専業トレーダーブログ -7ページ目

専業トレーダーブログ

僕は、FX専業トレーダーという人生を選んだんだ。日々の生活から考え方・トレード検証まで。



僕たちは日々、未来への選択を繰り返しながら生きている。明日の朝起きる時間を決め、会社に行くということを決め、そして当日にその現実を実際に受け取っている。

そのような未来の選択をするとき、それが現実になることを自分の中で確信しているはずだ。明日も普通に会社に行っているだろうと、何の疑いもなくすごく楽観的に信じている。

会社に行くという未来の選択をすることなしに、気が付いたら会社にいたという人はいないだろう。

僕たちは日々、自分が想った小さな未来の実現を繰り返しながら生きているんだ。



長期休暇中の旅行の予定をたてるときもそうだ。何時に自宅を出発し、この日はここに行き、次の日はここに行ってみようと未来の予定を計画する。

もう頭の中では実際にその場にいるような気分になって、その日に自分はそこで楽しんでいることを確信している。周囲にもその予定を話し始めたりして、ウキウキだ。

そして当日になって、実際にその場でリアルに楽しむことになる。



でも、これが自分の将来のこととなると同じような確信度が持てない人がいる。まだ起こっていない未来の選択をするのだから、本質的には旅行の計画と同じはずなんだ。


旅行だって計画していたとしても、当日台風で飛行機が飛ばなくなるかもしれないし、自分自身が病気になるかもしれない。もしかしたら、現地がテロ組織に襲われて立入禁止になるかもしれない。

そんな色々な実現を拒む要因が無数にあるはずなのに、旅行に行くという未来については楽観的に行けることを確信しているんだ。


確信していなかったら、行けないかもしれないから飛行機のチケットを購入するのをためらうだろう。新しいスーツケースも、行けなかったらもったいないから買うのをためらうだろう。

そこでためらって、チケットを買わなければ旅行が実現することはない。

行けると確信しているから、そのときチケットも買えるしスーツケースも思い切って購入できるんだ。そして、その行動があるから実際に旅行が実現する。



大切なのは、自分が選びとった選択に確信をもつということ。それができれば、それに沿った行動ができるようになり実現する可能性が飛躍的に上がるんだ。



僕たちはついつい、今ある現状の原因を過去の中に探してしまう。あの時こうしたから、今こういう状態なんだと。

もちろん、これまでの出来事や経験は記憶として残ってしまうから、今に影響を与えてしまうのは確かだ。でも、それは原因にはならない。

今をつくっているのは、未来への選択なんだ。



食事をしていて、のどが乾いたとする。目の前のコップの水に手を伸ばせば、のどを潤すことができる。そして、コップを手にとって水を飲むことになる。

今水を飲んだのは、その前に何かを食べてのどが乾いたことが原因だと考えてしまう。もちろん、食事をしていたことが影響しているのは確かだけれども、原因ではない。

直接の原因は、目の前の水を飲もうという選択をしたことなんだ。その時は未だ起こっていない水を飲むという未来の選択をしたから、水を飲むことになったんだ。


食事をしてのどが乾いたとしても、水を飲まないという選択もできるし飲むという選択も、どちらもできる。のどが乾いたことが影響していたとしても、その後の選択は全くの自由なんだ。



人はどうしても、過去の状態にとらわれて、今やこれからの自分をその延長線上に存在するものと考えてしまう。

でも、過去はこれからの原因には絶対になり得ないし、全てを創っていくのは今ここでする未来への選択なんだ。



昨日さぼってしまったのなら、そんなものは忘れて今からまた頑張るという選択をすればいい。喧嘩してしまったのなら、そんなものは忘れて今から明るい声で電話をかけてみればいい。

過ぎ去った過去にとらわれるのはやめて、今ここでする未来への選択に集中するんだ。



自分が追い求めるものに向かって、日々を真剣に生きている人がたくさんいる。その人をただ外から見ているだけの人が、あの人は成功者だ・あの人は駄目な人間だと勝手なレッテルを貼っている。


でも、そんながやがや騒がしい外からの声なんてどうでも良いんだ。成功の基準は自分自身で決めるもので、今自分はそれに近づいているのか・今それを満たせているのかに集中しなければいけない。

自分の中での成功とは、どういう状態を言うのだろう?どうなれば、成功していると自信を持って"自分"に言えるのだろう?



