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麻雀プロ弁護士津田岳宏のブログ

麻雀の話とか法律の話とか

先週の金曜日,朝日新聞に私のインタビュー記事を載せていただいた。

 

 

賭博罪の撤廃をという,私が以前から主張している話をまとめた内容であるが,これだけ大きなメディアに大きく取り上げられたのははじめてなので,反響も大きかった。

ツイートをいくつか紹介する。

 

 

朝日新聞に出てきた京大卒の弁護士にしてプロ雀士の津田岳宏氏の発言が面白かった。「パチンコ店と自衛隊ってよく似ていると思うんですよ。パチンコは賭博じゃないという建前は、自衛隊は軍隊じゃないという理屈とそっくりじゃないですか」

— soyuki@日光 (@soyuki10) 2016年5月20日

 

賭博罪の存在についてもっとも問題なのは,現実の状況と矛盾しているということだ。

現実と矛盾している法律の放置は国民の混乱を招くのであり,明確性の観点からも非常に問題がある。

臭い物には蓋をしてなかったことにする,というのは日本人の悪い欠点だ。

今の日本で賭博が盛況なのはまごうことなき事実である。その現実から目を逸らさずに法律のあり方を考えるというのは,賭博の問題に限らず,日本の政治や社会を成熟させていくことにつながると私は考えている。

この点に関連し「パチンコ店と自衛隊は似ている」と説明したのだが,これは分かりやすいと評判だった。

 

 

 

『自由民権運動には、ばくちを生業にする博徒が多く加わっていました。そこで政府は、1884年に「賭博犯処分規則」を制定します。(中略)運動に加わっている博徒を厳しく取り締まることで、みせしめにしようとしたんです。』by 津田岳宏インタビュー(朝日新聞5月20日朝刊)

— トムトム1124 (@1124tomtom) 2016年5月20日

 

日本における賭博は古来より禁止の対象であったが,今の日本で賭博は大悪だという考えが持たれていることには「賭博犯処分規則」が関連している。

法律と民意の関係には,鶏が先か卵が先かといえる部分もある。法律は民意に基づき制定されるものであるが,法律の存在によって民意の如何が影響される部分も大きい。

自由民権運動は,明治新政府の悩みのタネだった。反政府運動は抑えたいが,封建社会からの解放を大義名分にしていた明治新政府が,議会の設立等の民主主義を掲げた運動を弾圧するのは自己矛盾してしまう。困った政府が目をつけたのが自由民権運動に博徒が深く関わっていたことだった。

博徒を捕まえ,必要以上に重く処罰して見せしめにして,運動を弱めようとしたのだ。そのためにつくられた「賭博犯処分規則」はあまりにも非人道的な法律だったので,制定からわずか5年,大日本憲法制定と同時に撤廃されることになる。

しかし「賭博犯処分規則」のインパクトは強烈で,以降現在に至るまで,賭博は大悪だというイメージは民の間で持ち続けられている。

この話は,色々なところで書いたり話したりしているが,はじめて聞く人にはおおむね評判が良い。

 

 

 

 

津田岳宏氏はまだ若く社会の隅々まで知らない。「賭博解禁」の言い分は社会の裏を知らない青二才の考える事だ。この様な人間が弁護士として存在する社会の方がおかしい。賭博は多くの害があっても一理の利も無いこれ程社会は狂っている

— 飯綱三郎 (@hutagoza614) 2016年5月20日

 

賭博罪を撤廃せよ,などという主張が大きく取り上げたのであるから,当然反対意見も多い。というか,やはり数で言うと反対意見の方がかなり多いのかもしれない。

ただいつも思うのが,この手のものへの反対意見は一刀両断過ぎるというか・・何というか・・

「青二才」「弁護士として存在する社会の方がおかしい」「社会は狂っている」

単なる意見を言っただけで,これだけの感情の爆発を受けるのって逆にすごいなw

ただこのような,反対というよりは“拒絶反応”というべき反応をする人が世間に多いのは事実であり,道の遠さを痛感せざるを得ない。

 

 


賭博に関する法律の改正。

それは困難なことではあるが,私はそれがこの国にとって大きなプラスになることだと信じている。

今回は何しろ大きく取り上げられたことが有難かった。

強い反対意見も多いことが明らかな私の主張を取り上げてくれた朝日新聞と担当記者の英断には改めて深い感謝の意を表したい。

これからもチャンスがあれば,この曖昧きわまる法律の問題点を色々なところで話したい。

反対を受けるのは承知,まずは問題点と主張の存在を広く認識してもらわないと何もはじまらない。

皆さま,オファーお待ちしております m(_ _)m

 

 

 

事件発覚後から激しい批判にさらされている桃田賢斗選手であるが、賭博罪を専門にする私からすると全く腑に落ちない。
桃田選手の事件は、清原氏の覚せい剤事件や一連の野球賭博事件とまとめてスポーツ選手の不祥事として語られているところもあるが、それはあまりに不憫である。
覚せい剤は重罪である。初犯でもまず執行猶予付きの懲役刑となる。執行猶予付きであっても懲役刑の法律上の扱いは重い。たとえばわれわれ弁護士なら資格を剥奪される。また覚せい剤は、初犯でも情状しだいではいきなり実刑になることもある。清原氏の犯した罪は重いといわざるを得ない。
ネット上の記事でも書いたが、野球賭博事件の各選手の罪は刑法上もちろん違法ではあるのだが、重い罪ではない。せいぜい軽い罰金刑だ。事実、事件の各選手は誰も逮捕も起訴もされていない。
ただし、彼らの罪は野球協約上は重罪である。野球選手が野球賭博に手を出すことは八百長の温床となり、競技の信用性が著しく損なわれる。競馬においても、関係者が馬券を買うことは固く禁じられている。各選手もそういう理屈はある程度分かっていたはずであり、その軽率な行動が批判にさらされるのはやむをえない。

桃田選手のケースは、このどちらとも大きく異なる。
報道によると、桃田選手が裏カジノに行ったのは6回ほど、負けた金額は50万円程度だという。金額的に些細とはいえないが、大きいともいえない。パチンコでも1週間で普通に負ける金額だ。賭博罪としての常習性や悪質性があるとは到底いえず、不起訴になることは間違いない。
また着目すべきは、桃田選手が約1年以上前に自らの意思で”足を洗った”ということだ。
報道によれば、桃田選手は約3か月間で6回裏カジノに行くもその後「競技に向き合いたい」と自らの意思で行くのをやめたのだという。
まとめるとこういうことなのだろう。
カジノに”ドハマり”している先輩に裏カジノに誘われた。興味本位で何回かは行ったが先輩のように大金を賭ける気にはとてもなれず、数万円を賭ける程度にとどめていた。しかし3か月ほどたち、やはり自分はこんなことで時間の無駄遣いをしている場合ではないと気付き、その後現在に至るまで1年以上、1度も手を出していない。本業に集中して取り組み、結果を出した。

