北陸トンネルめぐり(下)恐怖のトンネルから今庄へ | 新労社 おりおりの記

北陸トンネルめぐり(下)恐怖のトンネルから今庄へ

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日本遺産の旧北陸本線「杉津線」10トンネル、行ってきました!前日の柳ケ瀬トンネル前後の探査からさらに北上します。木ノ芽峠、栃ノ木峠、山中峠と称される福井県中部―南部を結ぶ要衝の1つを、自転車で蒸気機関車になったつもりで行くのです。

 

(図は敦賀行き。実際は今庄へ)

 

もともとこの辺りは自転車では行けないと思っていました。柳ケ瀬トンネルのように自動車専用だと考えたのです。しかしこの間の日本遺産登録でツアーまで行われ、地域の交通も兼ね、自転車でも行けるらしいことを知って出かけたのです。チェックポイントは10個のトンネルの他に、信号場3つ、駅3つです。その都度ラクに停まって休憩・撮影します。

 

🚉 深山信号場

 

北陸旧線はこの辺りは国道の一部。北陸自動車道と北陸トンネルに入る前の北陸本線、さらに木ノ芽川が絡んで進んでいきます。クルマは結構ビュンビュン来ます。敦賀の次のこの信号場は、拡幅された道路に覆われ、跡もカタチもないそうです。特急電車がしょっちゅう轟音建てて通過し、新幹線の橋梁も見えます。北陸トンネルの火災慰霊碑も見る間なく進みます。

 

(この辺りが深山信号場)

 

● ①樫曲トンネル

 

北陸トンネルを分け、いよいよ勾配が付いてきて樫曲の集落の先にある、木ノ芽川沿いにある最初の整ったトンネルです。歩道でトンネル内にはランプを模した電灯もあり、産業文化遺産らしくロマンチックです。この後には獺河内トンネルもありますが、木ノ芽峠国道476号に吸収され、鉄道当時の姿を全く変えて使われています。

 

(樫曲トンネル)

 

(獺河内トンネル:これももと鉄道トンネル)

 

🚉 新保駅

 

木ノ芽川に沿って谷を行くと、最初の駅新保。市街は谷の川沿いに固まっていて、北陸トンネルへの斜坑もあります。北陸自動車道に沿ったあたりに記念碑があります。坂を登るためのスイッチバックを含めた巨大な遺構は高速道路の敷地に飲み込まれたようです。

 

(新保駅新旧。後ろは北陸道)

 

🚉 葉原信号場

 

葉原は学校などもある大きい市街です。駅にしてもいいような気がしますが、信号場は市街を過ぎて、山の中の広大な田園にありました。手前で国道476号は高架で別れて木ノ芽峠トンネルへ。県道207号につながる一般道に乗り換えて「鉄道旧線」らしくなってきます。クルマはおろかバイクなども全然来ません。信号場の遺構は沿った北陸道に飲み込まれていますが、ちょっと勾配のある緩やかなカーブは線路の感じです。広大な田んぼが広がっています。

 

(この辺りが葉原信号場)

 

(葉原トンネル)

 

● ②葉原トンネル

 

山の上ののどかな田んぼ地帯のはずれ、新しいトンネルを左に「待ち時間5分」の信号がある最初のトンネルです。他に待つバイクなどもなく、ライト準備などしてようやく青になって突っ込んだら・・・途中からトンネル内の灯りが全くなくなるんですね~また、直線でないトンネルのため、水蒸気がこもりやすく、付けたヘッドライトの行く手に光るのはもやもやした霧だけ、という闇に包まれた走行になりました。手元も見えません。生き埋めになったような気分で、これはヤバイ、引き返そうと思ったぐらいです。

 

走りながら張り詰めた気を取り直し、手探りでライトの反射の霧の明るさを頼りにやや速度を落として走行すると、1分ほどたったでしょうか、1㎞もない長さなので、行く手に出口の光が見えてきてようやく人心地が付きました。北陸道のトンネルも至近に並行してあるので、落盤したらすぐ掘り出してくれるかな、なんて考えたりします。自転車でトンネルも100以上くぐってきましたが、いやあ、こんな気持ちになったトンネルは初めてでした。

 

● ③鮒ケ谷、④曾路地谷トンネル

 

