声、語り、歌、ヴォイストレーニング1日1話 -12ページ目

声、語り、歌、ヴォイストレーニング1日1話

歌手、声優、俳優、芸人、ビジネス、一般、声に関心のある人に。
プロ、トレーナーも含め、トップレベルのヴォイトレ論を展開します。

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1フレーズで成り立たせる

 

 どの曲を歌っても同じように聞こえる人、同じように聞こえるように歌う人、どちらもオリジナリティが感じられません。こういう人の歌が続くと、聞き手は、退屈してしまいます。

わずか4つのフレーズでも、そこで何十通りの歌い分けができますか。それで持たせられるようでなくては、到底一曲、まして何十曲も人前でもたせることはできないでしょう。

 

 フレーズのなかで、どこを伸ばし、どこにメリハリをつけ、どう組み立て、どのように聞かせるかは、その人の感性です。本人が感じ、考え、仕上げなくてはいけないことです。

楽譜通りに正しく歌えるだけでは、意味がないのです。そこからどれだけ自分自身のものをつくりだすか、自分の息吹で歌に生命を与えていくかが決め手です。そのときに大切なのが、心身の感覚とセンスなのです。

 

 [例] すべてを  わたしの  すべてを   (「アドロ」)

     ミレドド  ドレミミ  ミレミファ

 

 どのようにこれを表現するかは、あなたに任されているのです。

 

次のように読み分けてみてください。随分と感じが違ってくるはずです。

 (1)  弱     中強    強

 (2)  中強    弱     弱

 (3)  強     弱     中強

 

 どれかが正解というのではありません。トレーニングとしては、意識するとよいと思われるいくつかの形はあります。でも、あなたが自由に最も自分にフィットしたものを徹底して追求し、煮詰めていきましょう。それが表現として認められるレベルになったらよいのです。

 

 基本というのは、その中で共通して踏まえていなくてはいけないルール、感じ方です。そこには、メロディ、ことば、リズムと同じように、範たるものがあります。それは、何百曲も聞いたり歌ったりしていくと徐々に分かってきます。いわゆる歌の心といわれるものかもしれません。

どんな歌い方であれ、そこで実力の違いが端的に表わされるものです。

 

 曲を聴いた後に歌詞を読むトレーニングをするとよいでしょう。まず詞を読むことから始めるのです。単に考えながら読めばよいのではありません。表現をするのです。相手が聴き入るように読むのです。

 

 曲によって、いろいろと注意しなくてはいけないこともあります。

 

 

次の課題では、チェックすることがいろいろと出てきます。たとえば次のような点を私は注意しました。

 「[前略]私のすべてをー アドロ」

 この「をー」と伸ばすところは、声の線が乱れないように、消音していきます。次の「ア」で急に低くなるところをしっかりと音をとるために「すべてを」と言い切りながらも「てを」を「て」「を」ではなく「ておー」の形で捉え、次の「ア」の声のポジションを確保しておくのです。

 

 歌のフレージングと一致するようにトレーニングをするのです。ことばを一つに捉え、表現し切る、その上で、全体的な流れ、表現としての効果を捉えてみましょう。

 この課題一つで1~2ヵ月以上かけられる内容があるのです。そのことがわからないうちは、表現に本当の価値は出てこないといえましょう。

 

伴奏をつけずにトレーニングする

 

 力をつけるには、少しずつトレーニングの意味とやり方を知っていき、その上で、自分で全ての責任、つまり、判断をもって行なうことです。表現において、自分で責任をもつということは、大変なことなのです。プロというのは、それをできる人のことです。

 

 そのためには、最初からトレーナーや伴奏の力に頼らないことです。

先生のあとについて歌えただけでは本当の力とはいえません。バンドに寄って声を合わせる練習では大した力になりません。一声出したら、それで成り立つくらいのステージをめざしましょう。

 

 私は、意図的に、トレーニングでピアノ伴奏をあまりつけません。練習するときは、自分自身の力を常に捉え、伴奏にどのくらい頼らずにできているのかをチェックしましょう。

発声だけでなく、音感も音程もリズム感も、根本からよくなります。どうして皆、そうしないのかと不思議なくらいです。

もちろん、全くできない人は、伴奏がつくと楽であり、しぜんに正されるからですが。その分、自分の力ではないのです。

 

 楽器を練習する人がそれぞれのパートに分かれて練習しているのに、ヴォーカルのみがいつも伴奏やバンドに頼ってよいわけがありません。

 ヴォイストレーニングにおいては、無音である空間に、声を使うことをチェックするのです。

 

次のようなパターンの伴奏をするとよいでしょう。

 