かかる桃田選手は、1年以上も前に足を洗った裏カジノのこと(それは「通い」とすら言えないレベルだ)で激しく糾弾され、厳しく処分されるべきなのであろうか。
甚だ疑問である。
糾弾や処分の根拠は、彼が違法賭博に手を出した、という点に尽きる。
たしかに現行刑法には単純賭博罪が残存しているので、賭博は違法だ。
しかし一方で、競馬や宝クジなどの「合法賭博」はただ許されるだけではなく盛んに宣伝されている。
かかる状況では、もはや単なる「賭博」を激しく糾弾することはできないはずだ。
とすれば、桃田選手を批判する根拠は「違法」という点に尽きる。
しかし今回の桃田選手への批判を見ると、違法な点だけでなく、よりによって賭博なんかして、という点も批判の大きな根拠になっている。
ここには矛盾しか感じない。
下記は4月29付日経新聞朝刊の記事である。
「支援の重み 理解を」と題されており、国から支援を受けている身で賭博をやるなど何事だ、という論調である。
しかし何と、当該記事の左側には「きょうの有力馬」などと題された競馬の記事が大々的に載っているのである。
左で賭博を宣伝しておきながら、右で賭博を批判する。このような紙面構成に何の違和感も覚えないのであろうか。
また「支援の重み 理解を」をよく読むと、桃田選手への助成の財源は「スポーツ振興くじ」であると書かれている。言うまでもなくスポーツ振興くじは国を胴元とする合法賭博である。
お上は賭博でいくらでも儲けていい、しかし庶民が賭博をすれば激しく糾弾。いったいいつの封建時代の考えなのか。


報道によれば、桃田選手は、このような大事になるとは思っていなかったのだという。
私はそれは当然だと思う。
これだけ賭博が盛んに宣伝されている世の中では、賭博じたいはもはや反社会行為ということはできないし、反社会的行為だと認識しろというのは無理がある。
報道では、違法だと分かっていながら、暴力団絡みだと知っていながら手を出したことを非難する向きもあるが、ここも大きくは非難はできないであろう。
現状の日本では、単純賭博罪は存在するが、全ての賭博が処罰されているわけではない。
社会的地位の高い人間であっても「こっそりと」賭博をしているケースは山ほどあり、当局も「こっそりと」している賭博には目くじらは立てない。賭博罪の違法性に公然性が大きく影響するという話は、このブログでも散々書いている。
公然性が要件となる賭博罪では、事実上は賭博であっても、形式的にただちにそうは見えないものは検挙されない。
その最たるは、パチンコ店である。
パチンコが事実上のカジノであることは明白である。
ただし、三店方式という形式が存在するので、当局は一貫して「ただちに違法といえない」という見解を採っている。
ここでは当局は決して「合法である」と断言しているわけではなく、その点でパチンコは「究極のグレーゾーン」ということもできる。
パチンコ店と買取所とが事実上密接な関係にあると認定されれば違法との評価に繋がるので、パチンコ店の店員に「換金所どこでしょうか」と聞くと「私は知りませんが、皆さまあちらの方から出て行かれます」と間抜けな回答をされる。
この間抜けなやり取りには、多分にグレーっぽさが存在する。実際私は法律に詳しくなる前も、パチンコ店は何となくグレーなんだろうと感じていた。
パチンコにグレーっぽさがあるのは事実で、私の学生時代には「ゴト行為が見つかったらケツモチのヤクザの事務所に連れて行かれる」と言われていた。これは事実とは異なるが、少なくともまことしやかにそう言われていて、今もそういうのはあるのではないか。
ここで大事なのは、パチンコは決して捕まらないということだ。
「疑わしきは被告人の利益に」の原則のもと、ただちに違法といえないものは、決して検挙されない。パチンコが検挙される確率はゼロパーセントである。
ただ、パチンコがグレーなのは事実であり、いわゆる”裏っぽいこと”がまことしやかに語られがちなのも事実だ。
それでどういうことになるかというと、とくに知識と経験に乏しい若者が「グレーっぽいパチンコがこれだけ大丈夫なのだから、他の裏っぽい賭博でもそうそうたいしたことにならないでしょ」と誤解してしまうことだ。
これは確かに”誤解”である。
警察の強い監視下にあるパチンコ店に通うのと裏カジノに行くのとでは、その性質は全く異なる。
私は、裏カジノ自体は一切弁護しない。
裏カジノが暴力団の資金源になっているのは事実であり、今このブログを読んでいる人で通っている人がいるならば、ただちにやめろと強く言いたい。
警察に対しては、違法な裏カジノはどんどん検挙してくれと応援したい。
ただ、知識不足で若干行ってはしまったものの随分と前に自らの意思で足を洗った若者に対し、その最も大事なものを奪った上激しく糾弾するのは大間違いである。
その若者がつかの間誤った行為をしたのは誤解に基づくものであり、そしてそういう誤解を生んでいるのは社会全体の責任だからだ。
この国で、賭博産業が栄えているのは明らかな事実である。
競馬のCMでは、時代を彩るタレントが華やかな笑顔を見せる。
長者番付にはパチンコ関連の経営者が名を連ねる。
にもかかわらず、社会は、賭博は悪い、という固定観念を変えようとせず、これと何も向き合わない。
賭博は、現在の日本経済で既に大きな部分を占めている。
そこに賭博があるのは、まぎれもない事実だ。
しかし人々はこれとしっかり向き合おうとしない。
現実を直視せず、現実と向き合わない。太平洋戦争中の国民と同じ、日本人の欠点である。
現実に向き合わないから矛盾が生まれる。矛盾は誤解を生む。犠牲になるのは、いつの世も知識と経験に乏しい若者である。

現在の桃田選手の心中はいかばかりか。
浴びせられる理不尽にやるせない気持ちになっているのではないか。
味方してくれる人も少ないのではないか。
このブログを何人の人が読んでいるのかは分からない。
ただもしも、読者に中に彼の知り合いがいれば、伝えてほしいと思う。
あなたが理不尽だと感じていることに対し、心から同意している弁護士が、少なくとも日本にひとりはいる、と。


