非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」 -52ページ目

非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

より多くのお金を求めて働く貨幣経済の中で、自分らしく輝きながら、他者と共に幸福に生きる「技と知」を、ライフコーチの矢沢大輔が提案。

これを読んでいるたいていの人は、何の疑いもなく「物質が存在している」と思っている。

たとえば、東京タワーは、今、存在していると疑いなく信じている。

 

でも、非二元のセッションで、それが本当かを丁寧に調べていくと、物質が存在していないことが明らかになり、みんなゾワッとしはじめる。

 

物質が存在しないのだから、当然、肉体も存在していない。
肉体はないのに、肉体の心配をしつづてきたことに、みんな驚きだす。

 

お金は存在しないのに、お金の心配ばかりてきたことに、みんなざわめきだし、黙っていられなくなる。

 

みんなそうなる。

それくらい多くの人が、物質も肉体も存在していると信じ切っている。

 

量子物理学の実験で、物質は存在していないことが実証されていても、人はその事実をのみこめない。

 

物質も肉体も確かに存在しているように見えるから。
でも、それは概念のフィルターを通して見ているからに過ぎない。
実際に見えているのは、物質でも肉の塊でもない。

 

お知らせ
物質も、肉体も存在していないことがわかると、人生の問題や苦悩が消えはじめます。
非二元のシンプルさを直接経験したい方は、「ノンデュアリティ・エクスペリエンス」または「プライベートセッション」をお受けください。

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今日は、新刊「からだの声を聞く」の著書、北林はる奈さんと、非二元の個人セッションをやった。
はる奈さんは、リズ・ブルボーの教えを日本に伝えているスクールの主催者であり、渋谷ヒカリエにあるおにぎり屋さんの惣菜メニューの開発もしている。

でも、それもこれも、何もかも、はる奈さんがやってきたことではないことを伝えと、?????という反応が起こって、とても楽しかった。

お知らせ
「私もいなければ、他者もいない」
「物質もなければ肉体もない」
あるのは存在のシンプルさだけ。
このシンプルさを直接経験したい方は、非二元の個人セッションをお受けください。
今日は、「奇跡のコース(奇跡講座)」のワークブックに取り組んでも、「愛」「平和」というものが何を指し示しているのか、いまだにわからないという女性と、非二元の個人セッションをやった。

私も「奇跡のコース」にのめりこんでいた頃、365日、休むことなくワークブックに取り組んだのだが、概念で、愛、平和を理解しようとしていたので、愛も平和も概念上の綺麗ごと、単なるイメージになってしまっていた。

でも、直接経験できる感覚を頼りに、実在しているものを丁寧に調べていけば、2時間もかからずに、「愛」「平和」を直接経験できるようになる。

あらゆるものが、無条件の愛によって既に受容されている。
誰かを許すことも、何かを受け入れることも不可能なことが明らかになる。
あるのは愛だけ。

個人の私がいるという幻想さえ、完璧に受け入れられている。

お知らせ
スピリチュアルの指導者が差し示されている愛や平和を概念で理解しようとして、わからないイラダチ、苦しみが続くだけです。
探求に疲れた方は、非二元の個人セッションをお受けください。

昨日、今年になってからセミナーを開けなくてなってきたことを書いた。


「セミナー講師」の仕事をするなら、東京に住むのが一番だろうと思っていたけど、セミナーをそれほどやらないんなら、どこに住んでもかまわないんだよなという思いが、今朝、浮かんだ。

 

携帯がつながる場所ならどこに住んでも仕事ができる状況に、いつの間にかなっていた。

 

これは驚きだ。
空間、場所に縛られない自由。
非二元を実感すればするほど、現実にあるのは非二元だけということが明らかになってくる。

 

そもそも、東京も、バリも、ニューヨークも存在してない。
あるように見えていても、見えているのは土地じゃない。

 

場所もなければ、動いてそこに辿りつけるような誰かもいない。

 

在るのは、これだけ。
自由があるだけ。
見えているこれが全て。

 

