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HIRO'S DIARY vo3

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令和5年8月11日(祝)槍ヶ岳~大キレット~長谷川ピーク~A沢のコル~飛騨泣き~北穂高小屋~北穂高岳~涸沢ヒュッテ(長野県)

 

と言う事で、精神的にも肉体的にも限界を遥かに超えている自分に気合を入れて

「涸沢ヒュッテ」を目指して「北穂南陵」を降りる事にした。

 

 

登山道を下ってテント場を抜けて暫くすると、目の前に「ライチョウ」が現れた。

 

 

「ライチョウ」は特別天然記念物なので、刺激しない様に止まって様子を見ていると

何故か、こちらに向かって歩いてきた。

 

 

そして、自分の足元を一周して前を歩き出した。

 

とりあえず止まったまま様子を見ていると、こちらを振り返って止まった。

 

すると「涸沢はこっちだから付いてきて」って言ってるような感じで

また歩き出したので付いて行った。

 

 

その後も、何度もこちらを振り返りながら先導してくれた。

 

そして、ハイマツの中に消えて行った。

 

そんな「ライチョウ」とお別れした後は、少しだけ危険な登山道を慎重に抜ける。

 

 

すると、今日の宿泊地の「涸沢ヒュッテ」が遠くに見えた。

 

 

そこから更に下るが、体に全然力が入らない。

 

何度も立ち止まって休憩して息を整え、エナジーゼリースポーツ羊かん

ブドウ糖を食べて、シャリバテにならない様にエネルギーを補給するが体力は回復しない。

 

それでも、とにかく行くしかないので更に下ると長いハシゴが現れた。

 

 

高さがあるハシゴを怖がる人がいるが、確実に手を掴めるし足も置けるので

自分にとっては、チェーンロープと比べると安心できる場所だが油断は禁物だ。

 

 

 

しかも手も足も力が入らないので、いつもは手と足を交互に使って降りるが

両足を揃えて降ろして、その後に両手を揃えて掴んで

その動作を繰り返して一歩ずつ慎重に降りる。

 

そして、その先の岩場も慎重に降りると、今度は垂直な下りの壁が目の前に現れた。

 

 

ハシゴと違って手と足に力が入らなくても、いつもと同じように降りないといけないので

一歩ずつ慎重に、つま先を段差に引っ掛けて降りる。

 

下まで降りて見上げると10m位あって、日が暮れてヘッドライトで降りていたら

かなり危険だった。

 

 

って言うか、降りる事が出来なかったかもしれない。

 

そして、そこから「涸沢ヒュッテ」が少しだけ近づいて見えた。

 

 

ただ、この時すでに6時30分を過ぎていて予定よりかなり時間が掛かっている。

 

しかも、もうすぐ日が暮れてしまう。

 

でも、体力はすでに限界を遥かに超えていて、中々足が前に進まないが

それでも少しずつ下る。

 

ただ、危険な所はもう無さそうなので、ストックで体を支えながら降りたいが

ストックを仕舞っているバックパックを降ろすと、もう担げないような気がして

降ろす事が出来なかった。

 

そして、とうとう日が暮れて真っ暗になってしまった。

 

ただ暗くなってからは樹林帯で、ヘッドランプで照らせば

前も足元も見えるので道に迷う事は無い。

 

でも、大きな石が沢山あるので足を捻らない様に気を付けないと

捻挫したらそこで終わってしまう。

 

そんな中で何度も立ち止まって休憩しながら暫く慎重に下っていると

砂利道になった所で、足が滑って尻もちを付いてしまった。

 

そして、立ち上がろうとしたが身体に力が入らず、そのまま動けなくなってしまったので

座り込んだまま暫く色々な事を考えた。

 

ツェルトエマージェンシーシートダウンジャケットホッカイロもあるので

このまま無理して降りるより、ここで「ビバーク」した方がイイかもしれない。

 

そんな事を考えながら、とりあえず座り込んだままウエストハーネスと

チェストストラップを外して、ショルダーベルトから両腕を抜いてバックパックを降ろした。

 

その時、毎日出発前にアミノバイタルと一緒に飲むためにペットボトルに入れていた

最後の「リポビタンD」がバックパックにある事を思い出し

明日の事より今の方が大事なので、取り出してアミノバイタルと一緒に飲んだ。

 

