1フレーズで成り立たせる
どの曲を歌っても同じように聞こえる人、同じように聞こえるように歌う人、どちらもオリジナリティが感じられません。こういう人の歌が続くと、聞き手は、退屈してしまいます。
わずか4つのフレーズでも、そこで何十通りの歌い分けができますか。それで持たせられるようでなくては、到底一曲、まして何十曲も人前でもたせることはできないでしょう。
フレーズのなかで、どこを伸ばし、どこにメリハリをつけ、どう組み立て、どのように聞かせるかは、その人の感性です。本人が感じ、考え、仕上げなくてはいけないことです。
楽譜通りに正しく歌えるだけでは、意味がないのです。そこからどれだけ自分自身のものをつくりだすか、自分の息吹で歌に生命を与えていくかが決め手です。そのときに大切なのが、心身の感覚とセンスなのです。
[例] すべてを わたしの すべてを (「アドロ」)
ミレドド ドレミミ ミレミファ
どのようにこれを表現するかは、あなたに任されているのです。
次のように読み分けてみてください。随分と感じが違ってくるはずです。
(1) 弱 中強 強
(2) 中強 弱 弱
(3) 強 弱 中強
どれかが正解というのではありません。トレーニングとしては、意識するとよいと思われるいくつかの形はあります。でも、あなたが自由に最も自分にフィットしたものを徹底して追求し、煮詰めていきましょう。それが表現として認められるレベルになったらよいのです。
基本というのは、その中で共通して踏まえていなくてはいけないルール、感じ方です。そこには、メロディ、ことば、リズムと同じように、範たるものがあります。それは、何百曲も聞いたり歌ったりしていくと徐々に分かってきます。いわゆる歌の心といわれるものかもしれません。
どんな歌い方であれ、そこで実力の違いが端的に表わされるものです。
曲を聴いた後に歌詞を読むトレーニングをするとよいでしょう。まず詞を読むことから始めるのです。単に考えながら読めばよいのではありません。表現をするのです。相手が聴き入るように読むのです。
曲によって、いろいろと注意しなくてはいけないこともあります。
次の課題では、チェックすることがいろいろと出てきます。たとえば次のような点を私は注意しました。
「[前略]私のすべてをー アドロ」
この「をー」と伸ばすところは、声の線が乱れないように、消音していきます。次の「ア」で急に低くなるところをしっかりと音をとるために「すべてを」と言い切りながらも「てを」を「て」「を」ではなく「ておー」の形で捉え、次の「ア」の声のポジションを確保しておくのです。
歌のフレージングと一致するようにトレーニングをするのです。ことばを一つに捉え、表現し切る、その上で、全体的な流れ、表現としての効果を捉えてみましょう。
この課題一つで1~2ヵ月以上かけられる内容があるのです。そのことがわからないうちは、表現に本当の価値は出てこないといえましょう。