無店舗型のオンラインカジノが全国で初摘発されたというニュースが出た。

国内口座使い客に賭博か オンラインカジノ全国で初摘発 会社役員ら逮捕 千葉県警

海外にサーバーがあるオンラインカジノに対し日本国内からアクセスして遊ぶことについては,そもそもの胴元を日本の刑法で処罰できないことから,違法となるかどうかの法律的な論点があり,現状この点について判断した判例はない。
それゆえ警察も慎重になっているようで,上記ニュースでも賭博行為を行っていた客らを「任意で」調べているとなっており,要するに客たちは逮捕されていない。
これが違法カジノや違法パチスロ店の摘発であれば客もただちに逮捕されるのであるから,やはり警察も単にオンラインカジノで遊ぶだけの行為を摘発することには慎重になっているのであろう。
もっとも,現状「グレー」なオンラインカジノであっても,事実上の胴元が日本にいる場合は,風紀保持の観点から看過できないので検挙される。このあたり,私は過去の記事で書いている。

今回の被疑者も事実上の胴元であるということで逮捕されたようであるが,興味深いのは,被疑者が真っ向から否認していることだ。
被疑者は,「賭け金の決算はしていたが,賭博行為はしていない」と否認しているのだという。
賭博罪の成立要件は,皆が考えているほど単純ではない。
賭博開張図利罪が成立するためには「主宰性」の要件が必要になってくる→過去記事
本件被疑者の容疑が「常習賭博」となっているのは,入出金のサービスはしていてもサーバーを運営していたわけではないので,主宰性が認めがいたからだ。つまり,本件被疑者を賭博開張図利罪に問うことは容易でない。
よって,本件で問題になるのは常習賭博の成否になるのだが,ニュースを見る限り,真実被疑者が客らの賭け金の精算だけをしていただけなら,賭博罪の成立要件である「相互的得失(→過去記事)」を欠く可能性がある。とすれば,被疑者に常習賭博罪が成立しない可能性があるようにも思える。
警察も逮捕に踏み切った以上裏は取っているのであろうが,被疑者が真っ向から否認しているだけに事件の行方には注目したい。

あといつも思うのだが,日本では「摘発」「逮捕」というだけでイコール有罪という見方がされ過ぎる。
これは全く間違っている。
被疑者は,有罪判決が確定するまでは「無罪推定」が働くのである。
本件被疑者も,否認している以上は「逮捕=有罪」と見られるべきではない。
とくに賭博絡みの事件は,逮捕されても後に不起訴釈放されているケースもあり,このような場合に被疑者の名誉が著しく傷つけられることは由々しき問題である。





このブログで最もよく読まれている記事は「賞金付ゲーム大会と賭博罪」のようだ。この分野に関心を持っている人は多いのだろう。

私は賞金付ゲームアプリの顧問をつとめているが,賞金付ゲームを事業としてする場合,問題になる法律は実は賭博罪だけではない。
「景品表示法」というあまり耳慣れない法律との関係も問題となる。
同法第2条3項は「顧客を誘引するための手段として」「事業者が自己の供給する賞品又は役務の取引に付随して」「相手方に提供する経済上の利益」を「景品類」であるとして,これの金額は同法第3条を受けた公正取引委員会の告示で規制される。
以上のもと,賞金付ゲームは,賞金額が高額になる場合,賭博罪はもちろん景品表示法との関係でも合法性を確保する必要が出てくる。

景品表示法という法律は,専門家として勉強すればするほど「いやそれ明確性の原則に反してるだろ」と突っ込みたくなることばかりだ。
たとえば,上記「景品類」に該当するかどうかは当該経済的利益が取引に「付随」しているがどうかによって判断されるのであるが,この「付随」という表現はあいまい極まりない。
専門書をひもといても「付随」するかどうかは「当該取引や利益提供の形態から個別具体的に判断される」などと記載されてる。
私が消費者庁に直談判しに行ったときも担当者は同趣旨のことを言ってきた。
もちろん,判断のファクターはある程度類型化されており,それは専門的知識ある弁護士ならおおむねあたりをつけられるのであるが,問題は,こんなあいまいな法律は一般人にはよく分からず,ただただ萎縮的効果を及ぼすだけである,という点だ。
この国には,善良な市民を守るという美名のもと国家が濫用しやすい法律が数多くあり,景品表示法もそのひとつだ。

景品表示法は,もともとは高度経済成長期に,チューインガムで1000万円が当たる等の過度の懸賞が問題になったり,牛肉の缶詰メーカーのほとんどが牛肉100%でなかったことが判明したりして,規制すべきとの世論に応えてつくられた法律だ。
法律の趣旨は「一般消費者の自主的かつ合理的な選択を確保」とされている。
しかし,ここに違和感を覚えるのは私だけであろうか。
ここでは,国民が「自主的かつ合理的な選択をしているかどうか」を国家が判断するとされているのだ。

日本は民主主義の国である。
民主主義の根底には,「選択による自己責任」の理念がある。
政治のあり方は国民自身が選択する。選択の結果がどうなろうとも国民自らが責任を持つ。だからこそ,その選択については何らの権力的な介入は受けない。
これが民主主義の基本理念だ。
日本はこのあたりの認識が,まだまだ非常に弱い。
国家権力が「国民の自主的かつ合理的な選択」を確保するという理屈は,民主主義の理念と相対する。ここに違和感を覚えないうちは,日本の民主主義はいまだ中途半端だということだ。

国民は,自らの選択とその結果について責任を持つと表明するからこそ,国家に自由を主張できるのだ。
逆に言うと,その表明が不十分である限り,国家は国民の自由をどんどん規制してくる。国民は権力の濫用を甘んじて受けることになる。
自らの選択に自ら責任を持つか,権力の濫用に甘んじるか,この2択で前者を採るというのが民主主義の根幹である。

ゲームとギャンブルは,語源も同じで実質も共通する部分が多い。
そこでは「選択による自己責任」が如実にあらわれる。
麻雀打ちならよく理解できるだろう。
日本よりもひと足早く民主主義が浸透した欧米において,ゲームやギャンブルへの規制が日本よりも緩いことは無関係ではない。
それだけ「選択による自己責任」の理屈が認識されているのだ。
賭博罪,風営法,景品表示法。
ゲームを規制するこれらの法律は過度広範だと私は考えている。規制緩和は必須であると。
こんな話をすると,アンタがゲーム好きなだけでしょ,なんて言ってくる人もいる。
いやもちろん,私がゲーム,というか麻雀が大好きであることも多少は関係していると思うが・・・新年一発目のブログということで,ここは大風呂敷を広げさせてもらう。

賭博罪,風営法,景品表示法などゲーム関連法の規制緩和。
それは,選択による自己責任の理屈を浸透させ,ひいては日本の民主主義を一段上のステージに持っていくことにつながると私は考えている。







