やがて否定されるかもしれない、いやおそらくは否定されるだろう言葉を積み重ねることでしか、人は知ることができないのだから。知とは、自分の視座で世界を見通すことではない。自分もふくめた全ての人に、論理的な可能性を開いて手渡すことである。「むしろどこで失敗しているかを通じて、これらは「社会」や「システム」と呼びたくなる経験のありようを最もよく教えてくれる」というのは、そういう意味だ。
ルーマンが否定のカードを自分では特定できないとすれば、それと全く同じように、私の指し示す否定のカードが本物かどうかも、私には特定できない。そのカードをさらに否定するカードをさらに否定するカードを見出せるのは、私ではなく、読者であるあなた方である。
佐藤俊樹「意味とシステム ルーマンをめぐる理論社会学的探究」
2007-12-01 はさまざまな裁判事案(推定無罪、家庭内殺人、録画なき自白)そして、サブプラの前から日本は官製不況のおかげをもちまして建設・不動産業界厳しかったよというニュース。あとはこの頃クラナドアニメは楽しかった、、、ゲーム原作の場合ルートを一通り見せようと思うと恋愛が絡むだけに主人公が最低君でない限り、どうしても無理が生じてきますね。
渦状言論「虐殺問題についていくつか」投稿日時:2008年12月01日19:03
>ぼくはただ、ネットでぼくの話題を追っているひとが、ぼくにとってけっこう重要なこの「虐殺問題」について、不正確な引用だけを根拠にぼくの立場について誤解してしまうとまずいと思ったので、書くだけです。
秋葉原殺人事件のときも、私のところにコメントを求める取材や、本で対談してくれという話が来たが、すべて断った。精神異常者はどんな社会にも存在し、彼らは一定の確率で殺人をおかす。その対象が家族であればベタ記事にしかならないが、「秋葉原」や「厚生省」という意味がつくと、メディアが大きく取り上げる。この種の報道は憶測ばかりで、犯罪の連鎖を呼ぶ有害無益なものだ。
と秋葉原殺人事件についてこのような池田教授のようなスタンスとは対照的な言行動を示し、メディアに露出しまくって2chのスレタイトルから語って見せたような東くんにとって「虐殺問題」は重要な問題だったのですね。これは意外な事実でした。
>南京のほうはといえば、記念館は意外に小さな作りで、しかもなかの資料は本田勝一の著書からの孫引きばかりだった(具体的には多くのパネルが本田の著書の拡大コピーだった)。これ、いささか政治的にやばそうな話だし、おまえの記憶違いだとか言われるとなにもこちらも証拠がないのでいままであまり書いたことがなかったのだけど、とりあえずぼくの記憶としてはそうです。ちなみに、東工大の授業でもこの話はしたのですが、速記者に言ってオフレコにしてもらいました。
オフレコにしたのに若干ウェブで批判されたのに動揺したのかこんなこと自分で書いていたら何の意味もなし、オーラルヒストリーの出来上がり。「言葉」というものについて自分に向けられた批判には敏感なのに、自分の「言葉」については驚くべき鈍感さですね。
>だから、ぼくは転向するかもしれない。それは弱さだけれども、しかし、南京まで出向いたあげく、ぼくの心のなかにそういう差異が生まれたことは否定できない。南京まで行って出会えたのは本田勝一だった、この失望は決して浅くない(ちなみにぼくは中学生当時の教師の影響で、本田勝一の朝日文庫はほとんど読んでいます)。
ちなみに下のカキコミは公式文書ではなくネットで適当に拾ったものなので事実とは違うかもしれない。私はもちろん当日参加したわけでもないし…←とか保留をつけておけばいいんでしょw
187 名前:考える名無しさん 投稿日:2008/10/19(日) 20:22:51 0
第三ポッドは後藤の話で無駄に盛り上がった
東 「最近、『エビデンスないじゃん』だけで僕の評論を切り捨てている人がいて、その言説はネットで妙に評判が良かったりする」
福田「そういうのはその内滅びるから放っとけばいいじゃん」
東 「滅びるのはこっちの方かも、という危機感がある。統計とかデータとかの裏付けとは全く別のところで展開する人文的な知があるんだ、ということが伝わってない。編集者たちに信頼築き上げてきたのに『後藤によると東とかって全然駄目らしいじゃん』とかなったら困る」
宇野「後藤のは、新書ラッシュだからって適当に編集者が食いついているだけ」
大澤「統計が万能ってわけじゃないよ。そもそもどんな奴が調査に応えるのか、とかいろんな問題がある。そういうの全部考えていくと、使えるデータなんか殆どなくなる。社会学的な調査にも資格とか必要で、自分はそれ持ってる」
東 「東は社会学的な素養がないから駄目な学者だよね、とか言われるようになってる。僕の年譜みろよ(笑)動ポモは、人文評論を社会学的な文章で擬装して書いてるのに、ガチで社会学的に読まれて社会学として駄目だとか言われても」
福田「それは『社会学だ』と思わせるだけのテキストの力があるんじゃない」
まさに「エビデンスがない」という部分についてびびっている姿は、「虐殺問題」に対する東くんのスタンスと被ります。最初に自身で書かれているスタンスがどんどん変わっていて、そんな姿を見て東くんの読者もまた失望するんじゃないの?
>ネットだけで「歴史の真実性」について叫んでいるひとを見ると、やはり(デリディアンとしてこんなことは言いたくないけど)、文字情報の相対性や弱さに単純に無自覚なように見えてならない。「リアルのゆくえ」でぼくがいったのは、そんなふうに文字情報ばかりで構成された世界観など、文字情報によってすぐひっくりかえるのだから、少しはみな自重したほうがいいのではないか、ということです。
ここで冒頭にリンクを張った池田教授の秋葉事件に関するスタンスと比較しましょう。アキバ事件でテロだのなんだのと言説量産しまくった東くんに「自重」なんて言われる悲劇。
ちなみに、「リアルのゆくえ」の該当部分は色々なところでコピペが出回っていますが、震源地は…女子リベさま 後藤和智さんの新刊!「おまえが若者を語るな!」
のような気がするのは私だけ?(ちなみに私自身でも当該書籍該当箇所確認しましたよ)
>そもそも、そんなに真実が大事だと思うのならば、そのかたがたは実際にぼくの授業に来て質問したらいいのではないでしょうか。
「コメント機能とトラックバック機能は2006.1.17で閉鎖しました。」
となっているブログの仕様をやめればいいだけだと思うよ(笑)
渦状言論「山本寛氏と対談(追記あり)」 投稿日時:2008年11月08日11:50
>古い読者なら知ってると思いますが、実際にはぼくはそのあと、さまざまなところから「東はアニメがわかってない」と叩かれ、某ライター氏からは、面と向かって「あなたの存在自体迷惑だから、今後オタク関係について語るな」と罵倒されたりすることになります。というわけで、やべえ、この業界まじで怖いわ、と思って、アニメ業界からは微妙に距離をとることにしてきた(そしてその結果、美少女ゲームとかライトノベルについて多く語るようになった)
ということらしいので、ついでに若者だとか時評について語るのもやめてくれればいいのにという期待をこめて、批判を続けることを決意いたしました!
>ぼくの考えでは、アニメ批評がいまなぜ低調かといえば、知識があるひとがいないとか情熱があるひとがいないとか以前に、そもそもアニメ批評は、読者の(読者の、です。書き手の、ではありません)質があまりに悪すぎて、いま批評を志す人間にとってコストが高いわりにリターンが少ないからです。具体的に言えば、一生懸命なにか考えて書いても、ちょっとした名前のミスとかなんとかで鬼の首でも取ったように非難する、そしてそれを「見識」だとカンチガイしている読者が多すぎるからです(これは、山本さんも同じことを「妄想ノオト」の出張版で書いていますね)。
じゃあ、だらだらと時評だとかそれこそ現代思想について書くのは、コストが低いのか、リターンが多いのか、その両方なの?(笑)
>そもそも悪口は褒め言葉より目立つものです。アニメについてなにか新しく書こうと思ったとき、そのひとが信じられる読者がどれくらいいるのか。アニメ批評の未来はそこにかかっているのではないでしょうか。ま、これはアニメ批評以外にも言えることではあるのですが……。
ああ、ちなみに鈴木謙介は新著「サブカル・ニッポンの新自由主義」(P21~)で、私が以前批判した「ハイテンションな自己啓発」批判をまんま受け止めて 、雇用問題について現代若者の心性の変化にも非正規雇用の原因があるみたいなことをとやかく言うのはやめることができたみたいです(まあ、それでも本著の結論は「実存」問題が解決されないと幸せにはなれないと「脳内革命」焼き直しみたいなことを述べていますが、ずいぶん現状認識だけでもましになったのではないかと)。批判を悪口(東くんにかかると人格批判でしたっけ?)としかとらえられない方はともかく、批判によって成長できた人が半径3mにもいるというのにこの言い草。
>こういう話題についての「議論」は経験的に不毛なだけなので、ぼくは今後、この話題を続けるつもりはありません。書きっぱなしですみませんが、とにもかくにも、ぼくはそんなふうに思っているということです。
授業に来て質問したらこたえてくれるということでしょうか?(・∀・)ニヤニヤ
参考;同人誌総合文化研究所さま「小川びいと東浩紀との往復メール」 を読む限りにおいて、存在自体迷惑だからとか読み取れないのですが…。「批判」=「人格」+「批判」という風にとらえる東くんなら不思議ではないか。
ああ、でも若手にきちんと商売として成り立つ「批評」の場というチャンスをと頑張っている姿が伝わってくるthe deconstruKction of rightさま「批評と小説をめぐる十時間連続公開シンポジウム」感想
