新労社 おりおりの記

労務管理事務所 新労社代表、東京都渋谷区の社労士、深石 圭介と申します。雇用関係の助成金と人事制度を専門に、お仕事をしています。皆様よろしくお願いいたします。

雇用助成金相談室
助成金に関する相談・申請:当事務所は教育・雇用にかかる福利厚生を中心として助成金申請のプロです。 


雇用関係助成金 法改正ルーム

最新の助成金の法改正情報を、追っています。フェイスブックですが、外部から見ることができます。


すぐにもらえる!雇用関係助成金 申請・手続マニュアル

平成21年以来出ています、私の著書です。7訂版出版されました。法改正の追補版もあります。

人事制度研究室
当事務所は中小企業の賃金・人事制度に、高等なものから身近なものまで独自のやり方を行なっています。
 
社会保険労務相談室
手続のアウトソーシング:専門知識による正確・迅速な手続きをお任せください。社員の方の手間が省けます!


バヌアツに行った社労士フレンチフリゲートの奮闘

かつて南太平洋の国に、短期間住んだことがあります。その風俗や活動の記録です。

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>
2018-08-19 05:00:00

ドイツの徳川慶喜:コルティッツ将軍

テーマ:歴史

当ブログをご訪問頂き、ありがとうございます。

 

○ 著書、『最新情報を網羅!雇用関係助成金 申請・手続マニュアル』の内容はこちら

○ 助成金の無料診断はこちら、法改正最新情報は こちら

○ メルマガ「新労社が贈る、人事のツボ!」はこちら

=====================================

 

1944年8月、第2次大戦でナチス・ドイツ軍に占領されて以来、フランス軍の4年ぶりの入城に湧き立つパリ市内。兵員輸送車の上で市民の歓呼に応える、のちのフランス大統領ド・ゴールの後ろに、座ってうなだれるドイツの軍人が、パリのドイツ軍防衛司令官ディートリヒ・フォン・コルティッツ将軍です。2週間前にパリに着任し、国防軍最高司令官ヒトラーの「パリを死守せよ。さもなくば焼き尽くせ」という“焦土命令”を無視し、パリを救った人物です。

 

コルティッツ将軍は、大戦初期にはオランダのロッテルダム無差別空襲を指揮したこともあり、また、ロシア戦線でユダヤ人の虐殺に関与した疑いもあります。直前で暗殺未遂事件がありましたが、独裁者ヒトラーにも忠実でした。そんな人物がなぜ“焦土命令”だけは無視し、この戦争中に人道的な行いをし得たのでしょうか?何も彼は熱烈な平和主義者だったわけでも、フランスに同情したわけでもありません。

 
ドイツの面目をいかに守るか?戦後ドイツが悪名を被らないためにはどうしたらいいか?
 
ということを考えたのです。いい意味の自分勝手ですね。そういうことを彼はたった1人で、2週間苦悩し、結果以下のように決めたのです。
 
・どんなに頑張っても、ドイツの敗北は決定的。戦っても戦わなくても同じ。
・それならば、パリを平和裏に連合軍に明け渡す方がトク。自分も汚名や処刑を免れる。
・しかし街の治安とドイツ人部下の安全、両方守るために、ギリギリまでドイツの権威を守る。
 

コルティッツ将軍は、敵であるレジスタンス運動(共産党系と中道系があった)との交渉で、いがみ合う両方の思惑を知ってうまく調整し、地域限定の休戦協定を行い、反面、装備に勝るドイツ軍の軍事パレード、そして脅迫と駆け引きを取り混ぜることによって、秩序を保つための“政治”を行い、進撃する連合軍に花道を敷いて、破壊を要求するヒトラーにはすっとぼけ、パリをすんなりと、しかし一番平和裏に明け渡したのです。

 

これ、江戸開城の徳川15代将軍、慶喜の態度に似ていますね。勝海舟ら有能な政治家はいたし、アタマの柔らかい指揮官に率いられた精強で士気も高い最新装備の陸海軍もありました。彼が戦うといえば、何十万の軍勢が江戸を焦土にしても戦ったでしょう。

 

しかしそうせず、理屈抜きでひたすら“すみませんすみません”と恭順したことは、海舟らの賛同を得、多くの若い有能人の命を救い、何よりも東京遷都という一大エポックを作り出すもとになりました。

 

