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専業トレーダーブログ

僕は、FX専業トレーダーという人生を選んだんだ。日々の生活から考え方・トレード検証まで。



僕たちは日々、様々な物やサービスに囲まれて暮らしている。自分に必要と感じたものを手に取って、実際に購入・使用することで毎日を過ごしている。

でも、良いなと思って手に入れたのに、実際にはそれほどの物ではなかったと感じることがよくあるはずだ。こんなものだよねという、ちょっとした小さな諦め感・失望感の積み重ねが、日々の気持ちにも影響を与えている。



最近は、お店の商品棚やWEBの広告を見ても、どれも売ろう売ろうという無言の圧力を放っている。直接的な言葉ではなくとも、キャッチーなフレーズを使って巧みに僕たちを誘導してくるんだ。

誘導されているとは感じられないように、そっと手を引っ張ってくる。何も知らない人は、いつの間にか相手の陣地でその気にさせられてしまうんだ。


日々こうした無言の圧力を受け続けると、必ず心まで疲弊する。実際の商品もたいしたものでないことが多いから、更に失望感まで感じるんだ。


本屋に足を運んでも、キャッチーなタイトルや目立つ配色で、手に取ってくれという無言の圧力をそれぞれが放っている。そういう作品に限って、パラパラと見てみると中身がないことが多いからがっかりする。手に取った自分がバカだったと、変な後悔が生まれて悔しくなるんだ。



逆にそこから、その仕事をした"人"をしっかり感じられるような物からは、この上ない幸福感を感じる。

僕は革靴が好きなのだけれど、職人の方にハンドメイドで作って頂いたものからは、その方の"仕事"を感じることができる。

縫い目の細部に渡るこだわりから、計算されたフィット感など、靴への愛情や購入者の方への思いやりがはっきりと伝わってくる。だから、履いているだけですごく幸せな気持ちになるし、大切にしたいという靴への愛着が生まれるんだ。


料理などでもそうだろう。子供が母親の料理がやっぱり美味しいと感じるのも、そこに母親の子供を想う気持ちが入っているからだ。

どこかで買ってきた惣菜の方が味は良いのかもしれないけれど、美味しくなくても、そこに母親を感じられる料理に幸福感を感じるんだ。



そうした人の想いを感じられるもので、自分の身の回りを整えてみる。それだけで、日々感じられるものが変わってくるんだ。



人は普段、自分が感じたくないと思っている不安や恐怖・悲しみといった感情を、できるだけ避けようと行動している。

その対極にある安心や安全・落ち着きといった感情を求めて、その状態が続くことが幸せだと考えている。でも、その状態が続くと、今度は刺激がない・つまらないといった別の感情が生まれて不満を感じている。

僕たちは、避けようとしている恐怖やスリルといった感情も、実は心の奥では欲しているんだ。



遊園地やテーマパークでも、人はわざわざ恐怖や不安を体験するために、ジェットコースターやお化け屋敷に入ってきゃーきゃー言っている。

普段暮らしている生活の中では避けている感情を、わざわざ体験しに行くんだ。

それに加えて、大好きなマスコットキャラクターと戯れて嬉しい体験もたくさんする。そんな色々な感情を体験して、最後その場所をあとにするときに楽しかったと自分の中で総括する。


きっとマスコットと写真を撮ったり、園内をただ見て回るだけだと物足りなく感じるはずだ。そこにスリルや興奮・恐怖といった感情が加わることで、1日の体験がより充実度の高いものに感じられる。



映画やドラマでも、ずっとハッピーな展開が続くだけのストーリーでは、すぐに飽きてしまうだろう。

ハラハラすることがあったり、悲しい出来事があったり、感動的な場面があったりと、その作品を通して色々な感情を体験できるから最後に良かった・面白かったと感じられる。



生きるということについても同じことだ。ずっと同じ感情が続くような生活では、何だか物足りないしすぐに飽きてしまうんだ。


色々な感情を経験するのに最も簡単なのは、自分がしたいと思ったことにどんどん挑戦するということなんだ。

思い切って一歩踏み出すときのあの不安とスリル、達成したときの感動・思うようにいかなかったときの悲しみ・挫折。起こってほしくないと思っていた事柄も、あとになって振り返れば必ずそれが自分の過去を彩ってくれている。なくてはならないものになってくれるんだ。


今避けている感情を、テーマパークのアトラクションのようにどんどん自分から体験しに行ってみる。きっとどんなアトラクションも、色々あったけど良かったなと感じるはずだ。



僕たちは、みんなそれぞれの感覚でこの世界を捉えている。これは多いとかこれは大きいとか、ここは遠い・これは良い悪いというふうに。

その捉え方は全て、自分の中にある価値観や考えが基準になっている。自分のその基準に照らし合わせて、大きいとか遠いとかすごく良いなどと感じているんだ。



子供の頃はまだ、自分の世界がすごく狭いから、数キロ先の隣街でさえすごく遠くに感じる。好きな子が同じ市内の学校に転校しただけで、もう二度と会えなくなるような感覚になるんだ。

大人になっても、生まれも育ちも同じところで他の街で暮らしたことのない人は、同じ日本であっても他県に移るのでさえ抵抗を感じたりする。

逆に、世界を色々と飛び回っている人からみると、日本国内での移動などはちょっと近所に出かけるような感覚になる。


物理的には同じ距離であっても、自分の中にある価値観のスケールによって、感じる世界は全く違うものに変わってしまうんだ。



会社の仕事でも、目の前の業務をただ与えられた一社員としての仕事と捉えている人と、会社全体の役割の中での位置付けを意識している人では、同じ仕事でもクオリティが全く違う。

