オンライン証券社長のblog -8ページ目

期待と裏切りと明日への挑戦

10回期待を掛けて、10回裏切られた。


そういう経験をみなさんはお持ちではないだろうか?

昔の私は、そこで肩を落とし、ため息をついていた。


・・・なんでだろう。


そんなことで落胆していたはいけない、と

自らを奮い立たせ、何度でも、倦まず弛まず

語りかけ、働きかけるようになった。


胆力がついてきた。

こんな相手に根気で負けてたまるか、と

意気込んでみても、やはり人は急には変わらない。


100回期待を掛けて、100回裏切られてしまう。


・・・またか。


自分も忍耐が必要だが、それを受け止める相手にも

忍耐が必要だ。


何度も同じ話を聞いてくれてありがとう、と

心の片隅で想えるようになった時、

次のような言葉が出てきた。


今まで100回期待を掛けて、100回裏切られてきたが、

今度は200回期待を掛けるから、200回裏切ってみなさい、

あなたが逃げない限り、私は、何度でも話すし

何度でもやってみせよう。


遠大な目標に向って、みんなで力を合わせよう。

私は諦めない、絶対に諦めない。





義理と人情

義理と人情という言葉が陳腐化しているようだ。


不義理をして平気な人がいる。

バレなければいいだろう?という発想をする人は、

天網恢恢祖にして漏らさず、という言葉を知らぬ人だろう。


周囲の人の配慮がわからない人に

どうして円滑な仕事が出来るだろうはてなマーク


人情を大切にする人は、

円滑な仕事や人間関係を構築することが

遠回りのようでいながら、結果的に一番有利だろう、

と算段している人のことではないだろうか。


人と人とのつながりを理解し

自分が他者に与える影響を勘案できない人が

どうして発展的な仕事が出来るだろうはてなマーク


義理を大切にする人は、

究極のプラグマティズム(実用主義)を

理解している人のことではないだろうか。


古臭い考え方と思われるかもしれないが、

経験を積まなければ、こういうハウツーが

わからないのかもしれない。




意思表示

このブログを読んでいる社員から、

感想と共に、次回更新するブログの内容のお題も寄せられている。


今回とりあげるお題は、

「押し付けにならず、相手に意思表示をする方法」

であるが、これには少し考えさせられた。


押し付けにならず、という意味合いをどう捉えるか?

意思表示をすることは押し付けになるのだろうか?


おそらく、

「自分の意見をいう時、

(特にその意見が相手の意に反する場合)

なるべく相手に不快な想いをさせないで伝えるには

どうすれば良いだろうか?」

という意味ではないか、という前提で話を進めたいと思う。


相手の意見に賛意を示す場合は問題ないだろう。

ただ、気をつけなければいけないのは、

あくまでも相手を尊重し、その相手の意見が

あたかも自分の意見だったかのような

言い回し方にならないようにすることである。


さて、問題は、相手の意見に対して異議を唱える場合だろう。

相手の意に反するであろう意見をいう場合には、

言う本人が躊躇(ためら)ってはいけない。

相手が不快に思うだろう、という想いがあるまま伝えれば

相手はかならずそれを察知するものだ。

相手が不快に感じようが感じまいが、

「私は彼方(あなた)が、私の意見に腹を立てても、

私には腹を立てないことを知っている」

という心構えで言ってみてはどうだろうか?

相手の人格や度量を尊重し、意見すれば

仮に不快に思われたとしても、後悔はしないはずだ。


意外と、相手を気遣っているようで、

自分が相手に嫌われたくない一心で

相手がいって欲しい言葉をいえずにいる

場合が多いのではないだろうか?


まずは、自分の気持ちを、素直に

ストレートに伝えよう、としてみること

が大事だと思う。


アルゴリズム取引

今、証券市場ではDMA(ダイレクト・マーケット・アクセス)が

主流になりつつある。

特に、アルゴリズム取引に関しては、急激な勢いで普及し

出来高も伸びているらしい。


アルゴリズム取引・・・

聞きなれない言葉かもしれないが、要は

「一定の取引手順を入力すると、コンピューターが自動的に

売買注文を繰り返す取引」のことである。


システム売買のことではないか?・・・


たしかにアルゴリズム取引も、システムに売買させるのだから、

システム売買の一部といえるかもしれない。


だが、今まで言われているシステム取引と

アルゴリズム取引の似て非なる点は、

前者はテクニカル分析の占める割合が大きく、

後者はテクニカル分析よりも多岐にわたる条件式が

売買執行に関わる割合が大きい、

という違いではないだろうか?