日々、目の前の作品と向き合っている芸術家がいる。頭の中で描く理想を表現しようと、これでもかと日夜作品と闘っている。でも、納得のいかない作品であったのにも関わらず、何百万円という高額で売買されたりする。

作品に真剣に向き合っていればいるほど、外の評価である価格などに興味がなくなる。自分が本当に納得できる表現ができたかどうか、それだけがこの芸術家の成功の基準なんだ。

買い手がつかなかったとしても、自分が納得できる表現ができれば、本物の芸術家であればあるほどこの上ない充実感・達成感を感じている。


価格に一喜一憂するのは、自分が今していることを商売として捉えている・自分の生活のためと捉えている芸術家だ。いや、そうなるともう芸術家ではなく商売人・メーカーになる。



イチローが何故、僕たちから見るともう十分だと思える成功を収めているのに、今でも尚更に本気で上を目指そうとしているのだろう。

自分が理想とするバッティングはもっと上のレベルにあって、きっと自分の中ではまだまだだと感じているはずだ。外からいくら凄いと言われても、自分の中での成功の基準を満たせていないから、それを達成するまでは絶対に立ち止れないんだ。



周囲の評価を成功の基準にしている限り、自分への自信や確信というものは絶対に生まれない。人は十人十色だから、色々な見方をされるし、その評価に一喜一憂している限り自分がブレブレになってしまう。

成功の基準は自分自身で創るんだ。



僕たちは、今目の前に広がる世界を、あたかも全て分かったようなつもりで生きている。自宅はこんなところ・会社はこんな感じ、あの人はこんな人・自分はこんな人間など。

でも、それはあくまで自分が勝手に定義した見え方に過ぎない。人は、自分が重要だと思っている側面しか感じられないようにできているんだ。



今いる部屋を、何も考えずにゆっくり見回してみるだけでも色々なことに気付く。あんなところにシミがあったのか、天井のこんなところに報知器が付いていたのかと。

自分の鼻の頭だって、意識すると視界に入っているのが分かる。常に視界に入っているはずなのに、普段は全く見えていない。


毎日見ているはずの狭い世界なのに、実は何も見えていないんだ。自分が重要だと思っていることしか、視界に入ったとしても認識できないんだ。



すごい人ごみの中でも、連れ添った仲間との会話は成立する。色々聞こえてくる話し声の中で、重要だと思っている仲間の声だけをしっかり聞き取ることができるんだ。

逆に一人で街に出ても、ふとひっかかる言葉が耳に入ると、その人たちの会話に自然と耳をすましてしまう。自分にとって、何か重要な話ではないかと感じたからなんだ。



人をみるときも同じことだ。

仕事をすごく大切にしている人なら、あの人は仕事できないなと思えば、その人をダメな人だと認識するだろう。

自分が重要だと思っている仕事についてはダメな人かもしれないけれど、自分が全く重要と感じていない分野については素晴らしい人かもしれない。

何よりも家族を大切にする人かもしれない・社内のムードメーカーになってくれているのかもしれない。今見えているその人は、自分の価値観を通して偏って見えている一側面に過ぎないんだ。



今見えている世界は、自分の色眼鏡で見ているほんの一部分。逆に言えば、その色眼鏡をかけ変えることができれば、全く違う世界が見えてくることに気付く。

自分が勝手にそれは無理だろうと思っていた眼鏡を外せれば、実は目の前にそれを簡単に実現できる方法があったりするんだ。ないのではなく、見えていないだけだ。



人は誰しも、こうなりたいという理想や目標を持っている。その想いがだんだん強くなると、周りの家族や友人に話してみて、その反応を探ってみたくなる。

でも、本当に自分がそれを望んでいるのなら、安易に人に相談してはいけないんだ。


相手は相手なりの価値観・立場で、良かれと思ってアドバイスをくれるだろう。特にその相手が親だったり先生・親友だったりすると、その内容ではなくその人が言ったことだからという理由で判断してしまうんだ。



人は、何か自分の進むべき方向を見つけると、それが正しいのかどうかを他人の反応で確かめてみたくなる。でも、そんなものは確かめなくていい。自分がそっちに進んでみたいと思ったのなら、それが正解なんだ。


それを近くにいる人に話してしまうから、ややこしくなる。そっちに行くとこんな危険があるよ・こんな落とし穴があるよと、色々教えてくれるかもしれない。じゃあ聞き返してあげれば良い、あなたはその落とし穴に落ちたことがあるんですかと。


実際に、真剣に選びとった先で落とし穴に落ちた人なら、きっと落ちてもその時痛いだけだよと教えてくれるだろう。落ちたことのない人に限って、もう二度と地上に上がってこれないような妄想を抱いているんだ。



進みたい道が見えたなら、それをすでに達成している・経験したことのある人の話だけを聞く。実際に達成しているのだから、リアルに実感できる。

そうやって、自分の向かっている方向は正しいという確信度を上げていくんだ。それを妨げるような人の話は、どんなにもっともな話であっても聞いてはいけない。本当にそれを望んでいるのなら。



確信度が上がるにつれて、どんどん行動力がついていく。確信しているから、諦める理由がなくなるんだ。

キッチンに行って水を飲もうとするときに、今日は蛇口から水が出るかな?と疑っていれば行こうか迷うだろう。当然水が出ると確信しているから、自然と足がキッチンに向かうんだ。3歩進んで、途中で飲みに行くのを諦める人はいない。


安易に周囲に相談してしまうのは、現状のままで良いんだというもっともな理由を探している場合が多い。新しい一歩を踏み出すのを恐れている自分を、もっともな意見で正当化したいんだ。