据えられ、そのコンサートのリハーサルやフィリップスへの録音の模様も楽屋裏をのぞく視点で描かれています。

 この本での小沢征爾の描き方は音楽監督としての才能には疑問符をつけています。小澤は音楽以外の雑事はあまり好まなかったようで、このシーズンの頭に出てくる演奏家たちの賃金交渉のストライキなども全く関心を示していません。世界中を飛び回って忙しいとはいえ、こういう姿勢が本のなかでの楽団員とのきしみにつながったと思われます。そして、不幸なことにコンサートマスターとしてのマイケル・ロウも調整機能としての役割を適切に果たしていないという意味では同罪なような書き方をしています。実はこの新聞連載の記事はこのマイケル・ロウのコンサート・マスター就任を期に書き始められたものなのに、そういう扱いになっています。

 この本、コンサートやレコーディングを進めるための裏方達にもスポットを当てています。まさに英語のタイトル通りのスタンスです。このシーズン、小澤/ボストン交響楽団は
DGの為にプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」全曲、フォーレの「ペレアスとメリザンド」、シャブリエなどのフランス物と、フィリップスにこのマーラーの交響曲第2番が録音されています。DGレーベルへの録音はどれもプロデューサーがハンノ・リンケ、エンジニアがハンス=ペーター・シュヴァイクマンなんでが、フィリップスはプロデューサーがウィルヘルム・ヘルヴェック、エンジニアがオンノ・ショルツとジョン・ニュートンが当っています。ボストン響の録音会場であるコンサート・ホールは地下にコンソールルームを作り、そこでコントロールしています。この録音、3日間に渡るセッション録音ですが、その録音スケジュールが非常にタイトだったことが解ります。録音は合唱を伴う第5楽章から始まります。定期ではソプラノにエディット・ヴィーンズ、アルトにモーリン・フォレスターを起用していたのですが、セッションではフィリップスの意向でキリテ・カナワとマリリン・ホーンに変更されています。売れるための方策ですな。

 ところで、このドキュメントの主役のチャーリー・シュレーターは今はもうボストン交響楽団を退団しています。しかし、この本を読んで反対に興味をそそられました。彼は、1939年にイリノイ州のデュ・クォインという炭鉱の町に生まれ、地元でアコーディオンやコルネットを習った後、ジュリアード音楽院でかのウィリアム・ヴァッキアーノ(NYフィルの首席奏者で数多くの優秀なトランペット奏者を育てた教育者)に付いた人です。彼は、ミネソタ管弦楽団、ミルウォーキー交響楽団、カンサス市管弦楽団で主席を務め、セルのもとではクリーヴランド管弦楽団でも準主席を務めたこともあります。

 その彼が最初は小澤の入団試験にパスしてボストン響の主席になったのですが、このシーズンは首寸前までいっているのです。そして、1年以上もの間、微妙な関係にあったことを知って複雑な心境にもなりました。最終的には、音楽監督の小澤の方が折れ、完全ではありませんが自らの非を一部だけ認めてシュレイターにひっそりと最後に謝罪をします。この人の音色、この本では次のように表現されています。
「チャーリーは自分の音に厳しく神経を神経を集中させる。その音は彼の髭と同じくらい彼の一部になっている。-中略-優美な音だが、表情と情感に溢れている。音にはハリー・ジェームス(有名なジャズ・トランペッター)が少しと、ヴァッキアーノがかなり、そして変貌したデュ・クォイン(この人の生まれ故郷)がたっぷり混じっている。」

 まあ、この音色は次の演奏を聴けば確認出来るでしょう。これは1989年12月に来日した折りの大阪シンフォニーホールでの演奏です。コンマスのマイケル・ロウとともにトランペットのチャーリー・シュレーターも確認出来ます。


 この頃にはボストン響は、マーラーのレコーディングも着実に前進しており一枚岩になっていたと思われますので、素晴らしい演奏を展開しています。まさに、雨降って地固まるというドキュメントになっています。ネットではこの本が300円台から手に入ります。興味のある人は探して下さい。