主にスイスで活躍したドイツ出身の画家、オットー・ネーベルの美術展を観に、Bunkamuraのザ・ミュージアムに行きました。
オットー・ネーベルはベルリン生まれ、ドイツで活躍しましたが、ナチスドイツの誕生により、スイスのベルンへの移住を余儀無くされ、ベルンを拠点に活躍した画家です。パウル・クレーやワシリー・カンディンスキーと交流があり、一見、作風も似ているように見えますが、実はオリジナリティに溢れる画家、目から鱗の素晴らしい美術展でした!
本当はもっと早くに行きたかったのですが、仕事やコンサートでなかなか時間がなく…、「台風だからもしかして空いているかな?」と思いつき、日曜でしたが昨日の午前中に行きました。思惑通りにかなり空いていて、じっくり観ることができました。(ただし、帰りはずぶ濡れになりましたが…)
特に気になった作品をいくつかご紹介します。
(写真)オットー・ネーベル/ナポリ - 「イタリアのカラーアトラス」より
※購入した絵葉書より
まずはナポリ。この展覧会のポスターにも使われていることから、見覚えがある方もいらっしゃるかも知れません。オットー・ネーベルはイタリア旅行でイタリアの陽光に魅せられ、「イタリアのカラーアトラス(色彩地図帳)」という作品群を創りました。イタリアの都市や山や海の景観の印象を、色のグループにまとめた作品です。これはナポリの光の印象の作品。「ネイプルズイエロー」(ナポリ=Napelsの黄色)で有名なナポリの黄色や橙色が支配的で、11月の空の下の地中海の青。この絵を観ただけで、ナポリがどんなに素晴らしいところか分かります。正に「ナポリを見て死ね」(Vedi Napoli e poi muori)ですね!
(写真)オットー・ネーベル/ポンペイ - 「イタリアのカラーアトラス」より
同じく「イタリアのカラーアトラス」からポンペイ。こんな感じでまちによって使われる色や形が異なります。溶岩と灰の塊が灰色で表わされています。美術展内では、イタリアのカラーアトラス全作品を紹介する3分の映像が流れていましたが、これが観応えがあって素晴らしい内容!ローマ(昼間の町の響き)やラディコファーニのまちの絵も非常に雰囲気が出ていました。夢中になって繰り返して5回くらい観ました(笑)。
(写真)オットー・ネーベル/アスコーナ・ロンコ
これは初期の頃の作品です。オットー・ネーベルはバイエルンのコッヘルやスイスのアスコーナの風景を好んで描いたそうです。メルヘンチックなタッチの絵で、どことなくシャガールを思わせる作品。絵葉書がなかったのでご紹介できませんが、同様の絵で「山村」や「コッヘル、樅の木谷」など素晴らしい作品がありました。コッヘルはミュンヘンの市立レンバッハギャラリーにもカンディンスキーによる素敵な風景画がありました。様々な画家にインスピレーションを与えたコッヘル、どんなに素敵なところでしょうか?