お知らせ
非二元(ノンデュアリティ)に関するメルマガを新たに発行することにしました。
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非二元ワークショップの詳細→ノンデュアリティ・エクスペリエンス
個人セッションのご予約→非二元プライベートセッション
この8年、セミナー講師をやってきたけど、今年は非二元の個人セッションの予約が増えたため、セミナーをあまり開けなくなってきた。

以前の私なら、「セミナー講師なんだから、ちゃんとセミナーを開かなきゃ」と思い、無理にでも準備を進めてきたのだが、今は「まあ、こうなってきてるんだから、無理に逆らう必要もないだろう」と思い、流れに任せている。

すると、ますます個人セッションの予約が増えて、セミナーを開けなくなってきた。

セミナー講師というアイデンティティに縛られて活動していたのでは、この自由さは味わえない。

何者かになろうとしても、何者かであり続けようとしても、アイデンティティは自然に崩壊していく。
アイデンティティの崩壊を恐れる必要はない。

そもそも、私たちは、努力して何者かにならなくてはいけない存在ではないのだから。
在るのは、この全体性。
これ以外には、何も、誰も、存在していない。

お知らせ
次のお金の講座はいつですか?というお問い合わせをいただいていますが、年内の開催予定はありません。
お金のことをはじめ、人間関係、健康面で不安や心配がたえない方は、非二元の個人セッションンをお受けください。
私の知人にこんな人がいる。
その人は「あなたが教えているのは、宗教ですよね」と誰かから問われると「私の教えていることは宗教とは何の関係もない」と答える。

でも、知人が教えていることは、19世紀にアメリカで起こったキリスト教の宗派の一つである「ニューソート」の思想で、「思いは現実化する」という成功哲学に基づいたものだ。

宗教といってしまうと抵抗を感じる人が多いので、宗教とは言わないようにしているのか、それとも、ニューソートの歴史的経緯を知らずに、自分が教えている成功哲学と宗教とは何の関係もないものだと思っているのか。
真相はどちらなのかはわからない。

今日、なんでこんなことを書いたのかというと、引き寄せの法則を信じて、毎日、アファーメーションをくり返していた人と、最近、個人セッションをやったのだが、その人も自分がやってきたことが、宗教的な教えであるとは、まったく知らずに実践していたことがわかったから。

アメリカ人の多くは、キリスト教を信仰しているので、伝統的なキリスト教とニューソートとの聖書の解釈が、まったく違っていることを理解できる。
しかし、日本人の多くは、ニューソートが何なのかもまったくわからないまま、その現世利益追求の思想を信じ、信仰している。

これを書いている私だって、数年前まで、ニューソートが何かも知らず、成功哲学の本を読みあさり、引き寄せの法則を学ぶために、100万円以上の投資をしていた一人だ。

でも、引き寄せの法則を信じていたアメリカ人が、その法則を信じ続けたがために、どのような観念的混乱をきたして精神を病み、その後、どうやって苦しみからどう抜け出せたのかを綴った洋書を読んでから、私の観念的な混乱もなくなり、ラクに生きられるようになった。

お知らせ
引き寄せの法則や成功哲学を信じ込むと、何かが起きるたびに、これはどういうことなんだろう?自分の思考の何がいけないんだろう?と考え続けることになり、精神的に参ってしまう人が日本にも増えてきています。
思考が止まらなくなり、苦悩が続いている方は、非二元の個人セッションをお受けください。

今日は福岡の女性と電話で非二元(ノンデュアリティ)のセッションをやった。

 

ノンデュアリティを語る人の中に、「私はいない」と言う人がいるけれど、その意味がわからず、イライラするのでなんとかしたい、というのがご相談の内容だった。


「私はいない」という言葉にとらわれ、その意味をわかろうとして考えれば考えるほど、泥沼にハマってしまうので、まずは今、体験として直接感じ取れる「見えること」「聞こえる音」に意識を向けてもらいーー「身体の外側で起きている(と思っている)出来事」と「今、直接感じ取れる主観的な経験」との間に、何らかの隔たりがあり、二つに分かれているかどうかーーを、ご自身で確認してもらうことにした。


