平安神宮は平安京の遷都1100年を記念して1895年、

京都で開催される第4回内国勧業博覧会の記念として

平安京当時の大内裏の一部の復元が計画された。

当初、千本丸太町の朱雀門辺りとしたが用地買収に失敗し

東山の岡崎への変更を余儀なくされ、1893年地鎮祭が行われた。

因みに内国勧業博覧会とは、明治政府の主導で国内の産業発展を促進し

魅力ある輸出品目の育成を目的として東京で3回、

第4回は京都、第5回は大阪で実施され京都の開催跡地に関して、

平安神宮や文化施設が建設されている。

本殿の左側にある入口の「神苑」は社殿を取り囲むように

東西、中、南の庭から構成される総面積凡そ一万坪の

広大な池泉回遊式庭園。

庭師7代目小川治兵衛らが平安京の造園技法を結集した庭園で

国の名勝として指定されている。

 

神苑の名前や入口が神々しくて縁遠く感じられ、

今までは興味が湧かず苑内に入ったことがない。

それでも一度は散策してみたい願望に駆られた矢先、

ネット情報で無料開放日を知り京都へ向かう。

四条河原町の繁華街を北上し御池通を右折して二条大橋を渡り

鴨川沿いを歩き丸太町通を東へ向かう。

平安神宮の背面の壁沿いを歩きながら「流石に大きい」と感じつつ、

反対側に大鳥居を見ながら応天門から入場する。

 

中央にある太極殿(外拝殿)の左側、白虎楼と西歩廊。

受付に正装した巫女さんが居たので思わず頭を下げて入る。

 

道端のあちらこちらで咲いている紫陽花、

本格的な梅雨期の到来だ。

苑内にある草花の名前を几帳面に明記してある看板を見て

「植物園のようだな」と感心しながら順路に従い進む。

 

釣り鐘状の花を咲かせるホタルブクロ(キキョウ科多年草)

開花が入梅から梅雨明け迄とかで、雨降花とも呼ばれるそうだ。

 

品格が感じられる花菖蒲、池の畔で瑞々しく咲いている。

 

紫に白が混じる花弁が茎の緑に映えて鮮やかだ、

花言葉は「朗報」とか「雄弁」とか。

 

先日訪れた大阪市の菖蒲園は殆ど枯れかけて閉園間近なのに、

此処は「何故今が盛りなのか」と不思議に思いながら歩く。

開花時期に誤差が生じているのか、

それとも開花期間の長短の違いがあるのかなど、

梅や桜など他の花と比較検討してみた挙げ句、

10日間程度の誤差など良くある現象で

他愛のないことと気付く。ただ思考を試みたのは

この素晴らしい光景にインパクトを受け

花弁の魅力に惑わされたかと苦笑。

いずれにせよ、華美な菖蒲園を二度も鑑賞出来て得した気分、

満足しながら見事な庭園を眺めそぞろ歩いていた。

池の周りには休憩場所も確保され、高齢の女性逹が

弁当を広げ楽しげにモグモグしているのを発見。

「あっ、もう昼時になったのか」と腕時計で確かめる一方、

マナーとして苑内での食事は極力控えるべきと思いつつ通り過ぎる。

 

黒松など森林を通り抜けると尚美館(迎賓館)が見えてくる。

京都博覧会開催時に御所に建設した中堂をこの場所に移築したとか。

 

神苑の最終コーナーある休憩所、泰平館(橋殿)、

東神苑や中神苑の全体が見渡せて好位置に立地している。

空席を探したものの既に大勢の観客で占められていて、

やむを得ず近くの結婚式場を眺めながら出口へ向かう。

最後に太極殿で参拝を済ませて広場を歩いて応天門を出る、

大鳥居との間にあるフリーマーケットを横目に右折し

ロームシアター庇下にあるテラスの一角に空席を見付けて陣取り

テーブルに弁当を広げ遅めの昼食を摂り空腹を満たす。

帰路も勿論、鴨川沿いの川端通りを南下して歩き、

川向こうの改築の済んだ宴会の桟敷席や家並みを眺めながら

梅雨期のウォーキングを無事終えて阪急河原町駅を目指した。

 

(写真撮影は6月13日火曜日、歩数は凡そ13000歩)