スズメの子育て ~孵らなかった卵3個~
我が家の軒下にある、
スズメ用の巣箱で、
二度目のヒナが巣立ってすぐ、
別のスズメ夫婦が
その巣箱では
三度目の子育てを始めたことを、
8月14日に、
「軒下でみたびスズメの子育て ~巣立ってすぐの巣を拝借~」 でお知らせした。
こんな猛暑の中で、
本当に子育てができるのだろうか?
でも、
途中までは
餌も運んで
ヒナの糞も運び出していた。
ヒナが育っていたことは間違いない。
そのヒナの
巣立ちの様子を観察しそこなって、
その後どうなっているのか
思い切って巣箱を確認してみたら、
3個の卵が
中に置き去りにされていた。
9月10日過ぎから、
親スズメが
巣箱を訪れるのを
あまり目にしなくなった。
もうとっくに
ヒナは巣立っているはずだから、
来なくなっても不思議はないが、
それでも、
巣立ちを確認していないので、
まだ子育て中かもと、
中を覗くのを控えていたのだが、
いくらなんでも
この暑さの中、
放置が長い。
そこで、
思い切って
巣箱を外して
中を確認して見た。
この巣箱は、
軒下用なので、
天井板は
最初から付けていない。
だから外すと、
上から丸見えだが、
びっしりと巣材が入っている。
巣箱を開けると
このような状態。
三回目ともなると、
それぞれの夫婦が
巣材の補強をするから、
こんなにびっしりと詰まっている。
その奥の方に、
小さな卵が3つ
取り残されていた。
中で壊れているわけではない。
見た目には、
健康な卵と
何ら変わらない。
巣箱から、
巣材を丸ごと取りだし、
少し巣を広げてみたが、
卵を取りだし、
重さを確認して見ても、
ちゃんと重さがあり、
乾燥して
殻だけになっているような感じではない。
だからと言って、
もしもの事を思うと、
とても
自分で割る気は起こらない。
そんな思いのまま
ひょいと1つを
コンクリートの上に置いたら、
「バシッ!」 と自分で
はじけてしまった。
「びっくりした~!」
「これはどういうことだ?」
他の二つも
意識的に
少しの衝撃が加わるように
コンクリートの上に置いたら、
やはり
同じように
爆発的にはじけてしまい、
中身が流れ出て来た。
暑さで、卵の内圧が高くなったまま
今まで静かに置かれていたので、
そのままの状態を
かろうじて保っていたのだが、
取りだされて、
殻の一部に
衝撃が与えられたことで、
そのまま破裂してしまったようだ。
その様子をご覧いただくが、
そのままの色合いだと、
写真が余りにもリアルで、
せっかくお出での方に
不快なイメージを与えたらいけないので、
写真の色を
反転して載せます。
ご覧の通り。
多分無精卵だったのだろう。
何匹かは巣立ったのだろうが、
この3個は
孵らぬ卵となった。
あるいは、
焼けつくような猛暑の中で、
卵の成長が留まったのかもしれない。
ほとんどの小鳥たちは、
早春から初夏にかけて子育てをし、
猛暑の夏は避けるのが普通だが、
この番いは、
子育ての様子を見せたのが、
8月14日。
全部が無事に育つには、
最初から、
いかにも無理があった。
この巣箱は、
これで今年の役目を終わり、
きれいに洗って消毒をし、
また元の位置に設置しておく。
来年の春、
もっと早い時期に
ここに戻ってきて、
今度はゆっくりと
子育てをすればよい。
でも、
この巣箱は
たった1つしかないのだから、
早い者勝ちであることを承知して、
出来るだけ早く戻って来るんだよ。
自然界では、
こんなことはいくらでもあるだろう。
でも
我が家では初めての、
スズメの子育て
一部失敗の報告でした。
クモの巣の美 ~クモの糸の不思議~
年末などの
大掃除の時には、
竹ぼうきを逆さにして、
軒下のクモの巣を
何の感情もなく取り払っていた
幼い頃、
クモの巣を見ても、
不思議ともなんとも思わなかったが、
近頃は、
その美的な形状に
感嘆すら覚える。
そのクモの巣。