韓国人プロ野球選手がマカオでカジノに興じた行為を”海外遠征賭博罪”にあたるとして捜査されているというニュースが最近話題になっている。



韓国の賭博罪は,いわゆる”属人主義”を採用している。



属人主義というのは,当該国民がその行為を犯した場合,たとえ海外であっても処罰するという主義だ。
日本の刑法でも,殺人・窃盗・傷害・強姦などには属人主義が採用されており,これらの罪を犯せば,それが海外でも日本の刑法で処罰される。

しかし,日本刑法は,賭博罪については属人主義を採用していない。


日本人は,海外では,カジノなどの合法賭博はもちろんたとえ違法な賭博をしたとしても,日本の刑法では処罰されない(ただし違法賭博は当該国の法律で処罰される可能性はある)。
賭博罪は風紀に対する罪であるところ,海外で日本人がたとえ違法な賭博をしたところで国内の風紀は乱れないので処罰する必要はない,という考え方だ。
同様の考え方で,わいせつ物頒布なども,海外でしても日本刑法では処罰されない。
なお余談であるが,同じ風紀罪でも,覚せい剤や大麻には,国外犯の処罰規定がある。法律はギャンブルよりもクスリに厳しく,これは他の国でもおおむね同様である。

韓国の刑法は,賭博罪についても”属人主義”を採用しており,それが適用され当該選手は捜査されているらしい。


ただ,この事件をもって,韓国の賭博罪は日本よりも厳しいという印象を受けている人もいるようだが,私は格別そう思わない。
カジノに興じる韓国人など山ほどいるわけで,彼らはみな検挙されていない。
今回の件は続報を見ると,当該選手が暴力団と関わっていたことが疑われているようで,結局のところ理由は”それ”だ。


事実上ほとんど捕まらないが反社会勢力との関わりが疑われてるときのみ捜査の対象になるというのは日本の賭博罪と同様である。

また韓国の賭博罪は,免責規定である「一時の娯楽」について,当事者の財産や社会的地位を考慮して総合的に考慮するというのであり,とすれば,金員は1円でも一時の娯楽にあたらないという頑なな判例理論がいまだ幅をきかせる日本よりも,その点は現実的である。


結局,日本も韓国も,現実離れした賭博罪の規定が残存していてそれを当局が便宜的につかっているという点は同じであり,状況は全く同じである。





中国の賭博罪がどうなっているかを知っている人も少ないと思うので,ついでに書いておく。


中国というと人権無視で厳罰がくだされる,というイメージを持っている人もいるかもしれないが,こと賭博罪についていえば,日本より相当に人権的で現実的だ。


中国の賭博罪は下記のとおり。





中国刑法303条【賭博罪、賭博上開設罪】



利を目的とし、群を集めて博させ、開設し、又は博を生業とする者は、3 年以下の有期役、拘役又は管制にし、金を科する。事案が重大であれば、3年以上10年以下の有期懲役とし、罰金を併科する。





中国刑法には,単純賭博罪はない。
友達同士の賭け麻雀などはいっさい処罰されない。
中国では,「営利目的で」「群集を集め」賭博をさせたり賭博場を開設する行為のみが処罰される。


なお「賭博を生業」というのは,要するに職業的に賭博をするということであり,これは「営利目的」「群集を集め」とかなりかぶる要件である。

要するに中国では,商業目的で大がかりに目立ってされる違法賭博以外は検挙しないとしているのである。
賭博は風紀に対する罪であり,ささやかにされる分に問題ないが,公然と違法賭博を商売にされては風紀が乱れる,という考え方である。


この点は日本でも,実際の賭博罪の運用(当局の対応)は上記の考え方でなされているのであるが,それをきちんと条文化している点で,中国は日本よりも進取的かつ現実的である。
日本ではときに,平和に遊んでいる人が”たまたま”逮捕されるという不合理なこともあるが,中国はそのような不合理は起きる余地がない。日本よりも,よほど人権的である。


こと賭博罪についていえば,日本は中国よりも,非人権的かつ非現実的である。遅れている。
イギリスほど進取的になるのが無理なのであれば,せめて中国のレベルまではまともな賭博罪にできないものか。




野球賭博が世を騒がせている昨今,テレビ局や新聞社などから複数の問い合わせがある。
皆さまこのブログを見ていただいているようで,引用していいいか等問い合わせがあるのだが,このブログの内容はどんどん引用いただいて大丈夫です。
話題になっているから今だからこそ,賭博罪が抱える大きな矛盾をひとりでも多くの人に知って欲しいと私は痛切に思っている。

なお,本件については,産経新聞が展開する言論サイト「iRONNA」にも,私の記事が載っているので,よければご参照下さい (罪に問われる賭博とそうでない賭博 法律論から見た日本の矛盾)。



野球の勝敗について金を賭けると賭博罪にあたる。
勝った方が明日のランチをおごる、という程度の賭けなら賭博罪にはならないが、金を賭けるとたとえ少額でも賭博罪にあたる、というの現在の判例理論だ。



もっとも、検察官が賭博捜査の実務について著した「賭博事犯の捜査実務」には「些細な賭けまで全て検挙することは国民の無用の反発を買うことになる」とも書かれており、たとえば勝った方が500円を払う、程度の賭けであれば,形式的には賭博罪にあたる行為ではあるが、実際に捕まる可能性はゼロといっても良いくらいだ。



そもそも,日本には競馬や競輪など合法的な賭博が存在しており,賭博それ自体は,反社会的行為とはいえないえない。



今回の件で大きな問題は,現役の野球選手が野球賭博に手を出したという点だ。
阿部珠樹著「野球賭博と八百長はなぜなくならないのか」には,「賭博は八百長のゆりかご」というフレーズが再三出てくる。
賭博において,八百長をすれば簡単に儲かるだろう,というのは誰でも思いつく。
現役選手が野球賭博に巻き込まれたときには,八百長への勧誘がされる可能性が高くなるのだ。

仮に八百長によってイカサマ賭博に加担すれば、賭博罪ではなく詐欺罪のほう助(もしくは共同正犯)に該当する。
イカサマ賭博は賭博罪ではなく詐欺罪で処罰するのが判例理論だ。
詐欺罪は重罪である。軽微罪である賭博罪よりも違法性が格段に高い。
八百長に加担することは,法律上も重罪である。