すると、身体に備わった五感の働きがなければ、何も起きえないことが明らかになり、彼女の口から「どうしたらいいの?」という言葉が頻繁に出てくるようになった。


そして、最後に「それでも、お金がなくなると実際、困るじゃないですか?」という質問が出た。


そこで、実際にお金を財布から出してもらい、見えているお金(対象)が、他のものから切り離されて単独で存在しているかどうかを確かめてもらった。


私たちは、さまざまなモノと交換可能なお金に魅了され、その「増/減」と、自らの「幸/不幸」とを結びつけてとらえているけれど、問題なのはお金の使い方であり、たとえば、みんなが「これはおいしい」と言っているものを、自分も「おいしい」と語るために食べているなら、それは「おいしい」というための観念の消費であって、料理そのものの「おいしさ」を味わってはいないこと。


「おいしさ」を受け取れているなら、肉体的にも精神的にも「もうこれ以上は受け取れません」「満たされ尽くしました」という限界点がおとずれるけれど、「観念(記号)消費」の恐ろしさは、得ようとしているのが、ものそのものではなく、観念(記号)であるため、どれだけその消費を繰り返しても、満たされ尽くすことがなく、「満足を求めながら、永遠に満足を得られない」悪循環にハマりこんだままになることをお伝えして、セッションを終えた。


以下は「私はいない」に関連する最新の記事です。『「私はいない」と「自己をわするる」の差異』ノンデュアリティ(非二元)のプライベートセッションをやっていると、「私はいないって、どういうことか腑に落ちず、悩んでます」と時々、相談されます。「非二元ってど…リンクameblo.jp


非二元=「幸/不幸」「増/減」の二項対立を超えた(二つではない)自由の境地は、言葉による説明を聞いて理解できるものではありません。


なぜなら、あるものを見て、それに「お金」という言葉を与えたなら、「お金」と「お金以外のもの」とを二分する働きが言葉には備わっているからです。


言葉では語り得ない「幸/不幸」の二つを超えた自由(ノンデュアリティ )を直接的に経験してみたい方は、矢沢大輔のプライベートセッション、または講話会にご参加ください。

問題が発生すると、人はそれを解決しようとする。
これを続けていると、次から次に問題が起こるようになり、「問題→解決→問題→解決→問題」の繰り返しが終わらなくなる。

こうなる理由は、そもそも問題など実在していないからだ。
「ないものを、在る」と信じこみ、その解決を図ろうとエネルギーを注ぐから、どんどん在るように思えてくる。
こうして「問題がある」という幻想は強化されていく。

お金の問題であれ、健康面の問題であれ、「問題」というものは、実際には存在していない。
どれだけリアルに問題が起きているように感じられたとしても、それは「守らなくてはいけない自分がいる」という幻想の中で編み出されていくフィクションに過ぎない。
問題解決が続く限り、この悪夢のフィクションは続き、リアルさが増していく。

でも、幻想はどれだけリアルに見えても幻想に過ぎない。
その夢から目覚めれば、問題を解決することなく問題は消えてしまう。

一点の曇りもない存在の光であらゆるものが満たされていた現実が見え始める。

お知らせ
問題解決のゲームに疲れ果てた方は、非二元の個人セッションをお受けください。

サラリーマンを辞めて独立した頃、私はお金の心配ばかりしていた。

 

住宅ローンの残額もまだまだ残っているし、これから子供たちの教育費もかかるし、家族を路頭に迷うわせることなく、ちゃんとこれまでのように収入を得られるだろうかとお金の心配ばかりしていた。

そして、収入が思うほど得られない月が来ると、落ち着きがなくなり、バタバタと焦った行動ばかりとって、家族にもそのイライラ感は伝わっていった。

 

これはなにも私だけの話ではなくて、非二元の個人セッションをやっていると、かつての私と同じように焦りを感じ、日々、お金の心配ばかりしていて、いつになったらこの状況から抜け出せるのかと苦しんでいる人に、私はたくさん出会ってきた。

 