北陸旧線トンネル群の中で一番短い鮒ケ谷トンネルを出て、次が曾路地谷トンネルです。車も来ないので、トンネル内でカメラを取り出して撮る余裕もできます。ちょっと長いのですが灯りはあり、車の轍がへこんでいるところもありましたが、道の真ん中を通って振動を減らして進むことができました。

 

(曾路地谷トンネル)

 

🚉 杉津駅

 

トンネルを出るとすぐに杉津駅だった現在の北陸道杉津PAですが、外部から入るところはいつの間にか通過し、掘割のようなところを行きます。ちょっと下に降りて北陸道の高架をくぐり県道207号今庄杉津線に乗ります。ここからは背の高い草むらの合間から、チラチラと敦賀湾の絶景が展開します。大正天皇も汽車を止めさせたという山水画のような景色です。

 

 

 

● ⑤第一、⑥第二観音寺トンネル

 

敦賀側からはそれほどキツイ勾配にならず、ここからトンネルが連続します。どこに寺があるのか?というような山の中。鉄道現役時代は山中信号場までは平行道路もなかったという区間です。それほど長くなく、灯りもあって快適に抜けます。トンネル外では地元企業のバンに抜かれ、道を譲ります。交通量は少ないですが、あまり道幅広くないのです。

 

(第2観音寺トンネル)

 

(芦谷トンネル手前は工事)

 

● ⑦曲谷、⑧芦谷トンネル

 

両方とも200数十mくらい。曲谷トンネルを出るとき、後ろでバイクがプップップ♪自転車のテールライトを行く手に見つけたのでしょう。芦谷トンネルの方は手前のアプローチが山崩れしていて、青いシートを山肌に掛け、工事中でした。梅雨時で険しい山がポロポロ崩れるのでしょう。福井県や国交省の担当者の苦労が偲ばれます。

 

2車線に臨時に信号があって2分間の片側交互通行になっていました。その2分間の待ち時間、工事現場でブッシュもなく、敦賀湾の景色を堪能できます。梅雨時特有の景色、青白い水蒸気に包まれて、水墨画のようです。

 

 

● ⑨伊良谷トンネル

 

ここは3分間の待ち時間。バイクが2台待っていて、青信号で相次いで入り、私も入ろうと思ったらすぐに黄色⇒赤。いったん止まって3分後の青で出直しました。葉原トンネルのように、やっぱり真ん中あたりは灯りが途切れ途切れで、行く手もわからなくなりドキドキしましたが、霧もかかっておらず、すぐに行く手に出口が見えて一息つきました。

 

● ⑩山中トンネル

 

このトンネル群で最長のトンネル。一番の名所。難所山中峠を抜くもので、開発を免れ、面白い遺構がけっこう残されているからです。待ち時間の信号はなく、ライト点けてすぐに進入します。まっすぐなトンネルで出口が見えるので安心できるのです。

 

それにしてもこのトンネル、水が多い!1.2㎞の間、灯りはありましたが、天井からポタポタ水が落ちてくるし、空気が通り、霧に包まれませんが薄暗い路面は川流れ。タイヤを取られないように路面を見極めて慎重に進みます。とどめの出口では滝のように水が降り注いでいました。びしょ濡れというほどではないですが、多少濡れました。

 

(右:山中本トンネル、左:スイッチバックの引き込みトンネル)

 

さっきのバイクのヒトが休憩していて、写真など撮ってもらい、やっぱりこのトンネル群目当てに来たと言っていました。クルマでは大きすぎ、トンネル内で出会い頭したらトンネル内をバックしなければならないので、バイクが一番機動力があるでしょう。

 

(山中信号場、スイッチバック昔と今)

 

🚉 山中信号場

 

山中トンネルは列車を離合させる信号場の一部です。スイッチバック式なので、列車を退避させる線の長さが足りず、山中トンネル出口の脇にもう一つトンネルの引き込み線を掘ってあります。今は蝙蝠の巣のようです。反対側の退避線もきれいな築堤が残っていて、落石覆い(ロックシェッド)もありました。少しでも多く、少しでも能率よく、長い貨車を連ねてデゴイチやディーゼル機関車を連ねて登っていた「鉄道の時代」が偲ばれるのです。

 

(ロックシェッド)

 

向こうから白バイがやってきます。お昼近く観光客の動向や地勢を見に来たのでしょうか。路面が川のように流れているところでは、自転車に道を譲ってくれます。

 