結果慶喜も命を全うし、徳川家もつぶれず、近代日本は最小限の流血で、短い時間でスムースなスタートを切りました。ドイツも同じように、第2次大戦の惨害、ユダヤ人やフランス人レジスタンスその他への残虐行為の断罪は残ったものの、“パリの破壊者”という汚名は免れました。戦後のコルティッツ氏の葬式にはフランス軍からも参列者がいました。

 

こういう決断ができるのは、どうも合理的な決断を戦時中など非常時でもできる、組織に意識がとらわれていない、“自由人”が多いようですね。コルティッツは歴戦の勇将でよく賞されながら、大勢いたヒトラーの取り巻きではなく、慶喜も組織のトップにいながら戦場を勝手に捨てて帰るとか、“自由人”でした。意識をいかに自由に転換するか、そこは有能さとともに、権威に盲目的に従わない精神が必要なもののようです。

2018-08-12 05:00:00

中企団 助成金2018 実務セミナー

テーマ:おしごと

当ブログをご訪問頂き、ありがとうございます。

○ 著書、『最新情報を網羅!雇用関係助成金 申請・手続マニュアル』の内容はこちら

○ 助成金の無料診断はこちら、法改正最新情報は こちら

○ メルマガ「新労社が贈る、人事のツボ!」はこちら

=====================================

中小企業福祉事業団

 

今年も助成金をより突っ込んだ実務セミナーをやらせていただきました。5つの助成金についてです。

 

時間外労働等改善助成金 時間外労働上限設定コース : 36協定の特例を厚労省基準に直した場合の時短の助成金。

人材確保等支援助成金 雇用管理制度助成コース : 雇用管理改善の制度(5つ)導入と成果にかかる助成金。

キャリアアップ助成金 諸手当制度共通化コース : 正社員、非正規社員共通の手当制度を作った場合の助成金。

両立支援等助成金 育児休業等支援コース : 育児・介護等の仕事との両立を支援する助成金。    

人材開発支援助成金 認定実習併用職業訓練 : 新入社員向けのOJT+OFF-JTの訓練への助成金。

 

今年度はキャリアアップ助成金 正社員化コースしかないのか!という“助成金の空気”ですが、それに反ばくし、より広い範囲の、「5大助成金」(人確金、人開金、時改金、両立支援、キャリアアップ)がとっつきやすいというのが私の見方です。正社員化以外にも、話題になったもの、縮小されたがまだいけるもの、おススメのもの、これだけあるぞ!というところを、お伝えしたいのです。

 

 

今年は「助成金実務」とは何か?という定義から始めました。近年厚生労働省の助成金は「そう簡単に“お金儲け”させてくれなくなった」傾向が特に強く、実務とはお金儲けする方法ではないよ、ということを伝えたかったのです。具体的には経産省の補助金と比べて、審査がないよ、という意味のことを申し上げました。

 

もちろん助成金にも、もらえるかどうか決める審査はあります。しかしそれは、あくまで要件と合うかということなので、イイ計画かどうかを審査するコンペではないのです。絵の展覧会に例えて申し上げました。

 

助成金・・・太陽と山と人の絵を描いて(人事の施策)、それらが揃っていれば入選(入金)

補助金・・・太陽と山と人の絵を描いて(各種企業の施策)、それらが感動的と審査されれば入選(入金)

 

ですから助成金の実務というのは、企業の人事労務状態が「月と富士山と人の絵」であれば、それを「太陽と山と人の絵」に近づけて、入選にもっていくことです。補助金のように、企業の状態がもともと「太陽と山と人の絵」で、それを感動的ならしめる専門家の役割とはちょっと違うのです。

 

 

そういう前置きをしてから、個々の助成金において、何を持って帰るべきか申し上げ、太陽と山と人の絵」にするには、どうしたらいいか?ということを点描的に申し上げました。そういう“点”1つ1つを実務というのです。こういうモノをやることの根源のハナシが重要になってきています。

 

雇用関係助成金で、おカネおカネの考えになることは危うく、また、実務にもポリシーが必要になってきているのです。助成金ダメですね、と言われそうになった時の最終手段は“その助成金の趣旨”を語ることです。政策の目的=ポリシーとして理解すれば、助成金も正しい使い道に導くことが可能になります。

 

と、エラそうに申し上げましたがこの実務セミナーも含めた、中企団さまの助成金セミナーも、かれこれ10年にもなります。もっとラクをしてもいいようにも思えますが、よきセミナーを追求したいので、こうして試行錯誤して考えているのです。かつてはワークをやったり、量を多く提供したり、さまざまな試みをやりました。

