吉祥寺ライブハウス ~Twin Trianglesの魂の歌~
私のブログにお出で頂いている、
「Twin Triangles」さん。
以前渋谷に
その歌を聞きに行ったことは、
「心の響く魂の歌 ~Twin Trianglesのライヴに涙~」 で書いた。
この頃、
まだ私のブログにお出でになってなかった方は、
是非一度時間をさかのぼり、
このブログを覗いてから、
先へ進んでいただければうれしい。
私は
何が苦手かと言って
音楽ほど苦手なものはない。
だから、
ライブハウスなどで、
自分で作詞作曲し、
自分で楽器を弾いて、
そして自分で歌える人なんて、
私には遠く及ばない人で、
うらやましくて仕様がない。
だから私がライブを聴きに行くと
なまじ音楽のできる人が聴くのと違って、
うまい下手などの論評をするような俗な聴き方ではなく、
神がかり的なことやっている人たちだと思って
驚きの気持ちで聴き入っているから、
受ける感動も普通ではない。
そのTwin Trianglesのライブが
吉祥寺のライブハウスであることが分かり、
久しぶりに聴きに行って来た。
ライブハウス内部の様子。
カラオケと違って、
このような完全な設備のところで歌うのだから、
出演者は当然素人ではない。
どちらかと言うと、
プロと同じレベルの歌唱力を持っているにも関わらず、
デビューのチャンスに恵まれなくて
それでも歌が大好きで
このようなところで披露している、
そのような人たちではないかと思う。
Twin Trianglesのボーカル
篤子さん。
彼女の場合は、「ひろこ」さんと読む。
前にご紹介したブログの
渋谷での様子を読んでいただければ、
彼女の歌の気持ちが伝わると思う。
今回の歌は、
伊勢神宮に参拝した時に
おごそかな気持ちで作った歌だそうな。
歌っている最中は
ほとんど目を閉じていて雑念を払い、
心からその歌詞に乗せた思いが
口から言葉となってほとばしり出る。
シンプルに、
静かなギターの音だけが、
その言葉を装飾する。
聴く人の心に響く魂の歌。
西行法師が伊勢神宮を参拝した時の歌が披露されていたが、
重複を恐れずに書くと、
それはこうだ。
「なにごとのおわしますかはしらねども
かたじけなさになみだこぼるる」
西行法師は真言宗の僧侶である。
その人が伊勢神宮で、
かたじけなさに涙がこぼれるほど感銘を受けているのである。
伊勢神宮境内が
いかにおごそかなエリアであるかが良く分かる。
真言宗の僧侶が
神社に詣でた、などという
俗な解釈をするようではそれこそ俗人である。
西行法師ほどの人物が、
「なにごとのおわしますかわ知らねども」と言っているのだが、
彼は駆け出しの僧侶ではない。
何があるかは百も承知で
このように詠む謙虚さ。
伊勢神宮や
熱田神宮、
明治神宮、
霧島神宮など
およそ神宮と名がつけば
祀ってあるのは
天照大神につながる神々。
それはとりもなおさず、
日本の天皇家の系図である。
きっと西行は、
有史以来日本国を築いてきた
天皇家の長い歴史に思いを馳せ、
自分が今ここにあることも
結局はその人々のおかげだと、
感謝の気持ちと同時に
崇高な気持ちになったに違いない。
独自の解釈ながら、
その気持ちの表れが、
私は前述の歌だと信じる。
そのような思いを乗せた
Twin Trianglesの歌に
しばし聴き入ってきた。
苦手な音楽ではあるが、
また機会を作って聴きに行こうと思う。
ジュエルとその仲間たち ~松葉ボタンの季節到来~
日中の気温が
ぐんぐん上昇してくると、
松葉ボタンの季節がやってくる。
咲き始めた松葉ボタン。
もうすぐ花壇一面が松葉ボタンの花で覆われる。
私の大好きな
紫一重大輪の
「ジュエル」の出番。
「ジュエル」
これから
いろいろな色の松葉ボタンをおみせしますので、
ジュエルが
他の松葉ボタンと違うところを
見つけてください。
同じ赤でも微妙に違います。
少しずつオレンジが強くなってきています。
遂には黄色が勝ってしまいます。
中心部が、紅をさしたみたいで可愛いですね。
同じ黄色でも、花びらの顔が違います。
一枚ずつの花びらが、ハート模様。
3色揃い踏み。
一番左の紫の花は、
ジュエルに似ていますが、
ジュエルではありません。
もう違いがお分かりだと思います。
ジュエルは
品種改良されて、
色を固定された特別の花ですが、
紫一重大輪の花で、
中心部が濃い色に塗りこめられ、
他の花のように
花びらより薄い色で、
星形を形成している模様ではありません。
松葉ボタンを愛でるのに、
そのことはあまり関係ありませんが、
ジュエルは、
私がほぼ5年おきの転勤にも、
決して手放さずに連れて来た花で、
終の棲家になったここで、
やっと定着したので、
他の花より
はるかに思い入れのある花です。
我が家の花壇は、
春から夏にかけては、
ジュエルが芽を出し
花を咲かせるために、
他の花は一切植えずに、
ジュエルのためだけに花壇を空けてあります。
また今年も、
期待通りに、
仲間たちと一緒に
花壇を彩ってくれるはずです。
そうそう、
松葉ボタンは一重に限ります。
花びらのあの薄さは、
いかにも弱々しくて、
何かしら手を貸してやりたくなりますが、
その実
真夏の太陽がどんなに照りつけても、
ビクともしない強さを持っています。
女性も、
素顔が美しく、
可弱そうに見えて、
そのくせ
芯のしっかりしている人が、
最高に魅力的だと思いませんか。
ミセバヤは今 ~不死鳥のごとく~
「ミセバヤ」
現在の姿です。
「だれに見せばや(だれに見せようか)」、という気持ちから
このような名前が付いた植物だが、
いつの時期をもって
だれに見せばや、と思ったのだろうか。
そのように考えながら
1年を通して観察していると、
その意味は
秋にあったことが明確になった。
秋のブログでもご紹介しましたが、
その時の姿をご覧ください。
「ミセバヤ」
多肉植物で、
こんな見事な変化を遂げる植物を
私は知らない。
まさに燃え上がる炎の色。
その燃え上がり方は尋常ではない。
普通の紅葉は
葉だけが赤くなり、
そして葉だけが散るのだが、
ミセバヤは
株全体が燃え上がり、
そして茎も含めて
全体が燃え尽きてしまう。
そして
その燃え尽きた株の根元には、
不死鳥のごとく
次の命が蘇っている。
この小さな命を付けたまま、
厳しい冬を越し、
春にそれぞれの芽が伸び出して、
今に至ったのが、
冒頭の写真である。
これから後、
11月にはこのように、
可愛いピンクの花を
枝の先にびっしりと付ける。
その花が終わると
株元の方から少しずつ燃え始め、
12月には
わが身を燃やしつくすほどに燃え上がり、
そしてすべてを燃やしつくして、
次の世代に命を託す。
見事というしかない。
そのミセバヤは
今ごく自然な装いで
穏やかな日々を送っている。
もうすぐ来る
燃え上がる秋を静かに待ちながら・・・。
人も
人生の中で、
燃え上がるべき時を違えずに
しっかりと燃えて生きたい。
そして
後悔なく次の世代に命を託せたら、
あとは穏やかな人生が送れると、
私はそう信じている。
ホットリップス ~愛の溢れる花チェリーセージ~
「ホットリップス」
この花は、
必ずペアで咲く不思議な花。
赤い部分が
熱き唇にも似て、
こう呼ばれる。
時が来れば
待ってましたとばかりに咲くけれど、
しかしその花は、
昨年咲いた花とは違う。
時は確実に移ろいで行く。
「世は無常」
しばしその雰囲気にお浸りください。
ゆく河の流れは絶えずして、
しかももとの水にあらず。
淀みに浮ぶうたかたは、
かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。
世の中にある人と、栖(すみか)とまたかくのごとし。
たましきの都のうちに、
棟を並べ、甍(いらか)を争へる、高き、いやしき、人の住ひは、
世々を経て尽きせぬものなれど、
これをまことかと尋ねれば、昔ありし家は稀(まれ)なり。
或は去年(こぞ)焼けて、今年作れり。
或は大家(おほいへ)亡びて小家(こいへ)となる。
住む人もこれに同じ。
この花は、二つで一つの花と見た方が良い。
無常の世にありて、お互いに寄り添って咲く。
所も変らず、人も多かれど、いにしへ見し人は、
二三十人が中(うち)に、わづかにひとりふたりなり。
朝(あした)に死に、夕(ゆふべ)に生るるならひ、
ただ水の泡にぞ似たりける。
知らず、生れ死ぬる人、何方(いずかた)より来たりて、何方へか去る。
また知らず、仮の宿り、
誰(た)が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。
その主と栖と、無常を争ふさま、
いはばあさがほの露に異ならず。
或は露落ちて花残れり。
残るといへども朝日に枯れぬ。
或は花しぼみて露なほ消えず。
消えずといへども夕を待つ事なし。
(方丈記・冒頭 鴨長明)
「チェリーセージ」。
サルビアの仲間だと言うが、
サルビアほど一気には燃え上がらない。
二つで一つの花は、
何となくロマンが漂う。
人もまた同じ。
あなたは今、
ちゃんと二人で一つになっていますか。
二人ではあるが、
寄り添えなくなってしまっていませんか。
寄り添う相手が、
本来の相手ではなく、
犬や猫に取って代わられていませんか。
二つで一つの花。
愛情あふれる花だけに、
考えさせられる花ではある。
愛のある風景 ~真実の愛は与えるもの~
近所を散歩していて、
さりげなく目にした風景。
みなさんは、
散歩の途中に
こんな景色を見かけたら、
何を考えますか。
ほとんどの人は、
どこにでもある風景として
きっとそのまま通り過ぎるだろうが、
でもここには
やさしい確かな愛がある。
ママチャリはもちろんどこにでもある。
そしてその前にある、
ピンクの小さな自転車は、
まだ補助輪がとれていないので、
多分3歳くらいの女の子の自転車だろう。
その女の子は、
ママチャリについている子供用座席に
ついこの間まで座っていたのだろうが、
小さな自転車を買ってもらってもまだ、
ママチャリにはその座席が付いているのだから、
きっとその女の子の
ちっちゃな弟か妹がいるに違いない。
そのチャリの置いてある
家の壁をご覧ください。
窓に小さな花が活けてあり、
それもさりげなく外側に向けてある。
出窓ではないが、
壁の厚さの分だけ窓に厚みがあり、
外にガラス窓がはまり、
内側は二重の窓か、
もしくは網戸かもしれない。
その厚さの場所に、
クレマチスと思われる白い花と、
さてオレンジの花はなんでしょう。
八重咲きのガーベラか何かでしょうか。
キク科の植物は
似たものが多くて、
葉や株の状態が分からないと
簡単に判別できないが、
それはさておき、
この花は
外側に向けて活けてある。
ここがこの花を活けた人のやさしさ。
二重窓の内側の窓は
濁り窓だから内側からは見えないので、
だから外側に向けてあるだけ、などと、
無粋なことを考えたらいけない。
そんなことを考える人は、
大体最初から
窓に花など活けないだろう。
敢えて外向きに活けてあるところに、
この人のやさしさがある。
それは、
自分たちのためではなく、
きっと前の通りを通る
不特定多数の人たちに
喜んでもらえれば、と
活けてあるのだろう。
そんな人が、
この小さなピンクの自転車の子供の
お母さん。
ママチャリの
後ろに乗っている小さな子供のお母さん。
この子供達は、
母の愛に見守られながら、
感性豊かな
やさしい大人に育っていくことだろう。
こんな景色を見ても、
何も感じない人は
俗世間のアカにまみれて
考え方が殺伐として来ているかもしれないことを、
ちょっと用心した方がいい。
そんな考え方は
すぐに子供に伝染するのだから。
子供にもたっぷりと愛を与え、
道行く人にも愛を与える
愛があふれる
日常の風景の話でした。




















