あざみの効用

あざみの効用

或いは共生新党残党が棲まう地


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ようやく異動―、これでワークライフバランスを取り戻せる見込み。ただ、色々と異動先に関する勉強をしないといけないので来月から暫く読書量を減らさなければあきまへん。

 

 

 様々な利害関係者が絡み、大金が動く重要な諸政策を検討するに、その手段は費用便益分析しかない。ただ、それこそ源流の功利主義批判を参照に比較考量するには左右の天秤に同じものが乗るのか、そもそも天秤にのせられるのかどうかといった問題をさけられない。それに対して机上の空論ではなく「現実政治」として立ち向かうにどういった考え方をなしたかが開陳される。 

 究極の「人命」について「人の命は地球よりも重い」といった考え方ではなく保険的『統計的生命価値(Value of Stastical Life)』を採用、ブレークイーブン分析(コストではなく便益側を上限・下限幅で考える)などの具体的なものさしや、費用便益分析が鈍る「恐怖」の取り扱い方など経済と心理・社会学が融合調理されていく。

いずれにしてもキャス・サンスティーン好きとしては政府高官に採用できた米国が羨ましい限り―。

 

MONEY MONEY
 
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 貨幣とは信用の具現化であり、信用が乏しい社会は発展できない。しかしときに信用は過剰に膨張し、ときに過剰に瓦解する。それがバブルと恐慌の金融史となる。処方箋は信用をコントロールする機関を設けることにある。ただし、そういった機関の設立の社会的合意に至るのは「貨幣」に関する不信感と「国家権力」に関する不信感が相まって結構難しかったことを具体的に、アメリカの連邦派と中央集権派の文脈下でFRBが根付くまでの歴史を遡りつつ紐解く。

 インフレとデフレのそれぞれの害悪に触れた後にアベノミクスについても触れられるが、この点は訳者即ち、日本にリフレを紹介した立役者と言って過言ではない山形浩生氏が補足をしている。即ち物価は上がらなかった、原因は日本の生産性にキャパがあった、金融政策だけでなく財政政策が必要と。

先日上記、ブログエントリーを読むと矛盾しているように思える。つまりデフレは貨幣現象であり、金融政策で打開できると主張していたわけだから金融緩和が不徹底なだけだろうと述べているが、上記あとがきの通り既に財政政策の必要性(財政出動+消費増税反対)が説かれているわけで、いくら金融政策だけでは限界があることは明らか、即ち過去の発言に責任を問わないリフレ派界隈に対しての皮肉だろう。

 本気でケチャップを撒けと思っているとしたら正にはてブ欄に指摘があった「インパールは兵力10倍なら勝てた」風。思い起こすのはかつて小泉改革で経済成長に対する処方箋が「構造改革」、いくら「構造改革」的施策に取り組んでも成功しないのは構造改革が足りないからという無敵宗教論法。

 ブレイディみかこ本の下地ともいえる、英国人の英国人向けの怒りの本。要はサッチャー(保守党)の労組解体とサッチャーの正統後継者たるブレア(労働党)メリトクラシーの合わせ技で、地域社会が空洞化し、分断され新たな階級社会が誕生したが、その点を不問に付した結果可視的なチャブそして昨今は移民を貶めることで英国社会はある種の均衡を保っている。社会保障という正の手ではなく、軽蔑や憎しみといった負の感情で問題を先送りしてもそこに未来はあるのか?

 日本でも根拠なき若者批判が00年台に展開されたことを思い起こすと少し苦いものが混じる。


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羽生永世7冠誕生に続き、藤井六段誕生の一局(後者は二局)を最初から最後まで観戦できたのは望外の喜び―。キャラ頼りの一過性のブームではなく、将棋そのものの魅力による裾野の拡大にまで至りますように。

 

 外交(歴史といってもよい)を評価するには点ではなく線での評価が必要。個別の論点の都合いいつまみ食いはできない。今では悪評高い靖国「問題」や歴史教科書の近隣諸国条項も「冷戦下に於ける日米同盟」のもとでの一石として理解しなければならない。

 タカ派に位置する中曽根総理だからこそ近隣諸国のナショナリズムにも配慮できたこと(翻って不文律の防衛費1%枠撤廃時には鳩派の宮沢派に大蔵・防衛庁を委ねる)、世界戦略なき小石に拘る有象無象こそが足を引っ張ったこと(おそらくエントロピーよろしく何も力が加わらなければ今頃忘却された可能性すらあると思う)など、政治家発言や当時の論説など数々の文献に丁寧にあたることで時系列的に当時の外交を評価することを可能にする大部。