このような法律上の理屈よりもさらに問題なのは,八百長がされると,競技自体の信用性が著しく阻害され、その存在自体が危うくなるということだ
今から45年前,プロ野球最悪の八百長事件である「黒い霧事件」の影響はきわめて甚大であった。
栄光の歴史を持ち地元福岡でおおいに愛さされていた西鉄ライオンズは,観客が激減し身売りする羽目になった。その後九州は,プロ野球の球団を持たなかった「空白の時期」が約10年存在する。

1球団だけではなく,黒い霧事件の影響は,パリーグ自体が消滅寸前になるほどであった。
なんとか存続したものの,イメージ悪化による人気低下はすさまじく,パリーグの試合には閑古鳥が鳴く時期が長く続いた。
名捕手野村克也が偉大な本塁打記録を打ち立てた試合,観客はわずか7000人,試合後野村は「
花の中にだってヒマワリもあれば、人目につかない所でひっそりと咲く月見草もある」とコメントした。代名詞「月見草」誕生の裏には,黒い霧事件の影響による酷い人気低下があったのである。

さらに野球賭博の違法性が高い理由(当局が問題視する理由)は,これの胴元が暴力団だという半ば周知の事実があるからだ。
野球賭博というのは,基本的に「ツケ」でなされる。客は,コワモテのヤクザだからこそ負け分をきちんと支払い,またそういう「負け分をちゃんと回収できるヤクザ」だからこそ勝ち分もちゃんと支払ってくれるだろうと”信用して”賭けに参加するのだ。

また,野球賭博には,賭け客を増やすための独特の「ハンデ」というルールが存在する。
たとえば,ソフトバンク対DeNAという試合があったとき,単純に勝ちチームを当てるだけなら,ソフトバンクに賭ける人が殺到する。
このような場合,ハンデが大きくものを言う。
上記の場合,たとえば,ソフトバンクからハンデ「2」が与えられた場合,試合結果が
DeNAが1点差で負けたとしても,賭けのうえではDeNAの勝ちとなる。そうやって「魅力的なギャンブル」にするのだ。
ちなみにハンデは,実際はもう少しややこしく,「1.8」などと小数点付きで出されることが多い。ハンデ「1.8」の場合,ソフトバンクに賭けてソフトバンクが1点差で勝てば,賭けの上では負けなのだが,それは「8分負け」ということになり,10万円賭けていた場合,2万円は返される(払い戻される)。そうやっていわゆる「ニアミス効果」(外れなのだが当りに近付いたとプレーヤーが認識できる場面が多いほどのめり込みやすいギャンブルとなるetcパチンコにおけるアツいリーチ)を生んでいるのだ。
「適正なハンデを出すこと」が,野球賭博の胴元には必要なのだが,これをするには相当な野球知識のある者(「ハンデ師」と呼ばれる)を雇う必要があり,これもやはり,大きな組織でないとできないことになる。

結局のところ,野球賭博の胴元は,大がかりに非合法なことをできるコワモテだがある種の信用ある組織,ということになり,これは暴力団をおいて他にない。
暴力団事情に詳しいジャーナリスト溝口敦によれば,元暴力団関係者が「野球賭博の胴元は,ヤクザの中でもカネを持ち信用のあるヤクザでないとできない」と証言していたという。この点は,うちの法律事務所の顧問である京都府警捜査4課(暴力団対策課)OBの阿部氏も同趣旨のことを言っていた。

以上を踏まえ,野球協約は,野球賭博についてきわめて厳格な態度を示している。
野球賭博をするだけで1年ないし無期の失格処分,それがもしも所属球団について賭けたのであれば,それだけで永久追放処分である。

賭博じたいももちろん違法行為であり問題ある行為ではあるが,それは,刑法上は微罪である。
今回の選手たちは,法律上は,不起訴かせいぜい罰金を課される程度である。
おなじく風紀罪である覚せい剤などと比すると,法律上は軽い処分にとどまる。

しかし,野球界からは,きわめて重い処分をくだされるだろう。
それは,野球選手が野球賭博に手を出すということが,プロ野球の存立じたいに関わることだからだ。

黒い霧事件のときは,当初は1人だけが対象でそこまでの騒ぎではなかったのだが,事がおさまるかと思ったときに,多数の関与者が発覚して大騒ぎになった。
私は,プロ野球が大好きだ。
今回の件が,黒い霧事件のように波及しないことを心から願っている。
今の日本では,賭博じたいが禁止されているわけでない。
合法的にできるギャンブルは山ほどある。
スマホをいじるだけで馬券が買える時代である。
競馬に飽きれば,駅前や国道沿いのパチンコ店が待ってくれている。
麻雀だって,仲間内でこっそりと賭け麻雀するくらいなら,警察はお目こぼししてくれるのだ。
今の日本には,手を出していいギャンブルと手を出してはならないギャンブルが存在するのだ。
くだんの選手たちにそれを教えてあげる人は周囲にいなかったのか,私はそれが残念でならない。



私は,今回のような事件が起きる原因に,賭博罪が曖昧なままで据え置かれていることがあると考えている。



今の日本は,誰でも手軽に賭博ができる環境であるのに,一方で,賭博は犯罪だという建前もいまだ残っている。



そのようなグレーな状況のもと,みなが賭博と正面から向き合わないから,社会全体の賭博についての知識が欠如し,当然くだんの選手たちも知識がなく,つけ込まれるスキが生じてしまうのだ。


賭博とは何なのか。
賭博から生じ得る問題は何なのか。
やっていい賭博としてはならない賭博の境界線はどこか。その理由は何か。



これだけ賭博があふれかえっている世の中なのだから,本来そういう社会的教育が必要である。
しかし,これらはなされない。
賭博は犯罪だ,という建前が残っているからである。
そこに賭博があるのにこれときちんと向き合わないというこの国の矛盾が国民的娯楽に打撃を与えるのだとしたら,こんなに悲しいことはない。
あえて同情的な見方をすれば,本件の各選手も,そういう矛盾が生んだ犠牲者の一人といえなくもない。









この3月に麻雀プロになり、色々な人の話を聞き、ひとつ確信したことがある。
結局のところ、スポンサーがつかなければ、この世界に未来はない。



考えてみれば、将棋だって、ひと昔前は「将棋で食ってる人」というのは、賭け将棋で生計を立てている人を指していた。
それが、大手新聞社がスポンサーになることで世界が一変したのである。


イメージが上がれば、スポンサーがつく。そうして大きなイベントをやれば、ますますイメージがある。するとより大きなスポンサーがつく。

こういう好循環を、何とか麻雀でも起こしたい。
が、四の五の言ってもはじまらない。
ここはひとつ、僕自身が行動を起こそう。
大企業でも大金持ちでもないけれど、雀キチ具合なら負けん。