「クモの巣」 と一般的には呼ばれるが、
「巣」というものは、
そこで生活が営まれている時に
使う言葉で、
人でいえば
家にあたる。
コガネグモや
ジョロウグモなど、
その中心にとどまっているものに対しては
当たらないでもないが、
その他のクモは
必ずしもその中心におらず、
いつもは脇に隠れているものもたくさん居るので、
正確には
クモの巣ではなく
「クモの網」と言った方がよいかもしれない。
その
クモの網。
例えば
家の軒から
2、3mも離れた木の枝に
枠糸を渡しているが、
クモが、
軒下から下に降りて、
地面をノコノコ歩き、
目指す木の下まで行って
それを登り、
同じ高さの枝まで、
糸を引いて行って
枠糸を張るのだろう、などとは、
誰も思うまい。
思わないけれども、
張っていて当たり前なので、
どのようにして張るのかさえも
普通は考えない。
網の張り方を、
ご存知の方も多かろうと思うので、
そのような方は
今日はスルーして下さい。
御存じでない方に
簡単に説明します。
まず、
クモが軒下に居たとします。
そのクモが2、3m離れた木の枝に行くには、
自分が糸にぶら下がって、
ブランコみたいに揺れて行くことも考えられるが、
クモにはそんな智恵はないし、
ブランコを
漕ぐ方法も知らない。
それよりもっと
賢い方法で
向こうの木の枝に糸をつなげる。
それは、
自分のお尻を上にして、
細い細いクモの糸を、
少しずつ空中に出し、
風に載せて流すのである。
風に乗ったその糸は、
いつか木の枝に到着し、
そこに絡み付く。
その糸を伝って木の枝に移動するとき、
軒から新しく強い糸を引いていき、
枝までの枠糸を補強する。
それがまず最初の足場になり、
後は
その中心点くらいから
自分が下に垂れさがっていき、
下に適当な場所を見つけたら、
そこに糸を固定し、
新しい糸を引いたまま
また上がってきて
今度は中心に固定し、
その後、脇の方に移動して
別の場所にまたその糸を固定する。
それを繰り返して、
枠糸と
中心からの
放射状の糸を完成させ、
最後に、
レコードの溝みたいな
横糸を
一般的には外側から、
中心に向かって
等間隔に張っていき
網を完成させる。
網の張り方を
言葉で説明すると、
長くなるので
簡単に書きましたが、
理解していただいたでしょうか。
(クモの種類によって、網の形もいろいろありますが、
今日はごく普通の扁平な丸い網に付いて説明しています)
その、横糸の見事さ。
さて、
この網には、
ハエや、
蝶や
アブやハチなどは
簡単にくっついてしまうが、
なぜ自分はくっつかないのか。
この網、
横糸だけに粘液が付いており、
そこに触れた虫などが
くっつくわけだが、
枠糸と、
放射状の糸は
実はくっつかない。
クモはそれを分かっているから、
それを伝って
くっついた虫のところに行き、
捕獲糸をだして、
グルグル巻きにして自由を奪い
餌にする。
さて、
これまでの説明で、
クモは、
自分のお尻から、
意図的に
何種類もの糸を出し分けていることに
気付かれた方は
鋭い。
まず、
風に流す細い細い糸。
それを補強するための強い糸。
網の枠糸と放射状の、くっつかない糸。
獲物をくっつけるための粘液の付いた横の糸。
そして
獲物をグルグル巻きにするための幅広く束になった糸。
これらを
同じお尻から、
自分の意志で
出し分けるのである。
あの細い糸に
なぜつかまって居れるかは、
足先を拡大して見れば分かるが、
簡単に言うと、
足先にとがった2本の爪があり、
その2本の爪が、
更に櫛状に小さく裂けており、
それで
粘着性のある横糸をよけながら、
放射状の糸をひっかけて
移動するのである。
他の網のクモを
別の網のクモの網に
投げ入れてやると、
クモといえども、
網にかかって身動きが取れなくなり、
その網のクモに捕獲されるのは、
やってみればすぐに分かる。
このクモの糸の粘着力は