 …そして同じ視線で現代政権を評価することも可能にする。

 これは知的興奮の宝庫、単なる一食材のエピソード集と思ったら大間違い。既有の人類史に関するイメージすら覆りかねない一冊。現世人類がアフリカから生まれて世界各地に広がっていくにおいて、内陸部を徐々に移動したというイメージを抱いていたが、内陸部と同様にいやそれ以上に、もしかしたら重要かもしれないのがモンテヴェルデ遺跡や「ケルプ・ハイウェー仮説」に代表される現生人類はジャイアントケルプを伝って世界に広まったという仮説だ。すなわち狩猟から牧畜・農耕社会への発展と同様に漁撈社会があったという事実だ。

 この点確かに三内丸山のイメージは強力だが、一般には各地で発見される貝塚に代表されるように海藻や貝が主食として日本社会は成り立っていたように考えるほうが説得的だ。そしておそらく陸上の狩猟より漁撈社会の方が安定的だったからこそ土器が発明されたのもメソポタミア文明六〇〇〇年前<縄文文化一三〇〇〇年前となったのだろう。

 また過去だけでなくこれからの持続可能な社会を構想する上で、海藻なき社会は考えられない。生産性、栄養価の高さだけでなく、すでにフィココロイド(ゲル化・乳化剤)として現代社会に組み込まれつつある。この本では日中韓の海藻との歴史に頁が割かれているが、翻って欧米社会が海藻を忌避した理由も素描する。すなわち、航海技術未熟な時代において海藻に取り囲まれての遭難死は当たり前で、恐怖からやがて嫌悪(陸上で人類が育てたもの以外は野蛮)へと価値を転換、しかし陸上の汚染が広まるに応じて太古の価値が復権していく…スキンフード、タラソテラピー。

 単一エピソードとして本当に驚いたのは日本の海藻の養殖が本格化するのは、戦後キャスリーン・ドゥルー=ベイカー博士の発見あってのものだということを初めて知った(有明ではドゥルー祭すら行われている)!


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昨晩の朝ナマでかのアトキンソン社長が参加していたためつい最後の方まで見てしまった。人口動態で快刀乱麻を断つが如く説明に我が意を得たり。成長は人口と生産性の掛け算に過ぎないため、高度成長はほぼ人口ボーナス、この20年の停滞は人口横ばいの中、生産性が上がっていないため、そしてこれからは人口が減っていく以上生産性を上げざるをえない。女性がフルタイムで働くのも当たり前だし、単に良いものを「安く」売ればいいというビジネスモデルは終焉。ただし、生産人口が3000万単位で減少する未曾有と思われる未来も、中世ペスト流行期を振り返れば労働者視点から悪くないという視座は面白かった―たぶんその頃には不良債権としての団塊も、そして私たち「真性ロスジェネ」も壊滅している。

 

 

年始に相応しい壮大な一冊―宇宙科学を期待して手に取ったが「哲学」本で普通に良本。セカイについての認識は「適宜自然主義」が妥当と腑に落ちる。適宜(①世界についての語り方はいろいろある②うまい語り方は全て、互いに、また世界と整合していなければならない③その時時の目的が最善の語り方を決める)+自然主義(①一つだけの世界、自然界だけがある②世界は破れないパターン、自然法則に従って進展する③世界について学ぶ信頼できる方法はそれを観察することのみ)と―。デイヴィットヒュームからベイズまでを織り込む。

刑事司法関連には一家言あるため、哲学者が何を上から目線で語ってくれるのかと批判せんがためぐらいの軽い気持ちで手に取ったが前書きからしてある種の「哲学批判」となっており、徹頭徹尾簡明・明快な文章で綴られる思考・考察に感動。死刑を賛否を巡る道徳的・倫理的論争答えはいずれも進化に基づく「応報的感情」として正であるとして切り捨てる。カント、ベッカリーアは切り捨てられるべき補助線に過ぎず、本線が宅間守と久間三千年(飯塚事件)というのが素晴らしい。扱われる材料は既知のものなれどそれらを編んで生み出された死刑反対の結論は「死刑賛成派」こそ合意に至ると思われる(反対派はむしろ心情的に反する)。