そして、しばらく休憩して息を整えて落ち着いたところで

バックパックからストックを取り出し、そのまま座った状態でバックパックを担ぎ

最後の気力を振り絞って立ち上がった。

 

ストックで体を支えながら降りると少し楽なので、もう暫く頑張る事にした。

 

でも、もう無理だと思ったら「ビバーク」するしかない。

 

そんなヘロヘロな状態で降りていると、遠くにテントの明かりと「涸沢ヒュッテ」が見えた。

 

 

その時「涸沢ヒュッテ」の所から、こちらに向けてランプが点滅してるのが見えたが

勘違いかと思ってそのまま暫く降りて行くと、ずっと点滅している。

 

もしかしたら、到着が遅いのを心配して宿の人が合図を送っているかもしれないと思って

自分もヘッドランプを点滅して合図を送った。

 

すると、点滅が点灯になってまた点滅したので、同じように合図を送り返した。

 

下まで降りる気力も体力も、もう無くなっていたが

その合図をエネルギーに変えて、最後の力を振り絞って歩みを進めた。

 

そして、ヘロヘロになりながら樹林帯を抜けて「涸沢小屋」の横に出て

そこからテント場の間を抜けて、何とか無事に「涸沢ヒュッテ」に到着した。

 

その時午後8時30分を過ぎていて、槍ヶ岳を出発してから17時間が経過していた。

 

道に迷った訳でもなく、大きなトラブルがあった訳でもないのに

標準タイムの2倍も時間が掛かってしまったが、何とか宿に辿り着く事ができた。

 

でも、建物が入り組んでいて受付が分からなったので探していると

 

「北穂高から降りて来た人ですよね?大丈夫ですか?」

 

って、20代位の女性とその母親らしき親子に声を掛けられた。

 

「大丈夫です。なんとか降りて来れました。ありがとうございます」

 

「テラス席で座って休憩していたら、上から降りてくるヘッドランプが見えて

 みんな心配してたので、下から合図を送ったのですが分かりましたか?」

 

「はい、分かりました。ありがとうございました」

 

「無事で本当に良かったです、お疲れさまでした。受付はこちらです、案内します」

 

そんな会話があって受付に向かったが、こんな時間に登山フル装備の疲れ切ったオッサンが

フラフラになりながらウロウロしていたので気づいたのだと思う。

 

そんな自分の事を心配してくれた人がいて有り難かった。

 

そして、受付に行ってバックパックを降ろして

 

「到着が遅くなってすみません。心配をお掛けしてすみませんでした」

 

「全然大丈夫ですよ。それより無事で良かったです」

 

「おなか減ってないですか?夕食を用意しましょうか?」

 

「ありがとうございます。でも行動食を食べながら降りて来たので大丈夫です」

 

本当はお腹がすいていたが、こんな時間に夕食を用意してもらうのは

申し訳なかったので遠慮した。

 

宿の人も自分の事を心配してくれて有り難かったが

たくさんの人に心配を掛けて申し訳ないと思った。

 

そして部屋に案内してもらい、とりあえず部屋着に着替えてから洗面所に行って

顔を洗って歯を磨いてコンタクトを外して、部屋に戻って横になった時に

 

「午後9時になりましたので消灯の時間です。館内の電気を消します」

 

と放送があり、館内と部屋の電気も消えて真っ暗になった。

 

 

そして、ヘッドランプを点けて明日の用意をしようと思ったが体が動かず

そのまま、倒れ込むように眠りについた。

 

 

4日目に続く・・・。

 

 

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と言う事で、精神的にも肉体的にも限界を遥かに超えている自分に気合を入れて

「涸沢ヒュッテ」を目指して「北穂南陵」を降りる事にした。

 

 

登山道を下ってテント場を抜けて暫くすると、目の前に「ライチョウ」が現れた。

 

 

「ライチョウ」は特別天然記念物なので、刺激しない様に止まって様子を見ていると

何故か、こちらに向かって歩いてきた。

 

 

そして、自分の足元を一周して前を歩き出した。

 

とりあえず止まったまま様子を見ていると、こちらを振り返って止まった。

 

すると「涸沢はこっちだから付いてきて」って言ってるような感じで

また歩き出したので付いて行った。

 

 

その後も、何度もこちらを振り返りながら先導してくれた。

 

そして、ハイマツの中に消えて行った。

 

そんな「ライチョウ」とお別れした後は、少しだけ危険な登山道を慎重に抜ける。

 

 

すると、今日の宿泊地の「涸沢ヒュッテ」が遠くに見えた。

 

 

そこから更に下るが、体に全然力が入らない。

 

何度も立ち止まって休憩して息を整え、エナジーゼリースポーツ羊かん

ブドウ糖を食べて、シャリバテにならない様にエネルギーを補給するが体力は回復しない。

 

それでも、とにかく行くしかないので更に下ると長いハシゴが現れた。

 

 

高さがあるハシゴを怖がる人がいるが、確実に手を掴めるし足も置けるので

自分にとっては、チェーンロープと比べると安心できる場所だが油断は禁物だ。

 

 

 

しかも手も足も力が入らないので、いつもは手と足を交互に使って降りるが

両足を揃えて降ろして、その後に両手を揃えて掴んで

その動作を繰り返して一歩ずつ慎重に降りる。

 

そして、その先の岩場も慎重に降りると、今度は垂直な下りの壁が目の前に現れた。

 

 

ハシゴと違って手と足に力が入らなくても、いつもと同じように降りないといけないので

一歩ずつ慎重に、つま先を段差に引っ掛けて降りる。

 

下まで降りて見上げると10m位あって、日が暮れてヘッドライトで降りていたら

かなり危険だった。

 

 

って言うか、降りる事が出来なかったかもしれない。

 

そして、そこから「涸沢ヒュッテ」が少しだけ近づいて見えた。

 

 

ただ、この時すでに6時30分を過ぎていて予定よりかなり時間が掛かっている。

 

しかも、もうすぐ日が暮れてしまう。

 

でも、体力はすでに限界を遥かに超えていて、中々足が前に進まないが

それでも少しずつ下る。

 

ただ、危険な所はもう無さそうなので、ストックで体を支えながら降りたいが

ストックを仕舞っているバックパックを降ろすと、もう担げないような気がして

降ろす事が出来なかった。

 

そして、とうとう日が暮れて真っ暗になってしまった。

 

ただ暗くなってからは樹林帯で、ヘッドランプで照らせば

前も足元も見えるので道に迷う事は無い。

 

でも、大きな石が沢山あるので足を捻らない様に気を付けないと

捻挫したらそこで終わってしまう。

 

そんな中で何度も立ち止まって休憩しながら暫く慎重に下っていると

砂利道になった所で、足が滑って尻もちを付いてしまった。

 

そして、立ち上がろうとしたが身体に力が入らず、そのまま動けなくなってしまったので

座り込んだまま暫く色々な事を考えた。

 

ツェルトエマージェンシーシートダウンジャケットホッカイロもあるので

このまま無理して降りるより、ここで「ビバーク」した方がイイかもしれない。

 

そんな事を考えながら、とりあえず座り込んだままウエストハーネスと

チェストストラップを外して、ショルダーベルトから両腕を抜いてバックパックを降ろした。

 

その時、毎日出発前にアミノバイタルと一緒に飲むためにペットボトルに入れていた

最後の「リポビタンD」がバックパックにある事を思い出し

明日の事より今の方が大事なので、取り出してアミノバイタルと一緒に飲んだ。

 

そして、しばらく休憩して息を整えて落ち着いたところで

バックパックからストックを取り出し、そのまま座った状態でバックパックを担ぎ

最後の気力を振り絞って立ち上がった。

 

ストックで体を支えながら降りると少し楽なので、もう暫く頑張る事にした。

 

でも、もう無理だと思ったら「ビバーク」するしかない。

 

そんなヘロヘロな状態で降りていると、遠くにテントの明かりと「涸沢ヒュッテ」が見えた。

 

 

その時「涸沢ヒュッテ」の所から、こちらに向けてランプが点滅してるのが見えたが

勘違いかと思ってそのまま暫く降りて行くと、ずっと点滅している。

 

もしかしたら、到着が遅いのを心配して宿の人が合図を送っているかもしれないと思って

自分もヘッドランプを点滅して合図を送った。

 

すると、点滅が点灯になってまた点滅したので、同じように合図を送り返した。

 

下まで降りる気力も体力も、もう無くなっていたが

その合図をエネルギーに変えて、最後の力を振り絞って歩みを進めた。

 

そして、ヘロヘロになりながら樹林帯を抜けて「涸沢小屋」の横に出て

そこからテント場の間を抜けて、何とか無事に「涸沢ヒュッテ」に到着した。

 

その時午後8時30分を過ぎていて、槍ヶ岳を出発してから17時間が経過していた。

 

道に迷った訳でもなく、大きなトラブルがあった訳でもないのに

標準タイムの2倍も時間が掛かってしまったが、何とか宿に辿り着く事ができた。

 

でも、建物が入り組んでいて受付が分からなったので探していると

 

「北穂高から降りて来た人ですよね?大丈夫ですか?」

 

って、20代位の女性とその母親らしき親子に声を掛けられた。

 

「大丈夫です。なんとか降りて来れました。ありがとうございます」

 

「テラス席で座って休憩していたら、上から降りてくるヘッドランプが見えて

 みんな心配してたので、下から合図を送ったのですが分かりましたか?」

 

「はい、分かりました。ありがとうございました」

 

「無事で本当に良かったです、お疲れさまでした。受付はこちらです、案内します」

 

そんな会話があって受付に向かったが、こんな時間に登山フル装備の疲れ切ったオッサンが

フラフラになりながらウロウロしていたので気づいたのだと思う。

 

そんな自分の事を心配してくれた人がいて有り難かった。

 

そして、受付に行ってバックパックを降ろして

 

「到着が遅くなってすみません。心配をお掛けしてすみませんでした」

 

「全然大丈夫ですよ。それより無事で良かったです」

 

「おなか減ってないですか?夕食を用意しましょうか?」

 

「ありがとうございます。でも行動食を食べながら降りて来たので大丈夫です」

 

本当はお腹がすいていたが、こんな時間に夕食を用意してもらうのは

申し訳なかったので遠慮した。

 

宿の人も自分の事を心配してくれて有り難かったが

たくさんの人に心配を掛けて申し訳ないと思った。

 

そして部屋に案内してもらい、とりあえず部屋着に着替えてから洗面所に行って

顔を洗って歯を磨いてコンタクトを外して、部屋に戻って横になった時に

 

「午後9時になりましたので消灯の時間です。館内の電気を消します」

 

と放送があり、館内と部屋の電気も消えて真っ暗になった。

 

 

そして、ヘッドランプを点けて明日の用意をしようと思ったが体が動かず

そのまま、倒れ込むように眠りについた。

 

 

4日目に続く・・・。

 

 

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令和5年8月11日(祝)槍ヶ岳~大キレット~長谷川ピーク~A沢のコル~飛騨泣き~北穂高小屋~北穂高岳(長野県)

 

なんとか「A沢のコル」に到着してホッとするが、この先には更に最大の難所である

「飛騨泣き」が待っている。

 

 

その「A沢のコル」から少し登った安全な所で振り返って稜線を見た。

 

 

手前の一番高い尾根が「長谷川ピーク」で、よく見ると通って来た所に人が居る。

 

 

 

そこで少し休憩していると、30代位の男女の4人グループが上から降りて来た。

 

「今から「大キレット」に行くのですか?」って聞いたら

 

「明日行くので、とりあえずA沢のコルまで降りて様子を見に来ました」と言われた。

 

降りて来た感じが上級者みたいだったので、

「ここから上の北穂高小屋までどの位かかりますか?」って聞いたら

「ここまで1時間30分位だったので登りは2時間位かかると思います」と言う事だった。

 

その時が午後1時30分で、上まで2時間で登れたとして午後3時30分。

 

そこから、今日の宿泊先の「涸沢ヒュッテ」までの標準タイムが2時間。

 

そうなると午後5時の夕食に間に合わないので「涸沢ヒュッテ」に電話して

その旨を伝えたら「北穂高小屋に着いたら、また電話して下さい」と言われた。

 

そんなやり取りをしていると、さっきの4人グループが戻ってきて

自分は遅いので先に行ってもらって、更に気合を入れ直して北穂高小屋を目指して登る。

 

(動画を再生して右下の歯車をクリックすると、再生速度を標準から2倍まで変更できます)

 

 

ヘルメットに付けたGoProで所々動画を撮っていたが、スイッチを押し忘れたのか

何故が一番の難所である「飛騨泣き」の部分が抜けていた。

 

