後藤和智さんの新刊!「おまえが若者を語るな!」 | 女子リベ  安原宏美--編集者のブログ

後藤和智さんの新刊!「おまえが若者を語るな!」

 後藤和智さんの「おまえが若者を語るな!」が発売になります。

 前回とはうってかわって、舌鋒鋭く実名批判で行きましたね。

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 若者論は何を見誤ってきたのか。私は常に考え続けてきた。見誤るといっても公開されている統計などを参照しないまま、思いこみで少年犯罪や「ニート」について饒舌に語る、ということではない。もちろん、そういった言説を批判する努力は必要であり、私もそうしてきた。

 だが、私はその先に行くべきだと思う。

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 おお。1ページ目から気合入ってる!ついに武器屋が自らも戦闘に。2回に分けてご紹介します。

 おまえが若者を語るな! (角川oneテーマ21 C 154)/後藤 和智


 その前に。


 今の「潮」で東浩紀氏と鈴木謙介氏がアキバの事件に関して対談をされております。東氏が「経済学じゃないんだ、実存の問題なんだー!!(大意)」と語り、「創」では鈴木謙介が「(事実や統計は大事だけど)それでも私は心を語りたいんだ(大意)」その根拠は「リスナーからいっぱい反応があったから」ってかんじだったかと。いつか見た光景(後藤さんの本にも批判されてます)だし、それなんか若者にGJな方向に行きました? あっもう鈴木謙介はラジオのパーソナリティだと認めるなら文句は言いませんよ。義家組みたいなもの作ったらいいんじゃないかな。

 話せる紙面や場所があるのに、なぜ、高知の白バイ事件やルーシー事件や御殿場事件はほっておいてくっちゃべられるんだろう・・・。犯罪を語るなら、本当に恐ろしい事件はいろいろありますよ。
 そして図書館にあったので「リアルのゆくえ」(大塚英志、東浩紀)を読んでみる。 

 これは、東氏が大塚氏から説教されてる本ですね。

リアルのゆくえ──おたく オタクはどう生きるか (講談社現代新書 1957)/東 浩紀

 大塚英志氏の以下言っていることはもっともだと思いました。抜粋。

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 「(略)ちなみにぼくは南京大虐殺はあったと「思い」ますが、それだって伝聞情報でしかない。そういう状況を自覚しているのが、大塚さんにとっては中立的でメタ的な逃げに映るらしいですが、それは僕からすれば誤解としかいいようがない。」

 大塚「南京大虐殺があると思っているんだったら、知識人であるはずの東がなぜそこをスルーするわけ?知識人としてのあなたはそのことに対するきちんとしたテキストの解釈や、事実の配列をし得る地位や教養やバックボーンを持っているんじゃないの?」

 「そんな能力はありません。南京虐殺について自分で調査したわけではないですから。」

 大塚「でも、それを言いだしたら何も言えなくなる。柳田國男について発言するのは柳田國男以外ではできなくなってしまう。歴史学自体がすべて成立しなくなってしまう。(略)とにかく東浩紀というのは、結局人は何も分からないと言っているようにしか聞こえないよ。」

 「ある意味でそのとおりです。」

 大塚「君が批評家であり知識人であり、言論人である、という事実は客観的な事実としてある。でも、なぜそこで、君はスルーしちゃうようなものの言い方をするのか。つまり君が言っていることっていうのは、読者に向かって、君は何も考えなくていいよと言っているようにぼくはずっと聞こえるんだよね。」

 「ええ、それは、そういうふうにぼくはよくは言われているので、そういう特徴を持っているんだと思います。」

 大塚「そうやって居直られても困るんだって。」

略)
 「ちょっと話の矛先を変えると、たとえば、なぜ歴史の問題すら解釈次第という立場なのかと言われたら、それはぼくがポストモダニストだからです。ぼくにしてみれば、高橋哲哉氏があんなにポジティブな話をしてしまうことに違和感がある。だからそれはある種の知的訓練の中でそういうポジションを取らざるを得なくなってしまったということでもある。」