は素直に素敵と思います。
MouRaトピックス「MoPiX」 00年代の言論界に現れた新星・宇野常寛インタビュー『ゼロ年代の想像力』が目指したもの
>「まずは、思っていたより売れ行きの出足がよかったことを、著者として素直に喜んでいます。いま、三刷りなのですが今時1890円もする評論の本が売れるというのはすごいことだと、いろんな方に言っていただきました。うれしくも意外だったのは、普段は評論など読まない層から反応があったことでしょうか。実は、『ゼロ年代の想像力』という本は、批評の現状をなんとか打破したいという、政治的な動機をもって執筆した本なんです」
宇野って誰?というまま批判を加えるのも失礼なので最近、当著とかサイゾーの連載だとかもざっと目を通しました。
ちなみに「ゼロ年代の想像力」についての感想は田中秀臣教授 (これまた、m9に連載していたからひがみ系ブロガーということになるのかな?(笑))が一番しっくりきました。まあ、でも「文芸評論」なので実証性を求めるほうがおかしいらしいですから、田中氏の経済史に基づく批判の声は決して届かないでしょうが…。
>【免罪符商法】化する批評をなんとかしたい、そう思ったのが第一の理由です。だから僕は基本的に、今の批評の読者の大半を占めるヒガミっぽい層に甘いことを言わないようにしています。
ヒガミっぽいのは宇野自身だろ( ´∀`)σ)Д`)
>究極的には無根拠であることを織り込み済みで、中心的な価値を選び取る、信じたいものを信じ賭ける態度です。そんな世の中で、個人の超越や永遠に対する【祈り】や【賭け】について語ることは意味がないんですよ。みんなそう思っているんだから、あとはそれぞれ異なる【超越】や【永遠】を信じる人間同士の関係性の問題が残るだけなんです。だから【正義】や【倫理】が問題になる。
>ネット論壇向けのジャーゴン(専門語)で簡潔に説明すると、“セカイ系的な凡庸な超越志向(=頭の悪い決断主義)は、グローバル化社会の一単位に回収される”ってことですね(笑)」
宇野氏の言わんとしたいことはこういうことらしいです。文芸評論らしいですから、無根拠とかそういう批判は封印済み、信じたいという「決断主義」をもってこういう主張を信じているということですね、わかります。
>最近ではクレーマーで有名な大学院生が、文芸評論やSF小説に対してまで“実証性のない妄想だ”と批判する本が発売されて、【ロスジェネ論壇】周りでは一定の評価を受けている。本田由紀さんあたりには、“本当にこの本がいいと思うのか”って訊いてみたいですけどね。これって普通に考えれば【トンデモ本】の一言で片付けられると思うんですが、どうも支持者たちは“なんとなくこの著者は若い〈萌え〉系のオタクの味方を標榜しているらしい”みたいなイメージで、とりあえず脳内の【味方】フォルダに入れておけ、みたいな思考様式で支持を与えているらしい。
文芸評論やSF小説に対する批判???宮台や東や鈴木やらって学問知に基づいた言説を弄していたわけではないんだ。知らなかった、素晴らしい擁護ですね。あとロスジェネ論壇って何なんだろう?と思って検索したらひっかかったのが…
【正規雇用】ロスジェネ論壇【ネット喫茶民・カードローン】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1227002066/
1 名前:雇用大淘汰来襲 投稿日:2008/11/18(火) 18:54:26
雨宮処凛 公式Blog
http://www.sanctuarybooks.jp/sugoi/blog/
深夜のシマネコBlog
http://blog.livedoor.jp/shimanekoblog/
新・後藤和智事務所 ~若者報道から見た日本~
http://kgotoworks.cocolog-nifty.com/youthjournalism/
女子リベ 安原宏美--編集者のブログ
http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/
水紋鏡~呪詛粘着倶楽部~
http://ameblo.jp/fuyugare/
超左翼マガジン『ロスジェネ』
http://losgene.org/
特定非営利活動法人 自立生活サポートセンター もやい
http://www.moyai.net/
( ゚д゚)ポカーン少なくともそこに私を加えるのは激しく間違っていると思うのは私だけなの!?
