とある大御所麻雀プロと会食中、ぼそっと呟かれた言葉をよく覚えている。
「俺たちの時代、プロの麻雀は文学だった。どう表現するかっていう勝負だったんだよ」
昭和40年代の麻雀ブーム、その象徴は阿佐田哲也だった。
「麻雀放浪記」をはじめベストセラー連発、またプロデューサーとしても辣腕を発揮、麻雀新撰組を率いてテレビの人気バラエティ番組にも多数出演した。
彼の影響力はあまりにも大きく、それは現在にまで及んでいる。
ただ、ブームから半世紀近く経つ今、その影響力に負の側面があることも確かだ。
「麻雀放浪記」はピカレスクロマンである。
そこでは「イカサマ」「賭け」が重要なファクターとなっている。
世間にはいまだに、麻雀プロ=イカサマ、というイメージを持っている人も多い。
私が麻雀プロであることを伝えたとき、「へーすごいですね。イカサマとかもできるんですね」と言われたのは1度や2度ではない。
先日も竹書房の社員が企業対抗麻雀に出たとき、他社から「竹書房の社員さんてイカサマとかできるんですよね。勝てるわけない」なんて言われたそうだ。
これらは阿佐田及びそこから派生したものによる悪影響であると言わざるを得ない。
ピカレスクロマンによく合う素材だと認識されているうちは、劇的なイメージアップやメジャー化はなかなか困難である。
阿佐田哲也の功績は果てしなく大きい。
ただ、今後はその影響力に伴う負の側面を払拭していくことも大事だろう。
阿佐田の大きな功績のひとつは、花札やチンチロリン等と同列のギャンブルだとみなされていた麻雀を知的ゲームのひとつであると世間に認識させたことだ。
彼が著した戦術書「Aクラス麻雀」は広く読まれ、麻雀人口の増加に大きく寄与した。彼のとなえる戦術がスタンダードになることは必然だった。麻雀=阿佐田哲也であった時代、対抗馬などいるはずなかった。
阿佐田哲也は文人である。
ゆえに彼が説く麻雀戦術もたぶんに文学的である。
因果の流れに重きを置き、勝ち負けの機微を説く。
それは趣深いもので、格調高い。人々の情緒にしっくりくる優れた文学である。
阿佐田は絶対的なスタンダードであり、麻雀プロの世界でもそれは同じだった。
文学的な戦術を操り、文学的に表現する。それこそがプロの麻雀であったのだ。
阿佐田が麻雀を知的ゲームだと世間に認識させたことで麻雀の間口は広くなり、また阿佐田以外の業界人の努力もあり、徐々に多士済々な若者が麻雀プロの世界に入ってくるようになる。
やがて、上の世代が予期しなかったことが起き出した。
何人かの優れた若手が、絶対的スタンダードである「阿佐田的戦術」を公然と否定しはじめたのである。
彼らはまとめて「デジタル派」などと呼称されていたが、当人達は不本意だったろう。
彼らは個々の雀風も全く異なるし、平面的な確率のみを重んじでいるわけでもない。
ただ共通していたのは「非科学的・非論理的に麻雀を語るべきではない」という主張だ。
阿佐田的戦術は文学である。格調高く味わい深いが、論理性や合理性には重きを置いていない。
そこに異議をとなえた「デジタル」であるが、当初かなり叩かれたようだ。それはやむを得ない。芥川賞を目指す集団の中で「そんな文章では司法試験に合格できない!」と主張しても認められるはずがない、というかそもそも噛み合わない。
ただこの頃には、一般ユーザーも阿佐田的戦術では物足りなくなっていた。
綺麗なフリー麻雀店やネット麻雀の普及で、不特定多数と対戦する麻雀の敷居が低くなった。仲間内のコミュニケーションツールというよりは、ゲームとしての麻雀を楽しむ層が増えてきた。
ゲームとしてやるからには勝ちたい、勝つための簡便な方法を知りたい。
そんな人々が求めたのは、味わい深い戦術書ではなく、味気ない参考書であった。
平成16年末、エポックメイキングな戦術書が刊行されベストセラーとなる。「科学する麻雀」である。
数式や統計に溢れた同書は、非科学的な戦術を真っ向から否定した。
情報科学研究科卒の国家公務員によって著された同書は、「文学的麻雀」に対する実学者からの強烈なカウンターパンチであった。
以降「デジタル派」雀士達が多くのタイトルを獲得するようになったこともあり、麻雀は科学的に語るべし、という層が増えていく流れになり、現在では、少なくとも「阿佐田的戦術」が絶対的なスタンダードであるとはいえない。
文学的な戦術は趣深いもので、私は全然嫌いではない。
むしろ「科学する麻雀」なんて、無味乾燥に過ぎて読破するのに苦労した。
ただ、麻雀を科学的に語る流れは、今後いっそう強まってほしいと願う。
私の専門は法律だ。
現在、麻雀を取り巻く法律が非常に不当だという思いが強く、何とか改正されないものかと考えている。
そういうときは、やはり科学なのだ。
ビリヤードが風営法から外されたときには、業界一丸となって、ビリヤードは物理法則に基づく科学的なゲームだから射幸心を煽らない、と訴えた。これは参考にすべきである。
「科学する麻雀」がヒットして間もない頃、麻雀業界には戸惑いの声も多かった。それはスタンダードが否定されることへの不安と言い換えてもよかった。
阿佐田的なもの、文学的なものを否定して、プロの麻雀など誰が見るというのか?
ただ、それは杞憂であった。
ひとつのスタンダードが否定されることで致命的なダメージを受けてしまうほど、麻雀は底の浅いものではなかった。
ネット動画の普及により「デジタル派」雀士たちの麻雀も映像で流れるようになったが、彼らにも多くのファンがついた。
彼らの麻雀は「阿佐田的戦術」とは無縁であるが、その熱戦はファンの心を捉える作品であり、それもまたひとつの「文学」といえるものであった。
そもそも麻雀自体、アナログな不完全情報ゲームである。
戦術的アプローチはどうあれ、強者同士が人生を賭け力を尽くして打つ麻雀は、機微に富み、情緒に溢れた「文学」に昇華するのであろう。
来る8月16日12時、スリアロ31時間スペシャルのトリとして、「京都グリーン杯真夏の浴衣スペシャル」が開催される。
メンバーは下記のとおりだ。
予選A卓 多井隆晴・村上淳・小林剛・しゅかつ
予選B卓 近藤誠一・成岡明彦・藤田晋・堀内正人(敬称略・年齢順)
実況 小林未沙 解説 福地誠・アサピン
お盆の忙しい中、素晴らしいメンバーに集まっていただいたことには、感謝の言葉しかない。
麻雀ファンには堪えられない「文学」が見られること間違いない。
というわけで、長々書いてしまったが、結局は主催する番組の宣伝でした(・ω<) てへぺろ
http://live.nicovideo.jp/watch/lv272257112