喪失の心理的需要の過程を現代的に描いたもの―ただしどこまでいってもフェイスブックCOOだから母子家庭ならでは一般的辛さと重ねることに違和感をどうしても抱いてしまうけれど…。

 

今年の年末年始、鹿渡島定置網からのお取り寄せグルメは(鮮魚セット+干物セット)―

干物セットはアカモク(海藻の自然薯に近い触感)、アオリイカ一夜干し、フグ一夜干し、タイ一夜干し、カマス糠まぶしと盛りだくさん

鮮魚は、スズキ(オスメス2匹)、サゴシ(小サワラ)、ヤリイカ+アオリイカ+スルメイカ、フクラギ(イナダ)、
イシガキダイ、アジさま。

今回豪華な海鮮丼作ってみましたが涙がでそうなほど美味しかった。


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毎年、毎年あっという間に終わる。仕事納めは30日しかも昨年のご多分に漏れず、年末年始休むために徹夜の業務が予測されるため早めにアップ―。今年は自身には無縁とタカをくくっていたハラスメント各種に懊悩させられた一年だった(まあ来年も敗戦処理は続くのだけどね)。

今年308冊の読書の中からベスト3を選ぶとすれば、以下の通り(本当に読書家として「は」幸せな一年だった合格

 

 

 

12月読書群の中からのオススメは以下の通り。

このシリーズ刑事司法を考えるシリーズはどれもお薦め。治安・司法について御託を抜かしたいならこれらの知的集積を「前提」として語っていただきたいと切に願います。0巻の対談や各巻を読むと全体的には「治安悪化という虚妄」が晴れつつ有り明るい展望が開かれているのだが、この巻はその限りにあらず絶望に包まれています(TWEET参照)。今年のお薦めNHKブレイブシリーズの主役の一人今村核弁護士も論考を寄せておられます。私が冤罪で捕まったときには今村弁護士に何としてもお願いします―。

 

今年のマイブームの締め括り、腸は「第二の脳」であるということ。脳内物質の代表セロトニンの95%、ドーパミンは50%を作り出している。この点、私の戯言ではなくshorebird氏の書評を読むのがいいでしょう。

今年から読んだ書籍の中で、職場でこそ読んで欲しい書籍を置くようにしたのですがこれが3冊目(野矢先生のファンであることはこれまでの取り上げ方から明らかでしょうが別)。「要約」こそ国語力(=他人に伝える文章)を鍛える要、読みやすい文章の作り方など例文への思考過程、具体的添削が丁寧に記されておりおそらく受験生レベルでも役立つ本。


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今年はNHKのブレイブシリーズがTV番組としては出色の出来で録画してあるものを事あるたびに見返してます。しかし、第三弾は東芝ではなく日本が失ったものの大きさ、しかも現在進行形に思いを致すと最後の後ろ姿と重ね合わせてクラクラ。翌日、東芝社内で殺人事件が起きても不思議ではない内容。ソニーは出井の傷を癒やすのに10年かかったが虎の子のメモリーすら手放す東芝はどうなんでしょうね…。

 

今月のおすすめは微妙

言葉が独り歩きしてきた山田教授が満を持してだから言ったじゃないか論を展開。パラサイトシングル、希望格差、婚活(これは当緒では触れられていない)全て世に出す時に、パラサイトシングルではいずれ介護が浮上するためキリギリスに過ぎず、格差は希望そのものに行き着き、婚活はむしろ社会保障の一種として夢見るちゃんではなく必要とか…ただ、世の中で曲解して流通するに至りそこに未必の故意はあったように私は思うけどね。社会学の予言(の自己成就)を考えるに山田教授は考察に値する存在であることは間違いない。

今回、私が知らなかったのは親密犯罪の実数。いまや、ストーカー事案2万件、DV11万件と莫大な数に達していること。警察の人的資源がそんなところに割かれていると見るべきか、そんな数を引き受けられるほどに治安が良化して資源が避けていると見るかはヒトに依るでしょうね。あとは死刑の存廃を巡り、具体的に顧客(被害者)満足度で測るテキサスとミネソタ州の対比で考える下り(終止符論の否定)は面白かった。

前回の升田VS大山に続きライバル同士の対決は熱い。あと刊を出せそうなのは、中原VS米長、羽生VS谷川ぐらい?米長が名人にそして会長になれたのは大山が亡き後だったからとはしばしば言われていること。


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いよいよシンギュラリティが現実化…今後の(人類の)未来を占うに最適の一冊が降臨。