ただ、その飛騨泣きの一部の画像はあった。

 

 

 

そして、槍沢ロッジから先の登山道の岩にはずっと

迷わない様に「〇」「↑」「X」の印があって

それは大キレットの尾根にもあって、その印を頼りに進むと

安全と言う訳ではないが、身動きが取れない所に行ってしまう事は防げるようだ。

 

ただ「大キレット」には、その印がとんでもなく下まで切れ落ちている所に普通にある。

 

 

でも、その印を通らないと先に進めないので更に気合を入れて登る。

 

そして何とか「北ホあと200m」の所まで来た。

 

 

その時、大学の山岳部?の20代位の4人グループが追いついて来たので

そのグループにも「自分は遅いので先に行って下さい」って言ったら

「上までもう少しなので、一緒に頑張りましょう!」って言ってくれたので

暫く付いて行ったが、スグに置いて行かれた。

 

それでも上から「大丈夫ですか?」「このラインを通ったら安全ですよ」とか

色々と気にかけてくれた。

 

でも、その内に見えなくなってしまった・・・。

 

ちなみに、大キレットに入る前に全体を見た時の予想通り

最期の登りは遠くから見ると斜度があるが、目の前に現れると垂直の壁だ。

 

 

そんな垂直の険しい壁を息を切らしながら登ると「北穂高小屋」が見えて来た。

 

 

そして何とか登り切ると、その最後の取り付きの所に居た人が

「お疲れ様でした」と声を掛けてくれた。

 

その先に居た人にも「お疲れ様でした」と声を掛けられた。

 

ここから登ってくる人は、大キレットを通って来た登山者しかいないので

それを分かっていて声を掛けてくれたのだと思う。

 

そして、小屋の前のテラス席に先に着いた20代の4人グループも居て

「お疲れ様でした!」と元気よく声を掛けてくれた。

 

最初の2人も後の若者グループにも「ありがとうございます」とお礼を言った。

 

着いた時間は、何とか2時間で登る事が出来たので午後3時30分だった。

 

そして、バックパックを降ろしてテラスの椅子に腰をかけたら

張り詰めていた気持ちが一気に抜けて、精神的にも肉体的にも一瞬で崩れ落ちた。

 

そんな放心状態で暫くいたが「涸沢ヒュッテ」に電話しないといけない事を思い出し

電話をするが、電波状態が悪く繋がらない。

 

何度も電話するが全然繋がらないので、とりあえず北穂高小屋のスグ裏に登って

標高3,106mの「北穂高岳」に到着。

 

 

 

そこから登ってきた稜線を見るが曇っていた。

 

 

そして、テラス席に戻って電話をするが繋がらないので、とりあえず涸沢まで降りる事にして

もう一度小屋の裏に上がって、念の為に登山道の近くに居た人に

涸沢に降りる場所を聞いたら「今から涸沢に行くんですか?」と言われた。

 

「えっ?ダメですが?」って聞いたら

 

「途中まではずっと険しい岩場で、鎖場や長い階段もあって今から降りたら危ないですよ」

って言われた。

 

今の体力で、そんな険しい岩場を2時間も降りるのは自分でも厳しいと思ったので

とりあえず北穂高小屋に戻って「今日泊まれますか?」って聞いたら

「部屋が空いてないので、廊下で寝るなら何とかなります」って言われた。

 

 

廊下で寝るのは全然かまわないが、この山小屋は狭いので

他の人に迷惑が掛かると思って悩んでいると、受付の所に居た常連さんらしき人が

「今から降りれば日が暮れるまでに危ない所は終わるし、その先は樹林帯で道に迷う事は

 無いし、もし日が暮れてもヘッドランプがあれば大丈夫ですよ」って言われた。

 

この時が午後4時30分で日が暮れるのが午後6時30分頃で

涸沢まで通常は2時間で行けるそうなので、その常連さんを信じて降りる事にした。

 

と言う事で、精神的にも肉体的にも限界を遥かに超えている自分に

最後の気合を入れて「涸沢ヒュッテ」を目指して「北穂南陵」を降りる事にした。

 

 

 

しかしこの時、ここからが今回の「3泊4日北アルプス縦走登山」最大の試練になる事を

分かっていなかった。

 

 

3日目 その4に続く・・・。

 

 

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