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専業トレーダーブログ

僕は、FX専業トレーダーという人生を選んだんだ。日々の生活から考え方・トレード検証まで。




頑張っているはずなのに、なかなか結果に結びつかない人がいる。自分の中で試行錯誤して努力しているつもりなのに、思うような結果が生まれない。

もちろん、それは頑張る方向が間違っているのかもしれないし、やり方・方法が根本的に違っているのかもしれない。


でも多くは、自分の中での"頑張っているという基準"がすごく低い場合が多いんだ。自分の中で頑張っているつもりでも、その分野で成功している人からみると、全く努力が足りていない。

結果が生まれないのは、自分がしている行動の基準がまだまだ低いからなんだ。



ある有名レストランのオーナーが、店の支配人に毎日かかさず電話でチェックすることの逸話がある。そこは今でも、知る人ぞ知るお店で、予約もなかなか取れない人気のレストランだ。


そのオーナーが必ず支配人に聞いていたのは、"今日は何人のお客様が泣きましたか?"ということ。

レストランに行って泣くというのは、普通あまり想像できない。でも、このお店のサービスの基準は、来店して頂いたお客様を何人感動で泣かせることができるかということなんだ。


そのクオリティのサービスが基準になっているから、従業員一人一人の立ち振る舞いから表情・料理の知識に至るまで、全てが高いレベルで維持されている。

成功している・感動を運んでくれるお店というのは、努力・行動の基準が圧倒的に高いんだ。


今あまり繁盛していないお店も、この感動の基準で全てのサービスを提供すれば、きっと居心地が良くてお客さんが集まり始めるはずなんだ。



今その分野で華々しく活躍している人も、過去に必ず圧倒的なレベルでの努力を重ねている。普通の人では想像できないような、圧倒的な時間と工夫を重ねているんだ。

その基準での行動をし続けて、何も結果が生まれないということはあり得ない。多くの場合は、自分の基準での行動に限界を感じて、途中で諦めてしまう。



自分の周りに一人でも、そうした高いレベルで行動している人がいれば、まだまだ自分には行動も努力も足りないことを痛感できる。

そうした、自分がすごく小さく見えるような環境でしか、もっと頑張ろうという気持ちは沸いてこない。今の自分が快適と思える環境にいては、成長はないんだ。



日本では、"二兎を追うものは一兎をも得ず"と言われるように、欲を出して色々な物を追いかけるのは良くないことだとされる。

一つに集中できないため、結局何も得られなくなるという意味の戒めだけれど、本当にそうだろうか。


二兎を追う姿勢でいない限り、二兎を得ることは絶対にない。自分の追いかけるものは一つである必要はないし、どんどん獲りにいけばいいんだ。



そもそも、一兎を追ってその一兎が必ず得られるとも限らない。その一兎だけしか見えていなかったために、見失ってしまったときに大きな失望となってしまう。

ちょっとした失敗や困難で、命を断ってしまったり鬱になってしまう人が多いのも、視野が狭くなってそれだけしか見えていないことが多いんだ。


別の二兎目・三兎目を追っていれば、一兎くらい見失ってもまたすぐに走り始めることができる。たった一兎を見失っただけで、全ての目標を失ったように・人生が終わってしまったように感じる必要はないんだ。



"二兎追うものは一兎をも得ず"というのは結果論。一兎も得られないかもしれないけれど、追っていない限り二兎を得ることは絶対にない。

こうなりたい・こうしたい・ああしてあげたいという想いがあるのなら、遠慮せずに全部追いかけに行っていいんだ。



自分の人生を生きていると思っていても、日々の判断や行動の多くを、人に委ねてしまっている人がいる。

今している行動は、自分からしようと思ってしている行動なのか。その判断は、自分の意志に基づくものなのか。日々のあらゆる活動は、全て自分から湧き出るものでなくてはならないんだ。



朝起きるという、何気ない行為にしてもそうだ。自分が今起きたいと思って起きるのか、何かに強制されて起きるのかでは一日のクオリティも全く違うものになる。

出社時間が決められているから、仕方なくその時間に起こされていると感じていては、きっと一日中何かに強制されている感覚になってしまうだろう。そこに自分はなく、ただ人や他の何かに動かされているロボットと同じだ。