1.1フレーズをピアノで聞いて(カラオケでもよいです)、同じフレーズを歌う。

2.1フレーズをピアノで聞いて、自分の最も声の出やすいキー(変調して)でそれを歌う。

3.頭の2~3音のみピアノで聞いて、フレーズで歌う。

4.頭のコードをピアノで聞いて、フレーズを歌う。

5.ピアノで頭の音を1音だけ聞いて、フレーズを歌う。

6.ピアノを使わず、最も声の出やすいキーで1つのフレーズを歌う。

7.5のベース音を半音ずつ上げたり下げたりしていく。

ことばからメロディへ

 

 ことばをしっかりと体から言い切れる、シャウトできるようになると、しぜんなひびきが出て、おのずとフレージングが生じてきます。音も高低、強弱、長短が変化して、歌のフレーズとなっていくと考えてください。そこに音楽性(調性も含め)を伴ったのが、メロディです。

 

それなのに、どうして、他の人の歌のフレーズをそのままコピーすることをめざすのでしょう。

ヴォリュームなし、迫力なし、インパクトなし、表現力なし、個性なし、魅力なし、つまり、価値なしとなります。うまく歌うほど、一本調子の退屈な歌になってしまうのです。

 

 ことばを語りで完成することをめざしてください。そうでなくては、歌い出しても、メロディ処理で半分以下、歌になると3分の1のヴォリュームに満たなくなります。

 まずは、声だけをしっかり出そうとしてみましょう。メロディ、リズム、音程、ことばという、音楽の諸要素に邪魔されないようにすると、随分と楽に発声は上達します。

 

 ヴォーカリストとは、肉体労働者、スポーツ選手と同じく、自分の体で価値を創っていくのです。先に上げた諸々の要素よりも、体と結びついている声を出すことが、第一優先です。

 

 私は、ことば+メロディ+歌となるにつれて、必要なパワーは増すのが当たり前だと思っています。エネルギーがより多く必要とされるのです。ことばの語りで100が必要というのでしたら、メロディ処理はその150パーセント、歌になればその200パーセントの力を求めるといえばよいでしょうか。

 

 現状は、歌手であってさえ、歌より語らせた方がよく伝わる人が多いです。MCの力でステージをしているといわれるゆえんです。

 

自分でつくるヴォイス・ヴォーカル・トレーニング

 

 ここで今までのメニューのなかから、自分に必要と思うトレーニングを抜粋してください。

自分のヴォイストレーニングメニューをつくってみましょう。

 

 

第  回   年  月  日(   分)  氏名

 

メニュー No.

 

1.フォーム(体力づくり、柔軟トレ、筋トレ、準備体操)

2.ブレス(息、息読み、息吐きトレーニング)

3.ヴォイス(発声、発音、音読と共鳴(頭声、胸声))

4.フレージング(メロディ処理、メリハリ、声量、声域)

 

(例)

 

(1)語り 

 a.息で語る

 b.ゆっくりしっかりと語る

 c.感情を込めて語る

 d.大きな声でシャウトしてみる(1回)

 

(2)メロディ

 a.「ドレミ…」で読む

 b.「ラ」で読む

 c.「アオイ」で読む

 d.「ことば」で読む

 

(3)フレージング

 a.最も声の出る声域

 b.そのベース音を半音ずつ下降させる

 c.そのベースを半音ずつ上げる

 

(4)歌う

○芯のある声の共鳴について

 

キンキンとひびく声で高音を出す人や、金属音的な声に聞こえる人がいます。

浅い息をお腹の力で頭部へぶつけて、共鳴させると、こうなります。

 

小さな声では、うまく声にならず、大きな声を力まかせに出して、

声量や声域をとる人も似ています。

私は、そこで、ことばを言ってもらいます。

きちんとことばが言えないということは、歌には使えないということです。

また、ピアニシモで歌ってもらいます。

ほとんど不可能であるといわんばかりの顔をします。

 

喉にこなければ、どんな声でもよいというわけではありません。

歌うのには、歌える声でなくてはならないのです。

一言で言うならば、「声の芯」、声の根っこがなければ、

しぜんな共鳴も難しくなるということです。

 

その難しさをくせで克服してプロになった人もいますが、

難しくすると、表現の限界が早くきます。

自分の思い込みで、喉もとで声をつくったまま、

力で発声している人は少なくありません。

なまじ、発声教本とかマニュアルをみようみまねでやったり、

お手本をみて、へたにやると、このようになる危険性が多分にあります。

 

しぜんにひびかない声は、一人よがりの行き着くところといえます。

声を勘違いしないで扱うことは、とても困難なことです。