「扶桑型」戦艦には1番艦「扶桑」と2番艦「山城」があり、共に1944年に同じ海域で沈没し、その姿は現在も確認されていません。
1915(大正4)年に扶桑、1917(大正6)年に山城がそれぞれ就役。古い艦なので米国との戦争までには幾度か改装を受けており、改装後の特に扶桑の艦橋のアンバランスさが現在の海外ミリタリー愛好家に人気があるようです。
因みに日本のミリオタの方々からも『違法建築』と時々揶揄される事があります。

 

改装後の扶桑 (Wikipediaより)

 

手前に山城、奥に扶桑。 更に奥に戦艦・榛名が見える (Wikipediaより)


この扶桑型戦艦2艦は、35.6cm主砲を備えつつも、対米戦開戦時には速力の遅い老朽艦となっており、あまり最前線へと出て行く事はありませんでした。
1944年10月のレイテ沖海戦におけるスリガオ海峡海戦で共に沈没。共に1500名近い将兵が犠牲になりました。

マイクロソフト共同創業者ポール・アレン氏には、同じレイテ沖海戦で沈んだ戦艦「武蔵」を発見したついでに、この扶桑と山城も探してくれないかなぁ~などと思う次第です。ただ武蔵は世界最大の戦艦というバリューがあった故に、資産家の食指も動いたのでしょが、これといった戦績もない日本の戦艦の探索まで期待するのは無理でしょうね。
そして、実際に捜索・発見して多くの人の注目を浴びた方がいいのか、もう砲声も聞こえない静かな海の底で人知れずそのまま眠っていた方がいいのか、梅之助には正直なところ分かりません。

以下、沈没地点データは「Googleマップで見る軍事的スポット」参照。

扶桑 沈没地点


山城 沈没地点


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