コピーをとる一つにしても、ただコピー機に入れて言われた枚数を刷るのではなく、会議用の資料と分かればソートをかけて一部一部綴じることができるだろう。

仕事に対する捉え方のスケールの違いで、同じ仕事でも全く違うものが出来上がる。



自分が基準としている様々な次元のスケールを、大きくすればするほど、今まで慣れ親しんできた感覚がちっぽけなものだったと実感するんだ。

大切な人と喧嘩したとしても、人生という大きなスパンで捉えればほんのちっぽけな一つの出来事に過ぎない。

今自分が抱いている悩みや不安も、明日生きることができるかどうかに必死な人が世界にはたくさんいることを思えば、そんなことで悩んでいる自分が恥ずかしくなるだろう。



今自分の中にある世界のスケールを、一回り二周り大きくしてみる。それだけで、見えるものや感じることが全く変わるはずだ。



人は誰しも、日々慣れ親しんだ空間や人間関係の中に安らぎを感じる。緊張感を感じることもなく、その環境の中でだけ本当にリラックスできる。

それとは逆に、初めてのところに行ったり馴染みのない人の輪の中にいると、軽いストレスを感じる。自分ではそこに居たいと思っていても、無意識的には、そこから何とかして離れようという力が働いてしまうんだ。



いつも行くレストランより高級なお店に入ると、場違いに感じることがあるかもしれない。自分にはお洒落過ぎる・ふさわしくないと感じて、すごく居心地が悪くなる。

料理はすごく美味しいはずなのに、味もよく分からない。普段食べている、馴染みのある料理の方がやっぱり美味しいと思ったりするんだ。


でももし、そういうお店に通うステージの自分になりたいという思いがあるとしたら、その場違いと感じる感覚が必ず妨害してくる。意識的には行きたいと思っていても、無意識は場違いだからそのステージには行きたくないんだ。



例えばゴルフなどをしていても、している人は必ず、今自分はこの位のスコアレベルだという認識をもっている。

もちろん、その日のスコアがそのレベルより低ければ、今日は調子が悪いと感じるだろう。でも、調子が良すぎてかなりのスコアでまわっているときも、すごく居心地が悪いんだ。

今日はでき過ぎだと感じて、こんな良いスコアが続くはずがないと場違いな感覚になる。この感覚が無意識に働いて、後半はしっかりミスショットを連発することができる。終わってみると、やっぱり自分はこの位のレベルだよねと納得できるところに落ち着くんだ。



自分のステージを上げるには、その上がったところの自分を当然と考えられるような、自意識過剰なくらいの認識が重要なんだ。

日本では、謙虚なことが美徳とされているけれども、もちろん周囲に対してはそういう態度を示すことは大切だ。でも、心の中では、自分なら当然だ・自分ならできて当たり前だというくらいの認識でいる。


オリンピックで活躍する人たちも、インタビューでは関係者の方々のおかげですと言っていても、自分ならできる・自分だからできると思い続けてきたからそれだけの結果が生まれるんだ。

心から自分の力ではなく、関係者の方々のおかげと思うような心持ちでは、世界の頂点には立つことはできない。



人は必ず、無意識に慣れ親しんだ環境に戻ろうとする。行きたいと思うステージを場違いと感じてしまうのなら、まずはその環境が普通だと感じられる自分を作る。

その空間や人の輪の中に慣れることができれば、逆にこれまでの環境の方が居心地が悪くなる。そうなれば、勝手に居心地の良い環境の方へ自分が向かうようになっているはずだ。



自分が向かうべき姿が見えないことほど、辛いことはない。今日という日を自分は何のために生きているのか、今日という日の意味が分からない生き方が最も自分を苦しめるんだ。


自分の目標がはっきりと見えているから、今日という一日の大切さや意義を感じることができる。目の前に見るべきものがなかったら、今日はただ昨日の延長でしかなくなるんだ。

昨日までこうしてきたから今日もこうするという生き方から、明日のために今日これをするという生き方になる。過ぎ去った日々には、どんどん興味がなくなっていく。



本気で未来を考えれば、それが必ずはっきりと見えてくる。そうなれば、宝くじが当たったような気分になるんだ。もう当選が決まっていて、あとは振り込まれる時を待っているような感覚だ。


向かいたい道がはっきりしているから、日々のちょっとした辛いことなどにも耐えることができる。それさえも、そこに到達するのに必要な過程だと捉えることができるんだ。

自分の未来が見えていないと、目の前の出来事・現象にただ一喜一憂するだけの日々になってしまう。それが何を意味しているかを捉えることができないから、ただ嬉しい・悲しいというその場の感情で反応するだけになるんだ。



毎日が何か楽しくない・辛いと感じることがあるのなら、その原因は仕事でも人間関係でもお金でもない。

今自分の目標や理想を追いかけているという状態でないことが、その根本的な原因だと思うんだ。それに沿った仕事や人間関係を選択することができないから、そこから学ぶことができないし、ちょっと気にかかることがあるとただ感情だけで反応してしまう。


何かを今本気で追いかけている人が、一番幸せを感じているはずだ。