>これってまさに僕の指摘した決断主義的な動員ゲーム=バトルロワイヤルの思考法だと思います。とりあえず自分たちの【敵】か【味方】かで判断して、【敵】にはクレーマー的に数の攻撃を加える。たとえば少し前の「ハッピーマテリアル騒動」や、「恋空」バッシング騒動なんかがその典型例です。
ということは、先にカキコミをメモした後藤氏について、宇野某が「後藤のは、新書ラッシュだからって適当に編集者が食いついているだけ」なんて述べたというのはま・さ・かありえないですね。まるで敵と判断してクレーマー的攻撃を加えたみたいですから。
ちなみにサイゾーに連載しているサブ・カルチャー最終審判第6回「さらば、愛しの雑誌たち!?」からも宇野のひがみ言説メモしておきますね。
宇野;雑誌が潰れまくっているということで、今回のテーマは雑誌です。「m9」①もなくなって、「やっぱりか」って感じですね。ブログ論壇の中でもいちばん質の低い層にマーケティングしたわけですからねぇ。他人をヒガむことばかりに夢中で、生産的なことをしないヒガミ系というか。その結果、書き手には見事に「文芸評論やSF小説に<実証>がないのはけしからん!」って主張するトンデモ系ブロガーや、評論に憧れても脳ミソが追いつかないオタク系ライターが集まった(笑)そりゃ売れないはずですよ。
三刷り売れたのが自慢らしいので、赤木さんや後藤さんは自著がどれだけ売れたのか示してあげたほうがいいんじゃないの?より宇野のひがみ根性を刺激しそうだけれど(笑)
[用語解説]①時代を読み解く新世代「ライトオピニオン」誌として、晋遊舎から今年4月に創刊。赤木智弘、後藤和智などクレーマー体質のブロガーたちを起用し、ブログ論壇読者のヒガミ感情に訴えた。
(*゚∀゚)っ[鏡]クレーマーとかヒガミなんて言葉を連呼している自分の文章を読み直してから出直しておいで!
世代間格差の現状論議 若手議員らシンポジウム『マニフェスト』も発表
>若者の声を政治に届けようと、二十、三十代の若手議員や研究員らが二十五日、シンポジウム「世代間格差と若者政策」を港区赤坂の日本財団ビル内で開いた。社会保障や雇用における世代間格差の現状について話し合い、新しい社会システムの必要性を訴えた。
まあ、宇野がひがむのもわかります。ご大層な「政治的な動機」とやらをもっているらしいのに届けている宛名が違いすぎますものね。
>後藤さんは「世代間対立をあおる言説は政策を混乱に陥れる。今ある法律や制度を適切に運用することから始めた方がいい」と話した。(東京新聞 2008年10月26日)
何度も厚労省ガンバと書いているけれど同感。「法令遵守」をまず求めているだけなのに、なんでクレーマー呼ばわりされなきゃいけないのか理解不能です。無意味なココロ言説を批判するのは、法令違反という事実に向けられるべきスポットライトがぼやけるからなんですが。その意味でまさに「“セカイ系的な凡庸な超越志向(=頭の悪い決断主義)は、グローバル化社会の一単位に回収される”ってことですね(笑)」
ルーマン自身にとっても「システムがある」とは何かは、最初の問いであり最後の問いであったが、つきつめれば、この問いは、行為あるいはコミュニケーションが関係的に定義されるとは何か、ルーマン自身の言葉を借りれば「コミュニケーションはいわば後部から可能にされる」とは何か、に帰着する。
(中略)
全体論を不当に密輸入しないとすれば、それ以外に、社会を考えるということを考えることはできない。
佐藤俊樹「意味とシステム ルーマンをめぐる理論社会学的探究」
…とここまで書いたらなんか感想書く気なくなっちゃったので視聴したということだけメモしておきます。
「かんなぎ」第8話
脚本;高橋龍也・EDイラスト;水無月徹
「純情ロマンチカ2」第8話
「CHAOS:HEAD」第8話
「ケメコデラックス」第9話
「とある魔術の禁断目録」第9話
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