わたくし津田岳宏、麻雀大会のスポンサーをはじめます。
名づけて、京都グリーン杯


今月26日から、開催する。

グリーン杯のポイントの第一は、賞金が出るということだ。


賞金が出ないとプロは食えないが、世間はスポンサーになることをためらう。
これは、賞金付麻雀大会のスポンサーになどなったら賭博罪に問われるのではないか、と心配していることも理由のひとつだ。


しかし、それは全く杞憂である。
このブログで散々書いているとおり、賞金を出すだけでは、賭博罪になどならない。その理屈は、対象が麻雀であれポーカーであれ変わらない。
たしかに、参加費を集めてそこから賞金を出すのなら、賭博罪の疑いは出る。
しかし、グリーン杯は、出場者から参加費など一切取らない。逆に、対局料を支払っている。
対局料を支払い、さらに成績優秀者には賞金を出す、このようなスキームでは賭博罪には100%ならない。

僕は一応弁護士だ。というか、賭博罪については日本一詳しい弁護士だと自負している。
そんな僕が、賞金付麻雀大会のスポンサーになって、こんなもの全然大丈夫なんですよ、と世間に知らす。


そうやって、他のスポンサーが参入できる最低限の土壌をつくる。
それがまずひとつ、大きな趣旨である。

当たり前の話、企業はシビアだ。
法律にはひっかからない、というだけではどこも相手にしてくれない。


スポンサーになってもらいたいのであれば、ペイする、ということが大事である。
麻雀には、まだまだ悪いイメージを持っている人も多い。麻雀のスポンサーになることに、リスクがあるのは否めない。


そんな中で、企業がスポンサーになってくれるとしたら、相応のリターンがいる。
それは率直に言って、多数の観客を獲得する、ということだ。


魅力あるコンテンツをつくれ、オモロイ麻雀を見せろ、ということである。


というわけで、今回僕は最大限に頭を練った。
何せこちとら、身銭を切っている。大会が盛況になるか閑古鳥になるかは、誰よりも僕にとって大きな問題である。

まずアピールしたいのは、大会の顔、イメージイラストである。
ホームページのトップに出ているこのイラスト、大前壽生先生の作品だ。
大前先生は大手出版社からもバンバン依頼が来る人気イラストレーター、麻雀は全く知らない方なのだが、無理を言って書いてもらった。


賞金付で麻雀、というのは賭博罪には決してならないが、それはやはり大人のイベントだと僕は思っている。
そういうわけで、大会のイメージに「大人っぽく」を入れたかかった、さらに麻雀のイメージアップという観点から「スタイリッシュ」も入れたかった。
大人っぽく、スタイリッシュに、あ、あと麻雀の要素も入れてください。
無茶振りともいえる僕のオーダーに、大前先生は最高の形で応えてくれた。これぞプロの仕事である。


次に工夫したのは、賞金の出し方。


グリーン杯の賞金はこうだ。

総合ポイントが
1人浮きの場合 優勝20万円
2人浮きの場合 優勝15万円 準優勝5万円
3人浮きの場合 優勝12万円 準優勝5万円 3着3万円

技能賞(3回戦通じてもっとも技能的な一打に(解説陣選定))2万円


殊勲賞(3倍満以上のアガリ)2万円
敢闘賞(優勝者以外が最終3回戦でトップを取った場合)2万円

パーフェクトゲーム(3連勝かつ1人浮きで優勝)10万円

















一般に競技麻雀のトーナメントは「優勝以外意味がない」という麻雀だ。それはそれで非常に魅力的なのだが、同じことをやっても仕方ない。
今回僕は、実戦的な真剣勝負を見せたいと考えた。
実戦的というのは、みなが普通打っている麻雀ということだ。
4着よりも3着が嬉しい。2着ならばもっと嬉しい。プラスかマイナスかは大違い。


それが、普通打たれている麻雀だ。


グリーン杯は、そういう真剣勝負の麻雀で、プロたちがどういう打牌をするのかを見せたいと考えた。
それで、上記のような賞金システムにした。
たとえ優勝できなくても、浮きの2着、浮きの3着、最終戦のトップに意味を持たせた。
このシステムでは、いわゆる「目無し」にはなりにくい(目無しになる対局者は非常に酷である。選手のためにもこれは避けたかった)。


グリーン杯は、最後まで全員が全力で打てる、スリリングな麻雀を見せられると思う。





僕は、スピーディーで、中身が濃く、スリリングで、そして実力がきちんと反映されるルールとシステムをつくろうと思った。矛盾するこれらの要請を、最大限に充足するものをつくるべく頭を練った。


ルールとシステムの趣旨と狙いは、また次に書く。



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賭博罪の要件は,司法試験のひっかけ問題にもなるくらいで,ややこしい。


弁護士でも誤解している者がいる。先日,こんな記事を発見した。






<弁護士が気がついた>5月9日「めちゃイケ」は「賭博罪」と「遺失物等横領罪」に該当する? 









ここでは,「めちゃイケ」のコーナー「持ってけ100万円」が賭博罪になるおそれがあるなどと指摘されている。


しかし,この「持ってけ100万円」は

通行人→100万円取得の可能性はあるが,金を失う可能性はない


番組→100万円を失う(矢部にあげる)可能性はあるが,金を得る可能性はない

というスキームだ。

だとすれば,矢部については100万円を得る可能性も失う可能性もあるとしても,参加者相互の間に危険負担の関係は成立しないので,賭博罪は成立しない。

賭博罪の成立には,参加者相互に「リスク=リターン」の相互的危険負担の関係が必要である(当ブログ相互的得失参照)。

あくまでも「参加者相互に」が要件であり,「参加者ひとりに」ではない。


誰かと誰かが互いにリスクを負いリターンの可能性ある勝負をしてはじめて法律上の「賭博」になる。
この点,東京高裁昭和32年12月25日判例は「賭博とは、二人以上の者が相互に財物を賭け偶然の勝負によりその得喪を決める行為である」「勝負の偶然性は賭博に参加する当事者全員について存在しなければならないものであり、参加者のうちに偶然性のない者の存する場合は全面的に賭博行為は成立しないものといわねばならない」と明確に判示している。

「持ってけ100万円」では,通行人は得るだけ,番組は失うだけ,なので,互いにリスクとリターンのある勝負をしているとはいえず,相互的危険負担の関係が成立せず,賭博罪が成立する余地はない。