 

 これは今年の一冊ではなくて、就業者・就学者にとって自身の未来・将来を考えざるを得ない時代が到来したという問題意識のもとに読まざるを得ない一冊。20年前に語られた「IT革命」という不確かな宣言ではなく、今回はホンモノの可能性が高い。それは同著であげられる専門家群とそれに呼応するAI・IOT技術が提供(しつつある)サービスを見比べれば腑に落ちるはず。同著ではまず、「専門家」の定義が語られるところから始まるが、その役割がタスクごとに分解・融解されることで脱神秘化され、それはAI・IOT技術に呑み込まれていくだけでなく。むしろAI・IOTの方がうまくやりうる。

 このことは同著の例では語られていないが、チェス・囲碁・将棋でもたらされた事態はむしろAI同士の研究を専門家こそ後追いする時代になっている。

 考えてみると、認知科学・脳科学の発展はかつてブラックボックスとして扱っていた脳をコンピューターで行われていることを類推することで始まっている。知的労働こそAI・IOTに馴染むのは自然。情報を蓄積する媒体に、「検索」機能が加わったことで膨大に蓄積された、そしてされる情報を分析・活用する「チカラ」が備わったのが今日。ではヒトに残された仕事は―同著ではその点も語られるが是非ともその賛否の態度は保留したとしても読んで考えるべき。それこそ現在資本主義を支える人類の能力主義は終焉を迎える可能性すらある。成果主義からプロセス(努力・雰囲気)評価主義へ―。

 

 社会学者として一人社会を変えつつある内田先生の新作。要は、教職をその他一般職業と同じく労働として捉え直すという言われてみれば当たり前の話だが、どこか社会では無意識に聖職としてその点を看過してきた。その矛盾が露わになるのが「部活動」。

 あくまでも自主的な活動のはずが、参加を強いられる―支えるのはただの教師の奉仕。私も知らなかったのだが、給特法において教師の残業は教職調整額としてあらかじめ4%増額されることで事足れりとされている。しかし、就業時間数という観点からはブラック企業が平伏すレベルに達している。

 その病理が「部活」。同著ではその異常さを改めて冷静にひとつひとつ突きつける。そして提言される解決策も極めて現実的、同議論に対して有効な反論は皆無と思われる(その先にもたらされるであろう学校(化)社会の解体についてはノーコメント)。

 単に経済成長率が増加するだけでは、社会は豊かにならず。増えたパイが「公正」に分配されるかどうか、「格差」に関する問題はここ数年世界のホットワードとなっている。その最先端(末端?)を英国の底辺託児所のエピソードの一つ一つを見つめることで「知る」。悲しいことに不況下よりも、英国が順調な経済成長を遂げたあとの政権交代後の「緊縮財政」がもたらしたあとの方が悲惨さを増すということ。そしてエンディングはハッピーエンドとは程遠い―。日本も今後、法人減税と消費増税の組み合わせで「緊縮路線」に再び戻るようだが欧州の惨状について少し思いを致すことは他山の石として必須かと思われる。


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リベラルに関する混同がある。マイノリティー・弱者保護という観点と、自由擁護という観点が混同されるのは欧米同様によくあることだけど、少なくとも個人に対する仁義はあってしかるべきというのは私も歳を食っただけだからかもしれないけどね。

同ブログ当初に記した通り元々は少女漫画について、否もはや―慣れし故郷を放たれて 夢に楽土求めたり―かな。あとのTweetは今月読書より―。

 

 

 

 

行動経済学については人口に膾炙したが、学問の中身もさることながら提唱者であるカーネマンと、トヴェルスキーに焦点を合わせた書物。天才の栄光と孤独が染みる―私が気に入ったのは心理学か、哲学を専攻するかを迷った際に心理学を選んだ理由が、哲学はプラトンの時代に既に干上がった油田であり、かつ標本数「1」(=自分)の学問であると談じた下り。

現在、大学(教育)改革の一環として、文系特に文学や哲学の有用性に疑義が突きつけられる中、まさに歴史、政治、思想、教育といった学問横断的に「教育問題」を分析し尽くした一冊。現時点で、おそらくここ前後10年のスパンで考えてもこの一冊で教育問題は論じられるだけのデータと、問題点の指摘に溢れた一冊。皮肉ではなく哲学者が書いた書籍とは到底思えない、Tweetの通り教師も追い詰められている―。

