日本では、よく人生をマラソンに例えられる。なかなか先の見えないゴールに向かって、一歩一歩確実に歩を進めていくイメージだ。
一見いい例えのように聞こえるけれども、僕はマラソンのようには生きたくない。それよりも、ゴールがはっきりと見える100m走に何回もエントリーしたいんだ。
人は、いつ終わるか分からないことについて大きなストレスを感じる。
例えば、電車に乗っていて、事故が発生して運転が休止されたとする。10分後に運転再開と分かっていれば、落ち着いて待とうという気持ちになるけれども、再開の見込みが立たないとなると大きなストレスを感じる。
気に食わない上司とのやりとりも、来週退社が決まっていれば笑って対応できるだろう。
もっと長いスパンで捉える、生きるということについても同じだ。あなたの人生はいついつまでですよと教えてくれれば、それまでにやるべきことも明確になるし、辛いこともどうでもよく感じられる。
余命宣告を受けた方の残りの人生が、ものすごく濃密で一日一日の大切さが実感できるのも、はっきりとした期限が見えているからだ。
生きることをマラソンのように捉えてしまうと、先がまだまだ長いように感じられて、力やお金もできるだけ温存しようとしてしまう。実際のマラソンのように、残り何kmですよとは教えてくれないから、まだまだ先だとずっと感じてしまう。
でも、あるとき突然ゴールテープが目の前に現れるんだ。
まだまだ余力たっぷりで、ゴールしても全然清々しさを感じない。もっと初めから飛ばせばよかった・もっと良い記録が出せたはずだと、テープが現れて気付く。
僕は、5年先だけを見つめた短い100m走を何回か走ってきた。100m先ぐらいなら、直線コースでゴールもはっきり見えるから、常に全力で走ることができる。
一度走り終えたら、また違うコースで次の100m走に挑戦する。今走ったコースをもう少し楽しみたいと思えば、また走ってみてもいい。コースが変わるとあらゆることがリセットされるから、また全く新しい視界がその度に広がるんだ。
今勤めている会社を、あと5年で辞めると決めてみる。今の結婚生活は、とりあえずあと5年とする。そのあとの道は、そのとき考える。
今その先まで考えてしまうと、結局は今の延長での展望しか描けない。今からの5年だけにフォーカスして、そのあとの自分で次の景色を眺めてみるんだ。
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