「お前ら今から相撲を取れ。勝った方に俺が1万円やる」

この事例に賭博罪が成立しないことは,過去の記事で書いた。


これをさらにひねり

「お前,あいつと相撲を取れ。勝ったら俺が1万円やる。でも,負けたら1万円をあいつにやれよ」

この事例でも,相互的危険負担にはないので,賭博罪にはならない。


「持ってけ100万円」は,まさにこの事例である。




賭博罪への誤解よりも気になったのは,「可能性がある」などという曖昧な指摘で,表現の自由を萎縮させるようなことが書かれていた点だ。
曖昧な書き方をしたのは自信がなかったからなのだろう(実際誤解している)が,自信がないのであれば,表現の自由を萎縮させるような指摘をするなど言語道断だ。

憲法の中でも,表現の自由は最重要の権利とされている。
これはひとえに,表現の自由が国家権力により侵害されやすい権利だからだ。
権力を握った者にとって,表現の自由ほど,うっとしいものはない。
ペンは剣よりも強し,権力者というのは,表現の自由が自らを脅かすものであることをよく知っている。


だから彼らは,隙あらばその自由を規制しようとする。

自由を規制しようとする権力側は,国民に対し「これはダメだ」とまで思わせる必要はない。
「これは危ないんじゃないか」と思わせるだけで十分だ。


誰だって捕まりたくはない。危ない橋は渡りたくない。


実際に違法にしなくても,それを「危ない橋」に見せることができれば,目的は十分達せられる。

これは危ない,と思わせて,実際は合法な行為までさせないようにする効果を萎縮効果と呼ぶ。
表現の自由は,とくに萎縮効果を受けやすい権利である。


それは,最近のテレビを見ていても顕著である。


明らかに過度な規制(ないし自主規制)がかかっているように見える。


法律的には,もっと自由にやっても全く問題ないはずだ。
風紀罪(賭博罪は風紀罪のひとつ)を専門とする弁護士として言わせてもらえば,「持ってけ100万円」なんて,理論を云々するまでもなく,直感的に大丈夫である。


あの程度のことで,風紀罪に違反するとして表現の自由が規制されるのであれば,わが国は北〇鮮のことを全く笑えない。

表現の自由は,民主主義社会では,最重要の権利とされている。


民主主義は,皆が遠慮せずに言いたいことを言って主張したいことを主張するという前提があってはじめて成立する。
憲法学上,表現の自由はきわめて厚く保護すべきものとされていて,そこには,「やり過ぎの表現をする自由」も含まれている。


アメリカの判例理論に,保護に値する表現のみ保護するだけはいまだ不十分である,というのがある。

テレビ等のマスコミの表現の自由については,それが一般人の人権との間では,相当程度規制されるのはやむを得ない。
一般人との関係では,マスコミは強者だからだ。


しかし,風紀を名目に表現の自由を規制しようする国家との関係でいえば,マスコミとて弱者である。
そこでは,マスコミの表現の自由は最大限に保障されるべきであるし,風紀との関係で「多少やり過ぎ」の表現も,許容されるべきである。

「風紀」というのは,曖昧な概念で,いかようにも広く捉えられる概念である。


「風紀に反する」という理屈は,自由を規制したい側にとっては,使い勝手が非常にいい。


それゆえ,風紀を根拠に表現の自由が過度に規制されると,民主主義はあっさり崩壊するのだ。
太平洋戦争末期の日本はまさにそういう状態であった。
風紀罪に反することを恐れ,萎縮して,自由な表現がなされないというのは,非常に危険な事態なのである。




弁護士というのは,別に高尚な仕事ではない。いやむしろ,他人様のもめ事に首を突っ込んで上前ハネる稼業だと思えば,仕事自体に品はない。


それでも世間から「先生」などと尊称を付される価値があるのだとすれば,それは,法律の専門家という立場から,人々を萎縮から解放させることができる点に尽きるのではないか。

法律は難解である。


一般の人からすれば,何が合法で何が違法なのかよく分からない。


必然,違法っぽい行為には,それが実際に合法であっても手を出せない。
善良な一般人は皆,権力がつくった法律に萎縮している。

弁護士は法律を知っている。
合法と違法の境目に詳しい。


だからこそ,弁護士は,萎縮している一般の人たちに,「これなら大丈夫ですよ」と教えることができる。
その人の自由の領域を広げることができる。
無用な萎縮から解放することができる。
弁護士の意義は,そこにあるのではないか。

弁護士の法律知識は,人々を萎縮させるために使われるべきではない。


それは,人々を解放するために使われるべきである。


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賭博罪は風紀に対する罪である。
これを野放しにすると風紀が乱れるから,というのが賭博罪の基本的存在根拠だ。



風紀が乱れているかどうかの判断権は,日本では伝統的に,警察や検察などの行政(以下,まとめて「当局」という)に委ねられてきた。
現在でも,賭博罪の扱いについては,当局に大きな権限がある。


ささいな賭博を執拗に検挙すると逆に国民の反発を買う(から注意せよ),ということは現役検察官が書いた捜査マニュアル本に書かれており,当局は,全ての賭博を検挙するわけではない。


検挙する必要あり,と判断した賭博だけが検挙される。


そして,当局が処罰の必要性ありとして検挙して起訴すれば,裁判所はその判断を重視し,そのまま有罪判決を下す。
以上のプロセスのもと,処罰されるかどうかの判断権は,実質的には,司法ではなく行政が持っている。


これは,いわゆる「法の支配」の観点からは問題ありともいえるのであるが,適切な法の運用という観点からは,具体的な風紀の乱れの判断は司法よりも行政がするのが適しているので,このような扱いは,今後もずっと続くであろう。

よって,取り締まられる側からすれば,風紀罪についての当局のスタンスを知ることがとても重要だ。


このスタンスがよくあらわれている条文があるので,今日はそれを紹介する。


風営法施行規則 第8条




法第四条第ニ項第一号の国家公安委員会規則で定める技術上の基準は、次の表の上欄に掲げる風俗営業の種別の区分に応じ、それぞれ同表の下欄に定めるとおりとする。








風俗営業の種別構造及び設備の技術上の基準
法第二条第一項第一号又は第三号に掲げる営業一 客室の床面積は、一室の床面積を六十六平方メートル以上とし、ダンスをさせるための客室の部分の床面積をおおむねその五分の一以上とすること。
二 客室の内部が当該営業所の外部から容易に見通すことができないものであること。
三 客室の内部に見通しを妨げる設備を設けないこと。
四 善良の風俗又は清浄な風俗環境を害するおそれのある写真、広告物、装飾その他の設備を設けないこと。
五 客室の出入口に施錠の設備を設けないこと。ただし、営業所外に直接通ずる客室の出入口については、この限りでない。
六 第二十九条に定めるところにより計つた営業所内の照度が五ルクス以下とならないように維持されるため必要な構造又は設備を有すること。
七 第三十一条に定めるところにより計つた騒音又は振動の数値が法第十五条の規定に基づく条例で定める数値に満たないように維持されるため必要な構造又は設備を有すること。