これは直近の一番関心があるテーマ。こうやって何冊も読むことで腸内微生物が免疫系に働きかけ、免疫系は脳の発達に繋がる―さらに言えば遺伝子の乗り物としての人間としたときに、それはヒトのDNAだけではなく、水平遺伝子伝播を可とする圧倒的多数の微生物の乗り物としての進化、シンビオジェネシスとして考える必要がある。糞便移植からプロバイオティクスのような健康文脈で語られている「何か」も、ヒトの思考・自我にも影響を及ぼしうるグランドセオリーたる可能性を真剣に考えるべき地点にたった。

これは今年の一冊確定。この書はタイトルよりサブタイトルの「エビデンスにもとづく幸福改革」の方が誤解なく手に取ってもらえると思う。タイトルだけ見るとスピリチュアルな印象を与えかねないが、内容はEBMとしての心理学、そして統計・福利厚生としてのEBMに基づく精神医療の効用検証、英国の社会的実験(IPAT:心理療法アクセス改善)から成り立つ。この手の議論は全て日本でも、精神病院大国である日本の場合尚更参照すべき議論となっている。

上、3冊と比すれば若干推奨度は落ちるが、進化生物・人類学として「キレる」という現象を考える。ポイントは「キレる」というリアクションは全てマイナスであれば残らない(肥満と同じ)。キレるに至る機序としてLIFEMORTSと称されるポイント、生命の危機、無礼、家族、環境、仲間、秩序、資源、部族、抑圧というポイントを理解することで、現代社会において進化史に反し怒りを制御すべきポイントを知ることから第一歩を記すべし。


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戦争継続に利用されそうになった大本営発表
 

 親泊大佐、佐々木克己大佐、広石中佐が入ってきて、いつものように大本営発表文を読み上げた。
これで明日の新聞には、この大本営発表(=ポツダム宣言受諾の大命に背き徹底抗戦を訴える内容)が掲載されるはずだった。
クーデター派の親泊は成功を確信したことだろう。ところが、ここで記者たちが疑問の声をあげた。
長年報道部で仕事をしてきた記者たちは大本営発表を細部に至るまで知り尽くしていた。
そのため、彼らは目の前の大本営発表の異常さに気付いたのである。
「全面的作戦を開始せり」という文言は、単なる戦況報道のそれではない。政治的・外交的な問題を含んでいる。こんな重大な発表をここでやっていいのか―。
ほかにも記者たちはまるで小役人のように事務手続きの不備を衝いた。
「参謀総長と作戦関係の第一部長、第二課長のところは赤鉛筆でスミと書いてあるだけですね、これでいいんですか」
「次長と大臣の花押が変だし、軍務局長の判もいつものと違いやしないかな」
そしてついに同盟通信の記者が、「この発表をとりやめるわけにはいきませんか」というに及んで親泊は焦ったらしく、
「生意気なことを言うな!貴様の言っていることは統帥権干犯だぞ。一新聞記者の分際で大本営発表を取りやめろとは何だ!無礼なことを言うな。文句を言わずに発表を社に送ればいいんだ」と怒り出してしまった。

結局、記者たちが政府筋に「これでよいのか」と確認したところで戦争継続派による捏造であったことが発覚。

 

                                        辻田真佐憲「大本営発表」

 

フェイクニュースやオルタナティブ・ファクトとの付き合い方は、既に日本は実地経験済。あの戦争を忘れない系の企画が戦争の悲惨さ(もしくは美化)ばかりなのはもったいない―こういう現在との地平線上にあるものこそメディア自ら掘り起こすべきだろうに―そしてできないからこそ軽蔑される。

 

 

教育再生会議をウォッチしていたものとしてはアフターフォロー。日本の教育を再生させるために選ばれた委員の実績は「このレベルの」子育てです。非専門家が専門家ヅラで介入できる敷居の低さが日本の教育問題の根幹の一つ。

 

これだけ何冊も連続して面白いと感じるのは、著者の問題意識が「合う」ということでしょう(―別段全ての社会学者・思想家を半径3m社会学者と見下しているわけではない)。同著は、自由・市場化を前提とする社会においては選択が増えることを無条件に善と扱いがちだが、選択するには一定の負荷・コストがかかるということ。なればこそ一定のパターナリズムの下に選択を無くしてしまうことを称揚する。たぶん過去の著作もそうだったが、同著者の問題意識は奈辺、長らく無批判に受け入れがちなものを科学や社会システムが進展した現代において再考することにあるのだろう。