 大塚「その話を聞いてしまったら、ポストモダンっていうのは、何もかもから距離を取れる、すごく楽な思想だっていう話になっちゃうよね。」

 「楽と言えば楽ですが、楽じゃないと言えば楽じゃない・・・(苦笑)」

 大塚「楽じゃないですか、全部に傍観者でいられる当事者で、それこそ俺には関係ないって言えるような思想がポストモダンなわけ?デリダなわけ?(略)」

 「ポストモダンという思想のせいではないかもしれませんが・・・だから、ぼくが言いたいのは、ぼくという人格は個別にあるものではなくて、時代性とか、さまざまなものによって作られているわけです。」

 大塚「その時代性というのはひとつの要因で、戦後民主主義でもいい、君のメンタルな人間性はいったい何から形成されているの?歴史的な要因っていうものの中に君の論理っていうものがさ・・・。」

 「この議論っていうのは続けても仕方ないんじゃないかな。今、大塚さんがぼくの人格を批判しているので、それはやめたほうがよろしいんじゃないかと。」

略)
 「(略)なぜかといったら、真実になんて誰も近づけないからです。そうすると、そこで起こるのは、誰が優位に立てるかだけの競争です。昔、大塚さんがぼくに対して言いましたけど、情報量が大きくなると、「誰が頭がいいか競争」しかできなくなってしまう。」

 大塚「それは情報量が大きくなったからじゃなくて、まだそこに生きるわれわれがそういった環境に対して、どのように情報の処理や判断をしていくかの訓練ができていないからだと思うけど。」

 「ぼくはリテラシーの発想では対応は無理だと思います。」

 大塚「ぼくは少なくともリテラシーの問題として対応し得る部分が、ぼくは充分あり得ると思うけど。」

 「リテラシー論というのは、普通読者の論理ですね。つまり読む側の話です。」

 大塚「いや、リテラシー論というのは、発信者論でもあるんだよ。読者の論理ではなくて、書き手を教育する論理だと思う。」

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 ポストモダニストであると言いきって、複雑な構成要素のある性格の問題もあるかもしれないと言葉を変え、そこを聞いたら、最後は「それは人格批判だからやめよう」って、弱すぎですよ。話してたらイライラしますよ、私でも。で、他者の「実存」を語りたいって・・・。

 本書でも「ニート論壇」のくだりは誰のこと言ってるの?よくわかりません。まあ、よくわかるのは赤木さんだけで、東氏的には赤木さんの巣鴨のおばあちゃん発言はネットで拍手喝采されたことになっていて、それに危機感があるようです。赤木さんは圧倒的に叩かれていると思うのだが。

 結局、叩きやすいところを一般化して「ニート論壇」などとひとくくりにすることは非常に不誠実な態度だと思います。 


 だいたい日本の「貧困研究」がどれだけ無視されてきたか、知らないんでしょうか。そんなに数いないでしょう。誰のどういう言動なんですか。そういう誰かを特定できないネーミングをつけて、ふわっと大きなものにして、変な被害者顔をするのは、私はかなりかっこ悪いことだと思います。そのあたりも後藤さんの新刊で徹底的に批判されています。

 ただ、私は大塚さんは言っていることや行動は一貫しているので、その議論のスタイルや内容の評価は別にして、信頼できる人だと思ってます。宮崎もずっと擁護したし、きっとつきあいながら悩んでらっしゃったのではないかと思う。でも東さんは「アキバ事件は実存の問題だ、使命感を感じた」とかいってるけど、彼が本気で加藤とつきあってその実存の言葉を引き出そうとするとも思えない。鈴木謙介なんて、そこ言われるのがいやだから「私は本人には興味ない」ってあらかじめ予防線はってるわけでしょう。大塚氏のいう「(知識人の)責任」という意味の1㎜もわかってないんじゃないかと。

 結局、論壇という狭い世界を漂っているなんとなくな言説の「空気」を「世界」だと思っているのよね。

 それじゃ読者にはいつかバレるし、どんどんバレればいいと思う。



 続く~

http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/entry-10138369992.html