(参考)2014.12.27 ミュンヘン観光(市立レンバッハギャラリー)
https://ameblo.jp/franz2013/theme16-10101206952.html
(写真)オットー・ネーベル/避難民
オットー・ネーベルは先にご説明したように、ナチスドイツ誕生とともに1933年にベルンに避難しました。ネーベルの作品自体が必ずしもナチスに退廃芸術と断定された訳ではないようですが、ドイツにいるのが耐えられなくなり、スイスに亡命した形です。退廃芸術の代表者の一人と見なされたパウル・クレーがスイスに亡命したのは1933年12月、ネーベルはその半年前の5月。第一次世界大戦の経験をもとに、早くからナチズムの危険を察知していたようです。これはその様子を描いた絵。一見可愛らしい雰囲気の絵により、一層悲しみを伝えるのは、どことなくピカソを思わせます。
なお、同じ時期、ドイツのクラシック音楽界では、自身の芸術的良心と信念により、ナチスからタブー視された作曲家の作品の初演を勇気を持って敢行した指揮者がいました。その指揮者の名前はヴィルヘルム・フルトヴェングラー。初演したのはヒンデミットの交響曲「画家マティス」です。フルトヴェングラーはその後、ヒンデミットを擁護する論評も新聞に載せています。いわゆるヒンデミット事件、1934年のことでした。
(写真)オットー・ネーベル/聖母の月とともに
オットー・ネーベルはベルリンの建築専門学校で建築工事の専門技術を学んだ経験を活かして、建築的景観や重厚な大聖堂の絵をいろいろ残しています。これはその中の一枚。暗い色調の配色と入り組んだ家々のバランスの取れた配置が見事です。美術展では、この他に、「煉瓦の大聖堂」「青い広間」「高い壁龕」という大変立派で荘厳ですらある作品もありました。構図だけでなく、近くで見ると絵の質感が本当に素晴らしい。これらの絵、特に「煉瓦の大聖堂」から即座にブルックナー/交響曲第5番変ロ長調を連想してしまった私はブルヲタ認定でしょうか?(笑)
(写真)オットー・ネーベル/ムサルターヤの町Ⅳ景観B
オットー・ネーベルはイタリアのラヴェンナに行って、素晴らしいモザイク画の数々を観て感激し、自分の作品にもモザイク画風の作品を残しています。これはその作品の一つ。ネーベルの作品は一見、パウル・クレーやカンディンスキーに似ているように見えますが、非常に細かい仕事がなされているそうで、絵の質感が異なります。
(参考)2014.1.2 ラヴェンナ観光
館内では「知られざる前衛芸術家オットー・ネーベル」という14分の映像が流されていて、そのネーベルの作画のことを紹介していました。ある絵について、「全てが点でできている」と感想を言われたネーベルの答えは、「2872」だけだったそうです(笑)。何と、絵の点の数まで把握しているんですね!
なお、この映像では、オットー・ネーベルがパウル・クレーのバウハウスのアトリエに行った時に、3人のヴァイオリ二ストも集ってモーツァルトを聴いた、なんていう、ちょっと萌える話も出てきます。
音楽の話が出ましたが、このほか、オットー・ネーベルは音楽にちなんだ作品や、ニーベルングの指環にも出てくるルーン文字にちなんだ作品も残していて(美術展後半の観どころ)、大変興味深く拝見しました。図録をしっかりと読み込んだ上で、もう一度観に行こうと思っているので、その時にでも第2弾をご紹介できればと思います。
いずれにしても、
◯表現主義やバウハウス、パウル・クレー、ワシリー・カンディンスキーなどがお好きな方
◯デザインや色彩を勉強されている方(最後の物販のコーナーに色彩検定のチラシが置いてあって、ニンマリしました、笑)
◯スイスやイタリアがお好きな方
は、おそらく必見の美術展です!12月17日(日)まで、渋谷はBunkamura、ザ・ミュージアムにて!
(以下は、以前に旅した素晴らしい街、ベルンについて)
(写真)オットー・ネーベルが活躍したベルンの風景。スイスの首都だけあって、スイスの各州の旗が街中にたなびいていて圧巻でした!街が丸ごと世界遺産です。
(写真)今回の美術展に多大なる協力をされたベルン近郊のパウル・クレー・センター。パウル・クレーのユニークな作品が沢山ありました。何と4,000点も所蔵しています。
(写真)ベルンとは「クマ」の意。街のシンボルもクマです。動物園ならぬクマ園があって、無料で見ることができます。奇しくもオットー・ネーベルの生誕地のベルリンもシンボルは同じくクマです。
(写真)ベルンはアインシュタインが住んでいたまちとしても有名です。1905年にはここで光電効果の理論、ブラウン運動の理論、そしてあの特殊相対性理論が発表され、「奇跡の年」と呼ばれています。アインシュタインの家からベルンのシンボルの立派な時計塔が見えましたが、物理学の正に時空を超えたロマンを感じ、非常に感慨深いものがありました!
(写真)ベルン名物、ベルナープラッテ。ソーセージや肉料理の盛り合わせでもの凄いボリュームです!頼んだら、サービスのお姉さんが、「完食できるかな?」と半信半疑の様子でしたが、無事完食して、とても美味しかった、と伝えたら、お姉さんからめっちゃウインクしてもらったのはいい思い出です(笑)。