7月~8月はどうしても戦争に関する諸々を考える諸作が並ぶが、戦前の諸反省に根付く戦後思想については何故か批判的に保守・右派系言説でしか熱心に語られない。「自我」の確立について西洋的近代の輸入ではなく、日本の歴史から救い出そう、リバイバルしようとした丸山、吉本両氏の言説は肯定的に保守派は語るべきだし、左派もまた左右の分断ではなく国民を統合する言説を評価すべき―。個人的には「忠誠市場」という発想が発見だった。市場において独占が起きた時、ロシアツァーリズムの例のように反動もまた強烈。

この時期だと「失敗の本質」を褒めるのが時節柄だけど、失敗の本質が各戦場において抽出される要素が似たものばかりで日本人として悲しくなるばかりなのに比して中立的に読める名著―思わず別に職場用図書として購入しました。飛行機業界を立て紐として、医療業界、法曹業界など比較的昨今の事例がふんだんに盛り込まれる。同著内でも戒められているように魔女狩りや事後解釈バイアスではなく、正当に問題分析から学ぶことの重要性はやがて、失敗を積極的に小さく・早くすることを求めるに至る。

AIに知的仕事が取って代わられる恐怖が語られるようになってきていますが、現時点で言えることとして蓄えるだけの知は既に外部化されている。その知をどうやって取り出すかは、検索力や検索するための基礎教養だったりするわけですが、それらをも包括する新しい知として「質問力」をフューチャーする。幼いころにはあれだけ質問を重ねていたはずなのに、やがて質問をしなくなるのはどうしてか?―これもまたア・ビューティフル・クエスチョンたりうる。


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少子高齢化社会において朱鷺と同様に保護(増産)対象に過ぎない「若者(論)」よりは、「老人論」で炎上したほうがマーケティング的には美味しいのではないかと思う今日このごろ―。妄想で語った凶悪化も、モラルも、教育も、健康も、家族問題etcリアルな「問題」として語るネタは山のようにあるはずなのに。「不良債権としての団塊」「あと30年で日本は甦る」「楢山節考再考」とか今のうちに©とっておきたい気分。

 

 冒頭にテーマとして掲げられている「情けは人の為ならず」が皮肉として効いている。まさに同箴言が誤用されているように、犯罪(治安)論は、現実ではなく虚構に基づいて語られることばかり。それでも治安と体感治安は別問題であるという理解、治安悪化が語られること自体がなくなったその事自体が我が事のように嬉しい。そしてそれはただただひとえに同書責任編集の任に当たられている浜井浩一教授の力によるものといって過言ではない。、90年代後半から00年代半ばまでの狂気の言論を今、冷静に振り返り、そしてこれからをさまざまな角度から分析する。

 (ピナル)ポピュリズム犯罪政策を過小も過大評価もすることなく「あすの会」の歩みによって整理した数章および、刑罰の効果(特別予防)を検証した1章がオススメ。死刑判決や、執行に犯罪抑止効果があるのか、重罰化があるのか、失業率があるのか―。あと足りないのは、体感治安と同様に体感刑罰感(実際より重い刑罰と、軽いイメージの誤差)に関する議論。法家思想から直近なら飲酒運転を巡る言説などは一顧に値するかと。

 「人は一人でも反省は出来るが、一人では更生できない。」素敵な言葉だ。

「1968」を「雑誌」をコアに前と後ろに拡張した本。コンパクトだが面白かった。この本で「マルクスみかん水」という言葉を初めて知って一発で気に入った。

角道を開けたままの振り飛車に未だに抵抗感あるわたしは旧世代(当然ゴキ中は指せない)―。


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「人工知能は天使か悪魔か2017」にて既にアメリカでは仮釈判断で一部の州で取り入れられ再犯率10%減とか、人材派遣業における辞めそうな気配を察するなど着々とAIは高度知的産業でヒトに取って代わりつつある。羽生三冠が述べておられたようにAIの導入は避けるべくもないが、AIは判断理由を示さない、即ちブラックボックス化していくことをどう捉えるかが問題となる―冒頭のAlphaGo同士の対局など見てもさっぱり理解できない次元に到達している―。ちょうど同番組のナレーションが林原めぐみだったこともあり、マギシステムのように、あるいは将棋の文殊システムのようにAI合議制でもって担保するのではないかとぼんやりと思う今日このごろ。

 

