僕たちは、何をするにもまず、頭の中でその結果・状態・未来を必ず思い浮かべている。
今月の週末に、家族で旅行に行く予定を立てたとする。目標ではなく予定だから、自分の中では決定事項だ。頭の中ではもう何の疑いもなく、家族と非日常を楽しんでいる自分がいる。
決定事項だから、そこに向けて会社の休みを調整したり、仕事の引き継ぎの準備を始めたりする。当日の行動予定を立てたり、宿や交通手段を段取りしたり、頭の中の予定がどんどん明確になって輪郭がはっきりしてくる。
そして当日になって、予定していた未来を受け取るんだ。
全ては先に結果があって、その結果になるための原因がそのあとに作られている。
料理をするときも、完成した料理の見た目や味・香りをしっかり思い浮かべてから、その通りになるような食材・味付け・盛りつけという原因を作っていく。
はじめにその仕上がりを頭の中で感じることなしに、調理することはできない。まず結果がありきなんだ。
完成形を何も考えずに、とりあえず今野菜を切っているという人はいないだろう。旅行の行き先も決めていないのに、とりあえずハワイの往復切符を買っておく人もいないだろう。
でも、生きるということについてはどうだろう。
自分のこれからをしっかり思い浮かべずに、とりあえず今野菜を切っているような状態になっていないだろうか。とりあえず今、行きたいのかも分からないハワイ行きの切符をキープしていないだろうか。
今とりあえず頑張って野菜を切っていれば、いつかは美味しい料理ができると思っていてもなかなか難しい。どういう仕上がりにしたいのかが明確だから、どう野菜を切れば良いのかが明確になる。
全ては結果を先に想起できるから、今やらなければいけないこと・今していることの意味が理解できるんだ。