この条文は,キャバクラなどの設備基準を定めた条文である。


注目してほしいのは





二 客室の内部が当該営業所の外部から容易に見通すことができないものであること。


三 客室の内部に見通しを妨げる設備を設けないこと。

の部分だ。


読んで分かるとおり,法は,内部を外部から容易に見通すことができないことを要求した上で,内部には見通しを妨げる設備を設けるな,と要求している。



一見すると,矛盾しているようにも思える規定である。


見せたらダメなの?見せるべきなの?どっちなの?と言いたくなる。

しかし実は,相反するように見えるこの条文の内容に,風営業者及び風紀に対する当局の要求が詰まっている。

もう一度よく読んでほしい。



法はまず,「外部から」見えなくすることを求めている。

その上で「内部に」,すなわち中に入った人にはよく見えるように,と求めている。


外から見えないことを求めているのは,中の空気を漏らさないためだ。

法律及び当局の基本的考えは,「行為そのもの」よりも「行為に伴う空気が外に漏れること」により風紀が乱れる,というものである。

僕がブログや講演などで口酸っぱく言っている「公然としてはダメ」ということだ。
実際の話,「賭博をする」だけなら,当局は(もちろん違法行為ではあるが)そこまで厳しく目くじらは立てない。
「賭博を『公然と』『おおっぴらに』『外から分かるかたちで』する」ことにより,当局の見過ごせない事態になるのである。
賭博をしていることが外から見ても明らかになることによって,賭博をしているという空気が外に漏れて風紀が乱れる,という考え方なのである。

「外には見せるな」

これが,風紀を乱しかねないものに対して当局が要求している第一の事柄だ。




次に法は「内部はよく見せること」を要求している。
外からはよく見えないようにした上で,中に入った人には内部をよく見えるようにしろ,と要求している。

これは,外からよく見えないにもかかわらず自発的に内部に入ってくる人に対しては風紀上の保護を考えなくてもいいし(法はそういう人は仕方がない,という考え方である・笑),外には見せない,というのをいいことに内部で悪質な違法行為がおこなわれることを防止するためだ。


さらにはもっと実質的な大きな理由として,警察が調査のため中に入ったときによく見えるようにしておくため,というのもある。
あなたたちは風紀を乱しかねないのだから警察のために調査しやすくしておきなさい,と法が求めているのである。

「中は隠すな」

これも,当局が要求している大切な事柄だ。


外には見せるな,中は隠すな。





一見矛盾しているようにも見えるこの要請が,風紀に対する当局のスタンスのキモである。
関係者は,覚えておいて損はない。


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賞金付ゲーム大会,というと賭博罪との関係を心配する人も多い。
その手の相談を僕もよく受ける。

世間には,勝負があって金が動いて賞金が出るのであれば,賭博罪になるのではと考える人も多い。
しかしこれは大きな誤解である。



賭博罪は,当該行為の当事者の財物について「相互的得失の関係」の成立が要件となっている。
「相互的得失」とは,勝者が財産を得て,敗者が財産を失い,さらに勝者が得る財産と敗者が失う財産が「相互的な」関係であること,を意味する。

勝者の得る財産は,敗者が負担する財産とイコールでなければならない。
勝利によるリターンが,敗北によるリスクとイコールでなければならない。
参加費が,賭け金とみなせなければならない。
なお,勝負のリスクは参加者各自が負担せねばならない。一方的な危険負担があるだけでは,賭博罪は成立しない。

「甲と乙が相撲を取り,丙が金を賭け,勝った方に1000円をやることにした。甲が勝ったので,丙は甲に1000円を支払った。各自の刑事責任を述べよ」

この問題,正解は,全員無罪である。
このあたりは,過去の記事でも書いたとおりだ。



勝負について賞金が出る場合であっても,「賞金=賭け金」「リターン=リスク」のイコール関係が成立しない場合は「相互的」と言えないので賭博罪は成立しない。
たとえば将棋で,「アマチュア竜王戦」という大会がある。
同大会は優勝賞金として50万円を提供する一方,参加者から2000円程度の参加費を徴収している。
しかし,同大会が賭博罪に問疑されたことはない。
同大会においては,参加者の払う参加費は会場使用料に充当されており,賞金は別途スポンサーが提供している。
よって「参加費=賭け金=賞金」という関係が成立せず,相互的得失の要件を欠くので,賭博罪が成立する余地はない。

ポイントは,「
参加費は会場使用料に充当される」「賞金はスポンサーが提供する」という点である。
もしも参加費が賞金に充当されるのであれば「賞金=賭け金」の関係が成立する余地が出るので,賭博罪(ないし富くじ罪)のおそれが出る。
賞金を出すスポンサーがいる,という点が大事である。


相互的得失が成立しないスキームさえつくれば,ゲームの性質は関係ない。偶然のみに左右されるゲームに関し賞金を出しても,賭博罪にはならない。
「お前ら今からジャンケンをしろ。勝った方に俺が1000円をやる」
こういうことをしても,賭博罪にはならない。

もっとも,対象となるゲームの社会的イメージが,当局からの疑いの程度に影響を及ぼすことはあるだろう。
賭博と結びつけられやすいゲームが対象になっていれば,やはり警戒はされやすくなる。
たとえば,「賞金付手本引き大会」というのを開催すれば,しっかりしたスキームを組んだとしても,当局から
問疑されることはありそうだ。
その意味で,当該ゲームの性質や社会的イメージはやはり重要といえる。
麻雀についても,イメージアップの活動は大事である。


現行刑法には賭博罪がある。
賭博罪が成立する行為は,違法行為である。
が,賭博罪が成立する範囲は,皆が思っているほど広範ではない。
賞金が付くからといって,ただちに賭博罪が成立するわけではない。
スキームさえしっかりつくれば,賞金付大会はいくらでも開催できるのだ。

しかし,一般の人は法律に詳しくないので,どうしても”萎縮”してしまう。
「賭博罪」という言葉自体に強い負のイメージがあるので,なおさら強く萎縮しがちだ。
結果,面白いコンテンツが世に出るのが阻害される。

賞金が出た方が大会が盛り上がるのは当然だ。
その盛り上がりは,お祭りの高揚と同じで,不健全なものではない。
賭博罪には,健全なお祭りが開催されるのを阻害する”萎縮的効果”も強く,その点も不当といえる。




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