 早くも今年最高の1冊と断言!ここ3年の著作「だれもが偽善者になる本当の理由」「暴力の解剖学 神経犯罪学への招待」「土と内臓」と読んで正しく「腑に落ちた」ことは、進化理論が一層と拡張されたということ。その過程で正にかつて愛読した「自我の起原」「「魍魎の匣」の一節のように人体が外に開かれていく、、、このビジョンが降りてきたときに身が震えた。

 具体的には、脳自体も進化の産物であるということ(前頭葉、側頭葉、大脳皮質etc)、そして進化の過程で得た脳の機能は時宜に応じてその能力を発揮する。ここに自我同一性は失われる。次にその進化に影響を及ぼした主体は、ヒトマイクロバイオーム(微生物相)であるということ。人の体内に棲まうDNAの9割以上は人類のDNA起因ではなく、腸内細菌群―。

 そしてこの書が教えることは、ミミズを見ればわかるように、脳より腸が先にありき。腸は脳内化学物質を作り出し脳に直接的に影響を及ぼす。それだけではなく、猫由来のトキソプラズマもおそらく3人に一人は脳内に蠢く(統合失調症がヨーロッパ史に登場するのが猫の飼育と軌を一にしているという示唆も語られる)。もはや自由意志というものは、人体内細菌群がお互いの生存確認を高めるための統合機関、国会程度の地位に成り下がる。

 神経寄生生物学、精神神経免疫学こそが、もしかするとグランドセオリー足るのではないかとそう予感させる一冊(そしてこの書の長い手はヒトの有する嫌悪感は衛生観念に由来し、それこそ宗教に代表される文化もまた含まれる―)だが、エメラルドゴキブリバチの逸話など単発Episode集として楽しめる。

 ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、フランス、アメリカ、ベルギー、、、その末尾として日本まで含まれるが、一国ごとに植民地化の歴史を丹念に追う。その過程で植民地・帝国主義全盛期前にウィリアム・ペティやフランソワ・ケネーの植民地採算性への疑義(資本の輸出は本国への投資を犠牲)なども挟まれる。この点は石橋湛山の小日本主義を彷彿とさせる。ただし、諸国事情はあれど、随所に見られるのは社会生物学的な発想であることは抑えておかなければならない。20世紀はマルクスの世紀と語られることはあるが、その意味で言うとダーウィンの世紀は前著含め延々と続いている。

富国と強兵 富国と強兵
 
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 制度経済学、粗く言うと言語と金融(集団・国家ありきの個人)に基づく整理。国家という枠内におけるゴーイング・コンサーン(=一定の方向や傾向をもった運動)の制御が主眼。

 この本も超絶オススメ、言いたいことは現在は各種指標に左右されているが、その指標の由来、成り立ちを知ることで限界をしること。当著曰く「1950年代の地図」で政治算術が右往左往されていることを相対化すること。まさに、現在日本もGDP改訂が遡上にのぼっていることもありタイムリーな一冊。消費者物価指数や、消費者信頼感指数など作られた当初よりも今のほうが影響を及ぼすようになった指標については策定時の限界論を知ることが大事だと教えてくれる。…当著は指標を捨てろと言っているわけではないので、日本語タイトルは少し語弊がある。

 プライバシーを巡る議論の整理、そもそもプライバシーの定義一つとっても、情報収集+情報処理+情報拡散+侵襲まで含むことへの合意が必要。そしてこれからの時代においてはあまり議論になっていない情報処理に関する思考が必要と知らしめる一冊。

 「国民の幸せを祈る人」(女性自身松崎敏弥氏)という言葉に尽きる―ただただ頭が下がるのみ。

 この書の魅力はこの画像ではわからない。実際に書店で手にとって爆笑して欲しい。新書と称していながら750ページで普通に立ちます。内容も通俗な武田勝頼像を一新するものとなっている。私は複雑な外交関係(甲越和与、甲佐同盟、甲江和与)及び、御館の乱の当初は家督争いではなかったということが新鮮な驚きだった。

 この本については色々と言いたいことはあるが、それを書くには余白が狭すぎるというか時が経ちすぎたというのが正直な気持ち。ただし、どうしても一点だけ記すとすれば、北田暁大は「あのとき」本当にこの書で書いているような言動を生み出していたのかね?今になって後藤和智氏という権威を借りることで都合いい歴史修正、切断操作を行おうとしていないかという強烈な違和感が残った。

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