🚉 大桐駅

 

山中トンネル以降は、あまり急でない下り坂。ブレーキもほどほどでよくて快適に滑り降ります。北陸新幹線の新北陸トンネルの斜坑の坑口の次に、大桐の集落が現れ、朝の除草が終わった地域の人たちが休憩しています。今庄側は鉄道の他に「万葉の道」としてこの辺りを整備しています。大伴家持以来の峠越えを偲んだものでしょう。駅跡には蒸気機関車D51の車輪。

 

(大桐駅、ホーム縁石だけ変わらず)

 

この杉津越えをするために、柳ケ瀬越えで窒息事故を起こしたD50以上の出力がある、1,115両も造られた傑作機関車D51が開発されたという話もあります。小刀根トンネルに大きさを合わせたとか。蒸気列車の性能向上の努力と補給補機で、今庄敦賀の街は鉄道の街としてにぎわいました。

 


特に戦前戦後の大変な時代、機関士や国鉄職員ばかりでなく、乗客すら真っ黒になるような峠越えの克服は感動するものです。柳ケ瀬越えと違ってこの「杉津線」は窒息事故など死傷者は出さなかったようです。

 

(ウチにある機関車D51)

 

旧線は大桐駅跡の先で、大桐駅の代替として作られた南今庄で新線と合流します。私も新潟時代しょっちゅう「南今庄」の駅名標は見ましたが、来るのは初めてです。特急や普通電車がしょっちゅう来ます。ここまで3時間自転車で走ってクルマは10台ほど、バイクは5台ほど、自転車は0。交通量が少ないんですね。集落はありますが、基本今庄の先、武生鯖江と敦賀を結ぶ経路なのです。

 

(現在の南今庄)

 

それにしても梅雨時とはいえ、治水・護岸・がけ崩れ対策工事の多いこと!路肩が崩れているところも何か所も見ましたし、道路が川のようにになっているところもありました。交通量が少なくても、生活道路も兼ねた観光道路になれば、警察も土木当局も安全かどうか見に来るでしょうね。川もおとなしく見えますがいったん大雨になるとあふれて大変なのでしょう。去年(2022年)氾濫したのです。こんなところであれば、安全な長大トンネル(北陸トンネル)を掘る発想になるはずです。

 

(氾濫の跡。もと鉄道築堤は森のたもと)

 

🚉 今庄駅(北国街道の今庄宿)

 

北陸旧線は南今庄で新線と合流しますが、蒸気列車補機の起点で、北国街道の宿場町でもある今庄まで行きます。今まで宿場もさんざん見てきましたが、この今庄宿はちょっと変わっています。街路一直線の両側に建物が並ぶのではなく、クネクネ回った街路になっていることです。四方に街道が発達しているので、急に攻め込まれないようにという配慮でしょう。木曾義仲の古城もあります。

 

 

南越前町今庄地区は6年前から景観保護と宿場町づくりをしていて、ウロウロしているとおじいさんが、写真を撮ってくれます。大名の宿屋である脇本陣では、おじいさん方が昼食。話してみれば福井の殿様松平春嶽の話題も出て、座敷には天狗党の志士たちのいら立ちに由来する刀痕なども残っています。しかし名物の今庄そばはなく、駅で買って故郷に送ります。

 

 

今庄駅のひさしには5,6個のツバメの巣。私を見てヒナを守ろうと注意を引き付けようとするところが愛らしい。構内は広く、ここで機関車を増結して山中越えに挑んだよすがが感じられます。給水塔も残っています。ただ名物今庄そばはじめ、メシ屋さんが近所にどこにもなく、駅でまんじうとアイスコーヒーを買ってしのぎ、昼メシは結局夜の東京の街中で食べることになりました。

 

 

今庄を13:49の普通電車で北陸トンネルを15分で敦賀へ戻り、米原⇒東京と乗り継ぎました。金沢発の特急は40分遅れ!東京に戻ってきたのは夜8時。駅の階段などエレベーターを使わず、自転車を担いで上がったので夜の昼食後、ぎっくり腰になりました。新幹線の冷房直近で冷えたのも原因。急に重いモノを持ち上げるのは慎みましょう。自転車でペダルを漕ぐのに支障はありませんでしたが、最後の最後、自宅マンションでびっこひいて、ヨロヨロ帰り着きました。

 

<完>