・・・わかりにくい?かなガーン


いずれにせよ、システム売買とは違う趣向の

自動取引だと認識してもらえば良いと思う。



話を先に進めようあせる


弊社では、アルゴリズム取引の研究を

はじめている。


従来より、システム売買に対する関心は高く、

一部の証券会社では、顧客向けにAPIを

公開しているようである。


APIの公開の是非はさておいて、

ファンドネット証券では、

独自のアルゴリズム取引を顧客に提供しようと

考えているが、それはおそらく「あれはてなマーク」と

想われるものかもしれない。



詳しい説明は、公の場ではできないのだが、

このコンセプトは、私が証券会社を立ち上げる前に

行なっていたテクニカル分析のセミナーの時に

既に芽生えていたものだ。


当時、ニューロネットワーク理論というものが

流行っていた。

これは、市場の値動きの変化に伴い、

システム売買に用いられるテクニカル指標の

パラメータを変えたりするものだった。


たとえば、ボラティリティが高ければ

指標のパラメータ数を小さくし、

ボラティリティが低ければ

指標のパラメータ数を大きくする、

要は、値動きが激しくなったら

テクニカル指標の感度を鈍く設定し、

値動きが穏やかだったら

テクニカル指標の感度を鋭く設定する。


当時の私は、この考え方を聞いて、

「これってカーブフィッティング(こじつけ)ではないか?」

と想った、記憶がある。


テクニカル指標を、条件によって

あれこれ弄(いじ)ることは、

弄った時点で、別物のテクニカル指標を

扱うものと同意、ではないだろうか?



当時の私が目指した理想のテクニカル分析は、

なるべく同一の指標をベースに、

その指標が市場の変化に応じて、

なるべく損益が拡大せずに、

利益を少しずつ積み上げていくもの。


しばらく、証券会社を立ち上げるために

忙しい日々を送っていた頃、

金融システムの勉強会で、はじめて

アルゴリズム取引の説明を聞いた時、

私は長年求めていたものに出合った合格

という感じがした。


トーマス・デマークの難解な書を

読破しようとしていたころ、

ポール・チューダー・ジョーンズのような

ひらめき型の天才トレーダーの

アシスタントであった彼の採った方法が

衝撃的だった。


プログラム売買・検証が全盛の時、

彼はパターン認識に関する考察で

時代の先端を走っていた。

出来上がった指標は、コンピューターに

組み込まれ、ブルムバーグやCQGなどで

閲覧することが出来るようになったが、

編み出される過程では、それとは全く

違う方法が採られていた。


ラリー・ウィリアムズも同様の見解を

述べていたが、なるほど時代の先駆者は

同じ性向にあるのだと関心したものだった。


ファンドネット証券で提供する

アルゴリズム取引は、こうしたコンセプトを

示現するものとなるだろう。


道のりは長いが、着実に歩みだしている。




一日の終わりに

新約聖書に次のような言葉がある。


一日の労苦は一日にて足れり


私は上記の言葉を想い出しながら帰路につく。



今日一日の出来事を振り返りながら、

今日の幸せの数を数えるのである。


痛いところもなく健康に一日過ごせた幸せ

一生懸命仕事ができた幸せ

社員や家族が無事に過ごせた幸せ

美味しく食事ができた幸せ・・・


どんなに些細なことでも、幸せを見つけ出し

その幸せを感謝するようにしている。


たまに、この幸せ確認を怠ってしまう時がある。

そういう時は、不思議と次の日の調子が悪い。


・・・幸せを探せっていうけど、辛いことだって

上手くいかない事だってあるんじゃないか?


たしかに、問題は日々あるし、おそらくなくなる

ことはないだろう。


しかし、問題があることは、不幸ではない!!


みんな勘違いしているかもしれないが、

問題がなくなれば、幸せになるのではない。

全く別の次元の話である。


仕事をしていれば日々新しい問題が発生する。

反省すべき言動、解決しなければいけない課題、

頭を悩ます問題はさまざまだ。


しかし、その問題を進んで受け入れることによって

それが苦痛ではなくなってきた


逆に、その問題を避けようとか逃げようとすると

それがますます苦痛になってくるものだ。


日々私に課せられる問題は

すべて私が解決できるはずの問題で、

その問題を解決し、克服すれば、

以前より成長し、さらに上のレベルの

問題が私を待っていることだろう。



上手くいかないことがあっただけで、

自分は不幸だ、なんて思うのは

大きな間違い、勘違いだ。

もう一度、自分の幸せをひとつひとつ数えてみよう。





返事

返事をしないで、相手に不快な想いをさせていないだろうか?

もしくは、

相手に聞こえない返事をして、不快な想いをさせていないだろうか?


大きな声ではっきりと返事をされると、やはり気持ちが良い。

それが、自分に対する注意に対しても、

きちんと受け応える態度をとられると

ヒトはその人を心底怒れないはずである。


元気な返事は、相手だけではなく、自分も

そして周囲を明るくする。


中には、ボソボソという小さな声で応えたり、

聞こえているのに返事をしない人もいる。


・・・わかっているよ。そんなこと。。。


返事は、相手に「あなたの意見をきちんと聞いて、

受け止めていますよ」という意思表示である。


自分の都合で答えたり答えなかったり

そういうコミュニケーション能力が低い人は

明らかに損である。


寡黙を美徳としていた時代もあるが、

国際化社会をむかえ、

ますます自分の意見を主張する技術、

意思表示の重要性が高まってきている

昨今なので、

ぜひ返事は、はっきりと元気な声でする、

という身近なことから心掛けたいものである。





前向きな考え方

前向きに物事を考えられない人は、

他人と自分を比べ、自分の劣っている部分ばかり気になる場合と

過去の自分の過(あやま)ちばかりを思い出し

今の自分に準(なぞら)える場合が多いのではないか?