 

でも実務はとどまるところを知らないですね。いろいろ述べているうちに6分オーバーで終わることになりました。これはサービス不足で、改めるべきところです。ただ毎年改めていると、どうにも“慣れない”ことになってしまうのです(苦笑)

2018-08-05 05:00:00

面白い!“軽便鉄道”レールパーク

テーマ:旅行・サイクリング

当ブログをご訪問頂き、ありがとうございます。

 

○ 著書、『最新情報を網羅!雇用関係助成金 申請・手続マニュアル』の内容はこちら

○ 助成金の無料診断はこちら、法改正最新情報は こちら

○ メルマガ「新労社が贈る、人事のツボ!」はこちら

=====================================

(頚城鉄道のディーゼルカー、ホジ3)

 

くびき野レールパーク 

 

夏の暑いころ、行ってきました。軽便鉄道の廃止後に近い姿が、動態保存で見られるということから、また、そんなものすごいことをやれるようなパワーがどこにあるのか、どういう人がやっているのかということを見に行くためです。 

 

軽便鉄道というのは、言ってみれば「すぐ引けるようなコストのかからない、幅の狭い鉄道」です。明治から昭和戦後まもなくまでの「鉄道の時代」に、おらが村にも鉄道を、という願いから、旅客や農作物、鉱物等を運ぶために、地方にも多くのローカル線ができました。 そのうちの1つが新潟県上越の頚城鉄道でした。

 

 

(頚城鉄道のコッペル:小型蒸気機関車)

 

上越の平野を海辺から内陸に淡々と走る10数キロを40分ほどで結んだようです。大正3年に走り出し、雪と闘いながら乗客や農作物を運びました。戦後は蒸気機関車からディーゼル機関車、ディーゼルカーになりましたが、モータリゼーションでバスやトラックの時代になり、昭和46年、廃止になりました。 

 

多くの軽便鉄道が明治末期~大正期にできて昭和初期に消えていったのにかかわらず、戦後20年以上保ったのは、豪雪地帯だったからというのもあるでしょう。鉄道は自動車より雪には強いのです。

 

軽便鉄道というのは、とにかく「貧の文化」で、なるべくトンネルを掘らないとか、あるいは気象災害で不通になって、修理費が捻出できず廃止になったりとか、老巧車両を改造して違う会社で使いまわしたり、ニコイチにするとか、編成を見るだけでもデコボコしたり、物語に富んでいるのです。

 

 (現役時代の頚城鉄道)

 

JR信越線の直江津駅前から、バスで50分ほど。さらに10分ほど歩いて、”百間町駅”にあった頚城鉄道の本社跡に、レールパークはあります。上越市頸城区百間町は今では静かな住宅街といったところですが、文化財の価値のある広壮な豪農の屋敷が多々あり、豊かな地域だったことがしのばれます。大きな寺や消防団、学校など、地域の拠点だったのです。米をはじめとする豊かな資源を、日本海縦貫ルートに乗せるための運輸の必要性から作られた鉄道だったのです。

 

 (百間町のお寺)

 

それらの貴重な住居なども、NPO法人くびきのお宝のこす会が、レールパークも含めて運営しています。地元のヒト、さらに新潟や全国の鉄道ファンを会員に運営され、入場料や、“汽車”に乗ることなどは無料です。

 

(ここが本社) 

 

揃いのユニフォームで、年配の方は、各種グッズのショップや、“会員”登録の事務、若いヒトは機関車、ディーゼルカーの運転士や、車掌、安全を守る案内係をしています。地域の組織ですが、上越市はなかなか補助金を出したがらないようです。過去の遺物にしては“中途半端”と思われているのでしょうか?

 

故郷松山の“坊っちゃん列車”を思い出します。松山の場合は伊予鉄道という、一大民間企業のバックアップがありますが。

 

 (松山の機関車)

 

もと頚城鉄道本社の社屋は博物館、さらにメインは車庫です。蒸気機関車と貨車3両、客車2両、ディーゼルカー1両、ディーゼル機関車1両が入っています。そのうちディーゼルカー1両と、ディーゼル機関車+貨車1両+客車1両が、30分ごと交互に百間町駅の“構内”を車庫と引き込み線で、ヒトを乗せて2往復するのです。貨車は無蓋車で、上に畳を敷いてあり、ヒトが乗ることができます。

 