クモの種類によって強度が変わるが、
家の裏側の
軒下などに張られている、
茶色い
丸っこい身体をしたクモの、
網の粘着力は強力で、
針金で作った15cmくらいの環っかで
そっくりその網を頂き、
竿の先にセットして、
セミなどにかぶせて取ると、
トリモチなどでとったセミと違い、
羽を痛めることがなくて、
非常に重宝したのを覚えている。
小さい頃、
コガネグモを自分の家の軒下で飼い、
ハエなどの餌を与えて大きくし、
友達のクモと
喧嘩合戦をやっていたころが
なつかしい。
今の子供達は、
そんなクモなどを見せたら、
きっと逃げ出してしまうか、
泣きだしてしまうに違いない。
人は、
自然から余りにも遠くなってきた。
フラワーアレンジメント ~花の弁当?~
我が家の庭に咲いた花々は、
盛りの時に
あるいは
終わりに時に、
切り花になって
玄関に飾られ、
華やかさを演出するが、
月に二度ほどは
こんなものが
どんと居座る。
四角い箱の中に、
たくさんの花が押し込まれ、
トンボが留まり、
リンゴが置かれている。
月に二度ほど登場する
このような作品は
我が女房殿が通っている
フラワーアレンジメントの日に
持ち帰ってくるものである。
以前のアレンジメント作品は
白い花ばかりの作品が多く、
花は
カラフルなものが好きな
私の好みに合わなかったので、
玄関への飾りつけは
固くお断りしていたのだが、
近頃の作品は、
少し色気も出て来て、
何とか飾れるようなものになって来たので、
場所の提供を許している。
白い花はトルコキキョウ。
本来なら、
ふわ~っとフリルみたいな曲線に
広がって咲く花だが、
丸く押し込めてあるので、
薔薇の花と見まがう。
青い花は
季節の花リンドウ。
赤い花は
これも季節の花小菊。
スペースを埋めている
小さなピンクの花は、
ワックスフラワー。
花びらが
ワックスをかけたみたいに
つやがあるのでそう呼ばれるが、
あまり目にしない花。
トンボとリンゴは、
中の花に視線を集中されると、
四角四面に押し込んだ
この作品には
自然さがなく
すぐに飽きられる可能性があるので、
きっと
その視線を
そらすための手段として、
脇に置いたポイントだろう。
私は、
このトンボとリンゴは、
師匠が
作品の不完全さを認めた
窮余の策の
付属品であると、
判断する。
女房殿に、
この作品は、
「未完成花見弁当」だな、
と言ったら、
怒っていた。
だけど、
当たらずとも遠からず、
だと思いません?
皆さん!
アオイの世界 ~芙蓉とは・・・。~
以前、
「芙蓉」 とは、
富士山のことを表す言葉だと書いた。
「芙蓉」 とか、
「芙蓉の峰」 と表現する。
美しい、という言葉の
行き着いた先が
富士の峰。
その芙蓉。
先のブログで、
「スイフヨウ」 は書いたが、
普通の芙蓉に付いて
説明が足りなかった。
だから今日は、
スイフヨウに盛り上がった後ではあるが、
敢えて、
普通の芙蓉を、
簡単に紹介したい。
白花の芙蓉。
アオイの仲間はたくさんあるので、
葉の大きさを
記憶にとどめてほしい。
ピンクの芙蓉。
風が強くて、
花びらがきれいに開くタイミングを取れず、
つつましやかな姿ではなく、
全開の姿を写したが、
本来の芙蓉は
こんな隙だらけの姿ではない。
芙蓉は、
花は一日だけの短命だけれど、
ご覧の通りに、
次から次に、
つぼみが花開く。
木としては、
非常に丈夫な性質である。
花を楽しむために植えても、
隙を見せれば、
たちまち身長より高くなり、
花を上に見ることになる。
これでは本来の
花の美しさが見られない。
管理がしっかりしていないと、
真正面から
花をなかなか見られない。
色鮮やかな花。
昆虫ならば、
どんな虫でも誘われそうだが、
簡単に誘いに乗ったら、
命が危ない。
こんな敵が、
それも自然界。
きっと、
芙蓉を訪れる虫も、
そんな危険が待っていることは、
親から聞いていることだろう。
せっかくだから、
アオイの仲間、
「ムクゲ」 にも触れよう。
ムクゲの花。
花の中心にある模様は、
ジュエルなどと同じで、
その花が、
外に対して
何かを訴えている模様なのだろうが、
科学的には解明できていない。
ムクゲも
1日だけの花。
こんな歌がある。
「それがしも 其(そ)の日暮らしぞ 花木槿」 ( 小林一茶)
花は、
芙蓉も
ハイビスカスも、
そしてムクゲも
いくらも変わらない
美しい姿。
しかし、
お気づきの通り、
葉に
大きな違いがある、
さて、
花のデザイン。
昆虫でなくても、
このアオイ科の
花びらが広くてきれいな
花のデザインには引かれる。
自然は、
昆虫などが感じる感性を、
人にも
微かに感じるように、
残してくれているようだ。
だからこそ、
人は
花の気持ちも、
虫の気持ちも、
少しずつだが、分かるように
出来ている。
スイフヨウの人気が
意外と高かったので、
今日は一服のつもりで、
一般的な芙蓉に触れた。
筆者は、
ここら辺りで
ちょっと休憩・・・・・・・。
酔芙蓉の1日 ~燃え上がる命の美~
アオイ科の植物について、
少しふれた。
タチアオイ、
トロロアオイ、
モミジアオイなどの
葵の付くものはもちろん、
オクラ、
ムクゲ、
ハイビスカスなども
アオイ科。
もう一つ
芙蓉。
これもアオイ科。
今日は
その
スイフヨウ(酔芙蓉)について記す。
スイフヨウの一日。
6:34
朝日が射し始めた頃には、もう完全開花。
ジュエルなどと違って、
早起きの花。
8:34
気持ち色づき始めるが、
しかし、、遠目にはまだ白。
その時の1輪。
8:34
それから2時間も経つとこうなる。
10:44
ほのかに紅がさす。
更に2時間。
12:27
遠目にも朱がさして、
恥じらうような表情がいい。
その時の1輪。
ほんのりと色気さえ漂う。
いよいよスイフヨウの本領発揮。
更に2時間。
14:26
大人の雰囲気が漂ってきた。
空に向かってさえ、
堂々としたたたずまい。
我が人生に、隠し事なし。
天に何ら恥じることなし。
その態度に、
いよいよ美しさがいや増す。
更に2時間。
16:28
完全に真っ赤に色づき、
もう熟女のいで立ち。
そこいらの花はお呼びではない。
大の男でも
思わず尻込みするような、
大人の雰囲気。
遠ざかる太陽に向かって、
「もう行くのかい?」
「しばらく相手してくれてもいいだろう?」
盛りの花は問いかける。
太陽が
西に傾けば、
そりゃぁ、もう少し、
命を長らえたいだろうと思う。
この美しさで終わらせるのは
誰が見ても惜しい。
しかし、
万物をつかさどる太陽は、
決してスイフヨウだけに
甘い顔は見せない。
非情とも言うべき時は過ぎ、
更に太陽は西に傾き、
花たちに
さよならをする。
それからしばし時は経って、
17:54
太陽の遠ざかるのを見て、
1日の終わりを悟り、
スイフヨウは
静かにわが身を閉じ始める。
一気に燃え上がった花たちは、
自分の命の終わりを知っている。
何の未練も持たずに、
花びらを閉じ、
その生涯を終える。
余りにもはかなき花の命。
一気に燃え上がればこその
この潔(いさぎよ)さである。
太陽よ、
去りたくばされ。
われはその前に
わが命を閉じよう。
太陽が昇る前に
全開して太陽を迎え、
太陽が姿を消す前に、
己の命を閉じる。
スイフヨウは、
それを見る人にも、
いろいろと示唆してくれる。
あなたの人生、
限りある命、
今、
燃え上がっていますか?
いつでも命を閉じられるほど、
全開で燃え上がっていますか?
<追記>
この芙蓉を、
人の酔いに例えて
「酔芙蓉」 と名付けた命名者は、
オオイヌノフグりとか
ヘクソカズラなどと名付けた
命名者に比べて、
はるかに風流を解し
賢人であるか
想像に難くない。
この花は、
初めに
そんな洒落た人に
出会えてよかった。





