他人と比べることは決して悪いことではない。

自分の欠点を他人を参考にして見出すのも悪くはない。

問題は、その欠点を嫌うことではないだろうか?


過去におかした自分の間違いを反省することは悪いことではない。

問題は、過去の過ちを繰り返す自分を責めることではないだろうか?



欠点を嫌い、目をそむければ、いつまで経っても

欠点を克服することはできない


まず、欠点を認め、それを少しずつ良くしていく。

一昨日と比べて昨日の方が欠点が良くなっていく、

昨日と比べ今日の方がさらに欠点が良くなっていく、

そういう風に努力する自分を好きになってみよう。


過去に過ちを犯した自分を責めなければ、

過ちを認めることができるようになる


過ちを認め、それを少しずつ犯さなくしていく。

一昨日と比べて昨日の方が過ちが少なくなっていく、

昨日と比べ今日の方がさらに過ちが少なくなっていく、

そういう風に努力する自分を好きになってみよう。



昨日より今日、今日より明日

少しずつ、短所を改良していく過程を楽しんでいると、

自然と考え方が前向きになっていくのではないだろうか?





謝り方

ごめんなさい、を素直にいえない人がいる。


自分の過ちを認め、相手に謝罪する行為だが、

これは、幼児のように無垢な心を持った人か

自分に自信がある人以外には、

辛い儀式のようだ。


どんなに能力があっても、

自分の非を認め素直に謝れない人は、

どういう訳か成功できない。


逆に、そんなに才能がなくても

自分の非を認め

素直に謝れる人は、

最後には成功している。



よく相手に配慮せず、

自分の都合で、謝る人がいる。


自分の気持ちが落ち着いてから

相手に謝る人がいる。


それで良いのだろうか?


相手の機嫌が悪い時こそ謝るべきであり、

謝らなければいけない人の気持ちが

それに優先されるというのはいただけない。


無論、謝るタイミングというのも大事であり、

いずれにせよ、相手への配慮が大切である。



難易度と重要度

みなさんはどの仕事から着手するだろうか?


A.簡単だが重要度が高い仕事

B.簡単だが重要度が低い仕事

C.難しいが重要度が高い仕事

D.難しいが重要度が低い仕事


重要度を優先すれば、A→C→B→Dだが、

効率を考えると、A→B→C→Dではないだろうか?


いずれにせよ、どれから着手すべきか、というと

Aが最初に着手すべき仕事であろう。

ただ、実際に、みなさんはAから着手しているだろうか?


重要度をあまり勘案しないで仕事に着手している

場合をよく見受けられる。


つまり、仕上がりが早そうな簡単な仕事を優先して片付け、

後からじっくり重要度が高い仕事に取り組もう、と考える人が

多いのではないだろうか?


果たしてこれで良いのだろうか?

上記のような仕事だと、

各々の仕事が有機的につながらない。


重要度が高い仕事から着手すると

有機的につながる仕事が見えてくる


重要度が高い仕事から着手する方が、

与えられた時間を考えると、

得られる成果は高いと思う。


早い、という考え方の時間軸を

改めて考えてみると

効率を追求する方が

早道ではないだろうか?





フラクタル

私は仕事に関して、

細かな気遣いを要求している。


たとえば、メールでの挨拶や返事。

上司に食事をご馳走になった場合、

口頭で「ご馳走さまでした」と言うだけでなく、

その上司と分かれた後も、なるべく早めに

「ご馳走さまでした」というメールを打ってもらう。


メールは便利なツールで、

離れた場所でも、瞬時に、

メッセージを伝えられる。


メールのリアルタイム性を活かし

食事をご馳走してくれた上司への謝意を、

メールという媒体を利用して

スピードと言葉で表現する。


私が何故そこまで返事のスピードや


気遣いにこだわるかというと、

すべての事象はフラクタルだという

哲学をもっているからだ。


フラクタルとは

部分が全体と相似となるような図形

という意味だが、

仕事においても、ごく些細な言動が

そのまま職場での仕事振りに反映している。


スピードを重要視しない人は

仕事だけではなく、

メールの送信も遅い。


周囲に対する気遣いができない人は

仕事だけではなく、

プライベートでも気を遣わない。


付き合う相手を大事にしない人は

仕事だけではなく、

プライベートでも付き合う人を大事にしない。


例を挙げれば、キリがない。


みなさんの周りの事象も

気をつけて観察してください。


私が言わんとすることが

お分かりになるかと思います。