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専業トレーダーブログ

僕は、FX専業トレーダーという人生を選んだんだ。日々の生活から考え方・トレード検証まで。



僕たちは、五感を通してこの世界を感じている。その感じたものを、過去の経験や価値観などと照らし合わせて、自分なりの解釈をして自分なりの経験として招き入れている。

人は、今自分が感じていることが世界の全てだと勘違いしてしまいがちだ。でも、他の誰かは全く違う世界を感じているし全く違う世界を生きている。



僕たちは、五感で感じられるものが世界の全てだと思っている。でも、日々感じているものは世界のほんの一部なんだ。


今見えているものも、人が感じられる波長の光だけで、実際には様々な見えない光が存在している。そもそも、そこに物があると感じられるのは光があるからだ。暗闇では、そこに存在しているはずの物も自分の世界では無いことになる。

今聞こえているものも、人が感じられる周波数の音だけで、実際にはもっと様々な音が鳴っている。自分には聞こえていないだけなんだ。

今何も臭っていなくても、実際には微細な臭いがたくさん存在している。傍に座っている愛犬は、もしかしたら今臭いと感じているかもしれない。


今自分が感じているものは、世界のほんの一部分に過ぎない。生きていく上で必要のない・余計なものは、感じないようにできているんだ。



そんな世界の一部分しか感じられない五感に加えて、僕たちはまた狭い自分の価値観や考えをもってこの世界を解釈している。

どんどん本来の世界の姿から離れて、小さな小さな自分だけの世界で生きているんだ。


そのことが分かると、ちょっと見方や捉え方を変えるだけで世界が全く違うものに変わることに気付く。じっとただ一点を見ていた視点を、少し横にずらしてあげるだけで、全く違う景色が広がっていることに気付けるんだ。


今感じているものは、ほんの世界の一部。これはこう・それはそう・これは良い悪いと思っていることは、無数にある捉え方・考え方のひとつに過ぎないんだ。



僕たちは日々、色々な立場の人たちと接しながら暮らしている。相手の立場にたって考えようとよく言われるけれども、ついつい自分にばかりベクトルが向いてしまいがちなんだ。


自分が顧客となるような、相手と商売上の関係になる場合は特にそうだ。


例えば、保険の見直しが無料で相談できる相談所・会社が流行っている。今の保険に不満や疑問を感じている人が、無料だからと専門家に相談を持ちかけてみる。

自分は最適なプランを教えて欲しいのだけれども、相手の真の意向はそこにはない。商売をしている以上、無料で相談を受けて答えを返すだけではただのボランティアになってしまう。

相手は、新たな保険を勧めて契約してもらうことで、保険会社から紹介料を得てご飯を食べている。当然保険会社によって、紹介料の単価も変わってくる。


そういうことだ。

その立場を理解して、自分もしっかり知識を持った上で相談してみることが大切になるんだ。



債務の返済に困った人に、いくつかの法的手続きが存在する中で、何故弁護士の方が自己破産ばかり勧めてくるのか。

カウンセラーと呼ばれる人のところに行くと、何故気持ちが軽くなるような言葉ばかりかけてくれるのか。

全て、商売上の相手の立場というものが存在している。そこを理解せずに、自分の意向だけで接しても本当の答えは見つからないんだ。



友人や会社の仲間・恋人・家族にも、みんなそれぞれの立場があって、それぞれの立場で自分と接してくれている。

相手の力になってあげたいときも、相手の立場をしっかり理解してあげなければいけない。相手のためと思っていることでも、よくよく考えてみると自分の立ち位置から見た見解であることが多いんだ。


自分と今接してくれている相手に、もっともっと深い部分にまで想像力を働かせてみる。相手の表面的な言葉や態度では分からなかったものが、色々見えてくると思うんだ。




日々頑張っている人ほど、なかなか思うような成果が挙げられなかったり、前進する突破口が見えなくなるときがある。自分が信じられなくなったり、先に不安を感じてしまうかもしれない。


でも、今の現状を突破する答えは必ず用意されているんだ。ある場合は用意されていて、ある場合はないということはない。必ずなんだ。



人は思うようにならないとき、お金があればとか、こういう人が傍にいればとか、もう少し若ければとか、今の自分には無いものばかりにフォーカスしてしまう。

そこにフォーカスしてしまうと、"それが無いからできない"という思考になって、もうそれ以上考えることはしなくなり諦めてしまう。


自分に無いものにフォーカスしてしまうのは、諦めるのに十分な納得できる根拠を探しているからなんだ。"だから、やっぱり諦めるしかないよね"と、現状に留まるもっともな根拠を見つけて安心したいんだ。



突破口を開く答えは、必ずどこかに用意されている。"これはどうやっても100%無理だよ。。"と今思っていることでも、必ずだ。無責任なことを言っていると思われても、必ずだから仕方ない。

次に進むための道が見えるかどうかは、この"答えは必ずある"ということを疑いなく信じられるかどうかなんだ。

必ずあるのだから、無い方がおかしくなる。だから、それを本気で探そうと次のアクションが自然に生まれる。



外出しようと思っているのに、家の鍵が見つからない。家に今居るのだから、部屋のどこかに必ずあるはずだ。無い方がおかしい。その思考で探すから、あらゆる可能性を考えて、ここに置いていないか・あそこに置いていないか真剣に探せるんだ。

家族の誰かが持っていったのかな。と、必ず家にあるという前提を覆すような考えをもってしまうと、ちょっと探しただけで諦めてしまうはずだ。



必ず答えは用意されている。今無いものにフォーカスするのではなく、今あるものでどうやって次の一歩を進んでいこうかと考える。

必ずあるという前提さえ崩さなければ、思ってもいなかったアイデアやひらめきが必ず浮かんでくるはずなんだ。



僕たちは、やってはいけない・やりたくないと自分では思っているはずなのに、ついついやってしまうことがある。そして、後になってから、どうしてやってしまったのだろうと後悔する。それも、同じことを何回もだ。


体重を落としたいから、食べ過ぎないようにしようとしているのに食べてしまう。ゆっくり話し合いたいと思っているのに、すぐに喧嘩口調になってしまう。勉強や読書の時間を大切にしたいと思っているのに、ダラダラとテレビを見てしまう。


人は行動するとき、必ずそこにメリット・見返りを感じることしかしない。意識的にはしたくないと思っていても、深い部分で必ずそこで何らかの見返りを得ているんだ。


火に触れてしまって熱い思いを一度すれば、もう二度と火に触れようとはしないだろう。本当にしたくないことは、人は絶対にしないんだ。それをしてしまうということは、そこに自分にとっての何らかのメリットが潜んでいる。



日々孤独を感じていて、もっと人の輪に入って交友関係を広めたいと思っている人がいる。強くそう思っているのに、家からあまり出ようとはせずに一人で過ごしてしまう。

もっと外に出て友人を増やしたいと意識的に思っていても、家にいれば誰からも拒絶されることはない。友人と楽しい思いをするということよりも、何も嫌な気持ちを感じなくて済むことの方が強いんだ。

この人にとっては、傷つかなくて済むというのが一人でいることのメリット・見返りなんだ。そのメリットを感じている限り、意識的な思いとは逆の行動を取り続けてしまう。



やりたくないと思っているのに、何故かやってしまうこと。やろうと思っているのに、何故かできないこと。

自分の意志とは表面的には相反することをすることで、自分はどんなメリット・見返りを感じているのだろう。と深く考えてみることで、行動を変えるきっかけを見つけることができる。


そのメリットに対処することで、自然に行動が修正されていくはずだ。本当にしたくないことは、絶対にしないのだから。



僕たちは、色々な人たちと色々な関係で繋がっている。その関係の中で、自分が望んではいない扱いをされていると感じることがあるかもしれない。

それは会社での上司と部下の関係かもしれないし、夫婦や友人としての関係かもしれない。でも、お互いが今の関係性になるのに、必ず自分が積極的に関わってきたことを認めなければいけないんだ。



自分が、誰かと関わるときのことを考えてみると良く分かる。人によって態度は変えないことを信念にしている人でも、無意識にこれまでに知った相手の個性や態度を考慮している。

この人は感情的になりやすいとか、この人は良く話を聞いてくれるとか、この人は尊敬できるとか、この人は何をしても怒らないなど。


相手がこれまで自分に示してきた態度によって、自分も相手への関わり方が変わってくるんだ。


怒りやすいと分かっている人に、敢えて厳しいことは言わないだろうし、尊敬できる人だと思っている人をぞんざいに扱うことはない。

よく話を聞いてくれる人だと思っている人には、心を開いて色々な相談をするはずだ。この人は怒らない・歯向かってこないと知っていれば、ついついこちらがカッとなって感情をぶつけてしまうかもしれない。



それは、相手も同じだということだ。



自分が感情的になりやすいと思われていれば、相手はよそよそしく接してくるだろう。自分が尊敬に値する人だと思われていれば、相手はそのように慕ってくる。

自分がよく話を聞いてくれる人だと思われていれば、相手はどんどん心を開いてくれる。



何故あの人は自分をこんな風に扱うのか。という答えは、自分が相手にこれまでどう接してきたか。というところを考えてみると、見えてくるかもしれない。