 (ディーゼルカー、ホジ3の車内)

 

いやあ、乗ってみると面白い。バスのようで、バスでない、感覚はしっかりした軌道に乗った鉄道の感触です。しかし762mm軌間(車輪の幅、JR在来線1067mm、新幹線1435mm)で、数十メートルしか走らないのに狭くて揺れます。ズロロロロロ・・・というエンジン音とともに、機関は載せ替えてますが、木造の客車なので、ギシギシ、ゴトゴトいう感じは独特のものです。しかし弱弱しい分解する感じはしない、不思議な走り方です。

 

以前JR山口線で蒸気機関車に乗ったことがありますが、ああいう感じでもない、弱くやっと引っ張る感じでなく、力強いのですが、速度は人間が小走りするくらいです。

 

 (混合列車)

 

昔のローカル線とは、夏目漱石の「坊っちゃん」で描かれた、マッチ箱のような汽車というように、みなこのようなものだったのでしょう。テクテク歩くよりはるかに速い、この感覚に当時のヒトは、ありがたみがひとしおだったことが想像できます。

 

車両のある車庫にも展示があるのですが、その外に出て撮影も自由です。列車にエンジンがかかってなければ、自由に機関車などの前に出たり、客車に乗ってみることも可能です。機関車はディーゼル機関車とはいえ、ロッドを回して走る古ーいタイプ、客車や貨車は2軸貨車です。運転室などもむき出し、実に人間的な、温かい気持ちになるのです。午前中から回数を重ねるにしたがって大入り満員。みんな楽しんでいるのです。

 

若い運営の方は、安全に非常に気を配っていますね。鉄の塊が動くわけですから、規制も厳しく、事故など生じないように、何度も安全を確認し、慎重に慎重を重ねています。

 

 

(車掌さんが安全を守るとともに案内してくれます)

 

「現場」の駅員さんたちは、まず熱心です。私の母校の鉄道研究部の方もいました。歴史や機械の性能を知悉しているばかりでなく、心から鉄道を楽しんでいる感じがよかったですね。安全を守り、汽車を動かす、当たり前のことですが、その何気ない“仕事”が何とも面白いのです。その活き活き感が伝わってきます。

 

いすみ鉄道など、運転士を募集すれば、おカネを逆に払わなくてはならなくても、なり手あまただったというのは、うなずける話です。好きを仕事にしたい人は多いのですね。

 

 (手づくり感満載の客車)

 

いろいろ面白く、さして広くない構内なのですが、結局3時間ほどいました。HPにバスの時間が記されていて、便利です。ただし私と一緒に行き、帰ったのは、鉄っちゃん4~5人といったところ。家族連れをはじめ、大部分は車で来るでしょう。基本は遥かなる田んぼの中の鉄道です。バスの時代になれば、また自家用車がいきわたれば、時代遅れになるのはわかります。

 

しかしなぜこういうものに安らぎを感じ、動かし、見てみたい気にさせるのでしょう?人間の心理は保守的なものです。旧いものでも、長年変わらぬものに畏敬を抱くのは、安息を願う人間の生き物としての本性でしょう。

 

 

(百間町北方、ここはコメどころ新潟県!)

 

鉄道文化財は、技術や鉄道自体の歴史もさることながら、産業構造のインフラの推移や地域の歴史なども含んで、奥が深いのです。もともとこの頚城鉄道の車両たちも、神戸の篤志家が廃止当時にその価値を知って引き取り、六甲山のトンネルに置いておいたものを、取り返してきたという事情があります。当時は単なる古いものは捨ててしまえ、という意識だったのが、歴史を語る文化財として、古民家などと残そう、という意識に時代が変わってきたのですね。

 

実際動いているのは、私のようなファンには面白いのですが、何しろJRの駅や市街地から結構離れていることと、リピーターが少ないことが悩みのようでした。離れているのはしょうがないとして、集客のコツは、外国人を呼ぶことと、若い人(しかも鉄道を愛する人)がいるのだから、ICTを駆使して宣伝することです。

 

私は実家は松山ですが、そこの坊っちゃん列車と比べても、臨場感が遜色ないのです。コッペル(ミニ蒸気機関車)もいますし、貨車などもあるので、車両もバラエティがあり、“鉄道員”の方のサービス精神も高く、客寄せに事欠きません。魅力はあるのだから、あとは営業です。営業がよくなれば、私のように泊りがけで来る人間も増えるかと思います。

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス