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専業トレーダーブログ

僕は、FX専業トレーダーという人生を選んだんだ。日々の生活から考え方・トレード検証まで。



人は、何かを手に入れると、それを手放したくはないから必死に守ろうとする。それは物だけではなく、お金や地位やこれまで頑張ってきた自分自身など様々だ。

それが手に入るまでは、色々な方向に手を伸ばして攻めていたのに、突然守りの姿勢に変わる。すると、それが手の中にある感覚ばかりに意識がいくから、どんどん視野が狭くなっていくんだ。



スポーツの試合を見ていても、得点をあげると、あとはこのリードを守り切ろうとディフェンスだけに集中した布陣を敷いたりする。

色々なところから攻めてくる相手に対して、ただひたすら守りを固める。このとき選手は、かなりのストレスを抱えてしまうんだ。

ここで追いつかれたら、やっとの思いで得点したこと・今まで守り続けてきたことが無駄になってしまう。時間がもの凄く長く感じられて、かなりの時間守り抜いたような感覚なのに、まだ数分しか経っていなかったりする。



守ろう守ろうとするから、残りの時間が苦しいしストレスになる。その得点を守ろうとするのではなく、次の1点を全力で取りに行けば良いんだ。

得点されるとまずいことになるではなく、次の得点をあげれば楽になると考える。2点差・3点差と点差を広げると、より冷静にコート全体を俯瞰できるようになるんだ。


その1点を失ったとしても、またドローに戻るだけなんだ。大丈夫、生きるということについては、生きている限り全てを失っても最悪ドローまでだ。


最悪ドローなんだから、次の1点に向かって攻め続ければいいだけなんだ。そのたった1点のリードを守ろうとする姿勢が、残り時間を苦しめている。



日本では、よく人生をマラソンに例えられる。なかなか先の見えないゴールに向かって、一歩一歩確実に歩を進めていくイメージだ。

一見いい例えのように聞こえるけれども、僕はマラソンのようには生きたくない。それよりも、ゴールがはっきりと見える100m走に何回もエントリーしたいんだ。



人は、いつ終わるか分からないことについて大きなストレスを感じる。

例えば、電車に乗っていて、事故が発生して運転が休止されたとする。10分後に運転再開と分かっていれば、落ち着いて待とうという気持ちになるけれども、再開の見込みが立たないとなると大きなストレスを感じる。

気に食わない上司とのやりとりも、来週退社が決まっていれば笑って対応できるだろう。



もっと長いスパンで捉える、生きるということについても同じだ。あなたの人生はいついつまでですよと教えてくれれば、それまでにやるべきことも明確になるし、辛いこともどうでもよく感じられる。

余命宣告を受けた方の残りの人生が、ものすごく濃密で一日一日の大切さが実感できるのも、はっきりとした期限が見えているからだ。



生きることをマラソンのように捉えてしまうと、先がまだまだ長いように感じられて、力やお金もできるだけ温存しようとしてしまう。実際のマラソンのように、残り何kmですよとは教えてくれないから、まだまだ先だとずっと感じてしまう。

でも、あるとき突然ゴールテープが目の前に現れるんだ。

まだまだ余力たっぷりで、ゴールしても全然清々しさを感じない。もっと初めから飛ばせばよかった・もっと良い記録が出せたはずだと、テープが現れて気付く。



僕は、5年先だけを見つめた短い100m走を何回か走ってきた。100m先ぐらいなら、直線コースでゴールもはっきり見えるから、常に全力で走ることができる。

一度走り終えたら、また違うコースで次の100m走に挑戦する。今走ったコースをもう少し楽しみたいと思えば、また走ってみてもいい。コースが変わるとあらゆることがリセットされるから、また全く新しい視界がその度に広がるんだ。


今勤めている会社を、あと5年で辞めると決めてみる。今の結婚生活は、とりあえずあと5年とする。そのあとの道は、そのとき考える。

今その先まで考えてしまうと、結局は今の延長での展望しか描けない。今からの5年だけにフォーカスして、そのあとの自分で次の景色を眺めてみるんだ。


*関連記事;「10年も先のことは誰にも分からない」


*FXトレードに興味のある方は、こちらのブログもよろしく。



日本では、将来の夢は?と聞くと必ず職業名が挙がる。それだけ人生の中に占める仕事の割合が大きく、責任感があり熱心であることの証拠でもある。

でも、本当に大切なのはその仕事を通して得られるもの・達成したい事柄で、それが明確でない限りはやりたいことというのは見つからないんだ。



将来医者になることを夢見て、日々勉強を頑張っている子供がいる。きっと、病気で苦しむ人たちを助ける姿を見て憧れをもったに違いない。

この子にとっての将来の夢は、自分の力で一人でも多くの人を助けるということで、その一つの手段として医者を選んだ。医者という職業を通して、達成したいことが明確なんだ。

だから、仮に医者になる夢が叶わなかったとしても、何らかの形で人を助けるという夢は叶えることができる。医療の分野ではなくとも、レスキュー隊に所属しても良いしボランティア団体に入ることでも直接人の力になれる。


医者になることそのものが夢だとすると、手術をしてみたいとか人体そのものに興味があるということだ。そうでないのなら、必ず医者という職業を通して得たいもの・成し遂げたいことが自分の中に潜んでいる。



サッカー選手を夢見る少年がいる。きっとテレビなどで、世界で活躍する選手たちを見て憧れをもったに違いない。

でも、もしサッカーがすごく人気のないスポーツで、その存在さえもあまり知られていなかったらどうだろう。観客もほとんど入らないようなマイナーなものだったら。


それでもサッカーをやりたいというのなら、きっとサッカーそのものが大好きなんだ。

でも、それなら別のスポーツを始めるというのなら、サッカーがやりたいのではなく華々しい世界に身を置いてみたいというのが本当の夢なんだ。それはスポーツ選手ではなくとも、歌手やタレントになることでも叶えられるかもしれない。


やりたいことそのものではなく、それを通して感じたいこと・成し遂げたいことに想いを向けてみる。そうすると、今まで気付かなかった自分の本当に進むべき方向が見えてくるかもしれない。



人はどうしても、少しでも損をしたくない・今の状態を保ちたいという気持ちから、リスクと思われる選択を避けてしまう。

でも、もし収入をもっと上げたいと思うのなら、積極的にリスクを受け入れていく必要があるんだ。



何故、従業員としてお勤めされている方の収入は低く抑えられているのだろう。会社の経営に携わる社長よりも、ハードできつい仕事をこなしているのにも関わらず。

従業員の方は、給与は低く抑えられている代わりに、固定給という形で一定の収入が保証されている。この"安定"というのがすごく高価格で、毎月給与から天引きされているとも言える。


だから、この固定給という安定のない雇用形態で勤めている、完全成果保証型の営業マンの方などは、すごい高額の報酬を得られるんだ。

会社から安定を購入せず、あらゆるリスクを受け入れて仕事で勝負しているから、結果を出したときのリターンは必然的に大きくなる。

社長も、会社が傾いたときは、その負債の責任を負うリスクを常に背負っているんだ。



プロのスポーツ選手やアーティスト・タレントの方も、常にリスクを受け入れて活動しているから、大きな収入を得ることができる。

どこか身体をちょっとでも悪くしてしまえば、明日からプレーできるフィールドがなくなる。次に出す楽曲が、必ず受け入れられるとは限らない。ちょっと人気がなくなれば、明日から出られるテレビ番組はなくなる。

華々しく見える人たちも、皆それぞれ自分へのプレッシャーとリスクと闘いながら頑張っているんだ。


今日真剣に生きなければ、明日はないかもしれない。今日の怠惰が、必ず明日に影響してしまう。この日々のプレッシャーとリスクが、生きている感覚を与えてくれるんだ。



僕たちは、何をするにもまず、頭の中でその結果・状態・未来を必ず思い浮かべている。


今月の週末に、家族で旅行に行く予定を立てたとする。目標ではなく予定だから、自分の中では決定事項だ。頭の中ではもう何の疑いもなく、家族と非日常を楽しんでいる自分がいる。

決定事項だから、そこに向けて会社の休みを調整したり、仕事の引き継ぎの準備を始めたりする。当日の行動予定を立てたり、宿や交通手段を段取りしたり、頭の中の予定がどんどん明確になって輪郭がはっきりしてくる。

そして当日になって、予定していた未来を受け取るんだ。


全ては先に結果があって、その結果になるための原因がそのあとに作られている。



料理をするときも、完成した料理の見た目や味・香りをしっかり思い浮かべてから、その通りになるような食材・味付け・盛りつけという原因を作っていく。

はじめにその仕上がりを頭の中で感じることなしに、調理することはできない。まず結果がありきなんだ。



完成形を何も考えずに、とりあえず今野菜を切っているという人はいないだろう。旅行の行き先も決めていないのに、とりあえずハワイの往復切符を買っておく人もいないだろう。



でも、生きるということについてはどうだろう。

自分のこれからをしっかり思い浮かべずに、とりあえず今野菜を切っているような状態になっていないだろうか。とりあえず今、行きたいのかも分からないハワイ行きの切符をキープしていないだろうか。


今とりあえず頑張って野菜を切っていれば、いつかは美味しい料理ができると思っていてもなかなか難しい。どういう仕上がりにしたいのかが明確だから、どう野菜を切れば良いのかが明確になる。

全ては結果を先に想起できるから、今やらなければいけないこと・今していることの意味が理解できるんだ。