自分の意志でその時間に起床し、自分の意志でその仕事を選び今勤めているんだという心持ちでいれば、何にも強制されていない自由な自分を感じられる。


しなければいけないからするんじゃない、自分がしたいからしているんだという心持ち。

上司に言われたからやるのではなく、言われてもやらないという選択肢もある。でも、自分はやるという選択肢を選んだ。自分の意志で、その仕事を全うしているんだ。


仲間に誘われたときも、みんなが行くから行くというのでは、そこに自分はない。自分が行きたいのか行きたくないのか、判断に使う材料は自分の気持ちだけなんだ。



人は、誰かに強制されたり、自分の意志とは反することをするときに大きなストレスを感じる。

普段仕方なくやらなければいけないことも、これは自分の意志で選んでやっているんだという見方・捉え方ができれば、もっと自分にも自信がもてるようになるはずだ。




僕たちは、何か行動を起こすとき、よく考えてから一歩を踏み出すように教えられてきた。可能性やリスクなど、あらゆる要因を判断して行動することが正しいとされている。


でも、こちらに進みたいと思ってその場でいくら考えても、その時の思考は現状に留まる理由しか探してこないんだ。

まずは、とりあえずでいいから一歩を踏み出す。そのあとに考える思考が、その先を切り開くためのアイデアを運んできてくれる。



どこかに行きたくなった時も、思い立ったらまず宿や飛行機を予約してしまうんだ。

そこで先の予定や行き方を綿密に確認したりしていると、だんだんと行くこと自体が面倒に感じられてくる。もう少し仕事が落ち着いてから考えようと、先延ばしにしてせっかくの意欲を無くしてしまう。


そこに行きたいと感じたということは、自分の中の何かが反応したからなんだ。そのタイミングでそこに行ってみることで、新しい発見や新しい出会い・自分の中での変化をもたらしてくれるような出来事があったかもしれない。

その機会を、考えるということで失ってしまい、結局は現状に留まることになってしまうんだ。そうやって、せっかく流れてきたあらゆるチャンスを掴み損ねてしまう。



一歩をとりあえず踏み出すことで、それに沿った思考が生まれてくる。もう一歩進んでしまったのだから、次の一歩をどう進めようかという考えしか浮かんでこなくなるんだ。

旅行の予定を入れてしまったのだから、他の重なったスケジュールを調整しようとするだろう。出費が重なってしまうと思うのなら、旅行のために節約を始めるかもしれない。

旅行に行くという前提で物事がどんどん進んで、それに沿ったアイデアがどんどん浮かんでくるんだ。


予定を入れる前は、忙しくてちょっと無理かなと思っていたことも、とりあえず行くことにしてしまうことで、実際に行けるように自分が勝手に動き出す。



やりたいと感じたことは、深く考えずにとりあえずやってみるんだ。一歩踏み出すことで、確実に現実は違う方向に進み始める。

あらゆるチャンスは、ゆっくり考えている人を待ってはくれない。



人は、何かを得ようと必死になることはあっても、何かを捨てようと必死になることはない。手に入れることばかりを考えて、無駄なものをたくさん抱え込んでいるんだ。


なかなか物を捨てられない人がいる。後になってまた必要になるのではないかと、捨てることによるリスクを引き受けられない。

捨てないで置いておくのは楽なんだ。頭を使わなくてもいいし、置いておけばとりあえず気分的には安心できる。でも、思い切って捨ててみることで、そこにスペースが生まれて、思ってもみなかったものが入ってくる。



何かが入ってくるには、スペースが必要だ。それは物理的なスペースだけではなく、時間的なもの・精神的なものも同じだ。


物がいっぱいの部屋にいると、息苦しさを感じるだろう。必要以上のものがなく空間に余裕があるから、新鮮な空気も入ってくるし不思議と人も寄ってくる。

スケジュールがいっぱいの日々を送っていると、息苦しさを感じるだろう。時間に余裕を意識的に作るから、新しいことを始めてみようという意欲が沸いてくる。

緊張感や頑張るだけの時間ばかりだと、息苦しさを感じるだろう。適度に息を抜いて落ち着かせることができるから、また頑張ろうと思えてくる。



何かを得ようとする前に、今自分の中で抱え込んでいるものをどんどん捨ててみる。目の前に機会やチャンスが来ても、自分がいっぱいいっぱいではそれを手に取ってみようという気にはなれないんだ。

意識的にスペースを空けておくと、不思議とそのスペースを埋めてくるように予定や人がスッと入ってくる。このスペースがなければ、なかっただろう機会や人に出会えるんだ。



得ること以上に、捨てることにもっと意識的になってみる。それだけで、現実が今とは違った方向に少しずつ変わっていくのを実感できるんだ。