重圧に押しつぶされそうになったとき、人は出来事の受け止め方を変えようとする。

私も成功哲学や自己啓発にハマっていた頃は、それができると思い込んでいた。

 

ポジティブ思考とか、バランス思考とか、思考を変えれば、気分が少しはラクになって、前向きに生きられるようになるんじゃないかと信じて、思考いじりにエネルギーを投じ続けた。

でも、それをやればやるほど、息苦しさは増していった。

そして、とうとう行き詰った。

 

私が非二元のティーチャーの存在を知ったのは、ちょうどその頃だった。

非二元のメッセージを聞いて、自分のやろうとしてきたことが、まったく不可能なことで、役に立たない戦略であることを知り、私はやっと落ち着けるようになった。

そして、あると思い込んでいたあらゆる問題が、解決することなく、消滅した。

 

自分の経験から言えば、これまでも何度か伝えてきたことだけど「思考や感情をコントロールすれば、人生が変わる」という人物に出会ったら、財布を握りしめて一目散に逃げた方がいい。

その人が狙っているのは、あなたの財布の中身であって、あなたをラクにすることではないから。

実際、思考や感情をコントロールすることなんて不可能だし、それが可能だと思っている思考こそ幻想だから。

 

不可能なことをやろうとしたって、疲れ果てるだけ。

思考には力があるという古びた迷信を信じるのは、さっさとやめた方がいい。

思考にエネルギーを注ぐだけ、思考の渦の中に巻き込まれる時間を長引かせるだけだから。

 

お金についての問題であれ、健康についての問題であれ、問題と思われているものは何であれ、「思考」によるもの。

持ちこたえられるだろうかとリアルに感じているその深刻さは、自分がその問題を抱えていると思い込んでいる「思考上のフィクション」に過ぎない。

 

それは、実際には存在していないオバケのようなもの。

オバケの存在を信じていれば怖いものだが、それが実体のないものだとわかれば、たちまち恐怖は消える。

何に対して深刻さを感じていようが、それは思考によるもので、実体のないものだとわかった途端、それまで張り詰めていた緊張感、深刻さは煙のように消えてなくなる。

こうして、苦しんでいる「自分がいる」という幻想のストーリーが幕を閉じると、仕事もお金も自然に生じてくることが見え始める。

 

お知らせ

問題が存在していないことを知るには、実際に確かめてみるのが一番です。

長年の心配事から解放されて、自由の味を感じてみたい方は、非二元の個人セッションをお受けください。

癌と闘う人もいれば、闘わない人もいる。

私は17年前に癌になった。
二人目の子供が生まれた2日後の出来事だった。

これから子供を育てていかなくてはいけないのに、よりによってなんでこんな時期に癌になるんだよと焦った。

子供を育てるためにもできるだけ長生きしなくてはと思い、あらゆる治療を受ける覚悟があることを医師に伝えた。

でも、そうはならなかった。
手術を受けた後、放射線治療を受けることになっていたのだが、ある医師との出会いによって、私は放射線治療を受けないことに決めた。

その医師は、放射線治療を受けるか受けないかはキミが決めることだよと私の目を見て言った。
しかも、その医師は放射線科の専門医。

「放射線治療を受けなさいと言うのもお医者さんですし、治療を受けなくていいと言うのもまたお医者さん。私はどちらの言うことを信じればいいんでしょうか?」

そうたずねると、「キミの人生なんだから、どちらを信じるかを決めるのもキミだよ」とその医師は言った。

この一言に、しびれまくった。
そして、気づいたら、この時から今日でちょうど17年が過ぎていた。
子供たちはすっかり成長してしまっている。

お知らせ
ここに書いたことは、「人生」と言われている私のストーリーです。
人生とは、起こることに対しての戦いの歴史のようなものです。
そして、戦いがなくなると「人生」の重荷が消えて、「生」の感覚をダイレクトに感じられるようになります。
抵抗のないその生の感覚はとてつもなく軽やかで気持ちのいいものです。
生の感覚をダイレクトに感じてみたい方は、非二元の個人セッションをお受けください。