地方の小さな介護事業所を引き継いで一年で売り上げ1.5倍、利益27倍にしたサラリーマン -2ページ目

家庭医医療という分野について習っています。

見つけてしまったこれからの日本の医療のキモ


このところ、高血圧症とか糖尿病とか動脈硬化とか、そんな話が続いていますが、凄い事を聞いてしまいました。


ウソではないけど、解釈に仕方について一考を要する事があるというのです。


例えば、50歳代の男性2000人(高血圧の人1000人と高血圧でない人1000人)とで1年簡易脳卒中になる危険性がどれくらい違うかを比較した研究があったそうです。


その結果を高血圧のある人が無い人に比べて約3倍脳卒中を発症したと言うのです。



3倍脳卒中になりやすいという結構怖いですね。


高血圧症の治療が重要だと思わせる研究結果です。



・・・



・・・・・・



が、これまたちょっと慎重に検討する必要があるらしいのです。


実は、高血圧の人1000人中、脳卒中を発症した人が10人(1%)で、高血圧でない人1000人中、脳卒中を発症した人が3人(0.33%)だというのです。


確かに3倍以上発症していますが、見方を変えれば1000人のうちそれぞれ990人と997人は脳卒中にならなかったとも言えるのです。


この1%という数字を多いと考えるか、少ないと考えるかは個人の判断ですが、脳卒中発症の危険性が3倍高まるという情報が強調されて提示される事には違和感を覚えざるをえません。



このデータを根拠にして、高血圧症はしっかり治療しましょうという結論を出しても良いと思いますが、それとは違う結論を出す事もできるように思います。



こういったデータの解釈を含めて、健康に対する自分の行動をどのように決定するべきか、こういった判断の瞬間も家庭医の先生はバランスの良い情報の提供と、判断方法のアドバイスをしてくれるようです。

家庭医医療という分野について習っています。

見つけてしまったこれからの日本の医療のキモ


さて前回からの続きで、糖尿病や高血圧症で薬を飲むのは動脈硬化を予防して心筋梗塞や脳卒中にならないためという事でした。


しかしその家庭医の先生は、ご自分が指導する立場でありながら、こんな思いが多少なりともわいてくることがあるそうです。

「そんなに食事制限をして美味しいものを食べられないで、生きている喜びがあるだろうか」、と。


そして、もちろん食事だけが人生の関心事ではないし、糖尿病で食事制限をしつつも人生を楽しんでいる方もたくさんいるでしょうが、しかし一方で食べることがすごく好きで、食べることが幸福と直結している人もいると思います。そのような人にとって食事制限をしながらの生活が果たして幸せと言えるのでしょうか?

そんな事も仰ってました。


医療は病気の治療という側面で発達してきました。そして現代では病気にならないよう予防する、リスクを減らすという観点も重要視されています。

それはそれで良いと思います。

しかし、この医療の態度が、必ず人間の幸福につながるとは限らないという視点も忘れずにいたい。

高血圧症だから、糖尿病だから、脳卒中の事や心筋梗塞の事も分かってる。
でも俺は、とんこつラーメンを喰う!


そんな考えも尊重すべきだと。


家庭医医療という分野について習っています。

見つけてしまったこれからの日本の医療のキモ


さて、日本では、これといった自覚症状がないまま毎日毎日薬を飲んでいる人が結構います。

ていうか、よくある話ですよね。高血圧症とか、高脂血症(脂質異常症)とか、糖尿病とか。
何で自覚症状もないのにお医者さんから「あなたは病気です」と言われて薬を飲まなければならないのか?


その代表的な考えが「動脈硬化」だそうです。

血圧が高かったり、コレステロールが高かったり、血糖が高かったりしていると、徐々に血管の壁がボロボロになって硬く細い血管になってしまうのです。その結果、細くもろい血管は詰まりやすかったり、破れやすかったりして脳卒中や心筋梗塞の原因となります。

だから、そんな大病にならないために、動脈硬化を予防しましょう、そのために高血圧症や糖尿病などは薬を飲んで治療しましょうという事になります。


・・・


・・・・・・


まあ、確かに。
仰るとおり。


そりゃ、正直言って脳卒中で寝たきり状態とかなりたくないから、お医者さんにそう言われたら薬飲みますよね。


しかし、前回の健診同様、この治療するという事自体も、改めて冷静に考える余地があると、その家庭医の先生は指摘しています。


ちなみに、家庭医の先生は別に、アンチ西洋医学の訳の分からないまじないの様な治療師とかではなくて、れっきとした近代科学である西洋医学を基礎とする先生たぢです。


つまり、れっきとした西洋医学の目線から見ても、今の医療の在り方が偏っている部分がると指摘できるようです。



続きは、次回で。

家庭医医療という分野について習っています。

見つけてしまったこれからの日本の医療のキモ

家庭医療というものに出会い、家庭医の先生に出会い、色々な教えを受けてるわけですが、

さて、健康って何なんでしょうね?


私は健康?


あなたは健康?

まあ、病気はしてないけど・・・。

健康?元気?かな??


でも。寝不足なような、何となく慢性的に疲れているような・・・。


健診でひっかかったけど、別に体調はどうってことないけど。

健康ってコトバを聞くと色々な事が浮かびます。


世界保健機関WHOが健康とは何ぞや?という事を一応決めているそうです。

健康の定義

Health is a state of complete physical, mental, social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます(日本WHO協会訳)


これを聞いて、健康というより、「幸せ」の定義だなと感じました。

健康と言うのは単に身体的なものだけの話ではなさそうですね。

私が教えを受けている家庭医の先生も、正直言って健康は明確には定義しづらいと言ってました。人それぞれだし、同じ体調でも健康と思う人も不健康と思う人もいれば、時代的にも平和な時代とか戦時中とかでも健康の持つ意味は変わるでしょうね。


ただ、唯一言えるのは、「単に病気がない」という事を以て健康と呼ぶのは適当でないみたいです。

でも、お医者さんって、健診とかでも異常がなければ「健康ですね」とあっさり言う先生が多い気がします。


それって、特定の「臓器」は今のところ順調に機能しています。


それくらいの意味合いなのかもしれませんね。

ちなみに、その家庭医の先生は、我々が定期的に受けている健診が本当に必要であるのか、厳密に言えば誰もが制度上健診を受ける事になっている事だ妥当なのか?


そんな疑問を投げかけておいででした。


世の中で当たり前と思っている事が本当に妥当な事であるのか、医療の中でもそんな事が沢山あるらしいです。

  • このブログではビジネスや会社経営、組織運営について、私が学んだり、苦しんだりした事をツラツラと書いていますが、介護と言う仕事上、医療分野との関わりも結構多いので、時には医療に関する事も書いています。



    今回、チョ~目からウロコ的な出会いがあったため、しばらくその事について書いてみます。



    皆さんは「家庭医療」ってご存知でしょうか?


    「専門分野」と言うと実は語弊があるのですが、いわゆる町場のクリニック、かかりつけ医みたいなものの専門が家庭医療です。


    最近では「家庭医」と呼ばれて何となく聞き覚えのある人もおいでではないでしょうか。



    専門分化進む現代の日本の医療において、全身を統合的に診る事が軽視されているという話は現代医療を批判する上でしばしば耳にします。


    もちろん、この批判自体は正しい面もありますが、言いがかりの様な批判も混在しています。

    ここでこの話をするとそれだけで長くなるので、一旦おいといて



    この「全身を診る」事の専門家が「家庭医」である。



    取り敢えずはそう言っておけば、大きくは外さずに彼らに役割を説明できると思います。


    しかも彼らは、あらゆる医者がさじを投げた原因不明の難病を治療するため、大病院の奥の手として最後の最後に姿を表わすといったレアキャラ的な存在ではなく、最も巷に近いところで、何食わぬ顔して町場のクリニックにいて、病人と一番最初に関わりを持つ事になる存在なのです。



    そんな便利な医者がいるなら超イイじゃん!



    今、この話を聞いた瞬間はそう思うかもしれませんが、実際は私たちは言うほどその有難みを実感していません。


    何故なら、日本人の傾向として、どうしても大きな病院や先端の技術、設備がある医療機関の方が優れていて、町場の小さなクリニックを馬鹿にしてしまうからです。




    このお医者さんは家庭医で全身を診る素晴らしい先生だよ!と紹介されても、小さなクリニックの一室にいるその医者をそれほど価値のある存在としては見ないものですよね。



    本当の価値は建物のサイズに関係ないのに・・・。




    家庭医の機能や役割をお話すると色んな話がありすぎて大変なので、詳細を知りたいという事があればまた今後お伝えさせて頂くとして、





    私が考えるかれらのすごさは


    ・家庭医は子供から高齢者まで、長期にわたってあなたやあなたの家族のかかりつけ医して存在します。



    ・家庭医たちは、みやみな検査やむやみな投薬を行いません。



    ・家庭医たちは、より詳細な情報収集(主に問診、診察)によって余計な費用をかけることなく必要な医療行為を決定し、行使します。



    ・家庭医たちは、あらゆる病状について最初の相談相手となる能力を持っています。



    ・家庭医たちは、病気の有無に関わらず、診療を行います。



    ・家庭医たちは、現代の先端医療を受けようと受けなかろうとも最期まであなたに寄り添います。





    ちなみに、こんな感じで相談できる相手だと思います。



    昨日の夜から熱があるだよなあ⇒ 家庭医へ。

    何か、ここ数日夜になると胸苦しいんだよね⇒ 家庭医へ。


    咳をすると胸が痛いんだよね。この痛みって肺?あばら骨?⇒ 家庭医へ。

    足をひねっちゃって、足首が腫れて内出血しているよ⇒ 家庭医へ。


    ここ最近便秘と下痢が続くのよね⇒ 家庭医へ。

    糖尿病の状態が悪いって前の医者にも言われてたんだけど、仕事が忙しくてなかなか定期的に通院できないんだよね⇒家庭医へ。


    以前から頭痛が時々あるんだけど、脳の病気かなあ?⇒ 家庭医へ。


    職場検診でガンだと言われました。これからどうしたら良いの?⇒ 家庭医へ。


    以前から右眼のまぶたが時々ピクピクするんだけど、これって病気なのかなあ?⇒ 家庭医へ。

    父親が脳卒中で倒れて寝たきりになってしまった。これからどうしたら良いんだ?⇒ 家庭医へ。


    これからの親の介護どうしてったら良いんだろう。⇒家庭医へ。

    妻が末期の子宮がんで、もう治療は受けないと決めたら大学病院からはもう来なくて良いと言われた。⇒ 家庭医へ。


    なんか、おばあちゃんの様子がこのところおかしいんだよ。物忘れとかもひどくて。⇒家庭医へ。

    うちのおじいちゃんが全然ご飯も食べなくて、水分もとらなくなって、ほとんどベッドから起きてこなくなってんだよ。⇒家庭医へ。


    テレビでこんな症状は脳梗塞の予兆だと言ってたんだけど・・・。⇒家庭医へ。

    引越してきたばかりで、どの医者にかかれば良いのかなあ。⇒家庭医へ。



    などなど。




    とにかく健康に関する心配は、まず家庭医に相談すればそこから良い方法を提案してくれると思います。



    どこかの病院を受診するとしても、自分一人でどの病院を受診する方が良いのかを決めるのではなく、自分も気付かなかった大切な点も考慮して、どこの病院を受診したらよいか、もしくはそもそも受診の必要すらないのかも相談できます。



    彼らは、決して患者さんを自分一人で囲い込んだりはしません。多くの専門家と協働するからこそ、家庭医の力が発揮される事を知っているからです。




    今回、私がこんなに長々と家庭医療について言いだしたのは、一人の家庭医の先生との出会いがきっかけでした。



    私が出会った家庭医の先生は、朴とつとして、言葉数は少なめですが、優しく温かい人柄が伝わってくる人でした。その優しさは、西洋医学を基本とする専門的知識や経験に裏打ちされ、しかも西洋医学の持つ限界にも目を向けた謙虚さを備えています。



    私より若い彼ですが、彼の持つ信念、日本の家庭医たちが持つ信念に触れ、彼らはこれからの日本の医療介護に欠かせない存在である事を直感しました。



    それと同時に、家庭医の先生たち自身がまだ自分たちの持つ力の使い方、日本における自分たちの役割を十分には認識できていないようにも思いました。



    あらゆる技術がそうですが、私は技術そのものに善悪はないと考えます。



    原子力をどう扱うのか、遺伝子技術をどう扱うのか。



    古くは、刃物をどう扱うのか、火をどう扱うのか。



    技術によって人類は害を被る事も恩恵を受ける事もあります。

    結局、その技術をどう活かすがが問題であり、その答えのヒントはそれぞれの技術の世界の外にあります。




    同様に、医療の在り方についての答えは医療の中だけにあるのでは無い。


    医療の外側の人間だからこそ見える「家庭医」の能力が発揮される場所を私なりに探していきたいと思います。





    この「家庭医療」については今後もちょくちょく情報をシェアさせて頂きます。

    なんか、熱く語ってしまいました(恥)

    いわゆる「投資」で儲かるって話、よくありますよね。
    私もついつい試して、何度か痛い目を見た事もあります。(勿論、良い結果だったものもあります。)


    しかし、仮に全ての投資が成功して、例えばそれなりの金銭的なリターンが入ったとして、それが自分の本当の目的を達成するものなのか?


    私は、金銭的に安心して生活できる状態を求めて、そのためには十分な資金が必要だと思って、その方法としては投資だと思ってやっていた事があります。



    しかし、よくよく思い返してみると、資金を預けているその数カ月とか数年、何とも言えない不安感がずっと心に漂っていた感じがします。


    勿論、資金の大きさによっても、或いは投資案件のリスクとリターンの度合いによっても心の動きは違うでしょうけど、それでも資金が返ってくるまでは何とも言えないもや~っとした感覚が心の何処かにありました。



    心の安定を得るために金銭的な安定を達成しようとしているのに、投資期間中に不安な気持ちになってしまうのでは本末転倒なのではないでしょうか?




    では、金銭的な安定が精神的な安定をもたらすとするなら、どんな金銭的な安定だったら精神的にも安定をもたらしてくれるのか?


    私は、まず最初は、その金銭的安定が「自分のグリップが利くものである」必要があると考えます。



    一般的な意味での「投資」では、誰かに資金を預けて、あとはその預けた人次第だとすると全くグリップが利かなくなってしまいます。



    ここで、これまで「投資」、「投資」と厳密な言葉の定義もなく使ってきた言葉の意味を丁寧に分類したいと思います。


    私が今ここで使ってきた「投資」という言葉は、いわゆる「金融投資」であって、自分の資産を他の金融や不動産といった資産に移す事を言います。


    これとは異なり、「自分のスキルに対する投資」みたいな言い方がありますが、この「自己投資」も投資の一種だとするなら、こちらの方が金銭的な安定と、精神的な安定を両立して満たしてくれる「投資」になる可能性が高いと思います。



    自分のスキルを使った事業から金銭を生み出しているとすると、自分がやっただけ金銭的な安定に近づく事になり、まさに自分のグリップがかなり利いた状態と言えるでしょう。


    注意すべきは、この「自分のスキルに対する投資」は着実に金銭的な安定に近づけるスキルへの投資から始めた方が良いという事です。


    勿論自分の興味がある事で良いでしょうけど、そのスキルが金銭に繋がらないものだといつまでも現状を出られません。


    他方、金銭に繋がるスキルを身に着けて、金銭的安定を手に入れられたなら、そこから自分の興味があるスキルも付けていっても良いと思います。


    この順番はとてもとても重要だと思います。



    結論(巷で良く言われていることではありますが…)、始めに行う「投資」は自分のグリップがどれだけ利くのかという観点で選んだ方が良いと思います。


    ひとしきり、読んだ本の備忘録も終えて、今日は気分転換を。



    一点集中で同じ事だけをする。


    自分の毎日の生活って、改めて振り返ってみると同じ事を繰り返しているだけかもしれません。
    朝起きて、顔洗ったり、体操したり、朝食を取ったり、ニュースみたり…。


    朝に限らず、昼間も夜も、ビミョウな違いはあっても本質的には同じ事を繰り返しているのではないでしょうか。


    日々同じ事を繰り返して、その結果が今だとして、しかもその結果に満足できていないのであれば、毎日繰り返している事を意識的に変えてみると良いのかもしれません。


    それを習慣と呼ぶのなら、習慣を変えてみたいですね。



    ・帰ったら毎日、ビールを飲むとか、朝はギリギリまで寝ているとかを変えられないか?

    ・通勤の時間帯を変えてみるとか?

    ・食事の内容を変えてみるとか?



    こういった、習慣を変える系の話はちょくちょく耳にする気がしますが、



    大切なのはその習慣が、自分の望む結果につながる習慣であるのか?

    っていう事ですよね。毎日同じ事をただ繰り返して、結果的に成功している、そんな習慣を選び出して継続していけると良いですね。

    マーケティングやマネジメントにに関する書籍をいくつか読み返しています。
    今週もいくつか備忘録的に心に留めたい事をまとめます。


    リーダーを有能たらしめるもの






    「究極的にリーダーシップとは説得がすべてである。」








    マーケティングやマネジメントにに関する書籍をいくつか読み返しています。
    今週もいくつか備忘録的に心に留めたい事をまとめます。


    リーダーを有能たらしめるもの



    交渉術を身に着ける


    自分が求めているものは分かっている。相手が求めているもの突き止めるために質問をする。双方が納得できる形を模索し、誰もが気に入る取り決めを提案する。


    <交渉を成功に導くステップ>
    1相手についてできる限り調べる。


    2最終的なゴールを設定する。交渉の結果現実的かつ達成可能な目標設定を行う。


    3双方の独自性を理解する。その差異を活用し、それぞれの独自性をお互いのためどのように役立てるかを考える。


    4最悪の状況を想定する。最悪の状況を考慮して最も望ましい代替案を準備しておく。


    5交渉相手とは事前に面識を持つ。


    6検討課題(アジェンダ)を設ける。交渉が横道にそれないためにも役立つ。


    7感情をコントロールする。丁重さを心がける。

    8膠着状態を招かない術を身に着ける。膠着状態の多くは双方がささいな問題に目を向けている時であ

    る。常に大局的視点を忘れない。

    9暗礁に乗り上げた時の対処法を用意する。時間を稼ぐ。休憩を取って席を外す。数分でも数時間でも、場合によっては数日でも。

    マーケティングやマネジメントにに関する書籍をいくつか読み返しています。
    今週もいくつか備忘録的に心に留めたい事をまとめます。


    リーダーを有能たらしめるもの

    ミーティングを活用しているか?

    <実りあるミーティングのために>


    1召集前に、ミーティングの必要性を十分に考慮する事

    2ミーティングの目的を明確にする事

    3適切なタイムリミットを設けて順守する事

    4出席者全員がミーティングの目的を事前に認識できるように留意する事

    5ミーティング冒頭で目的を再確認する事


    6ミーティングは最低2部に分け、1部で課題や状況の説明、2部では提案に対する疑問や反論に取り組む


    7リーダーらしく振る舞う。「その点に関して、あなたはどう思うか」


    8事前に書記役を決め、ミーティングで列挙される行動計画を具体的な期日も含めて文書に残す事

    9前向きな雰囲気でミーティングを終える事